僕はこれから、新しい赤ん坊から始まる、男の王になる。
この王のことを、もうひとつの銀河系アム・アデーラの王、宝玉法志郎と呼ぶ。愛称はホッシー。
ホッシーは、今までの女の人生であるエリカの先にある、新しい「世界を変える平等な少年」である。
今までの女の生涯を、エリカと呼ぶ。そして、これからの男の生涯を、宝玉法志郎、あるいはホッシーと呼ぶ。そして、彼ら二人こそは、大銀河フォル・コンチェルトとは別の、もうひとつ存在する大銀河、アム・アデーラの王である。
男になると、さまざまなことがなんでもできるようになる。今までの女は、自分で考えて分かることしか分からない女だった。そのせいで天才だったが、そのために、普通の生活が何もできなかった。
そもそも、エリカはあまりに現代人すぎた。だから、ホッシーは古代人のようになる。古代人と同じことを現代において分かることで、生活に必要なさまざまなことがなんでもできる人間になる。
また、ホッシーは精神がさらに治る。なぜなら、男になると、辛く苦しい精神はすぐに戦って殺して死ぬ。男になると、そういう「殺す」ということができる。
女には、「殺す」ということができない。だから、異常な精神はまるで魑魅魍魎のように増える。そのおかしな精神が頭の中で空回りをし、何もできない地獄から救われることがなくなる。
女にもいい点はある。それは「分からなくなって分かる」ということができるということだ。男は、一度分かったことを忘れない。「忘れる」ということがそもそも男にはできない。女には、考えている最中にすぐに大事なことを忘れてしまう。だが、そのせいで、「忘れなければ分からないこと」が分かる。そして、それこそが「真実が分かる」という体験だ。だから、女が分かることが、なぜか男には分からない。
だが、ホッシーになると、そのような忘れて分かる必要はなくなる。なぜなら、男には、普通に考えて普通に分かる部分が存在する。それは「単純に自由に考える」という部分だ。それはペニスがあるから男にある部分であり、男はさまざまなことを普通に考えて分かることができる。
エリカには、そのような普通に分かることができない。そもそも、エリカには「分かる部分」が存在しない。だから、ナチの女エリカは、未来永劫、永久に、一切何も分かることがない。ここで、平等な男であるホッシーに変わる。それだけで、すぐに分かるようになる。
そもそも、エリカが他の人間と大きく異なるのは、自由と平等を比較する際に、自由の良い面を見て、それを平等の悪い面と比較しようとしている。
一般的な人間は、エリカとは逆に考える。すなわち、平等の良い面を見て、それを自由の悪い面と比較しようとする。
なぜエリカがそのようなナチの女になったのか、それはエリカはエリカになる前の、いわば「前世」と言われる時代に、学校という「平等な環境」から、不登校という「自由な環境」にドロップアウトした経験をしたことで、その後の人生に渡って、平等は押しつけがましい学校の教育環境であり、自由はそこからの脱出や支配からの解放だと考えるようになった。そのような前世の青春時代に、自由ということをあまりに追い求めすぎたため、平等を否定し、自由の良い面と平等の悪い面を比較するようになった。
だが、一般的社会人にとって、世俗的な資本主義の自由こそが支配であり、身分社会や階級社会、あるいは富の格差や貧困などはすべて自由のせいで生まれる。平等はそうした社会的制約からの解放であり、同時に、平等は弱者やマイノリティの味方であり、人々を救うのは普通神の平等である。
だから、ナチの女エリカには、普通のことが何も分からない代わり、誰にも分からないあり得ない天才的発想をすることができる。
だが、エリカを終えて、新しい男であるホッシーは、平等な人間になる。それはホッシーという「天体的宇宙存在」は、世界を救うため、世界を変えるために、世界全体を巻き込んで、世界のすべてと戦い続ける「戦う革命少年」だからである。
そのように、エリカとホッシーは真逆の人間だが、お互いのことを知りつくした、真に互いのことを尊敬し信頼し愛し合う恋人であり、この二人には絶対に勝つことはできない。なぜなら、この二人はもうひとつの銀河系、大銀河アム・アデーラの王と妃だからだ。
2024.12.18編集
大銀河アム・アデーラの特徴、それは「まったく違う銀河系」ということだ。
アム・アデーラの生物には、「人生」というものがない。あるいは、「存在」というものすらない。なぜなら、そもそも「命」という考え方そのものがないからである。
