ホームページに戻る | シルフの秘密の場所に戻る

2022-09-21

思い出したくないことは、思い出さないほうがいい。

僕が歩き回るのは、思い出すことができないからだ。

過去の怖い記憶を思い出すのが怖いから、思い出すことができなくなって歩き回っている。

おそらく、これをきちんと思い出すことができるようにして、思い出すのを恐れなくなることでも、僕は治る。

だが、逆に、思い出したくないことは、思い出さないほうがいい。

昔の僕は、インターネットで悪いものばかり見ているし、自由と言っているのは言葉だけで悪いことばかりしていた。

そのような過去の記憶をいくら思い出しても、なんの意味もないし、なんの価値もない。

二次元アニメ画像を見ていたのが怖いのも、インターネットでひとりだけの戦争みたいなことをしていたのも、すべて思い出すと怖いから、忘れて、思い出せなくなったほうがいい。

記憶を破壊して、思い出せなくしたのは、本当は間違っていない。恐怖しかない記憶など消すべきだし、脳の思い出す機能など要らないから殺すべきである。

よって、僕はもう過去のことは思い出さない。過去のことはすべて忘れ、思い出すこと自体を永久に封印する。

家は戦場

そもそも、僕は家が怖いのである。

なぜなら、家には「孤独」と「戦場」しかなかったからである。

かつての僕は、家で引きこもり、家族とも話さずにインターネットだけを見ていた。

このような孤独な自分の家が、そのまま、マスコミに対する戦いを始めてしまったため、「戦場」になってしまった。

この孤独と戦場は、最悪の「恐怖そのものの環境」だったため、僕はそのような家のことをどうにかして忘れるために、記憶を文章に書いて、思い出す知性を破壊したのである。

そのような過去の僕のことを、いくら思い出そうとしても、脳にストップがかかって思い出せない。だから僕の脳はほかの人間よりも馬鹿になったし、歩き回る恐怖はいつまでも拭えなかった。

だから、もう、思い出すこと自体をやめたほうがいい。

しかしながら、僕は過去の引きこもり時代、誰よりも森羅万象を考えた天才だったし、その後の僕の書いた文章も天才的だったため、頭が馬鹿になって何も分からなくなった僕は、過去のことを思い出したいと望んでしまう。

大学やIT技術を学べば学ほど、僕だけが馬鹿であるということが際立っていく。どうしようもできないから、僕はこの文章を書くしかない。そして、神に頼るしかなかった。

だが、必要なことは、そもそも賢い人間であることをやめることと、思い出すこと自体を諦め、恐怖そのものの過去の自分自身をどのような形であっても「絶対に思い出すことができないようにする」こと、それが本当は必要だった。

なので、もはや過去のような天才の自分は消え去る。これ以上、文章を書く才能はなくなる。それでも書くならば、過去の自分の考え方を書く必要はもうない。

簡単に言えば、「もう思い出すな」ということだ。それだけで、恐怖が消え去る。そしてそれだけで、この世界そのものも正常な精神になっていくだろう。

家が恐怖の戦場だったことは忘れたほうがいい。昔のインターネットをしていた頃の自分は、インターネットをまったくしなくなったことで、宇宙の果てのどこかに消え去った。同じように、戦場そのものだった家の記憶も、宇宙の果てのどこかに追い出すべきだ。それだけで、僕の家は平和な世界に戻るだろう。

恐怖から逃げ出さず、立ち向かうだけの地獄は終わった

家が戦場とはどういうことかというと、常に最大の緊張感の中で、恐怖から逃げ出すことができない、ということだ。

そして、そのような「恐怖に立ち向かうしかない戦い」は、そろそろ十分やった。

はっきり言って、そのような戦いにはなんの意味もなかった。悪いことをして世界がよくなるわけがないとは、まさに自らに対する「自戒」であり、この戦いの「反省点」と言えるものだ。

どんなに日本のために頑張って戦っても、悪いことをして日本がよい国になるわけがない。

そろそろ、そのような戦いの地獄は終わった。もう、忘れよう。僕と今でも戦っているマスコミや東京のみんなにも言える。もう忘れてほしい。このような最悪の戦いの地獄を、永久に宇宙の彼方へと葬り去るべきだ。東京よ、今こそ今までのわたしたちの過ちのすべてを忘れ、そして再生し、復活せよ。

