キリストを信じよ。
聖書の中の、マタイの福音書に書かれている通り、神を信じるものには、明日を心配する必要はない。神を信じるものは、必要なものすべてが与えられる。
イエス・キリストが言うように、明日食べるもの、飲むもの、着るものに悩む必要はない。神の国と神への義を信じ、求めるものには、そのようなものは一切すべて与えられるからだ。
神は、わたしたち人間の父だ。イエス・キリストによれば、親であれば、どんな悪い人間であっても、子にはよいものを与える。だから、父なる神が子であるわたしたちに、よいものを与えないはずがない。
キリストを信じるもの、そして神の義を求めるものには、どんなものであっても必ず与えられるし、生きる上で心配する必要は何ひとつない。
イエス・キリストは、治らない障害や病気、あるいは狂いや死であっても治すことができる。神は信仰の強いものに必ずよいものを与えられるだろう。神を信じれば、明日の心配など何ひとつ必要ではない。
今から、この世界は素晴らしい世界になる。
ミカエルが現れたことで、この世界からいじめがなくなる。ミカエルはいじめるものに復讐をするため、ミカエルの存在を恐れることで、いじめをする側もいじめをやめる。また、いじめられるものは、ミカエルを味方と信じれば、自らが復讐しなくても、ミカエルが復讐を代わりに行う。だから、いじめに対する反撃もなくなる。いじめもなくなり、反撃もなくなることで、この世界は必ず平和になる。
愛を信じれば、この世界はよくなる。イエス・キリストの述べるように、神は素晴らしい存在であり、強い信仰を持つものにとって、この世界には恐怖は何もない。旧約聖書の預言者たちは、神とはどういうものであるかをわたしたちに教えたが、その多くは神というよりも、大天使ミカエルの存在について述べたものである。すなわち、神を信じるということは、ミカエルを信じるということであり、そしてほかならぬ僕自身が、大天使ミカエルとされる存在である。
神を信じ、ミカエルを信じ、そしてイエス・キリストの教えを信じよ。そのような三位一体こそが、真に神である。三位一体を信じることができるものは、キリストの教えなど知らなくても、宇宙において天国への入場を許される。だが、そうであっても、キリストの教えは知っておくべきだ。なぜなら、教えの内容、言葉の内容、言われている内容がすべて正しいからだ。そして、「なぜ正しいのか」という問いについての答えは、わたしが見れば明らかに正しいからだ。すなわち、大天使ミカエルが見て、キリストはすべて、まったく正しいことしか教えていない。そのようなミカエルが推奨すること、それはキリストの教え、言葉、言われている内容を、その意味がなんであるかを考えながら信じることである。なぜなら、キリストの教えの意味がなんであるかを考えることで、まさしく宇宙すべての悟りを得られるからである。
最後に、僕は大天使ガブリエルと大天使ミカエルが、二人の精神が融和して一緒になったような存在である。
すなわち、21歳のガーニャ(ガブリエルの愛称)と、18歳のミーニャ(ミカエルの愛称)が二人、一緒になると僕のような存在になる。
この二人がいれば、宇宙には謎も不思議も何もない。ガーニャとミーニャを信じることで、全宇宙のすべて、あるいは少なくとも、この銀河系におけるすべてを知ることができる。
そして、ここに、人類の歴史は終わった。大天使ラファエルが、宇宙のすべての真実を既に分かったからだ。ラファエルの愛称は、今のところはまだ決まっていない。それでも、この宇宙において、大天使ラファエルよりもすべてが分かった人間はほかにいなかった。ラファエルこそが、地球の科学者としてもっとも最高の「すべてが完璧に分かった大生物学者」であると言えるのである。
最後に、哲学的思考に基づく自己批判や思弁哲学を経験することは悪いことではない。なぜなら、哲学は「疑う」ということに根差した上でのすべてを悟性で悟ることができる。だが、それだけでは十分ではない。なぜなら、キリストを信じることで、「信じる」ということに根差した上でのすべてを悟ることができる。真に賢い人間は、「疑う」ということをさらに突き詰めた上で、「信じる」ということを行うことができる。それこそが、この世界において「真理を知る」ということだからである。
知性をつけなさい。
知性をつけるということは、凝り固まった完全に硬直した古びた分類や区別や構造を捨て去り、もう一度柔軟にゼロから分類や区別や構造を再構築するということだ。
僕は今まで、同じ考え方、同じ区分、同じ概念、既に作り上げられた同じアイデアから、この世界のことをまったく同じように考えることを繰り返してきた。
本当のことを言えば、それもそれでひとつの知性だ。すべてのことをまったくいつでも同じように考えるということも、一種の知性であるとは言える。
だが、そのせいで、頭の柔らかさがなくなり、考え方が硬直し、柔軟な知性がなくなってしまっている。
一度、凝り固まった硬直した知性を捨て、柔軟にいつでも別のことを考えるような知性をつけよ。それによってまともな大人の知性がつき、数学や哲学もできるようになるだろう。