僕が数学的に考えられないのは、自由を恐れているからだ。
数学的に考えるためには、自由に考える必要がある。
どのような数学的定理であっても、それを理解するためには、それを発見した人間と同等のことを分かるために、自由に頭の中で豊富な成功例と失敗例から、学習しながら考える必要がある。
そして、僕はそのような「自由」になることを恐れている。
それは、分かるためには分からなくなる必要があるからだ。
数学的に自由に考えると、人間は「分かる」という体験をする。僕が恐れているのは、そのような「分かる」という体験だ。
なぜ恐れるのか、それは確実でなくなるからだ。
自由に分かるということは、「分かるか分からないかを確定的に決めることができない」ということを意味する。そのことを自由に分かるということを、事前に予測することができない。「確かにそれは分かる」ということを保証することができなくなってしまう。
だから、僕はいつまでも自由を恐れている。そして、自由を恐れているから、僕は数学的に考えることができないのである。
結局、僕が信じるものは神だけだ。
なぜなら、神だけが、僕が何を考えていたかを知っているからだ。
僕の人生を、誰か他人が見ても、絶対に分からない。僕の人生において、僕が何をやっていたか、何を考えていたか、どのような目的や意図でこのような人生を生きたのか、ということは、僕の人生をもし見たとしても絶対に分からないからだ。
僕が何を考えていたか、何を知っていたか、ということを知っているのは神、ひとりだけだ。
だから、僕は神、キリストを信じる。キリストを信じなければ、僕は新しいことも古いことも分からない。神を信じることでしか僕はこれ以上人生を生きられなくなっているのだ。
神の教える答え、それは「アメリカを信じればいい」ということだ。
過去の僕は、自由を信じて成長し、経験から世界を変える方法を考え、自らはこの世界に「可能性を与える」ことでこの世界を変えられる、と確信しただけにすぎない。
それは神から見ると、単にアメリカを信じているだけだ。
ドイツのすべてが嘘偽りだったと分かった今、これ以上「正義」を信じる必要はない。だからといって、ソ連に義理はない。だから、いつも信じていたアメリカを信じればいい。
もし、ここでアメリカを信じなければ、この人間の人生は終わりだ。ここで何も分からないと、本当に死ぬまで何もしないだけになってしまう。
だが、神を信じて、「アメリカを信じればいい」という言葉に従えば、僕はもう一度、昔の僕が分かったことをもう一度分かることができる。
アメリカは正しい。
アメリカの「自由な理想」、それは「それぞれがしたい仕事をすればいい」ということだ。
実際のところ、辛く苦しい仕事は、誰かがしなければならない。たとえば工場での労働だ。労働者階級の人間に、きちんと金を払えば、そのような仕事を望む労働者はたくさんいる。
需要と供給から考えて、誰も働こうとしない仕事で働く人間は、より多くの給料をもらえる。だから、本当に貧乏だとか、それしかできない労働者は、喜んでそのような仕事をする。
そのように考えた時、むしろ、そのような仕事がしたくない労働者も、強制的にさせられるのではなく、さらに悪い条件であってもその条件を受け入れることで、そのような仕事を回避できる。
そのように、アメリカの自由主義は、みんながそれぞれ事情を考えて、自らの労働を選択することで、「みんなハッピー」になることができる、とても素晴らしい思想だ。
そして、本当に能力がある人間、たとえば歌手やスポーツ選手は、誰よりもたくさんの富を得ることができる。単に「チャンス」や「投資」と提唱するだけではなく、それを現実のものに「具体化」することができる国は、世界中でもアメリカ以外にはそう多くはない。アメリカこそ、「真に全員が幸福になれる社会」であると言えるのである。
アメリカは民主主義を信じている。だが、戦争をしないわけではない。民主主義において民衆が選んだ大統領が判断するなら、戦争や軍事作戦であっても行う。すなわち、「平和」よりも「自由」をアメリカは信じている。そして、さまざまな状況を考えた時に、「絶対に平和にする」ということよりも、戦うことを選ばざるを得ないことは多い。だが、それらはすべて民主主義的な「正義」と「善」と「理想」に基づく。決して他国を侵略するだけの「悪」は行わない。だから、アメリカこそ真の「自由な正義」の国であると言えるのである。
