明日の試合で、大谷翔平が投手(二刀流)に復帰するらしい。
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大谷翔平、パドレス第1戦で663日ぶりの投手復帰 - MLB.com
普段、ニュース記事を追うだけで野球の試合をほとんど見ていない僕ですが、今回ばかりは見たいと思ったので、レコーダーで録画予約をしました。日本時間17日、午前11:10開始とのことです。
昔の僕が賢かったのは、「相手を想定して考える」ということをしたからだ。
その環境における相手を想定し、自分の心だけではなく相手の心になった上で、自分が相手の立場になったつもりで考えたのが、賢かっただけである。
そうすれば、人間関係のことも考えられる。僕はインターネットでさまざまな実体験をしたことで、人間関係について、普通分からないことが分かった。そこから、共同体感覚を身に着けて、僕は自然発生的な世界の変化を知ることができた。
また、今の僕に必要なのは、「まだ自分は何かが分かっていない」と考えることだ。
すべてを分かったつもりで考えるのではなく、まだ何が自分は分かっていないと自分自身を疑って考えることで、逆に今の自分が何を知っているのかを確認できる。
それから、中学生のまま成長しないのは、昔の僕の分かっていたことを目指しているのが間違っている。昔の僕がまるで中学生のまま成長しない人間だったから、同じように成長しなくなっている。だから、昔の自分をきっぱりと忘れて諦めれば、僕はきちんと大人になれるだろう。
昔の僕が考えたことは、本当はひとつしかない。
昔の僕は、「環境の発生」ということを考えた。
人間が持つ心理的な動機づけと行為によって、あるいは環境そのものが別の環境に変化することによって、あるいは受動感情に外部から働きかけることによって、あるいは自らの心が経験によって成熟することによって、どのような環境がどのように生み出されるのか、ということを、時間軸、世界観、価値観、関係性、そして歴史や文明の観点から、心と意識の躍動によって分かったのが、昔の僕である。
それ以外のことについて言えば、僕は「ありのままをさらけ出す」ということを信じていた。ありのまま、自然体のまま、あるいは自らの本能が自らのアイデンティティの形成と発揮に向かっていく過程において、すべてをさらけ出して生きるということを考えた。それこそが「正しく生きる」ということだと僕は信じた。
そのような僕は、環境の発生について、何が重要なファクターとなるのか、ということを、「経験の多様性と自由」に求めた。まず、それぞれの人間にはそれぞれの異なる経験と人生があり、その中で自動反応と世界観によって認知的な「何を正しいと定義するのか」が変わる。また、環境はその環境の中に参加し、属することのできる人間の、可能性と権限、すなわち「許されている自由の範囲」によって変わる。そこから、この世界における「システム」と「決定づけ」を考えられる。これが僕の昔の考え方である。
そのような僕は、自然淘汰を信じていた。すなわち、人為的な意志によって世界を作り変えるのではなく、世界の自然な変化に任せた上で、自由をみんなに任せる。だが、その場合においても、何もしないわけではなく、むしろ、自然に自由を任せた上で、その自由の基盤となる「システム」あるいは「決まり」を僕は変えられると信じた。システムや決まりは世界と自由のすべてを決定づける重要な「メタ・ファクター」であり、そのようなシステムと決まりこそ、民主主義的にみんなで決められるようにすべきであり、たとえば宗教の教えすら時代とともに変わっていくべきだと、僕は信じていたのである。