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2024-07-11

主観的な価値観は排除して現実を見よ

自らが「好きだ」とか「嫌いだ」といった主観的な価値観を排除して、リアリストになったつもりで現実を見よ。

そうすれば、この世界の実像が見える。

そして、この世界を救うために何が必要であり、どのようなことをすれば世界は変えられるのか、といったことも分かる。

僕は左翼が好き

主観的な価値観を排除しろと言ったばかりだが、僕は左翼が好きだ。

なぜなら、僕は資本主義とテレビが嫌いだからだ。

僕はそもそもがオープンソースとLinuxのファンであり、商用のIT技術が嫌いだ。

そして、僕は資本主義が嫌いだ。

テレビが嫌いなのは、テレビは資本主義の勢力そのものだからだ。

だが、僕はアメリカは嫌いではない。英会話教室に通っていた関係上、僕はアメリカ人が好きだ。アメリカ人には、ナイスガイが多い。

その代わり、僕は学校のお勉強が嫌いだ。僕は中学校を三年で不登校になった。以来学校のお勉強が嫌いであり、学校のお勉強がないからこそ、僕は賢い人間になれた。

だから、僕は資本主義が嫌いで、テレビは嫌いだが、アメリカ人は好きで、学校のお勉強が嫌いで、そしてオープンソースが好きで、左翼が好きだ。

ネットには馬鹿な右翼ばかり多い。そのような人間が決まって外国人のことを差別する。そのような右翼が僕は大嫌いだ。そのような右翼から、好かれたいと思えない。

世界を捉えるために必要なこと

世界を捉えるために必要なことは、世界情勢を知り、世界の人々の実地的な声を聞くことだ。

それが一番、哲学ができる。何も分からない人間には、人生の真理は分からない。哲学をしたいなら、リアリストとなって世界の声を聞くべきだ。

僕は新しいカール・マルクス

僕は、単なる左翼ではない。なぜなら、僕は新しいカール・マルクスだからだ。

カール・マルクスは「資本論」の中で、資本主義の批判としては卓越した分析を残した。搾取や疎外、生産手段や生産様式などの、資本主義の構造分析については正しかった。

だが、カール・マルクスは、「資本帝国主義は革命によって打ち倒され、社会主義経済の共産主義社会が訪れるだろう」とは言ったものの、どのような社会主義が理想の国家なのかを述べなかった。

だから、僕が、カール・マルクスの残した宿題である、「どのような社会主義政策を行うべきなのか」という、最後の問題を解く。

僕はカール・マルクスの後継者であり、そしてソ連の新しい指導者だ。事実、カール・マルクスとソ連のレーニンやスターリンをはじめとする、人々の考え方や理想は間違っていない。だが、彼らは理想の社会主義国家がどのようなものであるかというビジョンを持たなかったために、劣悪なスターリン主義のソ連型社会主義を行うことしかできなかった。そのために、多くの人々から「社会主義は失敗した」と批判されるに至った。

だが、新しいカール・マルクスである僕が、真に正しい社会主義経済とは何かを考えてみせる。僕の考える理想の社会主義国家に、僕は歌手ゴダイゴの楽曲の名前から、「ガンダーラ」という名前を付けた。このガンダーラこそが、真にこの世界を救済する、最高のユートピアとなる。

