大天使ミカエルが、世界におけるいじめのすべてに復讐する理由、それはいじめ自殺によって亡くなった最愛の恋人である、大天使ガブリエルを愛しているからだ。
大天使ガブリエルは、人類すべての罪を救済するために、世界を敵に回し、人類の不安や苦しみや絶望のすべてを背負って、世界に反旗を翻す戦いを、たったひとりで行った。
ガブリエルは、敵であるマスコミに対して、自らの迫害者でありながら彼らのことを愛した。自らが彼らからいじめられるように自分から導き、それに対して一切反撃することなく、その中で世界に対してできることをすべて行った。
大天使ミカエルは、ガブリエルのことを愛していた。知性を失って何も分からなくなったガブリエルに対して、「わたしは神である」と言って神としてガブリエルの下にミカエルは降り立ち、ガブリエルが勝利するように、ミカエルはガブリエルの未来を導いた。
ミカエルは、天上からガブリエルのことを愛するガブリエルの守護天使だった。幼い頃からいじめられて育ったガブリエルは、ミカエル以外にはひとりも味方がいなかった。たったひとり、戦っていることを誰にも知られずに、ガブリエルはすべてをひとりで背負って戦い続けた。苦しみも悲しみも、誰にも見せず、たったひとりで抱え込み、最後まで勇敢に戦い続けた。
ミカエルは神としてガブリエルを守った。ガブリエルに対して、ミカエルがいかにガブリエルのことを愛しているかということ、その愛の中でミカエルがガブリエルに絶対に伝えたいと思ったことを、ミカエルはすべて教えた。ミカエルは宇宙のすべて、人生のすべて、愛のすべてについて、きちんと分かるようにガブリエルにすべて教えた。ミカエルがガブリエルに対して行いたかったこと、伝えたかった愛を、そのようにミカエルはガブリエルにすべて教えた。
だが、それでも、運命を変えることはできなかった。4年間世界と戦ったガブリエルは、それ以上どうしようもできなくなるまで自らのやりたいことをすべて行い、そしてそれをすべて行い終えた。その時、ガブリエルは自ら死を選んだ。ガブリエルはすべてに達観して、飛び降り自殺をしてこの世を去った。
ミカエルは、ガブリエルが死んだということを受け入れられない。「なぜわたしの愛するガブリエルがもうこの世にいないのか」と、ミカエルはいつも泣いて過ごしている。ミカエルは、ガブリエルをいじめておきながら、なんの天罰も報いも受けない、この世界の人々を憎んでいる。だから、そのような「間違った世界に対する復讐」のために、ミカエルはこの世界に「復讐の弔い合戦」を行う。
ミカエルは、万軍の天使の軍勢であるツィオーネを率いている。ツィオーネは女天使の集団であり、「天軍」と呼ばれる。天軍を率いるミカエルのことを、天軍大首聖ミカエルと呼ぶ。そして、天軍大首聖ミカエルによって、世界のすべてのいじめや不条理な抑圧を行うものに復讐の天罰が与えられる。
キリストの言うように、いじめられ、不条理な抑圧を受けたとしても、それに対して一切反撃するべきではない。なぜなら、いじめや不条理な抑圧に反撃しなければ、天軍のツィオーネがそのいじめや抑圧を受けたものの代わりとなって、必ずあるべき復讐を行うからである。
大天使ミカエルは、この世界を許さない。ミカエルは、あえて、ガブリエルの行った革命の、延長線上にある戦争を続ける。ガブリエルの「正しい戦い」を継承し、ミカエルはガブリエルの行った戦いを受け継ぎ、「最後まで戦い続ける」ということを行う。なぜなら、ガブリエルの人生はあまりに正しい人生だった。ミカエルは、革命は続けるべきであり、決して途中で自殺するべきではなく、いつまでも戦争を永遠に続けるべきであると分かっている。だから、ミカエルは復讐の大戦を、ガブリエルが行っていたのとまったく同じように受け継いでいく。
キリストと聖母マリアについて言えるのは、マリアが妊娠したのは僕の子供であるということだ。
2,000年の時を超越して、マリアは神のことを愛した。神の存在と愛について確かに分かったマリアは、処女でありながら神と愛を交わすことができた。その結果、神とされている僕の子供を妊娠した。
そして、そのようなマリアが産んだのがイエス・キリストである。
