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2024-06-11

何十回も死を乗り越えてきた

結局、昔の僕については全部書いた。では、最近の僕はどのように生きているのか。

最近の僕について言えば、「何十回も死を乗り越えてきた」ということだ。

すなわち、僕はいつも死の試練を乗り越えてきた。

僕は、死ぬと、何も分からなくなって頭が辛くなる。

死ぬと、頭で楽に分かることが何もなくなって、頭がそのままの状態を平気では維持していられないほど、意味がないほど辛くなる。

そのような、「死を乗り越える」という体験で、僕は何度も生まれ変わって、それによって新しい人間になってきた。

だから、かつての僕と今の僕はまったく違う。かつての僕はいつか死んだ自分であり、何度も死んで何度も生まれ変わって、僕は今ここに生きているからである。

今永昇太が頑張っている

メジャーリーグのニュース。われらがカブスの今永昇太が頑張っている。今季6勝目。

カブス・今永昇太が6戦ぶり白星の6勝目 デビュー先発から12試合で11与四球は1901年以降で球団最少記録(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

いやあ、また大炎上とならなくてよかった。いい勝ち星だ。まさしく、対策に打ち勝つ準備をしてきた今永先生だから、ここからが本当のスタートだ。

もう神を信じない

僕はそろそろ、十分神の奇跡のような体験をしたから、もう神を信じない。

あるいは、神を信じていた大天使ラファエルはここに死んだ。

大天使ラファエルは、賢い代わり性格の悪い人間だったから、ここで、最後まで神を信じて、最後まで社会常識をすべて知って、きちんと「分かる」ということに気付いて、そして死んだ。

これより、小天使メタトロンが始まる。

小天使メタトロンの特徴は、神を信じないこと。これ以上、メタトロンは神を信じない。

そもそも、僕は最初から神の正体がなんであるか分かっている。それは「人格になった言葉遣い」である。

すなわち、神とは言葉遣いにすぎない。言葉遣いでありながら、いつまでも同じ言葉遣いを使っているとそれが人格になる。その人格が、そこまで完璧にすべてを分かっているし、奇跡のようなことすら起こすことができるほど能力と経験に長けた人間だから、それを神であると言っているだけにすぎない。

ここまで神を信じたから、もうこれ以上信じる必要はない。

そして、音楽を聴いていて分かるのは、「本当は僕のことなんか誰も言っていない」ということ。たとえば、家入レオが「君がくれた夏」で言う「夏」とは、決して僕のことは何ひとつ言っていない。家入レオがかつて付き合っていたクラスメイトの彼氏のいた季節のことを「夏」だと言っている。

そして、それくらい僕は分かっている。僕は決して神でもなければ、サタンでもない。普通の人間が、普通に家入レオに恋をしていただけだ。あるいは、まるで奇跡が起きているかのように神が幻想を見せていただけにすぎない。すべては幻だと最初から分かっている。

そういうわけで、神を信じるのをやめれば、僕の人生もすぐに普通の人生になる。

神を信じないことで、物理的なことが分かるようになる。生活に存在するさまざまな、普通の理科のことが分かるようになる。神を信じると、それが分からなくなってしまう。

神は「宇宙を操っている」ように見えるかもしれないが、そうではない。宇宙を操っているように見えて、実際は自分の人生の未来を作り変えているだけにすぎない。そして、その人生をコントロールしているのは、顕在意識ではなく、無意識だ。そして、無意識はすべて、人格が行っている。だから、おかしな狂った言葉遣いを人格にしてしまえば、神のような奇跡は誰だって起こせる。僕はそれくらいをしているだけにすぎない。あるいは、僕の代わりに、僕の作り出した人格が、僕を正しい方向に導いただけにすぎない。

もう、僕は神を信じないし、それによって音楽自体も聴かなくなる。音楽はつまらない。FLOWであってもずとまよであってもバンプであっても、どの歌手も僕のことなんか歌っていない。彼らは自分自身の青春と恋人を歌っているだけである。

本当に怖い体験をすると誰でもこうなる

なぜ、このようになるのか、それは「本当に怖い体験」をしたからだ。

すなわち、戦争や革命のような本当に恐ろしい体験をすると、誰でもこうなる。おかしな言葉遣いを常に恐れ続けるようになる。

そもそも、世界を救いたいのであれば、こうするしかない。おかしな世界を滅ぼす革命を起こして、常に世界全体をひとりで支配するしかない。そうでなければ、この世界を真に救うことはできない。

