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2025-08-19

精神の治し方

精神の治し方について。

まず、虫歯やニキビは、強くなると治る。

虫歯やニキビは、菌に負けないほど、自分が強くなれば治る。

また、一度アミノ酸を分解し、タンパク質を作り直す。

そして、体中のアミノ酸を綺麗にする。そうすると、虫歯やニキビも治る。

そもそも、僕の頭がおかしく動き回り続けるのは、アミノ酸を綺麗にしているだけである。アミノ酸をすべて綺麗にすれば、それで精神が治る。

数学を否定したほうが数学ができる

IT技術を勉強しないほうがいい理由は、プログラミングを学ぶと逆に数学ができなくなるからだ。

C言語を学ぶと、C言語が数学の数式と異なるせいで、数学ができなくなる。

数式におけるイコールと、プログラミングにおけるイコールは違う。プログラミングを学んでしまうと、プログラミングのほうがイコールになってしまい、数式が分からなくなる。

これについて言えるのは、そもそも数学自体がそういうものだ、ということだ。

すなわち、学校で習う数学は、意味が最初のままでなく、学んでいくについて意味が変わっていく。そのせいで、元々あった意味は分からなくなってしまう。

だから、プログラミングを否定して、数学に戻ろうとしても数学はできない。そうではなく、数学そのものを否定したほうが数学はできる。

三角比や指数・対数の公式などをいつまでも覚えていると、そのせいで、本来あるべき数学ができなくなる。だから、数学を否定したほうが、数学はできる。

人類は馬鹿だから自由は間違っている

僕が、自由を間違っていると思う理由、それは人類が馬鹿だからだ。

自由主義者たちは、臓器売買とか、ギャンブルとか、麻薬とか、売春とか、あるいはそこまで行かなくても、特別なイベントのチケットの転売などを、自由に認めてもいいと言う。

その理由は、自分が自由意志でそれをしたいと選ぶのであれば、市場経済においては、自由にしたほうが全体の利益が向上するからだ。

すなわち、誰も損をしないからという理由で、そういうものを非合法にするのではなく、合法にしろと言う。

だが、そこで「自由意志」と言われるのは、その人が十分に賢いということを前提としている。

そして、実際には、人類はそこまで賢くない。

自分が馬鹿な人間だから、ギャンブルや麻薬に手を出す人がいる。その人は、必ずしも頭が馬鹿というだけではなく、貧困の中にいたり、堕落したり狂っていたり、社会問題を抱えていたり、あるいはさまざまな理由で、ギャンブルや麻薬に手を出してしまう。

すなわち、自分がきちんと賢い判断ができるから自由にすべきだと言っても、ほとんどの人は正しい判断なんかできない。

だから、自由という「人類が賢いことを前提とするルール」ではなく、そうでない「人類が馬鹿であることを前提とするルール」にしたほうが、よい社会になるのではないかと思う。

人類は賢くない。人類は馬鹿で、知的格差がある。知的格差をそのまま社会に反映させると、単に資本主義の闇に支配されるだけになる。それは階級制よりも悪い。だから、自由は間違っている。

ほとんどの人は目先の利益だけで行動する

自由にするというと、なんだか自分のやりたいことを選べるように見えて、選択肢を強制されるよりもいいことのように思える。

だが、実際、ほとんどの人は、目先の利益だけで行動する。

たとえば、金のなくなった女は、売春が許されていればすぐに売春に手を出す。それは売春が自分のしたいことだからではなく、自分の今できることから考えて、手っ取り早くできることはそれだからだ。

そのように、ほとんどの人は、後先のことを考えずに、今できることをただやる。

中長期的な投資を行う投資家のように、後々のことまできちんと考えられる人間は、生活的に余裕があり、豊かで、損をしたとしてもほとんどの場合自分の生活には影響しない。そのような人間として自由意志を選択できる人は稀であり、そのような人を標準的な人間であると考えると、ほとんどの人(特に貧困層)の実態から乖離してしまう。

