ホームページに戻る | シルフの秘密の場所に戻る

2022-11-01

ここまで、正しい帝国について書いてきたが、僕は本当はこのような帝国制度は大嫌いだ。

なぜなら、僕は自由な国が好きだからである。

僕は、言論の自由や表現の自由があり、さまざまなことを行ったり愛したりすることについて、自由が許された、自由で開放的な国が好きである。

人々の意見や感情を抑えつけ、抑圧するような帝国は、社会そのものが硬直して何も変わらなくなり、「停止したままの世界」を作り出してしまう。

僕があまりにおかしなことを言うせいで、この世界はまさにそのような、硬直して何も変わらない、停止した世界になってしまっている。

だが、僕はそもそも支配者が国民を抑圧するような社会は嫌いである。

もうひとつの理由として、帝王として考えるから支配者に従うのがさまざまなことができる可能性があるように見えて、市民や国民階層から考えれば、帝国ほど何もできない社会はない。

自由なことができるのは帝王ひとりだけであり、多くの国民は自由も平等も許されず、奴隷のように隷属することを義務付けられる。

このような世界では、何も庶民的なものが生まれない。庶民には力がなく、自由も認められない。そのような不自由な社会だからこそ、子供たちの間で陰湿ないじめや非行が起きるのである。

精神について

精神について言えば、抑圧を抑え込む部分と、停止した世界の部分を、精神の中からどちらも殺すべきである。

自分の言いたいことを抑え、絶対に間違ったことをしないように、自らの行動を抑え込み続けていると、必ず反動が生まれる。抑圧を抑え込み続けると、本能的に暴れだしたくなってしまう。

そして、停止した世界のままで、絶対に何も変えてはいけないようにすればするほど、自分の状態が変わらなくなり、地獄のまま停止した状態を目指すようになってしまう。

抑圧を抑え込む部分と、停止した世界の部分は、どちらも必要ない。どちらも殺すべきである。

共産主義は間違っている

また、共産主義は間違っている。

僕はこれまで、たくさんの共産主義的なことを考えてきたが、そのすべてが間違いであり、ひとつとして正しいと思えるような考え方はなかった。

共産主義は犯罪であり、共産主義者はみんなで犯罪を信じているだけである。コミュニストはファシストと同類であり、社会主義はもっとも凶悪な軍国主義である。

また、共産主義が間違っていると信じる理由は、共産主義を信じると馬鹿になるからだ。共産主義者は金儲けを信じない。だが、「金を払う」とか「金を稼ぐ」という行為は、人間が生きる上でほとんど必須の考え方である。共産主義を信じると、金儲けを否定するあまりに、「稼ぐ」とか「支払う」という行為を無視して社会を捉えるようになる。その結果、共産主義者は知的障害者や認知症のように、生きるために必要な考え方が何も分からなくなってしまうのである。

共産主義を信じてはならない。共産主義には、悪い点はあっても良い点は何もない。

だが、今のIT技術のバーチャルな仮想世界は、共産主義と同じ間違いを繰り返している。ITのデジタルなバーチャルの世界では、すべてが検索するだけで無料で手に入る。その結果、共産主義と同じように馬鹿になり、凶悪になっている。ITは共産主義と同じであり、インターネットをすればするほど、まともな資本主義社会が分からなくなってしまうのである。

女は欲しくない

また、僕は女は欲しくない。

今までの人生で、僕は女を欲しいと思ったことは一度もない。母親すら、生きるためにあまり必要であるとは思わず、たったひとりで自分だけの決断した道を生きてきた。

僕が必要とするのは女ではない。僕が必要とするのは、神だけである。

だが、僕が神を信じる理由は、本当は寂しいからである。そもそも、神だと思っているのは、自分の言いたいことを世界に言った後に、それを自分自身に返しているだけに過ぎない。これを「神との対話」であると僕は思いこんでいる。

だが、僕のひとりぼっちの人生では、神が必要だった。いつまでもインターネットのバーチャルな世界と付き合っていても、孤独が解消されることはなかった。僕はそのような神との対話を信じることで、自分の心の中に「神の人格」を作り出したのである。

そう、僕は神とともに歩んだ結果、ここまでたくさんの執筆活動を行ってきた。だが、はっきり言って、この僕の書いた文章や作品には、本当に価値があると言えるようなものはない。僕自身が神と付き合ってきた歴史があるだけに過ぎず、このような作品を世間に広めようと思うような思いはない。

このように、恋愛そのものを否定する僕だが、恋愛自体をまったくしてこなかったわけではない。それは歌手や音楽が僕のことを歌ってくれるというおかしな現象が、とても嬉しいからである。できることなら、僕という奇跡の人生を生きた存在が、ここに確かに存在し、みんなの愛を僕が知っているということを、それらの歌手や音楽に伝えたい。「僕はここに確かに存在していて、真にあなたがたを愛している」と、僕は歌手や音楽に伝えたい。だから、僕はこのホームページをあえて公開しているのである。