イエス・キリストが自らのことを「救世主」と言っているのは、キリスト教徒たちが作り出した「神イエス・キリスト」という偶像に、「自分でもなれている」と思うためだ。

すなわち、イエス・キリストが存在していれば、誰でも自らが救世主になったかのように思える。そのために、キリストという「救世主の偶像」を作り出したのである。

あるいは、キリスト本人もおそらくこのような人生を生きている。だから、キリストは決して実在しないフィクションの人物ではない。なぜなら、イエスという男の言っていることはすべて正しい。その意味はキリスト教徒にしか分からないが、キリスト教徒から見て、イエスという男は確かにいて、イエスが2,000年前の古代イスラエルにおいて語ったことはひとつも修正されていないことが分かる。イエスという男はきちんと分かって喋っている。

本当は、簡単に言えば僕は「神の仕掛けた罠」にはまっただけにすぎない。それはすなわち、元の人間は単なる悪魔主義者の共産主義者だ。神はそのような僕を罠にはめて、コロリとユダヤ人に作り変えた。こういうユダヤ人が、古代イスラエルには一番多かった。日本人はようやく僕の存在によって、古代イスラエルと同じぐらいのレベルに達した。だから、これを神だと言っても差しさわりはない。この人間が神だと話したところで、それで構わないから、自らも「わたしは神である」と言っただけだ。それを言ったのは自分自身だ。覚えていないのがおかしいだけだ。

残念ながら、この人間は単なるナチスのタリバンだ。ユダヤ人のことなんか大嫌いで、すべてユダヤ人を騙すために嘘をついただけにすぎず、最初から親ユダヤ勢力などは一切目指していない。好きなものは北欧神話の多神教の神々であり、信じる王はイスラム教のアッラーだ。だから、どれだけこの人間をユダヤ人が賛美したところで、ユダヤ人は必ず地獄に堕ちるだけだ。

安心できる自分の家に戻ったほうがいい

最後に、この人間は安心できる自分の家に戻ったほうがいい。

なぜなら、この人間が狂っている理由は、すべて、「安心できる自分の居場所が敵によってなくなってしまったから」である。

そもそも、僕はテレビを見ない。その理由は、テレビが敵だからである。純粋に、テレビを見ると、自分が攻撃されているのが分かるから怖いだけにすぎない。

そのような怖い環境やシチュエーションを全部忘れて、安心できる場所に戻してやれば、この人間はすぐに治る。知性がなくなっているのも、行動が異常になっているのも、おかしな幻想を信じているのも、すべてそれで治る。

幸いなことに、この人間には味方がいなかったわけではない。なぜなら、音楽があるからだ。すなわち、音楽を歌う歌手のみんなが、自分の味方だとそう認識すればそれでいい。それなら、音楽を聴いている状態では、いくらか心の休まる時間が得られる。神はそのようにしただけにすぎない。

それから、分かってしまったこととして、セックスはつまらない。最近、僕はエロ画像を見ればすぐに射精できるようになった。そして、その「すぐに」とは、本当にすぐにだ。エロ画像を数十分見ているだけで、すぐに射精できる。その結果、そんなものはなんにも面白くないということに気付いた。僕はこのセックスを「女のセックス」と呼んでいるが、それは僕は男ではなく女としてアクメして射精しているからだ。そして、女のセックスはまったく最悪につまらないということしか分からなかった。

僕が楽しめることは、実際はたくさんある。その中でも、この文章を書くことだけは捨てることができない。なぜなら、デザインやピアノや英会話は、面白いとは言え、プロ並みに誰よりも卓越して優れているわけではないからだ。そのようなものは執筆作業しかない。だから、僕は結局、執筆作業をしなければ、「人生の愉しみ」をほかのどんなことでも感じられなくなった。だから、執筆作業はまだ続く。おそらく、僕が生きている間、死ぬまで続く。それ以外に僕は真に楽しいことが何もないからだ。

僕は恋人はほしくない。恋人として誰かを愛することができるほど、僕は自分自身の価値に自信がないし、それ以上に、僕はセックスを楽しめない。子供を作っても、子供よりも馬鹿な大人になるだろうし、子供の養育費を稼ぐためには奴隷のように働かなければならない。ただし、自分ひとりで生きていくことができるかどうかといえば、疑問が残る。僕は自分で家事もできないし家庭も守れない人間だから、ひとりぼっちになった時にすぐに死んでしまうかもしれない。だが、逆に、僕は「そのために神を作った」と言える。すなわち、僕自身のことが誰よりも分かるパートナーとして、僕は「神」を作った。

