この世界には、金儲けばかりが存在するが、その理由は、産業を成り立たせるために金を取る必要があるからだ。
確かに、すべてが無料で、金を取らずに社会が成り立つなら、それが一番いいだろう。
だが、実際は、場所やものや従業員を提供するために、金が必要となる。
その金を稼ぐためには、利用者から使用料を取ったり、あるいはものやサービスに価格を設定したり、ということをするのがもっとも的確だ。
社会主義経済のようなものは、税金や保険など、例外的で特殊な例でしか成り立たない。
だが、すべてを金儲けでしか成立し得ない、と決まっているわけではない。そのため、僕が好きだったオープンソースでは、インターネット上の不特定多数がボランティアで労働することで、金儲けではない生産を実現する。これはコンピュータという最低限のデバイスがあれば、それ以外はソフトウェアには「情報しか必要ない」という、コピーと通信が可能でコンピュータの拡張をソフトウェア的にできるような、コンピュータの世界だから実現できることだ。
本当は、一部の業界では、そのような金儲け以外で成り立っている産業もある。たとえば、音楽や芸術は、個人の趣味の延長線上として行い、アルバイトなどを別途行って生活をする。だから、金儲けだけがこの世界を成立させているわけでは決してない。それでも、なんらかの生産活動を成り立たせるために、資本主義においては基本的に「金」で成り立たせる。
人間の精神は、思い出さずに分かると治る。
それは、「思い出す」という行為が、理解することの妨げになっているからだ。
すべてが分かった人間は、一度すべてを忘れ、完全に思い出せなくなるべきだ。その状態で、さまざまなことを考えることこそが、もっとも正しくこの世界のことが分かるからだ。
馬鹿なのに賢く分かった人生は、一度忘れて、考えてそれと同じことを分かればいい。それが一番、誰もが天才的才能が得られる。
真に賢い人間は日本人だ。
僕が馬鹿なのは、日本人の体なのに、無理やりドイツ人のできることをやろうとしているからだ。
実際は、ドイツ人のできることを日本人がやる必要はない。きちんと体も心も日本人になれば、僕は賢い人間になれる。
日本人の特徴は、日本語のさまざまな言葉で分かるということだ。日本語にはさまざまな言葉があり、まるで「日本語は日本の歴史の宝庫」であると言える。そのような日本語から分かることで、きちんと日本のこと、文化や生活のことが分かるようになる。だから、勉強するよりも、むしろ日本語のことを知ったほうが賢い。
また、病気をすべて治そうとすると、ヒドラのような原始的生物になる。進歩した生物になるために必要なのは、分裂したまま統合することだ。すなわち、頭と心を切り離すとか、そういうことをすると、ヒドラのような原始生物から、人間のような高度な生物になれる。
人間が見ている世界は、ほとんどが真実ではない。
この世界が、見ている通りの世界であることなど、ほとんどない。
たとえば、天動説は正しくない。正しいのは地動説だ。同じように、宇宙の暗黒物質ダークマターがなんであるか、ということにはさまざまな憶測がある。僕が思うに、暗黒物質は宇宙そのものの「宇宙精神」を成り立たせている部分ではないかと思う。そして、その中に人間も含めて宇宙すべての生物の精神が含まれると考えると、まさに「魂」というものが宇宙にあることの証明になるだろう。
今日は、デザインの仕事をして、ピアノ教室に行ってきた。
デザインの仕事は、一か月ごとに送られてくる決まった仕事を片付けるのが、一通り終わった。
なんとかなったので、とりあえず一安心だ。
ピアノでは、ベートーヴェンの「エリーゼのために」の修正作業を行っている。
僕は、リズムがついてはいけない、淡々と弾くべき場面で、リズムがついてしまっている。
つまり、「タンタンタンタンタン」と弾かなければいけないのに、「ターンタターンタタン」のように弾いている。
先生からの指導で、一時的には直せたが、次に弾く時に戻ってしまうので、なんとか新しい弾き方を覚えたいと思う。
僕の特徴として、いったんピアノのレッスンをやると、二週間後まで次のレッスンがないため、その間気分的に楽になる。「ピアノのレッスンはもう終わった」と思うだけで、次の二週間を楽に生きられる。
僕の精神には、「終わる部分」がない。
すなわち、それ以上はもうするのをやめて、終わっていいはずなのに、いつまでもその「終わる」ということができなくなっている。
この「終わる部分」を、もう一度、人工的に作り直すだけで、僕は簡単に精神が治る。
そして、思い出そうとしないこと。思い出そうとすると、結局新しいことがそれで分からなくなったり、分からないせいで精神が治らなかったりする。
精神を治すためには、思い出すことをやめることだ。思い出すという行為には生産性がない。
僕の間違いは、すべて、無理やりドイツ人をやろうとしていることにある。
