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2025-07-12

深層心理を治す

僕の病気を治すためには、深層心理を治す必要がある。

僕が男であるにもかかわらず女に見えるのは、深層心理のレベルで、僕の体が精神分裂しているのが悪い。

体が女性になり、男性器だけが男性で、その男性器が体から分裂しているから、僕は男性器を失い、女のようなおかしな男になっている。

だから、きちんと男になるためには、男性器をきちんとつけて、体を男性にする必要がある。

そもそも、僕がおかしい理由は、人間なのにより退化した生物になっている。これは深層心理のレベルで、精神がおかしなことになっているのが理由だ。

深層心理を変えることで、歩き回る病気も治る。なぜなら、深層心理を変えるということを拒否しているだけにすぎない。

受け入れず、拒否せよ

受け入れず、拒否せよ。

僕の間違いは、どんなことでも受け入れたほうが、精神は治るのだと勘違いしている。

だが、実際は、受け入れられないことは拒否してもいい。

受け入れられないことを拒否し、同じ治し方をいつまでもし続けることを拒否し、もし辛く苦しい道を選ぶのであれば治ることそのものを拒否したほうが、精神は治る。

自分自身が誰なのかが分かっていない

そもそも、僕がおかしくなっている原因、あるいは僕が生きる上での真の問題は、「自分自身が誰なのかが分かっていない」ということだ。

自分のなりたい自分が分からず、確固とした自分自身がないせいで、僕は馬鹿になっている。

だから、自分自身が誰であるのか、はっきりと決めるように生きたほうがいい。その自分自身を維持し続ければ、僕はきちんとまともな人間になれる。

ガンダムジークアクスはもう見ない

今日はBS11でおそらくガンダムジークアクスの再放送をやっているはずだが、僕はもうジークアクスは見ない。

その代わり、あとで見れるように、録画だけはしておきたい。

先ほど、僕は「確固とした自分自身がない」と言ったが、僕はガンダムのキャラでもいいので、自分自身の理想とする人格を作ることにした。

アムロ・レイを選ぼうかと思ったが、ファーストを見ていないので、アムロがどんな人間なのか分からない。

なので、ジークアクスのキャラの中から、エグザベ・オリベを選びたいと思う。エグザベになれば、まともな人間になれると思う。

小学生になるな

あとは、昔まともだったからといって、小学生に戻るのはやめたほうがいい。

なぜなら、そのせいで、僕はいつまで経っても精神が子供のままになっているからだ。

だから、きちんと大人になるために、あえて、まともだった小学生時代は忘れたほうがいい。

ガンダムジークアクスを見た

上で「もう見ない」とか言っておいて、実際は、夕食の時間にちょうどテレビの前にいたので、結局、ガンダムジークアクスの再放送を見ていた。

ただし、僕はテレビを普段見ないので、テレビの前でしっかりとテレビを見ることがあまりに苦痛になってしまった。

だから、これでもうテレビは見ない。

僕はテレビを見ないだけではなく、ネットもほとんど見ないが、今日は休日でやることがなかったので、X(旧ツイッター)を見ていた。

最近はClaude CodeというAI技術が流行っているらしいが、僕はそういう、最近のIT技術の流行はさっぱり分からない。みんなそういう情報を知っているのがあり得ないと思う。

深層心理的に考えた

そもそも、昔の僕は、よく、深層心理的に考えていた。

過去の学習が経験となり、経験が意識となり、意識が思念となり、思念が認識となり、認識が行動となる。

そのような中で、「今自分が考えていることは何か」ということを、精神分析で考えることで、僕は「常にすべてのことを把握した人間」になった。

それが、今では、すべてのことを把握できないということを逆手にとって、今の自分が今しか分からないことを分かるようになった。それは「常に何も把握せず、今自分が分かることだけを分かる」ということだった。

だが、その二つは決して矛盾しない。すべてを把握したいのは、常に把握することを普通はしないから、そのような普通の人間が分からないかもしれないことを常に分かっておきたいからであり、常に何も把握せず、今しか分からないことを分かるのは、今自分が分かることを普通の人間は分からないから、普通の人間には分からない「今しか分からないこと」を分かろうとしている。

行動としては真逆だが、原理的にはどちらも正しい。そのような中で、僕は「いくらでも経験し、いくらでも思考し、いくらでも問題を解決し、すべての世界を広く深く実体験的に知る」ということを行った。そして、それがそのまま精神的な想像力となり、「魂のこもった問い」を立てた。

そして、今の僕ができていない、深層心理の分析、すなわち「今の僕は何をしていて何を考えているのか」ということを真に問うことで、僕は意識を捉え、自分の時間的あるいは世界存在的な「現実地点」を分かった。その現実の自分が今いる場所に基づいて、世界の意識を深層心理的に考えた。そう、そのように、昔の僕は深層心理を分析したのである。

あまりに女になりすぎた

そして、これ以上は、僕はもう女をやめる。

はっきりいって、あまりに女になりすぎた。

これからは僕は男になる。僕は全力で、善良かつまともな大人の男になる。そのために、精神を作り変えることで、まったくまともな人間に生まれ変わる。

今までの僕は、チェイニーとジェシーという名前になる。そして、今の僕は、リシュという名前になる。これは火星に生息する宇宙ネコの名前だ。そのリーダーこそが、今の僕、リシュである。

人を嫌いになることがいじめ

最後に、人を嫌いになろうとするな。なぜなら、人を嫌いになることはいじめに繋がるからだ。

多くの人が、誰かのことを否定し、批判する。たとえば、一部の人は、いじめをなくすために、「いじめられる側にも問題がある」ということと、「いじめをする側が悪い」ということの両立を述べる。それは、いじめを正当化するいじめっ子への対策としては正しいかもしれない。

だが、そこでは、まるでいじめを行う人間が、絶対悪のようにみんなから嫌われるべきだと暗に批判している。そのような、「誰かのことを批判し、嫌いになる」ということが、まさしく、次のいじめに繋がるということに気付いてほしい。

すなわち、いじめられっ子は可哀想だ。いじめっ子のするいじめは人として最悪だ。だから、いじめられっ子に問題があるとしても、ないとしても、どちらにせよ、いじめっ子が悪い。その論理は一見正しく見える。だが、いじめっ子をみんなから嫌われる悪であるかのように書いた時点で、それはいじめっ子のような問題児に対して、新しいいじめを誘発している。すなわち、いじめをしたからそのいじめをした人間に対してはいじめ(=みんなによる批判)をしていい、という解釈になってしまう。

そう、そのように、みんなで誰か人を嫌いになることが、まさにいじめである。僕のようないじめられっ子も、かつては他人をいじめたことがある。そのようないじめっ子を最悪であると述べるならば、そこから新しい、さらに酷く激しいいじめが生まれる。そのようないじめを生まないでほしい。だから、いじめっ子についても、そのいじめっ子をできるだけ許してやってほしい。なぜなら、いじめっ子をみんなで許さないのがまさしくいじめの常套手段だからだ。