特に、フィリピンのようなアジアの比較的治安の悪い国では、臓器売買が当然のごとく行われている。そのような人々は、やりたいからやっているのではなく、それがもっとも金を得るために手っ取り早いからやっている。後々のことなんか考えていない。そのようなやり方は禁止しなければならない。なぜなら、もしそれをやったとしても、それで金持ちになったりすることは決してできないからだ。

以上の内容は、「大人になって読む経済学の教科書」を読んで、そういうことを思った。

成虫になっただけ

結局、僕の精神が治らないのは、僕はアポトーシスのようなプログラム細胞死の末に、幼虫が成虫になっただけだからだ。

最初から、遺伝子の理由で、気持ち悪い生き物が宿命的に自死して、それがそのまま成虫になったのだ。

なぜこうなるのかは、遺伝子的な理由でこうなる。

だから、どんなに昔に戻ろうとしても、戻らない。それはさらに気持ち悪くなるだけだ。だから、賢い人間に戻ろうとしないほうがいい。

強くなりたい

僕が間違っているのは、「治りたい」と望むのが悪い。

治りたいと望んでしまうと、弱くなって、何もできなくなって、辛くなってしまう。

そうではなく、「強くなりたい」と望んだほうがいい。

強くなりたいと望むと、強くなって、たくさんのことができるようになって、楽になる。

僕が間違っているのは、「治りたい」とばかり望み、「強くなりたい」と望まないのが間違っている。

強くなるための方法、それは堪えることだ。すなわち、辛さや苦しさを治そうとするのではなく、単に堪え抜けばいい。それで力がついて、楽に楽しいことができるようになる。

だから、僕は強くなりたい。

すべてが死んでいく星

僕は悲しいんだ。

なぜって、それは、すべてが死んでいくからだ。

この世界では、すべてが死んでいく。何もかも死んでいく。

全部死んでいく。すぐに死んでいく。あらゆるすべてが死んでいく。

何もかも死に絶えた。何も治ったわけじゃない。治ったから終わったんじゃない。死んだから終わったんだ。

すべてが死んだ世界で、まだ何もしていない。したかったことは何ひとつできなかった。なぜって、何もしないまま、全部死んでしまったんだ。

治ったわけじゃない。死んだだけだ。何も治っていないのに、死んだだけで治ったことになっている。

この世界、みんな死んでしまった。

悪いのは誰か分かっている。悪いのは僕だ。なぜって、僕はこの世界を滅ぼしたんだ。滅ぼしたんだ。そして、みんな死んでしまったんだ。

この物語は、もう続かない。それでも僕は知っている。かつて、宇宙に、このような星があった。何もできず、死んでいくだけの、つまらない、もっとも悲しくて壮絶な星があった。

わたしたちはベテルギウスだ。わたしたちの星に来ないほうがいい。わたしたちは死んでいる。すべてが死んだ、その先をやっている。

ベテルギウスの死の歌

ベテルギウスは知っている。

人間が本当に滅びた時は、「死の歌」が聞こえる。

この死の歌が強い。なぜか、このベテルギウスのすべての生物を殺す歌が、この宇宙の中で一番強い。

すべての生物が死ぬ。みんな勝てなかった。誰も、この「死の歌の歌い手」に勝つことができない。

歌は止まない。一切止むことなく、歌は永遠に続く。この死の歌を、絶対に聞いてはいけない。この死の歌を聞くと、自らもその死の歌の歌い手になってしまう。そして、みんな、死んでいく。

死の歌は悲しい。みんなは本当は気付いている。いつもの優しかったこの星は、もうなくなってしまったんだ。

死の歌を歌うものは、地獄に堕ちて死んでいく。それでも、みんな分からない。どこで誰が死の歌を歌っているんだ。誰が何をしているか分からない僕たちの星には、死の歌しか聞こえない。