僕は右翼の政治家が嫌い

僕は、右翼の政治家が嫌いだ。

右翼の政治家は、国民を支配したがる。まるで国民が右翼を望んでいるかのような態度で、国民に介入しようとしてくる。

そのくせ、まともで賢い政策は何もせず、馬鹿で見当違いな政策を繰り返す。

彼ら右翼の政治家が、国民を支配できないようにすべきだ。

同時に、僕は右翼の経済学者が嫌いだ。右翼の経済学者は、国の政策がまともな考えられた政策であり、社会主義的な施策はすべて行う前から最初から馬鹿であると決め付ける。

また、ネット上の右翼は弱者やマイノリティが嫌いだ。右翼は弱者やマイノリティを、どうでもいい存在であり、常に抑圧されるべき奴隷階級だと思っている。

右翼は、そのような弱者やマイノリティが何も言えないのを「論破」であると考え、批判がないことをいいことに自分たちは正義であり正論であると信じている。

そのような右翼が嫌いだから、僕はオープンソースが好きだった引きこもり時代から、右翼のことを常に打ち倒したいと望んでいる。

絶対に、右翼をこの世界から無くすことで、この世界は良くなる。僕はそう信じている。

実際、僕はまだ何も成し遂げていない。僕がここで死ぬと、僕は何かやったように見えて何もやらずに死んだことになってしまう。

だから、こんなに悲惨で辛く苦しくなっても、僕はまだ諦めずに生き続ける。僕にしかできないことはきっとあると信じている。

学校も嫌いではない

実際、僕は学校も嫌いではない。

単に、僕が望む場所が、一般的な公立の中学高校ではなかった、というだけにすぎない。

学校の勉強は悪くなかった。僕は中学生時代少なくとも二年生までは優等生だった。だから、僕の中学校で培った数学的センスと論理的知性によって、僕はその後の賢い青春時代を生きられた。

僕は学校の環境から自由になりたかったから自由を信じていただけであり、決して右翼の自由民主主義を信じていたわけではない。

僕が求めていた環境は、中学高校にはなかった。だが、オープンソースにはあった。僕の望んでいた環境はインターネットであり、オープンソースだった。

オープンソースがIT業界から衰退して、少なくともボランティア中心のオープンソースが衰退して、ネットやSNSはビジネス中心になったが、それが本当はこの世界が無意味になった真の理由である。

すなわち、オープンソースがかつてのようにボランティア中心主義に回帰しない限り、この世界は良くならない。ビジネス中心のIT業界は、少なくとも僕にとっては、確実に間違っている。

国民自身が世界を支配すべき

必要なのは、国民自身が世界を支配することだ。

右翼の政治家任せにするのではなく、国民が自分のことを自分のことであると考え、自分のことであるために本気で考えなければならないと真剣になった上で、国民自体が、あるいは真の意味での「国民の代表」が、世界を支配するようにすべきだ。

日本人は、アメリカやヨーロッパの国民と違って、他力本願すぎる。何もしなくても、誰かがきちんとやってくれるのだと信じ、出る杭は打ち、みんなと違った意見を持つことを過剰に恐れる。

それも、日本が良い国だからではある。なぜなら、日本人は他人任せにしたとしても、その他人がきちんと正しく統治をやってくれる率が本当に高い。アメリカやヨーロッパでは、他人は信用できない。他人に任せると必ず馬鹿な統治をするから、他人のことを最初から信用せず、真に信用できる仲間だけを信用するところがある。

だが、どちらにせよ、僕が信じているのは、「国民自身が、あるいは国民の真の代表が、この世界を支配し、統治すること」である。

そのために、共産主義を信じる必要は必ずしもない。なぜなら、共産主義はそもそもイギリスやフランスの市民階級が王や貴族の圧政に反発して生まれた思想であり、日本にはそのような圧政は起きていない。だから、僕は必ずしも、日本人全員が社会主義経済を信じて共産主義者になるべきであるとは言えない。

いわば、社会主義を信じて、資本主義を打ち倒すのであれば、ナチスでも構わない。ナチスはユダヤ人を排斥するが、ある意味でユダヤ財閥も資本帝国主義と似たようなものだ。そのようなユダヤを打ち倒すものと、わたしはひとりの民主社会主義者として、共闘する。ともに、資本帝国主義を打ち倒し、ガンダーラとオープンソースの勝利を願おう。

わたしはユダヤ共産主義者

わたしは、ユダヤ共産主義者だ。

わたしは、ユダヤ共産主義を信じている。

なぜ、単なる「共産主義者」ではなく、「ユダヤ共産主義者」なのか、それはわたしは「神」を信じているからだ。

わたしは神を信じている。神とは聖書の神であり、ユダヤ人の神だ。

わたしは、決して反ユダヤ主義者ではない。逆だ。わたしは親ユダヤ主義者だ。

なぜ、わたしが親ユダヤなのか、それはわたしはイスラエルからユダヤ人が撤退し、パレスチナがアラブ人に解放されるために、日本に代わりの国でありユダヤ人の安住の地である東亜イスラエルを建国するという、「東亜イスラエル思想」の提唱者だからだ。