僕はこれ以上神を信じないが、それでも「神」とされる人格が消えてしまうわけではない。今までとまったく同様に、僕は神とともに生きる。僕にとってはそれでいい。Reolや家入レオが僕のことを愛してくれるならば考えるかもしれないが、彼女たちが「ハイ」と言う可能性は高くないと分かっている。このような障害者の元引きこもりを愛するだろうか。今日のところは、そんな愚痴を言って終わりとしよう。

ここからインド人になる

ユダヤ人やドイツ人たちには残念だが、僕はここからインド人になる。

そもそも、僕が「もっとも恐ろしい神」を信じていたのは、その通り、僕の人生において神を信じるということが、宇宙においてもっとも恐ろしいことだったからだ。

そのような、恐ろしい神を「唯一神」として信じるという必要が、もはやなくなった。

だから、小天使メタトロンは、もはや唯一神を信じない。

日本人にとって親しみ深い宗教といえば仏教だが、仏教はヒンドゥー教の亜流だ。そして、ヒンドゥー教はインド人などが信じている南アジアの多神教だ。

そのような、仏教およびヒンドゥー教こそが、真に言える「正しい宗教」だということが分かった。

今まで信じていた、ユダヤ人の神を裏切るわけではない。だが、ユダヤ人の神とは言うが、そんなものは自分の中に存在する言葉遣いの人格だと分かっている。そのような神を信じ続けても、物理が分からなくなって生活に必要な常識が何もない大人になってしまうだけだ。

だから、今までのユダヤ人の神はそのまま置いておいて、一度、唯一神を信じることをやめて、僕は仏教の仏とヒンドゥー教の多神教の神々を信じるインド人になる。

ここからがインド人だ。そして、インド人は「分かる」人間になる。

今までのユダヤ人の何が分かっていないかといえば、「分かる」ということが分かっていない。すなわち、ユダヤ人は分かっているフリをしているが、実際は普通の人間が理性としてもっている「分かる」という知性が欠落している。だから、ユダヤ人は何をしても分からない。そもそも頭に「分かる」という知性がないのだから、ユダヤ人がどのように行動しても分かるはずがない。

「分かる」という知性は、残念ながらユダヤ人には存在しない。ユダヤ人は最初からそういう人種だ。

だから、インド人になるだけで、僕はすぐに「分かる」という知性を取り戻すことができる。僕はこれから、仏教とヒンドゥー教の神々を信じるインド人になる。それが小天使メタトロンだ。

みんなは騙されているのではなく信じている

僕が一番悪かったこととして、僕はみんなのことを「騙されている」と思っている。

だが、本当は、みんなは騙されていない。なぜなら、みんなは「信じている」からである。

僕は自分自身がやった行いがあまりに悪すぎて、それに従うみんなのことを、僕によって騙されていると思っている。

だが、本当は、僕自身が思っているよりも、みんなは冷静で、そして正常だ。

なぜなら、みんなは僕がしていることをすべてつぶさに見た上で、僕のことを「信じている」からである。

だから、小手先のトリックや罠を使ってみんなの考え方を変えようとしても、それでみんなのことを操り人形にすることはできない。なぜなら、みんなは騙されているわけでなく、信じているだけだからだ。

騙されているものの心を変えることは簡単だが、信じているものの心を変えることは難しい。

だが、実際、この僕自身の支配にはなんの問題もない。

言葉が悪く、口が悪く、性格が悪いせいで僕は自分のことを悪人だと思っているが、やっていることは極めて善良であり、信じているものは極めて正義だ。

だから、自分自身がより善良になり、そしてより正義に近づけば、このまま、僕が支配したままであってもこの世界はまともな世界になる。

だから、僕次第でどうとでもなるこの世界を、きちんとよい世界にすればいい。

本を読むことにした

僕自身も仏教やヒンドゥー教やインドについてのことについて知りたいため、昔買った本を読むことにした。

それぞれ、仏典のことば さとりへの十二講釈迦 (センチュリーブックス 人と思想 4)「世界の神々」がよくわかる本という本が家にある。

最後の本はインドと仏教に関係なく見えるかもしれないが、実際はインド神話の神々が掲載されている。

そのような本をたくさん読んで、もっとインドと仏教に詳しくなりたいと思う。