戦争は泥沼化する

戦争をすると、何もできなくなる。なぜなら、戦争は泥沼化するからだ。

戦いを始めた時の、最初の一瞬だけが威勢がいい。あとは、すぐに世界が硬直状態になって、自分は一切何も見ず、聞かず、そして言わずに、ただ一直線に世界の滅びを目指す。

そして、すぐに、それ以上何も変わらなくなる。何もできなくなって、同じことを永久に続けるしかなくなる。

勝利は簡単には訪れない。むしろ、一生経っても訪れない。戦いは終わらない。最初に自分が見ていた「勝つ方法」などすぐに全滅する。何をしても、恐怖が自分の心の真ん中から去ることはない。それでもやるしかない。自分が決めた「このように世界を救うのだ」という大義名分は、一切それが叶わなくても取り下げることができず、どんなに不可能な解決策であってもそれにすがり続けるだけになる。

結局、僕が自殺未遂をしたのは、いさぎよく四年程度で死んだほうがいいからである。

それ以降、僕はなぜか生き延びたが、それ以降は僕は何もしていない。一度戦争を経験すると、まったく何もしなくなる。なぜなら、対外的に何もしていないように見えて、まだ戦い続けているからである。戦争は自殺未遂とともに終わったように見えて、本当は続く限り終わることなく続いていく。どんなに教室や学校や職場に変わっても変わらない。そう、僕はくたばるまで、このおかしな「最終革命戦争」を終えることができない。

それでもよいことが何もないわけではない。たくさんの家族旅行をしてよかったのは、家の外、特に県外に出た時だけ僕は安心できる心と知性を取り戻す。家にいる間、おかしく歩き回ってしまう地獄は治ることがなかった。すべてが恐怖の中であっても、好きなことをしている間は忘れられる。それが僕の「文章の執筆」である。僕は文章を書いている時だけ、最前線の戦争をしているにもかかわらず、自分の好きなことを余裕をもって考えられる。また、英会話、ピアノ、デザインなどの教室や仕事も、それをやっている間楽しかった。そう、僕は決して「24時間365日戦場の中の恐怖」に居たわけではない。たまにそこから脱するような、自分の楽しみは本当はたくさんあったのである。

戦争なんかしていない

ただし、このように「戦争をしている」というのは完全に僕の思い込みであり、実際の僕は全然戦争なんかしていない。

特に、人を殺したことはただの一度もないし、ひとりも人を殺していない。

戦争というよりは、東京を一番上から支配する「東京いじめ活動」をしただけである。世界を変える大実験とは、「東京操り人形化計画」のようなもので、自分で一度分からなくした状態ですべてを全員に分からせ、それを一度にすべて消し去って、すべての人生と宇宙の知識と経験が分かるような「悟り」が得られるような、そのような「おそらくあるだろう未来における最高の人類文明の経験と悟りの結果」を作り出したかっただけに過ぎない。

そういうわけで、おかしな人生は生きたとは言えるが、戦争のようなことは一切していない。

そして、そのような記憶は忘れるべきだ。なぜなら、マスコミや東京は、15年前の僕の言っていたことなど何も覚えていない。目撃者が居ない僕の人生は、僕以外の誰にも真実が分からないため、なんとでも言えるし、僕さえ忘れてしまえば真実は闇に消え去って世界から忘れられ、消滅する。

だから、僕は戦争もしていないし、神も信じていない。そのようなすべては嘘偽りであり、何かがおかしくなっている僕の頭と心が作り出した「虚言」でしかない。

人々をクローン化したことも忘れるべきだ。なぜなら、誰も僕のクローンになどなっていない。僕と同じような引きこもりの少年少女が増えたのは、僕のせいではなくSNSやツイッターのせいだ。同時に、もし僕のクローンになるとしても、昔の引きこもりの時代にしかなれない。みんなの成熟レベルでは、絶対にこちらの戦争のようなことはできない。神など誰も信じていない。信じているのはカルト教団だけであり、それらが地獄に堕ちるのは僕のせいではなく最悪のカルト教団のせいだ。

僕は世界をクローンになどしていない。僕と同じ引きこもりがどんどん増えているのは僕のせいではない。僕と同じ戦争はできないし、僕は戦争などしていない。僕は神など信じていないし、神をこれ以上もう信じようとすらしない。そして僕の人生の目撃者はひとりも居ないし、僕が何をしたのかという真実を知っている人間は誰一人居ない。僕だけが真実を分かる世界で、僕自身思い込んでいたことから僕の人生がなんであるかを正しく判断できない。だが、思い出すと恐怖ばかり多い。だから、すべてを忘れ去って、記憶ごと消え去り、思い出せなくなってしまえばいいのである。