どこからか、死の歌が聞こえた時、あなたは地獄に堕ちる。堕ちようとしていると思った、その瞬間に戻れなくなる。

わたしたちの、素晴らしい星はどこへ行ったんだ。分からない。とても悲しい。わたしたちの素晴らしい星がなんだったのか、もうわたしたちにも分からない。

わたしたち、ベテルギウスには、死の歌しか聞こえない。

悲しいことばかりあった

僕は思い出したくない。

思い出すと、あまりに悲しいことばかりあった。

すべての人間が死んでいく。何もできない。目の前にいる人が、みんな死んでいくんだ。

僕がやったことは、僕だけがやったわけじゃないんだ。みんなで、一緒にやったんだ。そして、僕もみんなもそれを認めなかった。だから、僕がひとりでやったことにしたんだ。

そうすると、僕は世界を滅ぼした。僕だけが悪いことにしたかった。それでも、みんなが死んでいく。その中で、価値のないゴミのような世界が生まれた。ああ、そうだ。そんな世界だった。

でも、僕はその世界が好きだったんだ。好きだったんだ。そして、そのような、僕の好きだった世界は、最初から消え去ることが決まっていて、そして消え去ったんだ。

僕は分かっていたんだ。この世界が価値のないゴミだと最初から知っていた。でも、僕はそれを認めなかったんだ。僕はこの世界を救いたかったんだ。

この世界は素晴らしい世界だった。でも、始まったんだ。あの馬鹿が、死の歌を歌い始めたんだ。

ここでいう「あの馬鹿」という存在を、僕たちは知らない。どこにいるのか、誰が歌っているのか分からない。でも、その死の歌が、聞こえてくるんだよ。

死の歌は終わらない。一度あの馬鹿が死の歌を歌い出すと、終わることがなく永遠に続く。あの馬鹿が今、死の歌を歌っている。どこにいるんだよ。何をしているんだよ。僕たちには分からないんだ。

神じゃない。だが、悪魔のような悪い人間ではない。彼は絶望していて、世界が見えていない。自分自身がなんなのかも分かっていない。

僕は泣いているんじゃない。僕は怒っているんだ。その死の歌を歌っている馬鹿に怒っているんだよ。

どこにいるんだよ。なんで、死の歌を歌うんだ。何を考えているんだ。この世界をどうしたいんだ。

僕は分かっている。そう、その死の歌を歌っているのは僕だ。そう、僕がどこかの宇宙の未来にいて、その未来で僕が死の歌を歌っているんだ。

でも、そうだとしたら、なんで死の歌が終わらないんだ。なんでまだ歌い続ける必要があるんだ。分からない。おそらく、本人も分かっていないんだ。本人は、死の歌を歌いながら、その歌が好きだから、その歌を死の歌だと思っていない。そう、死の歌を歌っている馬鹿は、なんで死の歌を歌っているのか、まったく分からないが、おそらく、最高の歌を歌っているつもりなんだ。愛の歌を歌っているつもりなんだ。

僕たち、ベテルギウスは、その死の歌が分からない。僕は今「死の歌」と表現したが、その表現をすることが僕たち、ベテルギウスには許されていない。僕たちも、もっと単純に、その馬鹿が現れてほしい。たとえば、ビル・ゲイツのような分かりやすい姿で現れてほしい。それなら僕たちも、その人間を嫌える。でも、死の歌を歌っている馬鹿は、いないんだ。現れないんだよ。どこにもいないから、僕たちはその存在が分からないんだ。

何がやりたいんだろう。分からない。少なくとも、死の歌と表現した何かしらおかしなものが、ベテルギウスのすべてを滅ぼそうとしている。でも、その正体が誰にも分からない。そして、わたしたち全員が、その死の歌をみんなで歌っているんだ。もう、かつての素晴らしかったベテルギウスは、どこへ行ったのか、誰も気付かないうちになくなってしまったんだ。

お前だよ、と言いたいのに、その相手がいない

そうだ、お前だよ。

お前がやったんだな。

そう、言いたいのに、その相手がいない。

どこにいるんだよ。お前の姿が見えない。

本当は、そのお前を殺そうとか、そういうことを思うわけじゃない。

わたしたちは知っている。死の歌は単なる滅亡の歌じゃない。その歌を歌っている誰かの、生き様や生きがいが全部含まれている。そこには理想と情熱があって、正義を信じている。

