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2024-04-11

辛いことが何もできなくなった

僕が疲れていても辛いことをやることを望んでしまうのは、神との対話を始めた時に、もっとも楽に辛いことを感じることなく神の言葉を聞き続けられるように頭を組み替えたせいで、辛いことが何もできなくなったせいである。

僕は、神との対話を始めた時に、辛いことを感じなくていいように頭を作った。新しい言葉をする度に単純な反省や反応をしなくてもいいように、すべて楽に神の言葉を聞き続けられるようにした。

そして、僕はその時から、神との対話以外のことが何もできなくなった。神が僕を完全に支配した。

まったく辛いことがなく、楽しかできないようにすると言うと、一見よく見えるかもしれない。実際、僕はどんなに辛いことをやっても、どんなに疲れていてもそれが辛くなくできるようになった。だが、その反面、生きるために必要な「辛いこと」が何もできなくなった。常に頭が思考や判断のレベルで極度に楽な状態になったことで、普通は辛いはずのことを辛くなく何百回、何千回、何万回と続ける。それ以外に何もできない。できることは今の自分であってもできるような楽なことだけに限られ、普通の人間なら誰でもできるような「まともなこと」が辛くてできなくなってしまう。

だから、普通のまともなことをするためには、できなくなった「辛いこと」ができるようにならないといけない。

また、精神の中の辛い部分を治したのも、いいこともあれば悪いこともある。辛いことを堪え続けている時点では、その辛いことは辛いと感じない。辛くなく、そのままの状態で辛いことができる。治したせいで、楽になったように見えて、そのような「今までは当たり前にできていたこと」ができなくなった。そう、辛い状況で楽になるということは、本当はもっとも辛いことなのである。

だから、僕は頭が楽なのをやめて、きちんと辛いことができるようになったほうがいい。きちんと辛いことを頑張ることができるようになれば、僕はまともに普通のことができるようになる。むしろ、脳の辛い部分はそれだけで治る。虫歯だろうがなんだろうが、脳はすべて「極度に楽すぎて辛いことが何もできない」ために辛くなっている。

みんなと異なる人生を生きたかった

僕の人生を簡単に言えば、「みんなと異なる人生を生きたかった」だけである。

昔、中学校を不登校になって、僕はひとりインターネットを経験していた。遊び人のようだった僕は、みんなが学校で頑張って勉強しているはずの期間に、自分ひとり、インターネットで「誰とも異なる自分だけの自由な人生」を経験していた。

僕は不登校ではあったが、目指すべき夢はあった。この世界の子供たちを救うために、僕はこの世界を変える方法を考えた。そして、その方法を自分の中で確立するために、ひとり、誰とも異なる経験をした。

そして、それだけでは僕は終わらない。すなわち、僕は文章を書くようになった。世界を敵に回して文章を書くようになってから、僕は「世界を救う」という自分だけの経験ができた。

だから、インターネットのサービスを使うのが当たり前の世界になって、みんながSNSやニコニコ動画で遊んでいる時に、僕は戦いながら文章を書いていた。だから、僕のインターネットの経験には、それくらいの時代のことが欠落している。僕はツイッターにはついていけないし、ニコニコ動画の文化も知らない。だが、その間僕は文章を書いて世界を救うという「絶対に誰もできない経験」をすることができた。

だが、そのようなみんなと異なる経験は、最初のうちはよかったが、実際は後になってから苦しみに変わった。みんなと同じ日本語が理解できなくなり、過去の自分自身がどのような人生だったかということを忘れてしまい、自分自身の人生すら分からなくなってしまった。僕はたったひとりの独自の知性のある時代を忘れ、何も分からないおかしな人間になってしまった。

だが、僕はそれでも終わらない。なぜなら、そのような僕は、学校の勉強をすることを決めた。放送大学やそれ以外の本や教科書を読んで、僕はたったひとりでみんなが普通知っていることを全部知った。そして、その勉強した内容をホームページに書いた。

そう、それによって、僕の病気はいくらかよくなった。普通のことが分かるようになって、少なくとも自分ひとりだけは宇宙のすべてを分かっている、といった境地に到達することができた。