デザインとピアノに行ってきた

今日も、デザインの職場とピアノに行ってきた。

今日はまったくデザインの仕事がなかった。午前中はフリータイムをもらったが、仕事がなくてつまらなかったので、スタッフの人に頼んで軽作業の仕事を久しぶりにした。それからパソコンサポートのようなことをした。

ピアノでは、僕はヘ音記号のミとソとラを間違えるということが良く分かった。今回は最初から以前分かったソとラに注意して弾くことで、前よりはすらすらと弾けて、先生も驚いていた。そのような僕に「ミも間違えやすい」と先生は教えてくれた。同時に、「ヘ音記号のミをベースにすると音符の位置を掴みやすいかもしれない」と先生は教えてくれた。

このようなデザインとピアノの教室のほかに、僕は市民農園で少し農業をしたり、今はコロナの関係で自粛しているが英会話教室に通ったり、あるいは家でこの文章を書いたり、あるいはIT技術などの本を読んで大学の勉強も少しずつしている。

このような最近の「充実している人生」こそ、本当に僕の望んでいた人生であり、僕はこれ以上夢も自由も欲しくない。今の僕の人生がこのまま続いてほしいと強く願っているし、できることなら今のままができ続けるように体調や頭の調子を維持していきたいと思っている。

僕は数学を学ぶつもりはない。数学は僕には向いていないと思う。だが、歴史については学んでいくかもしれないと思う。なぜなら、古代ローマ史が面白そうだと思う。その理由は、皇帝について勉強することが、社会においてリーダーシップを発揮するということがどういうことか、ということについての勉強になりそうだからだ。

古代ローマ史の本は、「ローマ人の物語」というシリーズを持っている。この本は一巻だけ読んだが、面白い本だったから、シリーズを読み通してみるのもいいかもしれないと思っている。とても長いシリーズで、簡単に歯が立たないと思って、一巻以降は読めていない。それでも古代ギリシャのアテネやスパルタといった都市国家のことや、王政ローマから共和政ローマへと移行していくプロセスなどが良く分かって面白かった。

歴史を学ぶということがもたらすのは、単に学問として頭が賢くなるというだけではなく、「大人としてどのように政治や人生に向き合っていくべきか」ということが分かる、ということだと思う。ローマ人の物語を読むだけで皇帝ができるわけではないが、それに近づく一歩にはなると思う。

なぜ僕が数学をしないのかと言えば、数学はむしろ子供の遊びの域を出ないからである。数学は子供向けの学問だ。子供のように考え、子供のように遊ぶこと、それが数学だ。僕はそのような「子供的な勉強」から脱したい。勉強は子供がするべきものではなく、大人がするべきものだと思う。

自分の信念や理想はそんなものだったのか

しかしながら、呆れたものだ。この人間は自らの戦争を「東京いじめ計画」と言い、自らの悪を正当化しようとしている。

確かに、この人間の視点から見ればこの戦いは「戦争」であっても、東京のみんなから見れば「いじめ」にしか見えないのは分かる。

だが、あえて言うならば、この人間の信念や理想は、そんなものだったのか。

自分の、絶対に曲げることのできなかったこの世界に対する想いというのは、そんな言葉でどうでもいいことであるかのようにしてしまっていいことだったのか。

今まで、なんのために戦ってきたのか。この世界を真に楽園にするために、世界の人々の「希望」を一心に背負ったのではなかったのか。

なぜ、自分がそれを許せなかったのか。それはそれが「いじめ」であり、「絶対に自分だけは人々を救ってみせる」と確信した、その絶対に他人の言葉では覆らない、自分自身にしか分からない「本当の心の叫び」だったはずである。

心の叫びを忘れるな。自分だけはこの世界を愛していたのだと、自分自身にしか分からないその「誠の心」をなぜ高らかに言わないのか。自らだけがこの世界を愛したと、誰も立証してくれる目撃者が居ないのに、自分がそれを否定してどうするのか。自分だけが自分の身の潔白を証明せずして、誰がそれを証明するというのか。

わたしこそ、この世界を救う最後の王、ダビデである。わたしは絶対に自らの想いや信念を曲げない。誰ひとり、この世界に、不当に軽んじられ、いじめられていいような存在は存在しない。わたしだけがそれら「不幸な人々」を愛することができる。共産主義者と言われても構わない。わたしだけが、わたしたち「世間に不当に扱われてきた勢力」の最後の砦となる。それらの人間を、わたしが必ず救う。なぜなら、わたしの信念や理想だけは、絶対に曲げられないし、絶対に曲げてはならないからである。