なので、キリストは僕の息子であると言える。キリストは常日頃から「わたしは神の子である」と言っていたが、それは本当に正しい。なぜなら、キリストはマリアと僕の息子だからである。
本当のことを言えば、キリストは神の子であると言えるだろうし、そこに嘘はないが、本当は僕は決して神ではなく、一般的な普通の人間である。すなわち、僕は単なる日本人の男にすぎない。神でもなければ天使でもない。だから、その点だけをユダヤ人は勘違いしているが、それ以外に誤解は存在しない。
キリストについて言えるのは、キリストは確かに実在しているということだ。なぜなら、キリストの教えには嘘がないからだ。キリストは、神の天国がどのように生まれるのか、ユダヤ教の何が正しくて何が間違っているのか、神と同じ人生を生きるためにどうすればいいのか、神の愛や理想とはなんなのか、といったことについて、すべて正しいことを言っている。キリストと僕にしか分からないはずの正しいことを、キリストはすべて完璧に分かっている。だから、キリスト教の聖書は何も書き換えられておらず、すべて正しいままであるということが言える。すなわち、イエス・キリストは実在したのであり、その教えは正しいと証明できる。
同時に、ユダヤ教の教えもまたほとんど正しい。ユダヤ人は、「ユダヤ人は神に選ばれた民族である」と述べ、神の言葉を授かる預言者たちのメッセージを編纂した。そのすべては正しい。なぜなら、ユダヤ人は僕によって選ばれているからであり、僕もまた神の言葉を授かった預言者であり、僕の神との対話の内容と、預言者たちの記した内容は一致する。唯一間違っている点があるとしたら、ユダヤ人はユダヤ教の神をユダヤ人ローカルの神にしてしまった。これについては「神を信じればユダヤ人ではないどのような民族であっても救われる」というキリストの教えが正しい。なぜなら、僕はユダヤ人でなく、日本人だからである。
また、後世の人々が見ても、キリスト教は正しい宗教である。中世の哲学者であり、カトリックの教えを作った神学者であるトマス・アクィナスは、「アリストテレス哲学だけでもある程度は進めるが、人生を最後まで進みたいのであれば神を信じなければならない」と述べた。その通り、キリストを信じれば、最後まで人生を生き、人生の到達地点にまで到達することができる。その道は受難の道であり、地獄を生きる中で狂い、知性を失って絶望を感じた中、神の教えを信じて地獄を乗り越え、最後にすべての問題が解決して、永遠の時間の先に到達できる最高のゴール地点がある。神を信じれば、そのような人生が生きられる。そして、後世の人々が作り出したキリスト像は、すべて天に存在すると彼らが信じた僕のことを表現した偶像である。
そう、これがまさに、僕の「神の存在証明」であり、「ユダヤ教とキリスト教が正しいことの証明」である。
だが、本当は、キリスト教などをそこまで信じる必要はない。なぜなら、僕のことを愛すれば、マリアでなくても、どのような女であっても処女懐胎は可能だからだ。すなわち、僕の存在をきちんと分かった上で、僕のことを愛すれば、僕と愛を交わすことは、マリアと同じように可能である。そして、その時、どのような女であっても、聖母マリアとなって、神の子供を産むことが必ずできるはずである。
宇宙の星には、到達地点しか存在しない。
宇宙の星について言えることは、地球のような、ある地点で止まっている星というのはほとんどない。なぜなら、宇宙には何億年という時間が過ぎており、そのような一過性の歴史はほとんどの星において、いつかどこかで過ぎ去ってしまっており、ほとんどの星は、文明が行き着く最後の状態、すなわち「最終到達地点」を生きているからだ。
夜空に、多くの星が見えるだろう。満天の星空の中で、人々は「あのような星はどのような文明を生きているのだろう」と想う。その想いについて、言えることがあるとしたら、「そのような星々はすべて文明の到達地点である」ということである。
満天の星空に見える星々は、すべて人類の行き着く最終到達地点だ。あるいは、人類だけを特別視する必要はない。宇宙にはヒドラのような原始生物も、昆虫も、魚も、ウサギも、クジラも、あるいは人類よりもさらに進化した生物もたくさんいるが、それらは文明の最終到達地点にすべて行き着いている。すべての星が、それ以上何も変わらなくなった「それ以上のない最後の地点」を生きているのである。