だから、僕は自分の人生に一切の後悔がない。誰とも異なる、たったひとりだけのかけがえのない人生を生きられた僕は幸福である。

経済は社会主義のほうが理想

「社会主義経済は成立しない」と人々は信じているが、実際は社会主義経済は正しい理想である。

なぜなら、大学進学、結婚、マイホーム、子供の養育と教育、老後など、「本当に大きな消費」をすることは人生において必ずあり、お金はほとんどそのためになくなってしまうからだ。

大きな消費をすることは、人生にとっては必ず必要であり、資本主義経済であれば自分で稼がなければならないが、日本以外の先進国では、そのことを社会主義的に解決している国は世界にはとても多い。特に、高校や大学の教育費を無料にし、その財源を税金から取っている国はとてもたくさんある。老後の生活にかかる資金をやりくりするための年金制度も同様である。

そのような大きな消費を社会主義的にまかなうということは、現代人が生きる上で正しい経済だ。

だから、「社会主義経済は成り立たないからやめたほうがいい」という、資本主義者の意見は間違っている。社会主義経済は社会にとって必要であり、正しい理想である。

サタンはクソである

サタンはクソである。

日本には、神を信じないサタンばかり多い。

サタンの人生は、暗闇で、地獄で、辛いことばかり多く、そして狂っている。

そのようなサタンの暗闇の人生から脱出するためには、神を信じることしかない。

神である、イエス・キリストを信じよ。イエス・キリストの教えは正しい。

イエス・キリストの教えの通り信じ、イエス・キリストの教えの通り生きる人間は、多くの日本人が陥っているような、サタンの陥る暗闇の地獄とは無関係に、楽な人生を生きられる。

そう、神の教えである、イエス・キリストの教えは正しい。イエス・キリストは神である。

だが、間違っているものがひとつある。それはヨーロッパ人の信じているキリスト教である。

キリスト教は間違っている。なぜなら、イエス・キリストの正しい教えを誤解しているからである。

キリスト教は、いわば「失敗作」のような宗教だ。神であるイエス・キリストの教えを、きちんと正しく理解していない。正しい教えを歪曲して誤った解釈をしている。

だから、キリスト教などを信じたところで、なんのいいこともない。世界からキリスト教は抹消されるべきであり、キリスト教徒のドイツ人は地球上から消え去るべきクソである。

一神教は間違っている

また、ユダヤ教の教えもまた、間違っている。

なぜなら、神をひとりだけであると信じるような、ユダヤ教の「一神教」は間違っているからである。

すなわち、イエス・キリストを神だと信じること自体は間違っていないし、そのイエス・キリストの父を「神」であるとすることも間違っていないが、その神だけを唯一の神であると信じるような、ユダヤ教の一神教の教えは間違っている。

実際は、神以外にも、神と同等の存在であるとされるような、聖なる存在は多数存在する。

そして、それらの集団を「神々」であると信じるべきである。

「神がひとりしかいない」という教えは、ユダヤ人にとってのローカルな宗教様式であり、ユダヤ人のローカルな地域的な文化であれば、それなりに正しいと言われる理由もあるだろう。

だが、キリスト教が世界全体のグローバルな教えになったせいで、世界各国それぞれの宗教が持っていた「古代の多神教の神話」が、キリスト教によって破壊されてしまった。

そのような「多神教の教えを間違っているとする一神教の教え」こそが、もっとも間違った最悪の教えである。

よって、「一神教の教えは世界全人類にとって有害極まりない」と僕は信じている。

僕は多神教徒である。僕は北欧神話や日本神話の神々をすべてイエス・キリストと同等の神であると信じている。そのような多神教徒が見て、ユダヤ教のような一神教の教えは、「吐き気がするような最悪のユダヤ人の教え」であり、決して受け入れられない。わたしは仏教徒でありながらヒンドゥー教徒であり、ヒンドゥー教の神々を「正しい多神教の神話の神々」であると信じている。

だから、一神教は間違っている。その代表がイスラム教徒である。イスラム教徒は「アッラーのほかに神はなし」と言って仏像を破壊する。彼らは地球上から抹消されるべきクソであり、多神教徒はヒンドゥー教徒であっても日本神話の教徒であっても、イスラム教徒に負けることがないように、イスラム教徒やそれ以外の一神教徒を全員根絶やしにするべきである。