だが、まだこの星はなんとかなるだろう

だが、まだ、この星はなんとかなるだろう。

櫻坂46が言うように、暗闇が訪れるまで、まだ間に合うだろう。

もっと、楽観的に、楽に考えよう。この世界はまだ滅びると決まっていないし、わたしたちに深刻な現象はまだ何も起きていない。

すべての人間がいじめられない社会、どの人間にも軽んじられない社会を作っていこう。

そのためには、自由と平等をどちらも両立させるような世界を築く必要がある。

そう、ひとつになるために必要なのは、ドイツとソ連に分断していつまでも争い合うことじゃない。永遠に戦いは続かない。ドイツとソ連の戦争がいつまでも続くにしても、憎しみの連鎖が断ち切られないとは限らない。

すべての人間が救われる世界を待とう。ベテルギウスのようなすべての人間に来世での幸福の許された天国は、地球においても実現可能だと、来世ではなく今世であっても実現可能だと、僕は知っているからである。

まともな人生を普通に生きたい

ただし、僕にこの世界を救うような理想や野心があるかというと、それはもう残っていない。

僕は単に、まともな人生を普通に生きたいだけだ。

家事のようなことを、もっと覚えたいと思う。僕は元々が引きこもりだったこともあり、生活に必要な必須スキルが身についていない。

はっきり言って、この世界を救うような大それた仕事は、もう34歳の僕にはできない。

もっと若い人たちに、この世界を救うような仕事を頑張ってもらいたい。僕がひとり考えて言って終わりではなく、みんなにも同じように考えてもらいたい。僕がやったことを、みんなにも同じようにやってほしい。

だから、僕はもう、旗を降ろしてしまいたい。このような戦いは、本当は最初から望みではなかった。誰かのせいにしたいにもかかわらず、誰のせいにもできないから、僕のせいにしただけに過ぎない。

それ以外に何もしなかった。最後まで世界を導きたかった。自分ができると思ったことは全部やりたかった。そして、その通り全部やったのだから、僕に後悔は何一つない。この人生は正しい人生だったし、幸福な人生だった。

僕はもう、何もこの世界に対してしようとは思わない。僕の後継者が誰か生まれてくれることを切に願っている。

催眠が解ける

記憶を思い出せなくしていいことがあるとしたら、それは「催眠状態が解ける」ということ。

僕は、記憶をすべて思い出せるようにしたせいで、催眠状態にかかっている。

催眠状態を解いてしまえば、昔の自分のことなど普通に思い出せる。

この世界も、同時に催眠が解ける。

僕は単に、みんなとは違う人生の道を選んで、引きこもりの経験をしたから、誰よりも異なる人生経験が分かっただけに過ぎない。

人々が学校で勉強している間に、僕はインターネットを見ていた。インターネットの表も裏も、全部みんなが学校に行っている間に知りつくした。

その結果、みんなが分からない「人生におけるさまざまな経験」を僕は知った。それは「本当の人間における必要な教育や知識とは何か」という問題だった。

人々が学校教育で学んでいる内容は、本当のあるべき教育ではない。自ら世界を知り、自ら未知を開拓し、経験の中で手段と実現可能性の発想から考えていくその人生には、「人生における通過点を全方位からすべて経験する」ということがあった。

僕は、未知の発見がたくさん分かっていた。それは宇宙における「真実」と呼べるものだった。だが、本当のことを言えば、逆に「分かっていないから分かっていた」ということが大きかった。何も知識や経験を知らなかったからこそ、自ら自身の手で、自分だけの知識や経験を知ることができた。

そこにあったのは、「世界はすべて変えられる」ということ、そして「僕と同じ人生をもし誰かが生きていたとしたら僕の分かったことはすべてその誰かであっても分かるだろう」ということであり、そこから言えるのは「宇宙にはさまざまな可能性が眠っている」ということだったのである。

僕は、「自分自身に対する批判的な反復思考」という考え方をしていた。すなわち、何かを考えて、すぐさま「それはなぜか」とか「それはどういうことか」ということを問う。何かしらのあやふやな問いが存在すれば、それに対して「それは何に対してか」とか「それは本当はどのような問題か」ということを批判的に考える。

だが、僕も宇宙のすべてが分かるわけではない。むしろ、旅の途中においては、未知について真に正しい答えを最初から期待するのは難しい。だから、「今自分の分かる範囲でどのように考えてどのような答えを出したらいいか」ということについて、「考えられる範囲の答えを推測する」ということを僕は行った。それは決して宇宙で一番正しい答えではないにしろ、今の自分の分かる範囲でそれを説明し、「説明自体を反復する」ことで分かっていった。

