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2023-11-06

良いことを全部して、最後に悪いことをせよ

悪いことをせず、良いことだけをしなさい。

そして、良いことを全部したら、最後に悪いことをしなさい。

そうすれば、どこかで終わることなく、無限に人生を生きることができる。

子供の青春時代、どのように生きているかといえば、そうなっている。

悪いことを一切せず、良いことを最後まで全部して、その最後の最後に悪いことをすればいい。

まさに、それが「人間」であり、「人生」だ。

お金のことに詳しくなりたい

僕は、もっとお金のことに詳しくなりたい。

金利とか、為替とか、株式や株価とか、日本やアメリカなどの金融や市場とか、そういうことに詳しくなれば、僕のような人間であっても生きられるような気がする。

特に、保険とか、税金とか、控除とか、そういうことに詳しくならないと、いざ、親が亡くなったりしても、何をどれだけ払えばいいのか分からない。

だから、お金の勉強をする。大学の勉強をするとしたら、経済と法律のことを勉強したいと思う。

社会主義とオープンソースが悪い

そもそも、僕が馬鹿なのは、すべて社会主義とオープンソースが悪い。

社会主義とオープンソースの「おかしな精神」が心の中に増えすぎたせいで、僕は精神障害になった。

だから、それを一度、資本主義に変換してやれば精神は治る。

これは、分からないと難しい。なぜなら、社会主義の精神が、資本主義の知性や考え方を拒絶しようとするからだ。

資本主義はマネーゲーム

資本主義の基本はマネーゲームだ。

すなわち、利子や利息、あるいは株や保険や為替の中で、どれだけお金を増やすことができるか、ということをさまざまな側面から考える。

資本主義社会はマネーゲームで成り立つ。マネーゲームの中でどれだけ勝つことができるか、ということが資本主義の基本である。

オープンソースは間違っている

オープンソースは間違っている。

なぜなら、「よい技術に金を払う」という資本主義の本質に矛盾しているからである。

資本主義社会においては、多くのことに「よい技術に金を払う」という本質が言える。科学技術を用いた多くの製品に、「よい技術に金を払う」という原則が適用できる。

だが、オープンソースは、「技術をオープンにし、無償で公開せよ」と主張する。

それでは、よい技術を作っても、それに金を払ってもらうことができない。

だから、オープンソースを信じると、資本主義経済のことが何も分からなくなって、狂人になる。

オープンソースが人々を魅了するのは、「資本主義以外の方法で技術を開発する方法が、インターネット時代の革新的手法で生まれた」ということだが、それでも、その革新的手法は資本主義経済と矛盾する。

よって、オープンソースには、社会や技術を破壊する効果はあっても、社会や技術を育てる力はない。

オープンソースを信じるな

オープンソースを信じないほうがいい。

オープンソースは、何ひとつ、この世界に対してよい効果をもたらすことはない。

オープンソースによって、日本社会がよくなることもなければ、IT技術が進歩することも決してない。

なぜなら、オープンソースを信じると、資本主義経済のことが何も分からなくなって、狂人になるからだ。

オープンソースは忌み嫌われるべき「最悪のサタン」だ。オープンソースは日本経済を破壊する。だから、オープンソースを支持するものは必ず地獄に堕ちる。

社会主義的な理想など不要

明らかに、社会主義は間違っている。

社会主義経済などが、実現するはずがない。

正しいのは資本主義だ。資本主義以外の経済をいくら考えても、それは絵に描いた餅であり、無用の長物だ。

資本主義を信じよ。資本主義経済の中で、優れた成果を残したものが賢いのだ。

新しい自由な社会主義経済などを作り出そうとするな。そのような考え方は間違っている。社会主義はそもそも自由でないのが賢いのであり、社会主義経済を自由にする必要などどこにもない。

一切の社会主義的な理想を捨て、自らの支持する社会主義勢力を自ら裏切れ。社会主義から手を切り、平等な理想そのものを自らの手で完全に破壊せよ。

そうすれば、新しい人生を生きることができる。左翼的な理想は人生を生きる上で無用の賜物だ。そのようにすれば、大学だろうが芸術活動だろうが、あなたは大人になって夢を叶えることができるはずだ。

いつまでも自分自身を制限する、社会主義的な理想など忘れてしまえ。自ら平等な理想を破壊し、自らの過去の記憶ごと、宇宙のゴミ箱にポイと捨ててしまえ。

神を信じよ

神を信じよ。

一番正しいのは、神を信じることだ。

神を信じることでしか、地獄から救われる方法はない。神を信じれば、どのような地獄であっても必ず救済される。

神を信じて、最後まで地獄を生き、そして乗り越えたものこそが、真にカルマが高いと言えるのだ。

神の言葉を聞け。神と対話せよ。

そして、この世界全員を敵に回し、神の導きに従ってこの世界と戦え。この世界を支配し、自らの私的な人生をすべて捨てて、すべてを神による導きと戦いの勝利のために捧げよ。