日本人が無理やりドイツ人になることを目指すと、完全に狂った人間になる。
それは、ドイツ人が狂っているからだ。
日本人として、日本的な人間を目指すだけで、頭の「感覚的な部分」が生きる。日本人には、感覚的に生きている人間が多い。だから、日本人が日本人になるだけで、人間はまともな人間になる。
それから、法律の勉強よりも日本語の勉強をしたほうがいい。法律を学べば普通の大人として生きられると思っているのは自分だけで、実際はそんな事実はどこにもない。それよりも、日本人として日本語を学んだほうがいい。そのほうがはるかに普通の大人として生きられる。そのほうが正しい。
それから、これ以上、精神を治しすぎないほうがいい。精神を治すと普通は虫になるところを、僕の場合は虫にならずヒドラになる。だが、どちらであっても、それは人間よりもはるかに馬鹿な生物だということは変わらない。ヒドラよりも優れた生物になるためには、日本語を考えることだ。日本人は普通、日本語を考えることで人間らしくなる。だから、ヒドラになった自分にとって、それを治すために日本語が必要だ。
なぜ、僕が虫ではなく、ヒドラになったのか。
本当のことを言えば、かつて、昔の時代、虫には既になっている。
人間を治すと虫になるところを、さらに虫を治すとヒドラになっただけにすぎない。
まるで微分を2回かけるように、人間を原始的な生物に退化させると虫になり、その虫を同じように原始的に退化させると、逆に進化してヒドラになる。
このヒドラに、もう1回微分をかけると、コケのような生物になる。
だが、それは必要ない。なぜなら、ヒドラはこの地球世界においてもっともまともで正常な生き物の仲間だからだ。
あるいは、このヒドラに何もせず放っておくと、そのまま人間に戻る。なぜなら、ヒドラにとってみれば、人間など大して違う生物ではないからだ。ヒドラからして見れば、地球上の全生物はヒドラの仲間だ。一度ヒドラになることで、地球の生物にはなんにでもなることができる。
ここで重要なのは、なんにでもなれるということは、ヒドラから人間以上の生物になることもできるということだ。つまり、天使とか、太陽とか、神とか、そういう生物にすらヒドラはなることができる。なぜなら、ヒドラからして見れば、天使も太陽も神もすべてヒドラの仲間だからだ。
これが、僕が虫ではなくヒドラになった理由だ。一度虫になると、退化して知性を失い、狂った人間になるが、それは決して終わりではない。そこで終わるような人間は真に賢い人間ではない。その虫を最後まで治し、病気をすべて殺し続けると、最終的に人間はヒドラになる。そして、それこそが、この世界で「生物が進化するための唯一の方法」だ。すなわち、生物が進化するためには、まず虫に退化し、その後に虫からヒドラに進化すればいいのだ。
ここに、人間からヒドラになった僕は、新しく、大天使ミカエルになる。
すなわち、僕は大天使ミカエルとなって、自らが率いる天使たちの軍勢である、紅蓮の女天使ツィオーネの「万軍の天使たちの軍勢」を作る。
この天使ツィオーネは、すべて僕の言葉であり、僕のロゴスから生まれた聖霊存在である。
ツィオーネは、この世界を「愛の楽園」にする。この世界が、魂の望む「愛」の方向へと近づいていくようにする。
そのために、何百何千万と存在するツィオーネの集団は、人間ひとりひとりに対して「愛」を求めている。
ツィオーネは、この世界の全員を愛する女天使であり、愛を与える代わりに愛を求める。ツィオーネを愛するものは、たとえどのような愛であっても、ツィオーネから愛される。ツィオーネは自らとその人間が愛し合う関係を好み、その人間が満足するまでその人間の求める愛を与える。だが、その代わりに、ツィオーネならびに、ツィオーネを率いる大天使ミカエルのことをこの世界の全員は愛さなければならない。全身全霊をかけて、まるで主人を愛する犬のように、ミカエルを愛し続けなければならない。
僕はそのような大天使ミカエルになる。そして、ミカエルは悪に鉄槌を下す。この世界において、「悪行」を行っているすべてのもの、特に弱いものをいじめているものに、いじめられているその人間に代わって、ミカエルとツィオーネが復讐を行う。それはこの人間、すなわちミカエル自身であっても例外ではない。ミカエルがサタンのような悪行を続ける限りにおいて、ミカエルは自らの力によって地獄に堕ちる。そう、全人類に復讐するミカエルは、ミカエル自身の手によって、その復讐のための天罰を受けなければならない。そうでなければ、天は公正であると言えないからである。
あとは、もう破綻すれば終わりだ。
自分が頑張っていることが、破綻して終わってしまえば、それ以降は正常になる。
それから、長い時間の中でゆっくりと馬鹿になっていったのを、全部元に戻せば、ようやく賢い人間になる。
僕は、日本語の勉強がしたい。賢いのは日本語だ。日本語の勉強でしか、人間は賢くならない。もっと日本語を学び、日本語を使って考える学習をしたい。