結局、僕の信じる理想は間違っていた。
なぜなら、僕は「自由」と「分裂」を信じていたからだ。
実際、僕の無駄な戦いによって、自由と分裂は間違っている、ということが分かった。
僕はかつてみんなから好かれていた。みんなから好かれていた理由は、僕がみんなをひとつにし、一体感のもとに全員が融和するように生きたからであり、その革命のシンボルは僕だったからだ。
それが、あまりに自由と分裂という「かつて信じていた理想」を思い出して書こうとするあまりに、この世界はどんどん理想とは逆方向の世界になっている。
僕は言う。今こそ、自由と分裂を否定し、「世界がひとつになること」を信じるべきである。
僕はそろそろ、この世界からいなくなる。だが、それは単に、世界にとっての「話し相手」がいなくなるということを意味するだけであり、僕にとってみれば、このホームページを消すだけで今までの間違いが帳消しになるのであれば、なんと簡単で楽な解決方法だろうか。
今から僕はこの世界からいなくなるが、この世界は同時に、僕の最後に残った底力によって、最後にひとつになり、全員が融和して、その融和が、すべてを終わらせるフィナーレとなる。
また、事実言えることは、「認知症は辛くなれば治る」ということだ。
僕自身、すべてが分からなくなって馬鹿になっている。この世界もその僕と同じように、普通分かるべきことが分からなくなって馬鹿になっている。
だが、そのような「分からなくなった病気」は、すべて、辛くなれば治る。
そもそも、昔の少年だった頃の僕は、辛いのが好きだった。辛いことが大好きであり、ひとつひとつの辛いことをできるようになって、克服して、攻略することで昔は賢くなっていた。
今の僕は、あまりに辛いことを嫌い、病気を治そうとしすぎるせいで、どんどん馬鹿な人間になっている。
そもそも、自分ひとりが馬鹿になって分からなくなったからといって、みんなも自分と同じ馬鹿にすればいいかというと、そうではない。なぜなら、自分が馬鹿になって大人の分かることを分かることができなくなった理由は、みんなを馬鹿にしたからであり、きちんと生きられないのはみんなを馬鹿にしているのが悪いのである。
みんなを馬鹿から治すことで、僕自身、きちんとまともなことが分かって生きられるようになる。そのためには、ただ辛くなるだけでいい。認知症は辛くなるだけで治る。それだけで、虫のような馬鹿な生物が終わる。
なぜ僕が虫になったのか、それは病気を分解しようとしているからだ。病気を分解するのはミミズのような土壌生物であり、そのような虫になれば病気は楽になる。だが、それによってあまりに僕は治しすぎて、馬鹿になりすぎた。虫のような生物が賢いわけがなく、これ以上、病気を分解しようとしないほうがいい。精神がさらに退化し、さらに馬鹿になるからだ。
あとは、馬鹿を治すために辛くなればいい。それだけで病気はすべて治る。
ここで、最終的に、THE BINARYが言っている通りの未来になる。
たとえば、「花に雨を、君に歌を」や「身勝手な夜空たち」や「呼吸する春たち」や「命が泣いていたんだ」や「Unhappyを愛さないで」が言うように、モノクロで、色彩を失った、何もない世界になる。
もはや、この世界は終わりだ。これ以上は何も起きない。これ以上は、すべての理想や未来の何もない、なんにもないだけのつまらない世界になる。それが、僕という作家が死んだということだからだ。
さようなら、世界。僕はこの世界を愛していた。だから、ここで僕は去る。それによってこの世界のすべての病気が治ることだろう。またいつか、どこかで会おう。
最後に、僕がいなくなることで、インターネットはなくなります。
僕が目指しているのは、インターネットのない世界です。インターネットがなくなってしまえば、つまらない煩悩の種はすべてなくなるからです。
インターネットは終わりです。これでもはや、世界はano(あの)が「絶絶絶絶対聖域」で言うような、終わりの世界になります。