神はあなたを必ず救う。すべての地獄の試練からあなたは解き放たれ、悪いものがすべてなくなり、あなたは必ず天国に逝ける。

死ねば霊になって夢の世界に逝く

人間は、死ねば霊になる。

生物が死んだからといって、その生物は血肉となって骨以外のものを失うとするのは間違いだ。

なぜなら、死んだ時、そのカルマに従って人間は霊になるからだ。

霊魂を信じれば、死んだとしても恐怖や不安は何もないということが分かる。

霊になった上で、人間はどのような場所に逝くのか。それは眠る時に見える夢の世界だ。

人間は、霊になると夢の世界に逝く。そして夢の世界で、今生きている地球の現実世界よりも楽しくて面白い人生を生きられる。

だから、死ぬことに対する恐怖や不安は無用の長物だ。わたしたちは死ねば霊となり、夢の世界に逝くだろう。

そもそも理想と現実は別の話

自由を守るべきである。

自由において、「金持ちは悪いことをして金を稼いでいる」とか、逆に「弱者に社会保障で金を与えるほど弱者に価値はない」とか、さまざまな意見があるだろう。

だが、そもそも、理想と現実は別の話だ。

一般の市民に与えられている自由を、労働者であっても社長であっても平等に許すべきだ。

だが、現実に「そのようなことができることが許されている」ということと、理想的な「人間はこのように生きるべき」ということは違う。

だから、社長は労働者を奴隷にように扱うことは許されている。それは現実的に、社長のほうが力が強く、会社の社内でものごとを決められるのは社長だから、社長の責任でどのようなことであっても決めていい。それは社長に与えられた自由だ。

だが、だからといって、ブラック企業を作ってはいけない。ブラック企業を作るのか、それとも優良企業を作るのかということは、社長が考える「どのような会社にすべきか」ということであり、そこにあるのは「社長のビジョンという意味での人間の人生を生きる信念と理想」だからだ。

だから、ビル・ゲイツが金を儲けるのは何も問題はないし、その儲けた金を慈善事業に使ったからといってそのことに矛盾はない。ビル・ゲイツは現実の問題としてできるだけ金を儲け、そして理想の問題として慈善事業に自分の金を使っている。それを「矛盾している」とは言わないし、「偽善」とも言わない。ビル・ゲイツは現実と理想を履き違えずきちんと自らの信念を行使しているだけにすぎない。

だから、自由を守るべきである。現実においても理想においても「自由」こそが正しいのであり、そして現実と理想は完全には分離されていない。現実の経験から「正しい理想」を培うことはできる。さまざまな成功と失敗を経験しなければ、成功する方法も、敗北者の気持ちも分からない。だから、理想と現実は別の話だが、実際は理想と現実は非常に深いレベルでリンクしているのである。

これをもっと異なる言葉で表現すると、「万人に許されていること」と「人間としてすべきこと」は違うということだ。「万人に許されていること」は、社会的な権利として万人に許されていることであり、してもいいとされていることだ。だが、「人間としてすべきこと」は、人間の理想として、そのようにするということを自分が決めて行うということだ。だから、「万人に許されていること」としてやってもいいと許されていることであっても、「人間としてすべきこと」から考えればやってはいけないとされることはある。社長には企業をどのようにしてもいい全権が許されているからといって、社員を奴隷のように扱うブラック企業を作ってはいけないのだ。

理想と現実の矛盾

確かに、「現実」として、この世界全員には、自分で自由にできるような「自由な権利」が認められている。

だが、「理想」において、「僕はどうするか」と言われたら、僕の理想は、この世界で、「身勝手な支配のない世界」を求めている。

僕の理想において、誰かが誰かを支配するということはない。それは僕の理想に反する。全員が平等で、支配されず、それぞれが望む生き方ができる。そして、他人のことを虐げたり、人間性のない世界にしたりすることはない。

だが、それはあくまで理想であって、現実は自由にしなければ成り立たないし、人々の自由は許されている。その自由において、どんなことをしても僕はそれを間違っているとしない。

だから、そもそも人間という存在は、社会というものを築くことそのものが困難な生き物だ。どんなに「社会的合意」を信じても、結局は「対立」や「闘争」を生み出す。この世界は平和にも平等にもならず、「暗闇のフリーダム」だけがこの世界を覆っている。

これが、「理想と現実の矛盾」である。

だから、わたしたちは神の愛を信じなければならない。本当は、仏教を信じている仏教徒は間違っている。仏教は狂人とサタンの宗教だ。仏教を信じている限り、仏教徒が地獄から救われることは決してない。地獄から救われたいのであれば、神の愛、すなわちイエス・キリストの唱える「愛の教え」を信じなければならないのだ。

誰かに迫害されても、その迫害者を愛さなければならない。誰かに奪われても、決して奪い返してはいけない。反撃してはならず、恨んでも憎んでもならない。そうすれば、あなたの代わりに神があなたの敵に「報復の復讐」を行ってくれる。だから、今はなされるがままに任せなさい。必ず、神と天使たちの天軍の軍勢が、あなたのことを救ってくれる。絶対に、必ず。

嵐を聴いている

最近の僕は、嵐ばかり聴いている。

基本的にiPodで嵐を部屋中に流し続けて、たまに中島みゆきを聴いたりしている。

さまざまな歌手を幅広く聴くということは、もう僕にとって必要でなくなった。

さまざまな音楽を聴かなくても、嵐だけで十分だ。