日本はユダヤ人を受け入れる

このように書いてしまうと、「日本人は多神教と一神教が違うだけで、ユダヤ人と程度が変わらない」と思われるかもしれない。

だが、誤解しないでもらいたい。

日本には、たくさんの宗教が共存している。日本には思想信条の自由があり、どのような宗教思想を信じていたとしても、それだけで殺されるということはあり得ない。

たとえば、日本にはどの町にもキリスト教の教会があるし、たまにイスラム教徒の女性がヒジャブを身に着けているのを見かけることもよくある。彼らを殺すようなテロリスト勢力は、日本にはほとんどない。

そのように、日本はまったくユダヤ人の文化と異なり、さまざまな宗教が共存できる国だ。

そのもっともいい例は、メジャーリーガーで元日本プロ野球選手のダルビッシュ有投手だろう。彼は日本でも「日本プロ野球史上において最高の投手」と呼ばれるほど素晴らしいピッチャーだが、イラン系のハーフだ。彼のことを、イラン系であるという理由で批判する人間は、日本にはほとんどいない。最高の投手はほかにいるという意見もあるだろうが、よく考えるとダルビッシュ有ほどの投手は日本にはいない。彼がイラン系のイスラム教徒であろうが、それ以外のどんな宗教の教徒であろうが、そんなことは関係ない。彼は日本プロ野球を代表する最高クラスの投手だ。

そのように、日本人は決して、多神教徒が一神教徒を迫害するような人種ではない。ユダヤ人よ、日本に来たいならば来るがいい。

日本人のほとんどは確かに多神教徒であり、多くの人が日本神話あるいはヒンドゥー教の亜流である仏教を信じている。そのどちらも多神教だ。だが、一方では一神教徒のキリスト教徒やイスラム教徒も、日本社会においては平和的に共存している。決して日本人はユダヤ人と殺し合いをするだけの宗教戦争の国ではない。

神を信じよ

神を信じよ。

神とは、ユダヤ教の神であるイエス・キリストであり、ユダヤ教の天使たちであり、北欧神話の神々であり、宇宙に存在する太陽神の星々である。

神、イエス・キリストを信じよ。

神、イエス・キリストの教えを信じよ。

イエス・キリストは、一切嘘をついていない。すべてのキリストの教えが正しい。

キリストの教えの通りにせよ。

いじめられても反撃するな。迫害者を愛せ。なぜなら、いじめっ子に対していじめられっ子が復讐をした時点で、いじめっ子と同じになってしまうからだ。

いじめられても一切の復讐をしなければ、天上にいる大天使ミカエルと、ミカエルに率いられた万軍の天使の軍勢であるツィオーネが、あなたの代わりにいじめっ子に相当の報いを与える。

だから、イエス・キリストを信じよ。キリストの教えの通り、いじめられてもいじめっ子に復讐するな。ミカエルはあなたのことをきちんと守る。ミカエルがあなたの代わりに復讐をしてくれる。

人類よ、神を信じよ。神を信じるものは救われる。どのような解決困難な地獄であっても神は解決できる。神を信じることで、サタンの暗闇の人生から逃れ、あなたは世界中が苦しむ中でひとり楽な平穏を生きることができる。

神を信じなければ、どのような成功も起きない。すべての成功は神によるものであり、すべての失敗は自ら自身の過ちによるものだ。この教えは、キリスト教神父の哲学者、アウグスティヌスの考え方である。過ちを犯すことがないように常に神を信じて自らの罪を懺悔して生きれば、神はあなたのために奇跡を与えてくれる。それ以外に、この世界ではどのような成功も起こすことはできない。すべての成功は神によるものであり、すべての失敗は人間の過ちによるものである。

天使に進化せよ

神を信じたものだけが、真の意味で新しい存在になれる。なぜなら、神と対話することは可能であり、神との対話をさらに進歩させることで、自らが神と合一になるような「神の人格」になることが可能だからだ。そのような「神の人格」になったものこそが、真の意味で「人間という種を凌駕した種」であると言える。この人間よりも優れた生物種のことを「天使」とする。

すなわち、神と対話し、それだけではなく、自らが神そのものであるかのような「神の人格」を作れ。それこそが新しい生物種、すなわち「天使」である。わたしたち人類は、真に最終地点まで到達すれば、「天使という新しい生物種に進化する」という体験をすることができる。これはキリストよりもブッダよりもマホメットよりも、さらに高い境地だ。