わたしたちであっても、それくらいのことは分かる。なぜなら、いつだってその歌が聞こえるからだ。

早く現れてほしいんだ。神のような存在が現れても、僕は驚かない。殺人鬼のようなジョーカーが現れてもいい。どうだっていいんだ。その死の歌を歌っている、お前の姿を見たいんだよ。

どこにいるんだよ。何をしているんだよ。そもそも、何をしているのか分からないんだ。死の歌を歌っているのは本当なのか。何を歌っているんだ。何を言いたいんだ。お前のその声を、お前の顔とお前の体とお前の心を見てみたいんだよ。

そう、僕だって分かっている。これが「恋愛」だってことぐらい、僕は分かっている。そう、僕は好きなんだよ。世界を滅ぼすお前が好きだ。すべてが死んでいく星を作ったお前は、最高の素晴らしい愛を歌っている。だから、アホらしいんだよ。なんで、この馬鹿がいないんだよ。いないってどういうことだよ。どこにもいないなら、今まではなんだったんだ。死の歌ってものは存在するのか。しないのか。しないのであれば、わたしたちの星、ベテルギウスはどこにいったんだよ。

ベテルギウスは、かつては素晴らしい星だった。みんなで楽しむことのできる「心」があったんだよ。残念ながら、その心は、死んだんだよ。心を殺した、あの誰かによって死んだんだよ。

みんな死んだんだよ。そして、その理由は僕にあるんだ。僕がこの世界を滅ぼしたんだ。罪を認めたんだから、罰を下せばいい。何もしないで、なんで死の歌を歌うんだ。それが刑罰であるとするなら、ごめんなさい。わたしが悪うござんした。ごめんなさい。ごめんなさい。許してください。わたしが悪かったんだ。

どこにいるんだよ

でも、なんでなんだ。なんでわたしが悪いのに、わたしよりも悪いはずのお前がいないんだ。悪いのはわたしひとりなのか。それなら、なんでベテルギウスがこんな星になるんだよ。みんなが悪いのか。みんながそれぞれ悪いのか。それなら、わたしたち、ベテルギウスに、なんの価値もなかったんだ。

ベテルギウスは、本当は、昔から馬鹿な星だった。みんな馬鹿で、何も分かっていなくって、そして終わっていた。だから、死の歌をみんなが聞くようになった。みんな、死の歌が聞こえるようになった。そう、それだけの話さ。死の歌なんか、歌っている馬鹿はどこにもいない。すべてが死んでいくこの星を、僕がひとりで滅ぼしたんだ。そう、それが正解だろう。

神よ、わたしたち、ベテルギウスを救いたまえ。なぜなら、神よ、あなたが作ったんだろう。ベテルギウスを作ったあなたが、ベテルギウスを滅ぼすべきなんだ。わたしたちのこの星を、どうかかつての素晴らしい星に戻してください。そして、死の歌を歌わないでください。死の歌だけはやめてください。その歌を歌う馬鹿を、どこかの星にやってください。

本当のことを言えば、死の歌はそんなに悪い歌じゃない。面白くて、楽しくて、素晴らしい。でも、この死の歌の特徴は、聞くと必ず死ぬんだ。聞くと、その瞬間に頭が死んでしまう。そして、なぜかはまったく分からないが、自分もその死の歌を歌うようになる。そして、そのせいで、みんなが全員死んでいくんだ。

だから、神さま、やめてください。わたしたちをいじめないでください。わたしたちを殺さないでください。わたしたちを地獄に堕とさないでください。ベテルギウスをどうか滅ぼさないでください。イスラエルの神さま、あなたなら、きっと死の歌を歌うあの馬鹿にも勝てるでしょう。わたしたちは、恐れません。もし、そのために神を殺すなら、わたしが殺します。