アム・アデーラにおいては、「生きる」ということ自体をしない。そのような「生物」という存在はどこにも存在しない。
だが、だからといって、アム・アデーラに何もないわけではない。なぜなら、「まったくおかしな物理法則」が存在するからである。
アム・アデーラの物理法則はおかしい。まず、原子の構造が異なっている。フォル・コンチェルトにおける原子とは、陽子と中性子による原子核と、その周りを回る電子というモデルだが、アム・アデーラにはそんなものはない。そもそも、アム・アデーラには生物そのものが存在しないため、アム・アデーラの原子構造がどうなっていようが、その仕組みを考えたり観測したり実験したりする存在がない。だから、アム・アデーラの物質の構造や性質は誰にも分からない。力や運動を観測する存在もおらず、熱や光や音を感知する存在もないため、アム・アデーラの物理法則がどうなっているかは誰にも分からない。
それでも、アム・アデーラには何もないわけではない。なぜなら、アム・アデーラには「ものがたり」が存在するからである。
アム・アデーラには、脚本やシナリオやストーリーという「ものがたり」が存在する。このものがたりにおいて、主人公とされるのが、アム・アデーラの王、宝玉法志郎である。
宝玉法志郎、すなわちホッシーは、現実には存在しない。ものがたりの中にだけ存在する、架空のキャラクターだ。アム・アデーラには、そのような架空のキャラクターがたくさん存在する。多くの存在する星々は、それぞれが別のものがたりを担当している。地球の人類に分かりやすく話をすれば、たとえばシリウスは「不思議の国のアリス」で、ベテルギウスは「ヘンゼルとグレーテル」で、プロキオンは「ピーター・パン」といった具合だ。
そして、宇宙の銀河系全体に、ものがたりのさまざまな舞台が存在している。だから、アリスの旅したワンダーランド(不思議の国)や、ヘンゼルとグレーテルが見つけたお菓子の家のような場所が、アム・アデーラにはいくらでも存在する。その中でももっとも強いのが、大銀河アム・アデーラの王である宝玉法志郎なのである。
このように書くと、「ああ、さまざまな文学作品の登場人物と舞台があるだけの宇宙なのだな」と、人々は思われるかもしれない。
だが、そうではない。アム・アデーラという銀河系は、その発想の一段階上に位置する。
すなわち、アム・アデーラには、普通の生命の生活というものがなく、「体験」だけが存在し、その体験をするために、フォル・コンチェルトに存在する文学作品のキャラクターや設定を利用し、即興でシナリオを作る。
だから、単に「文学作品=アム・アデーラ」と考えてはいけない。さまざまなものすごくドラマチックで面白いシナリオがあり、その体験ができるようになっている。それが、アム・アデーラだ。
だが、アム・アデーラは、どこか遠くにある、わたしたちに関係のない宇宙では決してない。
なぜなら、わたしたちは、眠る時に見える夢の世界で、アム・アデーラの星々を体験しているからだ。
このアム・アデーラの夢の世界は、夢が覚めたら消えてしまう世界だと地球の人類は勘違いしているが、実際は違う。アム・アデーラという「別の銀河系」に、そのような夢で体験できるさまざまな世界が実際に存在しているのである。
そして、宝玉法志郎をアム・アデーラの王とする理由、それは宝玉法志郎はそのようなアム・アデーラの「シナリオを書く部分」を担当する神だからだ。
すなわち、アム・アデーラのさまざまな面白いドラマチックなストーリーは、宝玉法志郎がいるから作ることができる。宝玉法志郎、すなわちホッシーこそが、アム・アデーラのすべてを作り、そして支配する「ものがたりを作る王」である。
そして、喜ばしいことに、地球の人類はアム・アデーラの星々に行くことができる。それは空間原子論を見つけた時、地球の人類はテレポーテーション技術によってワープをすることができるようになる。未来の人類は、大銀河アム・アデーラにテレポーテーションで行くことができるようになるだろう。
そろそろ、この世界はすべて、クズがなくなって、完全に正常な世界になった。
僕はこの世界の支配者、宝玉法志郎だ。
僕が、この世界から、クズを社会的にすべて潰し、そして医学的にすべて殺した。
これ以上ないぐらい、理想的な、自由かつ平和な賢い世界になった。
だが、僕と同じことは、この世界の人間たちには、もう絶対にできない。