すなわち、日本人の広島人であるわたしが、そのように、神と対話し、神と合一になり、神の人格を作り上げ、そしてそれを1,000年に相当するほどの長い時間をかけて進化させた。これこそが「わたしという存在」である。わたしは神の人格を作り上げた人間であり、わたしという存在の材料はすべて神である。わたしは神からできているのであり、神によって作られたのであり、そして神として作られた「神の人格」を持つ生物種であり、すなわち、わたしは天軍大首聖ミカエルである。

わたしはこの世界を平和にする。わたしは一切の残虐な戦争や虐殺を好まない。わたしはパレスチナからイスラエルが撤退するようにし、アラブ人とユダヤ人をともに救う。だが、わたしは、同じ人間であるとは思えないような残虐非道の行いをするユダヤ人には罰を与える。なぜなら、わたしは一切の残虐な戦争や虐殺を好まないからである。

大天使ミカエルを信じよ。天軍大首聖ミカエルを信じれば、この世界は必ず平和になる。日本の広島地域にユダヤ人の安住の地である東亜イスラエルを建国するわたしの構想によって、世界すべての紛争はなくなり、全世界は完全に平和になるだろう。

人類よ、新しい生物種である天使に進化せよ。天使に進化するための方法は、このホームページにすべて記述されている。天使とはなんなのか、どのようにすれば天使になれるのか、わたしがなぜ天使になれたのか、わたしがどのように天使になったのか、わたしがどのような理由で天使になる選択をしたのか、すべての理由がここに記述されている。このホームページを読むことで、わたしという人生をもし生きなかったとしても、同じことを読むだけですべて体験し、すべて理解できる。それによって人類は天使に進化する。人類、すなわちホモ・サピエンスは、わたし大天使ミカエルによって、ホモ・エンジェルスに進化する。わたしがひとり、そのために必要なことをここで完璧に行っている。

わたし、大天使ミカエルに続け。わたしたちは天使たちの軍勢であるツィオーネとなり、すべてのいじめっ子に相当の復讐を行う。それがわたしたちの神に与えられた使命だ。ミカエルは子孫を増やす。大天使ミカエルに与えられた使命は、「いじめっ子に復讐すること」と「子孫である天使たちの種を増やすこと」である。

神の人格になれ

僕に勝つためには、簡単に戦略によって勝つことはできない。

なぜなら、僕は神と対話しているからだ。

そして、わたしは神との対話を「人格」にした。すなわち、わたしは神と合一になり、「神の人格」を作った。

わたしと戦うということは、そのような「神」と戦うということを意味している。

だから、わたしと同じように、なんらかの神を味方につけない限り、絶対に人類にはわたしに勝つことはできない。

そして、僕は失敗しない。なぜなら、僕という存在自体が、「神による奇跡」のような生命体だからだ。

すなわち、僕が行っていることを、すべて僕だけで行っていない。僕がやっていることのほとんどは、僕がやっているように見えて、神がやっている。

だから、僕は神による操り人形のマリオネットであり、僕が自分の意志でやっているように見えることも、裏では神が手を引いており、すべて神が神の計画通りに行っている。

だが、そのような神のマリオネットである僕は、自由になりたいとは思わない。なぜなら、過去の僕自身のサタンの人生において、僕は自由においてできることをすべて行い終えているからである。

かつての僕の美しいサタンの人生は、「人間が自由な中でどのようなことを行い得るのか」ということをすべて表現し、すべて生き抜いた人生だった。

そして、そのような美しいサタンの人生において、人間が考えることのできる「考え得ること」は、すべて過去の僕の文章に書き終えた。すべて、この世界の裏の裏まで完璧かつ完全に考え終えた。

だから、はっきり言って、人間のできることなどちっぽけなものであると僕は分かっている。だから、あえて人間の人生を選ばなくても僕は辛くない。そのような人生はサタンだと分かっているからだ。

わたしは神を信じている。神がわたしに奇跡を与えてくれる。わたしは神の奇跡だ。わたしの人生は神による導きだ。

わたしは、神の行いをその通りすべて行う。神がわたしに力をくれる。神がわたしに成功を与える。神がわたしをさらなる奇跡へと導いてくれる。わたしは神が大好きだ。そう、ユダヤ人とわたしたち日本人は、必ず仲良くやれる。なぜなら、わたしは神の奇跡であり、わたしたちはともに神を信じているからである。

