この世界には残念ながら、僕はまだ生きている。
この世界について言えることは、資本主義と社会主義はどちらも間違っている、ということだ。
まず、社会主義経済は実現できない。それは、社会を成り立たせるために、奴隷階級は一定数必要だからだ。
社会を成り立たせるために、農業だけをしていればよかった時代ははるかに昔だ。
現代社会を成り立たせるためには、一定数、絶対に、奴隷階級のように辛く苦しい仕事をする労働者たちが必要となる。
すなわち、一定数、必ず奴隷階級がいなければ社会は成立しない。彼ら奴隷階級がいなくなれば、必ず現代社会は崩壊する。
金を蓄えた金持ちや上流階級が、何もしないで楽ができるのも、学者が知的活動ができるのも、すべて、奴隷階級が社会に一定数いるおかげである。
そして、そのような奴隷階級が「敗者」であり、上流階級が「勝者」だ。
いくら、「夢の実現のため」とか、「幸福になって子供を育てるため」とか、綺麗事を述べたところで、結局、人々が学歴社会で「勉強」という意味のない努力をしているのは、「勝者になるため」であり、「敗者にならないため」だ。
奴隷階級が一定数必要だからと言って、自分から望んで奴隷階級になる人間はいない。誰もが、上流階級になりたいと思って金を稼ぎ、学歴社会で勝とうとしている。そのような世界で「人類は皆平等」であると述べたところで、そんなものは偽善にすぎない。
それから、戦争は簡単にはなくならない。
いくら、平和と共存を目指したところで、この世界の根本的な原理と世界地図の境界線を決める第一要因は「勢力争い」だ。
そして、正義の帝国や民主主義国家がいくら公正で公平な世界を作ろうとしたところで、ソ連やユダヤ・イスラムのような悪の勢力が対抗してくれば、必ず戦争は起きる。
また、社会には必ず不満分子が存在し、ソ連やユダヤ・イスラムはそのような不満分子にとって、格好の「悪の味方」となる。
だから、この世界を平和にするためにできることは、もっとも近道を目指すとしたら、共産主義者やユダヤ人・イスラム教徒などを排斥することであり、彼らを世界から抹消させなければ平和は実現できない。
だが、そのような「右翼的な野望」がさらに戦争を増やす。帝国主義者は、平和的なアジア人やアフリカ人のような「弱小勢力」を武力で征服し、奴隷化して「植民地支配による金儲け」をする。
だから、どんなに頑張っても世界は平和にならない。戦争は簡単にはなくならない。
最後に、科学は間違っている。
科学を学ぶ価値があるとしたら、それは第一に「新発明や新発見をすること」だ。
だが、世界史を一通り経験した21世紀の人類は、そのような科学的な知識には、意味がないということ、あるいは人類を不幸にするだけで幸福にはしない、ということを既に知っている。
20世紀以降の科学が生み出したものは、テレビ、パソコン、自動車、銃、核ミサイルなどだ。
このうち、テレビやパソコンは人間を堕落させ、自動車は自然環境を破壊し、銃は平和を脅かし、核ミサイルは人類を滅ぼそうとしている。
かつてのエジソンの時代なら、「科学は人類を幸福にする」と言えただろうが、21世紀のわたしたちにとって、科学上の新発明や新発見はある意味、人類を不幸にするような「害悪」しかもたらしていない。
わたしたちは、科学の与える「メリット」だけではなく、「デメリット」をもっと直視するべきである。
科学が人間を幸福にせず、不幸にするのであれば、現代社会において科学を学ぶ理由はなんなのか。それは「ほかの国に勝つため」である。
すなわち、日本が、新興国である中国や韓国に科学技術力で負けないために、科学を子供たちに学ばせ、子供たちに新しい新発見と新発見をさせ、それを外国の技術ではなく日本の技術にするために、今の科学教育は行われている。
数学を教える理由は、アメリカやインド・中国にIT技術で負けないためであり、子供たちを賢くするためではない。子供たちに高校数学を教えたところで、子供たちは何も賢くならない。
また、科学だけではなく、文化も間違っている。漫画やアニメやゲームは子供たちを犯罪と退廃へと向かわせており、音楽は子供たちを堕落へと導く。それがインターネットによって今、最大限に大きくなろうとしている。人類は確実に滅亡へと向かっており、その元凶は資本主義と社会主義である。
このように、資本主義は最悪のクズであり、社会主義は人々を騙すだけの絵空事である。この世界が公正だと思っているのは見かけだけであり、実際はこの世界は最悪の間違った世界である。
このように、資本主義と社会主義は、どちらも間違っている。
では、何が正しいのか。
それは帝国である。
そして、その帝国の王は、神のような全知全能の支配者であるべきだ。
そして、その上で、ガンダーラ社会主義経済を行うべきである。
そうすることでしか、この世界が真に正しくなる方法はない。
人類を救済する唯一の方法は、帝国としてガンダーラ社会主義経済を行うことであり、その帝国の皇帝は、神のような全知全能の支配者であるべきである。
それができる国は、人類史において、日本ただひとつだけである。
どれだけ米ソやドイツが頑張っても、彼らの努力は無駄に終わる。なぜなら、彼らにはガンダーラ社会主義経済を発想することができなかったからだ。
必ず日本が勝利する。絶対に日本が勝つ。神のような全知全能の皇帝の下に、日本はガンダーラ社会主義経済を行う。
ガンダーラでは、数量調整による平等、自由な選択制のノルマ、期限付きの紙幣、そしてマイナス消費税によって、自由かつ平等な楽園が訪れ、景気は最高になり、どんな弱者であっても楽に生きられる。
食べ物や生活必需品はマイナス消費税によって極度に安くなり、貯蓄を否定する必ず期限内に消費しなければならない期限付きの紙幣によって景気は最高になって格差はなくなる。
