なんだかんだ言って、僕はまだ書く。
昔は、不登校になって、みんなと違う経験をしながら、ひとりみんなから外れた上で、みんなの世界をたくさん眺めて分かっただけだ。
中学時代、僕は優等生だった。だが、いじめなどを理由に、中学校三年で不登校になった。
周りのみんなはみんな中学高校に通う中で、僕だけがひとり、みんなから外れて、不登校でありながら、自由に世界を眺めることができた。
そのような中で、僕は、ひとり自由になりながら、学校に通うみんなの世界を適当に眺めていた。
あるいは、「教育から解放されて自由になった実例」という自分をサンプルとしながら、みんなの世界を見続けることで、もし、みんなが僕と同じであればどうなるか、ということを考えながら生きていた。
その上で、僕はインターネットを見て時間を過ごした。すなわち、LinuxやWindowsのフリーソフト、スラドやはてなや2ちゃんねるのようなWebサービスを見ながら、そこでひとり、自由にどんなことができるかを知るために、さまざまな「自分にしか体験し得ない体験」をして生きていた。
その中で、僕はOpenJaneからGentoo Linuxに至って、Wikiを書いていたのである。
すなわち、僕の経験とは、すべて、みんなから外れた中で、みんなが学校教育に通う中で自分がひとり不登校の解放された人間になることで分かった経験だった。そして、それは「もしみんなが自分と同じように自由に生きたとしたら」という、経験的な仮定に基づく「今の自分と過去の自分の比較」から分かったものだった。
そして、僕は全世界の全員の経験を知った。ひとり、ただ外れただけではなく、外れた中でみんなのことを、もし学校にいたとしたら見ることのできない世界を、インターネットと自分の地域を回想することで見つめていた。それによって、僕は「全員の経験を包括する経験」すら得られるようになったのである。
最近のプログラミング言語について。
まず、Javaはガチガチに決められたルールを守る言語で、大規模な仕事で使う。
次に、Pythonは曖昧かつ緩やかなルールを持つ言語で、普通の作業に使う。
次に、Rustはさまざまな新しい言語の概念が面白い言語で、最先端のギークの間で流行っている。
そして、Goはまともな新しく賢い言語で、新しい時代のまともな言語を使いたい人間が使う。
最後に、JavaScriptはWebで使う言語で、ハッカーとビジネスの両方を併せ持つ。言語的には新しくはないが、さまざまな新技術がある。
Pythonが使えるのは、パソコンというツールを応用的かつフレキシブルに使うために使える。ただマウスでポチポチするだけではなく、パソコンを高度に使いこなせる。だから、プログラマでなくても、Pythonは習得すべきである。Pythonは初心者向けと言われるが、初心者にベストマッチングなだけであり、上級者がPythonを使うことも多い。Pythonさえ覚えればなんでもできる。
結局、僕がなぜ馬鹿だったのか、それはテレビを見ないせいである。
テレビをいくらか見るだけで、すぐにまともに分かるようになる。なぜなら、テレビには、学校や社会常識などの「日本」があるからである。
そして、もうひとつ、僕が馬鹿だった理由が、「振り返らない」ということである。
僕が馬鹿なのは、振り返らないのが悪い。単に過去のことを振り返るだけで、すぐに賢くなる。
最後に、思い出したことをいつまでも忘れないせいで、逆に過去のことが思い出せなくなっている。だから、思い出したことはすぐに消したほうがいい。それでようやく、まともに思い出せる。
昔のネットを思い出したら、世界をバラバラにすること。それで世界が治る。
最後に、僕の多重人格は極めて単純である。
なぜなら、昔の僕はインターネットで、今の僕はユダヤだからだ。
もっと言えば、オープンソースの2ちゃんねると、社会主義の神に分かれただけにすぎない。
それで、もう、すぐに楽になる。病気はすべて治った。