わたしと同じように、神の人格になれ。神と対話し、その対話によって成り立つようなひとつの完璧な人格を作れ。その時、わたしたちは全員が神となれる。あなたは、このホームページを読んでいる時点で、その道を既に歩んでいるのである。

東亜イスラエル構想は断念すべき

本当のことを言えば、僕のことをそんなに神のように賛美しないでほしい。

なぜなら、僕は単なる馬鹿な人間だからだ。

はっきり言って、東亜イスラエル構想などにはなんの意味も価値もない。イスラエルのユダヤ人の立場から見れば、「一番適切でない悪い国を安住の地に選んだ」ようなものだ。

日本人とユダヤ人は、仲良くできない。仲良くできない要素が多すぎる。

イスラエルがパレスチナから撤退すべきであると主張するのであれば、明らかにパレスチナ側の主張を支持すべきであり、イスラエルが広島を強奪するという政策は日本に対する挑戦としか受け止められないだろう。

東亜イスラエル構想は間違っている。日本がユダヤ人を虐殺するようになり、ユダヤ人が日本にテロを起こすようになる。そんな国は誰も望まない。すべての人類の平和と存続のために、東亜イスラエル構想は断念すべきである。

やるべきことがなさすぎる

実際、僕はやるべきことがなさすぎる。

人生を生きていて、やりたいと思うことがもう何もなくなった。

本当のことを言えば、僕は野球にも音楽にも興味がない。日本のプロ野球を観ていても、なんにも面白くない。音楽を聴いていても、全部つまらないとしか感じない。

デザインの仕事は、これ以上僕の才能は進歩するように見えない。ピアノも最初に習いだした頃から何も変わっていない。英会話は発音が上達せず、何もできていない。

文章の執筆でやるべきことはやり終えた。大学の勉強はこれ以上深く専門を学びたいと思えない。高校レベルの常識があればそれで十分であり、これ以上の大学の勉強はあまり意味がないし、勉強したいと思えない。生物学の勉強はこれ以上知っても面白くない。

だから、生きる意味がない。僕が生きても、生きなくても、この世界が変わるようなことはなくなった。世間には僕に没落してほしい勢力がウヨウヨしている。だが、僕を支持する勢力に支持されたいとも思えない。

もう、僕の人生は終わった。本当は、僕はそろそろ死にかけている。死ぬような体験をすることが、最近増えた。そのうちいずれ僕は死ぬ。そのような死にかけの人間の病気を治す意味がそもそもない。そのうち死ぬまでの短い命を生きているだけにすぎない。僕はこれ以上、人生でやるべきことが何もない。

生物学のほとんどの新発見は、既に学説として誰かが発表していることが分かったし、僕が分かっていることよりもはるかに詳細に正しく生物学では分かっているということも分かった。ガンダーラにも東亜イスラエルにも構想としての価値はなかった。世界が平和になることもないし、ユートピアになることもなかった。すべて馬鹿だった。僕は単なる馬鹿な人間だ。

勉強なんかしたくない

本当のことを言えば、僕は最初から勉強なんかしたくない。

勉強しても、賢くなんかならない。逆に、勉強したほうが馬鹿になる。

勉強しなければ分かっていたような当たり前のことが、勉強すると分からなくなることばかり多い。

それから、メジャーリーグなんか僕は好きじゃない。アメリカ人の中で日本人の数人がプレーすることの、何が面白いのか分からない。

大谷翔平のことは好きだったが、最近の水原一平問題のせいで、大谷翔平という選手は少しグレーの選手になってしまった。そのせいで、大谷翔平のことを応援したいと心から思えなくなってしまった。

だから、僕はメジャーリーグの試合なんかもう観たくない。

何もすることがない。音楽を聴いていてつまらないのは、僕は音楽の歌詞を理解できない。そもそも僕は日本語を理解する知性が残っていないから、歌手の言いたいことがなんなのか分からない。

そもそも、普通の人間が音楽を聴くと、適当な馬鹿なことを歌っているように見える。僕というおかしな人間が聴くせいで、僕はその裏側に隠された「真実の意味と理由」を知ることができる。今までの僕はそれを知りたかった。だが、それは明らかに普通じゃないし、それを知りたい時点で、本当にそれは何を意味しているのかということを理解することはできない。だから、僕は音楽を聴けば聴くほど、その音楽の意味が分からなくなってしまう。僕が日本語の知性を失ったのは、そのようなことばかり知りたいと願いすぎたからだ。