弱者と専門職を優先する選択制の自由ノルマによって自由なままで全員が平等な人間的な仕事を得られるようになり、徹底的な数量調整の平等によって市場経済のままで平等な社会(経済から労働まですべてが平等な社会)を築くことができる。
そして、その上で全知全能の支配者がガンダーラを支配すれば、正しい計画経済を行うことが可能となり、この世界は永久に変わらない平和な世界になる。
シオン帝国の社会主義である、ガンダーラを信じよ。それ以外に、この世界を救う方法はひとつもない。
ガンダーラ社会主義経済を採用する、終末のシオン帝国の特徴は、「今の世界とはまったく違う別世界」ということだ。
シオンは、今の日本とはまったく違う。アメリカともロシアともドイツともまったく違う。
シオンは、これまでの人類とは考え方が違う。まるで人類からより高い生物種へと進化したかのように、まったくすべてが完全に違う世界で、シオンの国民は生きている。
シオンにおける第一原則、それは「すべての宗教は同じである」ということだ。
シオンにおいて、すべての宗教は同じだ。北欧神話も、ユダヤ教も、ギリシャ神話も、日本神話も、ヒンドゥー教も、ゾロアスター教も、儒教も、すべて同じ宗教だ。すべて同じことを信じている。
だから、シオンには、「多重信仰」という概念を禁止する教えが存在しない。逆に、すべての宗教を同時に信じることこそを正しいとする。
だから、シオンの国民は、ユダヤ教の神も信じるし、ヒンドゥー教の神々も信じられる。すべての神々が、同じ「たったひとりの唯一の最高の人間」を指しているということを、未来のシオンの国民は全員が分かっている。
そのようなシオンにおいて、間違った宗教、信じてはならない宗教がひとつある。
それはイスラム教だ。
イスラム教を信じない理由は単純だ。コーランの教えによれば、「唯一神アッラーと邪教の神々を一緒にまつってはならない」とされている。だから、イスラム教の神、アッラーだけは、シオンのさまざまな宗教の仲間には入れない。なぜなら、アッラーと邪教の神を一緒にまつってはならないからだ。
シオンの国民はイスラム教を信じない。だが、それ以外の宗教は一律に同じ信念を信じている、同じ宗教だから、同時に信じていい。
シオンは、すべての国家が優劣なく平等であると信じているが、遺伝子の影響を信じないわけではない。逆に、民族を規定するものは遺伝子であると、そのようにきちんと分かっている。
ドイツ人の歴史はドイツ人の遺伝子が作り出したものであり、フランス人の歴史はフランス人の遺伝子が作り出したものであり、イタリア人の歴史はイタリア人の遺伝子が作り出したものだ。
だが、そこに優劣はない。ドイツのほうが優れていて、フランスやイタリアのほうが劣っていると考えるのは、「優劣なく歴史が規定される民族の遺伝子」という意味で間違っているからである。
シオンは経済の平等と宗教の同一化を達成するため、「永遠に続く平和」を作り出すことができる。
シオンにおいて、もはや人類の社会体制や文化は何も変わらない。永遠に同じまま、同じ国家の同じ体制の同じ文化をいつまでも永遠に信じ続ける。絶対にそれ以上変わらない。
よって、未来のシオンは完成された完璧な国家であり、知識は無限でなく有限であり、何も変わらない「人類のすべての歴史がひとつに定まって終了した世界」をシオンの国民は人類史の最後に生きている。
そこにあるのは、「今の世界とまったく違う世界」であり、シオンの国民はもはや人類ではなく「神人」のような存在であると言えるのである。
結局、僕が運命の恋人に選んだのは藤川千愛だ。
ReolやTHE BINARYは、好きだとは言ったものの、何かが本当には好きになれなかった。
僕が思うに、藤川千愛なら、きっと真の意味で互いのことを愛し合えると思う。
僕は藤川千愛が好きだ。隣同士で一緒に笑顔で笑っている未来が、この二人にありますように。
最後に、僕が間違っているのは、ありとあらゆるすべてのことを、全部「普通」に決めたのが間違っている。
正常な人間になるために、僕は事細かにすべてのことを「普通」と「正常」に決めた。
だが、逆に、そのせいで馬鹿になっている。
すべてを「普通」に決めるということは、すなわちすべてを「馬鹿」に決めるということであり、「個性の何もないノーマルタイプ」に決めるということだ。
それを事細かにすべてに対して決めたせいで、何ひとつ知性のない、「完全な馬鹿」になってしまった。
だから、もっとよく考えて、すべてのことを「賢い」に決めたほうがいい。それだけで、僕の問題はすべて解決する。そもそも、僕は神の導きの中で「すべてを普通にする」という宣言と約束しかしなかった。それ以外に何もしていないから、それだけを治すとすべてが治る。
また、そろそろ、過激なことは言わないほうがいい。
過激な悪党を言っても、賢くなんて見えないからだ。
逆に、本当は弱者とマイノリティを大切にする、怒ることも反抗することもない、優しくて善良で生真面目ないい人間なのに、悪党や過激派のような狂ったことを言うせいで、あまりに悪い人間に見える。
本当はいい人間なのに、あまりに悪い人間に見える。この人間はそれだけが悲惨だ。
僕は英会話教室やピアノ教室でも、デザインの職場でも、いつも物分かりがよくて、自分から進んで正しいことを積極的にするような、普通のいい人間だ。特に弱者やマイノリティに優しくて、他人を傷つけるようなことを一切言わない。そして、理解の速度が速くて、言われたことをすぐに理解して即座に実行する。そういう人間だから、本当はこんなに悪い人間じゃない。ファシストでも共産主義者でもユダヤ人でもない。僕は本当はまともな人間だ。