謎と疑惑の多い僕の人生だが、このホームページを見て、Reolやナユタン星人のような音楽を聴いて言えることは、「なぜこのような運命的な出会いの奇跡が起きるのか」ということだろう。
だが、その理由は、ここが日本であり、今の日本はイスラエルほどに進歩したからだ。
すなわち、日本がイスラエルになったから、このような「神の奇跡」が起きたのだ。
古来より、このようなことが起きるのは、イスラエルの神であるイエス・キリストだけだ。
だが、僕はキリストがサタンに対して行ったことと同じことを、現代の日本社会で、インターネットを用いることで、マスコミやアメリカに対して行った。
そして、僕はその中で、神であるキリストを信じた。
僕は決してキリストではない。だが、キリストと同じことを僕が行ったことで、日本は進歩し、「第二のイスラエル」となることができたのである。
僕はキリストではない。僕は大天使ミカエルであり、シリウスの太陽神フレイだ。そう、ここにフレイは、日本というイスラエルの中で、この日本という国家を最高の「神の王国」にするために、「終末の大救済劇」を行っているのだ。
日本においては、これから、このような「神の奇跡」が、色んな人間に普通に起きるようになる。すべては、ここが日本だからだ。日本ではこのような奇跡が起きる。そして、僕がシリウスの太陽神フレイの力で、日本をそのような国へと変えたのだ。
僕は、X(旧ツイッター)やSNSのような、インターネットのコミュニケーションサービスはそろそろ廃れると思う。
その理由は、「十分楽しいことはやり終えたから」と「金にならないから」だ。
XやほかのSNSで、みんなはもう十分すぎるほど楽しいコミュニケーションを経験した。
十分楽しいことを経験し終えたから、これ以上、楽しいことを新しく経験する必要がなくなった。
逆に、これ以上インターネットを続けるということが、「楽しさ」ではなく、「苦痛」に感じられるようになってしまった。
これが、XやSNSが衰退すると僕が思う、一つ目の理由だ。
二つ目の理由は、「金にならないから」だ。
すなわち、XやSNSのようなインターネットサービスは、儲けようと思っても金にならない。
主な収入源は広告収入だが、最近はYouTubeなどでも、Google自体の広告ばかりがかかる。あるいは、消費者金融や通信販売のような怪しい広告が多い。
そのような「怪しいだけの広告収入」では、健全なお金は稼げない。
そして、そのように、インターネットサービスが衰退することによって、IT技術も衰退していくと思う。
最近のIT技術は、さまざまな言語やランタイムにフレームワークが、できては消え、またできては消える、という形相を呈している。
だが、大手のサービスが衰退することで、小さな中小のサービスも衰退し、Webフレームワークの前提となる「Webサービス」そのものが衰退していく。
何が言いたいかというと、もうインターネットがもてはやされる時代は終わるということ。これ以上、IT技術は進歩せず、メタバースやAIも同じように衰退していくだろう。
勝つのはMicrosoftだ。WindowsとOfficeを手堅く作っている、ビジネスで使うソフトだけが残る。Microsoft以外の巨大テック企業はすべて消えるだろう。
僕がX(旧ツイッター)が嫌いなのは、昔からツイッターというサービスは、誰でも気軽に「つぶやき」を投稿できる代わり、批判や罵倒のようなメッセージも気軽に投稿できる。
だから、Xをやっていると、必ず誰かが「チクチクするような批判」を言ってくる。
だから、Xをやる時点で、「つまらないことはいつでも必ず起きる」と覚悟して使わなければならない。
はっきり言って、そんなサービスを使い続けていても、いいことは何もなく、逆に友達に対して常に賛美や賞賛の意見をつぶやき続けるのも気持ちが悪い。
常に友達をチェックして常にリプを返してくる人間は、何か下心があって自分に付きまとっているかのように見えてしまう。
僕はツイッターに「つぶやく」のは好きだが、「他人と関わり合う」のは嫌いだ。僕はツイッターで他人とコミュニケーションするのが苦手であり、本質的にツイッターには向いていない。