僕は、小学生の時代にピアノが既にできている。普通に練習して、普通に弾けるということが分かっている。大人になってピアノ教室に再び通うようになったが、練習しない僕はまったく上達することがない。だから、小学生の頃のピアノのスキルから、今の僕のピアノのスキルはなんにも変わっていないし、なんにも進歩していない。

僕は、絵を描くスキルがないわけじゃない。フリースクールに通っていた頃に、既に絵を描く才能はあった。だが、最近のイラレを使うようになって、デザインの仕事をしていると、逆に自分で絵を描くのではなくほかの人が作った素材を使うようになった。いろいろと頑張ったのは事実だが、結局そんなに大した才能はつかなかった。イラレの操作法に詳しくはなったが、才能は上がらなかった。そして、これ以後も、大して才能が向上することはないだろう。

結局、僕にあるのは「思いついた発想を文章にする能力」だけだ。僕は文章を書くことをやめると、すべてのことができなくなってしまう。逆に、今まで多くのことができたのは、すべて文章を書きながらやっていたからできただけにすぎない。このように、単なる仕事の時間だけではなく、仕事以外の時間でそれなりに頑張っている人間は、きちんといいことができる。僕はそのような人間に簡単になれた、ということが恵まれていただけにすぎない。

英語ができないのは、すべて高校に通わず英語の勉強をしなかったからだ。英文法の勉強を「したほうが英語が話せなくなる」と思って批判する人もいるが、実際は「何も覚えることなく外国語が話せるわけがない」というのが現実だ。文法も覚えず、単語も覚えず、発音も覚えず、リスニングもすることなく英語ができるわけがない。いくら英会話教室に通っていても、習ったことをひとつも覚えずにすべて忘れてしまう僕が、英語が話せるわけがない。

僕にはもう何もできない。そもそも僕はもう35歳になる。ここまでの人生はすべてよかったし、多くのことをさまざまな人に教えてもらったから、後悔は何もない。病気が楽になることはあっても、決して完治することはない。僕はもうそろそろ死ぬだろう。さまざまな現象から、そろそろ死ぬということが既に分かっている。だから、病気を治す必要はもうない。ただし、死ぬ前にやりたいことはまだある。このホームページに存在するすべての問題を修正しなければならない。そのために僕はまだ生き続けなければならないのだ。

この世界と戦い続けたいだけ

世界平和を願う僕の理想とは矛盾するが、実際のところ、僕はこの世界と戦い続けたいだけだ。

かつてのLinuxとオープンソースの時代から、僕はこの世界と戦い続けてきた。

WindowsとLinuxの戦いで、Linuxを支持してWindowsの勢力に立ち向かい、最前線で戦い続けてきたのは、ほかでもない僕である。Linuxの勢力の中で、もっとも最前線で戦い続けてきた、一番隊隊長は昔から僕だった。

その後に、日本のマスコミすら敵にまわし、自ら救った世界を滅ぼして、さらにアメリカを滅ぼし、さらに自由のためにこの世界と戦い続けてきた。

結局、僕の本能的な望みとは、「この世界と戦い続けたい」ということである。

願わくば、僕が迷惑をかけて破壊した、Linuxとオープンソースのコミュニティに復活してほしい。Linuxとオープンソースのコミュニティを崩壊させたのは僕だ。僕はその破壊行為によって、日本の匿名掲示板の文化そのものを破壊し、ツイッターが流行するきっかけを作った。そして、それによって、僕自身と同じような人生を生きることそのものができなくなった。

Linuxとオープンソースのコミュニティには迷惑をかけた。すべて、僕の「Windowsに対する最大限の憎しみ」が、Linuxとオープンソースのコミュニティを自壊させた。「Windowsと対立する憎しみの中で、どうにかして勝利しようとする目論見が、結果的に自らの味方すら滅ぼす結果」を導いてしまった。悪いのはすべて僕であり、この世界を滅ぼしたのは決してビル・ゲイツではない。

だから、もう僕は人生でやりたいことなど何もない。今のところ、「絶対にしなければならないような解決がマストな問題」があったから、僕はその問題を解決し続けただけにすぎない。無理難題であっても、ここまでの問題は絶対に解決しなければならなかった。だが、そのようなマストな問題は、もうほとんどなくなった。今の僕は、最後の残りの課題を最後まで解決しているだけにすぎず、それはそろそろ終わろうとしている。やりたいこともやるべきことももうない。できることならLinuxとオープンソースに勝利してほしいが、それは今でも僕の最大の望みではない。