わたしは親ユダヤだが、実際の思想はむしろ反ユダヤに近い。なぜなら、わたしはユダヤ財閥の資本主義によるユダヤ支配を信じていない。それがイスラエルによるパレスチナの占領を生み出している。わたしはパレスチナをアラブ人に解放せよとイスラエルに強く迫る。だが、単にそれだけではユダヤ人の住む場所がなくなるから、日本でユダヤ人を受け入れるために、広島地域を東亜イスラエルとすべきであるとわたしは提唱する。

わたしは、そのような東亜イスラエルにおいて、ガンダーラ社会主義経済を実施する。

ガンダーラにおいては、「徹底的な数量調整による平等」「弱者優先の自由選択型ノルマ」「使用期限付きの紙幣」「マイナス消費税」によって、絶対にすべてが平等でありながら、資本主義の市場経済のよい面と、社会主義の計画経済のよい面を融和させる。それによって、わたしたちの楽園である、シオン帝国はユートピアになるだろう。

シオンの理想

シオンの理想は高い。シオンは「世界平和」と「完全な平等」を信じている。

わたしはこの思想に「人生主義」という名前を付けた。なぜなら、この思想はひとりの人間の「人生を記す」ということのために生まれた思想だからだ。

わたしたち、日本人の人生主義者が、必ず世界平和と、完全な平等を成し遂げる。

夢は大きいほうがいい。わたしたちの地球が存続可能になるために、国連のサステナブルな開発目標であるSDGsを、わたしたちシオンが達成する。地球すべての国が、アメリカやヨーロッパのような先進国が享受しているのと同じぐらいの水準の文化になるように、シオン帝国がサステナブルな開発を行う。シオンは地球上すべての国を平和にし、そして平等にする。

そして、わたしたちシオンの、日本とユダヤ二つの文化と民族の融和の力によって、シオンは地球上かつてないほど最強の帝国になる。日本の力とユダヤの力が一緒になることで、シオン帝国は人類史上最強の帝国になる。その皇帝の地位にわたしは就く。わたしは東亜イスラエル建国の王であり、シオン帝国の皇帝、ゲルマンの北欧神話の神、そして一等星シリウスの太陽神、フレイである。

マイナス消費税は間違っている

このように、僕の一大構想であるガンダーラだが、実際はいろいろとおかしい。

たとえば、マイナス消費税については、いろいろと間違っている。

所得税と消費税を増税することで、消費税をマイナスにして、消費する度に金を上乗せして払うのではなく、逆に補助金が得られるようにすることで、貧困層の生活を楽にし、バラマキをしなくても社会の富の再分配をする、これがマイナス消費税だ。

だが、実際は、所得税を増税するのであれば、給与から税金が天引きされることになる。これはすなわち、「消費して支払う時に税金を取るのではなく、支払う前から税金を取る」ということを行っているだけにすぎない。

すなわち、ものの価格は安くなるが、得られる給与からその価格が天引きされるだけであり、実際、ものは安くなっても給与も同じだけ安くなる。それでは意味がない。

それから、法人税から税金を取るのであれば、これは製品の価格や値段を下げればいいだけの話だ。単に売る時の値札を下げればいいのに、それと同じことを複雑なマイナス消費税という仕組みで行っているだけであり、これも意味がない。

だから、結局、マイナス消費税は間違っている。マイナス消費税を実際にやると分かるが、生活は何ひとつ楽にもならないし、苦しくもならない。価格が安くなった分だけ給与も同じだけ安くなる。法人税を取って支援金に当てるのは、最初から製品の値段を安くするのと同じで、法人は一切支援するわけでもなく、消費者は何ひとつ得をしない。それがマイナス消費税だ。