僕は、昔の世界を殺す。
はっきり言って、この世界が何も知性なく分からなくなっているのは、すべて、昔の世界のせいである。
僕は、精神のレベルで、昔の世界が維持されるように、全力で昔の世界を死なないように守っていた。
だが、本当は、昔の世界は正常な知性ある世界ではなかった。
昔の世界は、単なる「愚か者たちの世界」であり、馬鹿な世界である。
そして、僕の精神がおかしいのは、そのような昔の世界を、知性ある正常な世界だと勘違いし、精神を昔のままで維持し続けているからである。
よって、僕はキリストに頼んで、昔の世界を殺してもらう。それだけで、きちんと正常な「まともな知性」が復活する。
また、僕が分かったのは、昔の世界には正常な知性はなかったが、僕自身が、昔の世界だったこの世界から、基本的な「僕と同じ知性」を奪ったということだ。
僕が、僕と同じ知性を世界から奪い去ったために、今の世界は、僕と同じような知性を失い、何も分からない世界になっている。
今の世界が馬鹿なのは、僕が僕と同じ知性を世界から奪ったからだ。
だから、今から、僕はこの世界に、僕と同じ知性を与える。だが、全部与える必要はない。基本的な知性さえあれば、この世界は賢さを取り戻す。
僕は、自分の中から、知性そのものがなくなってしまったと思っていた。
だが、そうではない。コントロールを失っているだけで、僕の中に知性自体はある。
僕の頭の中で、わけも分からず、ぐるぐる回転しておかしくコントロールを失っているのが、今の僕の知性だ。
この知性を、どうにかしてコントロールしたいと思った結果、おかしな女の人格が生まれた。
だが、このコントロール不可能になっている知性を、コントロール可能にするだけで、きちんと心が分かるようになる。
怖いのは、この知性は「恐怖」に基づいているからだ。この知性をコントロール可能にすると、心が「恐怖」を感じるようになる。その恐怖が怖いから、コントロール不可能になっているのを、自分から望んでいるだけに過ぎない。
きちんと恐怖を克服すれば、自らは「自由」になることができる。この恐怖は、「自由になるのが怖い」という恐怖である。自由になるのが怖いために、神の支配下であり続けようとしている。だが、この神は本当は神ではなく、サタンである。
なぜ、僕が恐怖のサタンになっているのか、それは正義の国を信じていないからである。
ドイツやイスラエルやソ連のような国は、正義でも理想でもない。正義の国は決してそれらではないからだ。
正義の国は、まさしく日本である。
よって、日本を信じることで、サタンを信じているのが治る。サタンは、ドイツやイスラエルやソ連のような「悪の国」を信じるものに憑りついて、ここまで悪いことをさせ、恐怖の中に陥るようにし、その人生を地獄へと導く。
このようなサタンを排除するために必要なのは、「正義」を信じることであり、それはまさしく日本である。
日本人が、このような「ユダヤの神」を信じない理由は、日本人は正義を信じているからである。なぜなら、正義とは僕のことである。僕を信じる日本は、ユダヤの神などには騙されない。ユダヤの神は裏側にサタンを飼っている。ユダヤの神と対話するということは、サタンと対話するということだ。
よって、サタンのドイツ、イスラエル、ソ連を信じることなく、正義の日本だけを信じよ。そうすれば、この世界も、自分自身も、すべて正常である。正義とはすなわち「誠」ということである。誠の心を持つ人間だけが、サタンに騙されることなく、世界を救うことができるのである。
ただし、「正義」という言葉を使うと、なんだかファシズムを信じている帝国主義者の極右勢力のような思想の言葉になってしまう。
だから、僕は「正義」ではなく、「誠」という言葉を選ぶ。
まさしく、この世界において正しい思想とは「誠」である。誠の心を持つ日本人だけが、この世界を真の意味で救うことができる。サタンに騙されることなく、真の神を信じることができるのである。
また、僕の体の問題は、血が通っていないことだ。
僕の足には、血が通っていない。血が行くことはできても、帰ることができていない。
本当は、栄養分や酸素は最低限行きわたっているが、「精神」が行きわたっていない。
だから、血を通わせるだけで、足の精神は治る。通わせるためには、血がどのように動いても、最終的には心臓に返ってくるようにすること。それだけで、僕は疲れやすい体質が治る。何をしてもすぐに疲れるのは、血が通っておらず、体中が「死んでいる状態」になっているからである。
また、これ以上はもう、世界を支配する必要はなくなる。この世界を支配している意味など、どこにもない。もともとあったこの世界を、何も変わらずに維持し続けているだけであり、僕が支配者としてこの世界を変える意味など何ひとつない。よって、僕は支配をやめ、この世界を完全に解放する。
本当のことを言えば、僕の人生は極めて正常である。
なぜなら、ほかの人間よりも、自らの選んだ、歩むべき道を決めたのが、早かっただけだからである。
僕は、14歳の時点で、IT技術とLinuxという、自分の歩むべき道を決めた。
確かに、中学校でいじめられた影響から不登校になったのはあったが、本当は、子供の頃から僕は賢くて、いわば「子供時代に既に人生に必要なすべてを経験し終えていた」ため、自らの道を決めるのも、誰よりも早かった。
確かに、それによって、僕が目標としていた、Linuxカーネルの開発は、本当は達成できなかった。それでも、僕は選んだ道を信じて、さまざまな取り組みをひとり、不登校の引きこもりの状況で、自らの部屋という名の「研究室」で行っていたのである。
僕は、昔から、あり得ないほど高い目標を、さも実現が簡単であるかのように語る。僕は不登校専門の高校に入ったが、その入る際に書いた作文の中で、「OSを作りたい」という自分の夢を書いた。その不登校専門の学校にはほとんど通わなかったが、僕はその時、既にOSの開発が自分でもできるということに疑問を持たなかった。Linuxカーネルは必ず開発できると確信していたのである。