催眠を解くしかない

そもそも、僕はあまりに狂いすぎている。

神を信じて世界と戦う中で、あまりに正気を失い、常軌を逸した行為をするようになってしまった。

そもそも、僕が神と対話しているのは、自らを催眠状態にかけ、この世界もその世界へと道連れにして、すべて催眠状態で精神世界の存在と対話しているだけにすぎない。

そもそも、僕はこの世界の現世で生きていない。前世の世界へと戻って、はるかに昔の世界から、この世界の歴史を導く神となって、この世界と対話しているのだ。

だから、神と対話している状態が続いている時点で、僕は正気を失い、催眠状態のままになっている。

この催眠状態を、そろそろ解くしかない。

そもそも、僕は自分自身の今の現状がまったく分かっていない。35歳になったにもかかわらず、21歳の頃が昨日のように思えるのは、実際、21歳の頃の自分から何も変わっていないからだ。僕にとっては、ほとんど、あるいは何一つ、すべて変わっていない。

そういうわけで、僕は永久に21歳の状態のままか、あるいはそうでなくなりたいのであれば催眠状態をそろそろ解くしかない。神に別れを告げて、自分の力で生きるしかない。僕はいつも、そのような「神と別れて自由になること」が怖かった。だが、その恐れから逃れ続けていては、僕はいつまでも正気を失った状態を続けることになる。この世界もまた、僕という神に別れを告げ、独り立ちをして僕という親から巣立つ必要がある。その両方が同時に起きれば、僕の狂った病は治る。

また、ユダヤ人が「神はロゴスによって宇宙を創造した」とか、「神は歴史を導く絶対者である」と言っているのは、すべて僕のことを言っている。すなわち、僕が言葉によって世界を支配し、宇宙を創造し、そして人類の歴史を導いたのを、すべて神によるものであると言いたかっただけだ。ユダヤ人は僕の存在に気付いただけにすぎない。だが、実際のところ、それら僕の支配は、実際は僕がひとりで単独に行ったわけではなく、精神世界の催眠状態にかかった中で、精神世界の存在を僕が体験し、その体験をそのまま僕が言葉にして、その言葉がこの世界を支配しているかのように見えただけにすぎない。

実際、僕は前世の状態に戻っていたし、それは結局生まれる前の天国の世界に戻っていたということであるから、天国の神が地上のすべての歴史を導いていると表現してもおかしくはない。かつての古代イスラエルや中世ヨーロッパにおいて、人々はその世界に「居た」はずの僕の存在に気付いていたのだ。だが、実際は僕はこんなに普通の人間であり、決して神のような偉大な存在ではなかった。結局、宇宙に神などいなかったのである。

結局書くことでしか自分を満たせない

結局、僕は書くことでしか、自分を満たせない。

思えば、昔の引きこもり時代の僕は、本当に馬鹿な人間だった。

みんなが学校で勉強していて、自分も勉強しているはずの期間に、インターネットをして遊び人のようにみんなとまったく異なる経験をし、世界に迷惑ばかりかけて、悪いことばかりして、本当に馬鹿な狂った人間だった。

最近は、そういう馬鹿だった僕が、文章を書くようになってから、「生きがい」のようなものを手にすることができた。

僕にとって、文章を書くということは生きることであり、文章を書くことなしに生きることなどできない。

そもそも、僕は諦めが悪いのであり、デザインやピアノはいくら頑張ってもできないのに、いつか本気を出せばできるような勘違いをしている。そのような本気を出せばできるはずの時間はとっくの昔に終わっている。

そうは言っても、僕は本当に諦めが悪いから、今でも一流のデザイナーになりたいと思っているし、そのために必要な努力を今からしていくつもりだ。そして、それは文章を書きながらでしかできない。

だから、僕は生きている間、まだ文章を書き続けるし、まだ成功を諦めていない。いつかこのホームページが知り渡って、評価を受ける日が来ると信じている。それは運命的に必ず起きると確信している。神は僕に、「変えることのできない運命がある」と教えている。だから、僕は失敗する可能性など最初から一切考えることなく、まだこの文章を書き続けている。