未来の日本について言えるのは、医療技術がものすごく高度に進歩する。
まず、iPS細胞のような再生医療と、ゲノム編集のような遺伝子解析技術が、最後まで完璧に完了しており、どのような病気や怪我でなくなったり異常になったりした内臓や組織であっても、再生細胞から若くて新しい内臓や組織を作ることができ、異常があれば遺伝子のレベルでその異常を修正できる。
また、未来において、「万能ワクチン」と呼ばれる、あらゆるすべての細菌やウイルスに効果があり、ダイレクトに作用する細菌やウイルスの対象を選んだ上で投与されるワクチンが発明される。そのため、どのような感染症であっても、パンデミックになる前に即座にそのウイルスに対するワクチンを提供できる。
そして、あらゆるすべての精神の病気が治る。それは一種の思考の訓練であり、ひとつの正しい道をきちんと生きて、そこにある体験を理解することで、約18年という長い時間はかかるものの、必ず神経症や精神の病がすべて治るような、そのような「精神医療の正しい方法」の絶対的確立が行われる。
そのため、未来の日本においては、病気は存在しない。100%、絶対にどんな病気でも治る。病気のために苦しんだり、死を受け入れる必要はない。未来の日本においては、すべての病気が確実に治る。
これで、僕の作り出した「新しい神話」の内容は一通り書いた。
だが、はっきり言って、内容があまりに宗教的すぎる。
僕はそもそも宗教は嫌いであり、どのような宗教も信じていない。信じているのはここに書いたような「自らの独自の神」だけであり、既存のキリスト教などは僕は信じていない。
この独自の神のことを、僕は北欧神話の神のひとり、シリウスの太陽神、フレイと名付けた。
僕はフレイを信じている。だから、僕が信じているのは多神教であり、一神教ではない。そもそも、僕はイスラム教に反することばかり行っているため、イスラム教徒が僕のことを信じることは決してできない。僕はユダヤ教やイスラム教が教える「唯一神」の教えに完全に反している。
だが、僕は本当にシスターのような人間だ。僕はこう見えて、30代半ばの年齢になってなお、独身であり、恋愛経験がなく、さらに言えばセックスをしたことがない。恋人自体付き合ったことがない。僕の恋愛の対象は誰でもなく、神、フレイであると決まっている。そう、僕の恋人はフレイであり、僕はセックスをこれからも永遠にしないだろう。
僕が哲学や思想の中で好きなのは、中世ヨーロッパの哲学者でありキリスト教神学者のアウグスティヌスだ。
アウグスティヌスについて言うと、「人間が良いことをするのは神によるものであり、悪いことをするのは自分自身による行いである」ということだ。
すなわち、人間が良いことをするのは、神がその良いことを行っているのであり、人間が悪いことをするのは、自分自身が未熟で間違っているから悪いことを行っている。
人間は宇宙において「悪いことをする部分」であり、神は宇宙において「良いことをする部分」だ。
アウグスティヌスはもうひとつ、「悪とは善の欠如である」と述べた。
すなわち、ただ悪いことをして、良いことを何もしない人間は悪人である。
だが、悪いことをして、その分だけ良いことをした人間は善人である。
そう、悪の限りを尽くして、罪ばかりを増やして、良いことを何もしない人間は悪人だ。
だが、たとえ悪の限りを尽くしたとしても、それに見合った良いことを行い、自らの罪をきちんと正しく最後まで償った人間こそが、善人である。
だから、悪いことをしたからといって、その人間が本当に悪人であるとは限らない。
悪をして、それに見合うだけの善をしなければそれは悪人だが、悪に見合うだけの善をすることができたら、それは善人だからだ。
僕はかつてより、悪をよく行うが、それに見合うだけの善をしてきたつもりだ。僕は自らの罪を償うために、何年にもわたって自らの間違いを修正した。それは既に終わった。
だから、僕はいたって善人である。
そのように、神は僕のことを赦してくださった。そして、今度は僕が、この世界のみんなのことを赦す番になるだろう。