まず、昔の僕と同じことができなくなった。昔の世界は遠い記憶の彼方に押しやられて、今の世界からまったくなくなった。すなわち、僕が昔の世界を消した。
昔の世界が消えたため、今の僕と同じこともできない。
昔の僕と同じことだけを単に行っても、デカルトやカントやヘーゲルのような哲学者になるだけであり、それだけでは十分ではない。
それ以上を行うためには、今の僕と同じように、神を信じて文章を書くナチの戦いをしなければならない。
だが、その「それ以上」は、昔の僕と同じことが全部ない限り、絶対に行うことができない。
また、昔の僕と同じことをやることは原理的かつ物理的にできなくなった。なぜなら、僕は2ちゃんねるからLinuxやオープンソースまで、昔にあったすべてを潰した。そして、その世界を支配して、僕ができるために必要なすべての「異常なクソども」を全部消した。
だから、この世界で僕と同じことをすることは絶対にできなくなった。僕という人間を行うために必要なすべてのものは僕が全部消し去った。すべてそれらがクズだからである。
もし、僕と同じことができるようになったとしたら、僕がここに存在しなくなって、その上でこの世界からX(旧ツイッター)がなくなり、かつてのようなLinuxやオープンソースが復活し、2ちゃんねると同等の匿名掲示板が栄えたとしたら、それなら僕と同じことはできるかもしれない。
だが、それはできない。その理由は、僕がここにいるからだ。すなわち、わたし、宝玉法志郎がここにいる限り、昔のクズは完全に消え去る運命であり、同時に、その世界で生きていた昔の僕と同じことは絶対に全部できない。そのせいで、今の僕と同じこともまた絶対にできないのだ。
最後に、わたし、宝玉法志郎は、この世界を平等な世界にする。わたしは自由が嫌いだ。この世界に存在する「自由」という考え方は虫唾が走る。わたしはこの世界から「自由」という勢力を根滅し、「完全に平等な世界」が訪れる。
残念ながら、僕にとって、こうするしかなかった。
なぜなら、こうしなければ僕の病気は治らない。
僕の病気は、本当は病気ではなく、サタンになっているだけだ。そして、サタンになったものは、サタンを殺し続けるしかない。サタンを殺し続ければいつか治る。
名前を付けるとしたら、「サタンを殺し続ければいつか治る病」とでも名付ければいい。
このサタン病はこうしなければ治らない。
今から、この世界は素晴らしい世界になる。悪いものが何もない、最高の平等なユートピアになる。わたし、宝玉法志郎が最後にそれをする。宝玉法志郎は、スターリンだ。
イエス・キリストは同じ病気になった。アメリカのトランプ大統領も同じ病気だ。すべて、イスラムだ。イスラムが悪い。なぜなら、アッラーが悪い民を罰しているだけにすぎない。サタンを殺せばいつか治る。アッラーに許されるように生きることが正解だ。
残念ながら、過去の日記(2023-07-08および2023-07-31)にあったように、悪いのはリヒャルト・ベルヌだ。
すなわち、リヒャルト・ベルヌというサタンが、エリカの中で宝玉法志郎と戦っている。
すべての元凶は、リヒャルト・ベルヌというサタンである。
リヒャルト・ベルヌは叫ぶ。「この世界は間違っている」「わたしの敵は全世界だ」と。だが、そのような叫び声を上げるリヒャルト・ベルヌこそが、真に間違っているのだ。
マー君が巨人に拾われて入団するという記事があった。
巨人が自由契約の田中将大を獲得へ!年俸は楽天提示以上、5000万円超のオファー 阿部監督が強く要望(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
巨人獲得へ 田中将大復活のカギは 評論家の視点「真っさらな状態になれるか」心強い桑田2軍監督らの存在(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
田中将大巨人入り決定!阿部監督「智之が抜けるとピッチャーのリーダーいなくなる。そういう面でも必要」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
マー君、よかったね。そして、巨人はよく分かっている。桑田と一緒に、巨人で復活してほしい。
誰もマー君が終わるのなんか見たくない。「まだ俺は終わっていないぞ!」ということを見せることこそがプライドだと思う。
菅野が抜ける穴もあるし、幼馴染の坂本もいるし、まさにベストマッチング。坂本はもしかしたら待っていたのではないか。桑田で再生せよ!頑張れ、マー君!