このようなインターネットだが、その中でも特殊な業界がある。
それは音楽だ。
音楽は、歌手のような音楽家がやっていて、ニコニコ動画(ニコニコ生放送)やYouTubeなどで配信を行うことで、インターネット上で楽曲を提供している。
音楽家がきちんと音楽活動をしているから、ネットが廃れても音楽は簡単には廃れないと、人々は思うだろう。
だが、実際のところ、音楽は僕がいなくなれば終わりだ。
僕という「裏の世界から音楽業界を支配しているラスボス」が、この世界からいなくなってしまえば、その時点で音楽は終わりだ。それ以上どんな作品も作ることができなくなる。
だから、ネットと音楽の「死」はそのうちいつか訪れる。近い未来に、ネットと音楽は消滅するだろう。
はっきり言って、僕はインターネットが大嫌いだ。
ネットにはなんにもない。価値あるものはネットには何ひとつない。
ネットに存在するのは、「空っぽの価値のない世界」だ。そこにあるのは「虚像」と「蜃気楼」だけだ。何かを見ているような気がするだけで、何かに参加しているような気がするだけで、実際はそれらは虚像や蜃気楼のように流れ去り、何も残さずに全部消え去る。
あるのは、ただ青春時代の時間を無駄にした自分だけだ。
ネットで何もしないで生きたほうがいい。ネットで何かしてもいいことは絶対に何もない。ネットには面白いものや楽しいものは何もなく、すべてのネットがすべてのネットワーカーを騙している。ネットは「人間から時間を奪い取る詐欺」である。
最近は、不登校の児童が急増しているとのこと。
不登校が急増しているのはなぜ? 親に届かない「味方がいない子ども」の叫び(nobico(のびこ)) - Yahoo!ニュース
僕自身、中学校でいじめで不登校になった元引きこもりだが、何よりも問題なのは「学校に希望がないから」だと思う。
今の学校には、「希望」がない。なぜなら、学校の勉強はつまらない。
だが、これを解決できる解決方法は、僕はないと思う。
僕の経験から言っても、学校の勉強はつまらない。大学の教科書や学術的な専門書を何十冊か読んできた僕だが、それらはつまらなかった。学んでも、分かることはそんなに多くなかった。
いじめの問題は確かにあるが、いじめが起きる理由も「学校がつまらないから」であると思う。
子供が子供をいじめるのは、早い話、学校で勉強しても、クラスメイトとコミュニケーションしても、すべてがつまらない。絶望の中で過激な反抗的行動にも出ることができないから、同じクラスメイトをいじめるようになる。それによって、みんなと同じクラスメイトの画一性から、自分たちだけが抜きん出たかのような「優越性」を感じたいと思って、いじめをしている。
結局、子供たちは、学校なんかどうでもいい、つまらない。いじめも不登校も、すべては「希望のない学校に対する絶望」から起きているのだ。
学校に希望を与えることはできない。そもそも、希望がないのは学校だけでない。現実世界のすべてに希望がない。このような世界は消えてしまえと、そんな音楽ばかりが増えている。そう、もうこの世界は「終わり」へと向かいつつあるのだ。
子供の社会環境が酷いからといって、大人が良い思いをしているわけではない。
現実世界なんか、機械を作っているだけだ。
そして、機械なんか、組み立てるだけだ。
実際の現実世界で大人がやっていること、それは主に機械を組み立てているだけだ。
工場のベルトコンベアのライン作業で、ネジを回してハンマーを叩いて機械でプレスして原料を流し込んで、そんなことを頑張ってこの世界はできている。
資本主義はまだいい。それら労働者にきちんと金を払うからだ。社会主義では、金すら払わず、無給で強制労働だ。
そのような世界だから、昔はオープンソースが面白く見えた。Linuxはボランティアによる「奇跡の無償奉仕」だった。それが、今ではオープンソースも完全にビジネスと商売の道具だ。
現実世界で言えば、僕はマスコミが嫌いだ。マスコミは自分たちの利己心のために生きていて、報道に対する責任もなければ、社会を守る自覚もなく、資本主義の自由に染まりまくっている。
資本主義においては、全員が金のために働く。そこには「自分のため」はあっても「社会のため」や「人々のため」はない。そのような世界だから、地球の自然環境はさらに破壊される。それを食い止めるためには、資本主義をやめるしかない。