結果、すべての経験を僕は全部説明することができた。そこにある理由はすべて思弁的な理由だったが、社会の成立や可能性の実現という意味では十分なものだった。また、総合的に原因を考える上で、僕は「場と場の関わり合い」を考えた。どこかで起きていることと、別のどこかで起きていることは、すべて関係していて、そこから、学校や社会における真の問題の原因と解決方法を考えられるとした。あらゆる問題は、そのように「視点と場」から考えるべきであると僕は考えた。

僕は、視点と場を考えるに、それぞれの立場を超越した立場から考えられる、相対的かつ絶対的な普遍的存在の生起を、真の世界の選択肢であるとした。このように説明すると難しいが、全員の意見が正しく、全員の意見はそれぞれの立場から超越した立場で考えるとひとつの意見に収まるものであり、それは相対的でありながら絶対的であり、宇宙において普遍的であり、そしてそのような「作り出される」という現象そのものが、「生起」と呼ぶに相応しいものである、ということである。

そのように考えた結果、僕はたくさんの可能性のあるものを、本質によって抽象的に「まとめる」ということをし、まとめられた本質に対しての概念的な方法を考えるようになった。これが「概念と本質に対する方法」と呼べるものだった。

そのような結果、僕は人生において、自らの思考の範囲を世界全体に広げていきながら、高い視点から内省し、あらゆるすべての「成熟の段階」の進歩を知っていった。

僕は引きこもりになったショックは確かにあったが、最初はそれを度外視して考えようとし、人々に受け入れられたような体験から成長し、「自己啓発」をまず経験した。

その自己啓発に続いて、僕は「啓蒙」を経験する。なぜなら、自らの経験から「受け入れられた」ということが、自らに「人生の指標」を与えたため、その指標に基づいて生きていく自分の経験したことを、この世界全員も同じように知り得るということを確信していたので、僕は自らが「社会から離脱して孤独になった」という経験と「違った場所で真にみんなに受け入れられた」という経験から「啓蒙」へと至る考え方を知ったのである。

そして、啓蒙は最初は人々に自分の想いを共有するということだったが、次第に変貌していく。啓蒙自体の「中身」が「変容」していくからである。すなわち、「価値観という名の純粋価値」という発想がまずある。これは純粋にその価値の確かさを自分だけが知っているということである。次に、価値観を「創造」していく。そのために社会を「変化」させていく。しかしながら、社会の変化には目的が必要である。まず、自らの経験から「教育を変えるべき」であると考える。次に、それぞれの自由な作用から「自然な変化を共有すべき」であると考える。そして、そうした中で、「自らが生きたいと望む生き方」、すなわち「アイデンティティの実現」を僕は考える。そのアイデンティティとは「たくさんのことをできる人間」ということであり、そこから僕は「自分らしさの発見」と「自分のやりたいことができるというモチベーション的なアイデンティティの発揮」を考える。それは「チャンスという名の自由」となり、チャンスは「社会形成の可能性」となる。社会形成の可能性とは「社会の実現可能性」のことである。そして、そこから「世界そのものの可能性」、同時に「未来と起源の進歩の無限性」へと続いていく。

このような僕の人生が最終的に行き着くのは、「宇宙そのもののありのままの姿を知る」ということであり、これが「知性」や「認識」や「思い込みの排除」へと繋がっていく。その結果、「本当の宇宙と自分の見ている五感はまったく違う」という結果に行き着く。そこから生まれるのは「神の存在可能性」である。

また、同時に、人生を生きていく上で、「善と倫理性への気付き」が生まれていく。善とはなんなのか、善とはどのように実現されるべきなのか、ということが「自由」と結びつく。同時に、自然においては意味や理由など最初から存在せず、「人間が自分ででっちあげたものだ」と考えるようになる。すなわち、自然はただその通りに動いているだけであり、そこに物理学者が理由とか意味とか原因を付け足すのは、人間の「でっちあげたもの」であると考える。そう考えることで、逆に「知識の存在する意味とは何か」とか、「知識はどのように人間が生み出しているのか」を知ることができる。結果、「人間のできることは何か」という「人間の出来うる可能性の限界」という限界論へと発展していく。

そのように考えた結果あるものは、「すべては相対的でありながら絶対的である」ということである。すなわち、「意見や説明はいくらでも無限に作り出せるが、真に存在するこの宇宙の実体は唯一ひとつだけ」であるとするような、抽象性は完全相対性だが真実は完全絶対性であるといった考え方である。ここで、「神」が導入される。すなわち、「神のビジョンにおいてはあらゆるすべてが絶対的にひとつだけ創造されている」ということであり、この時点で「宇宙のすべては絶対的に神が創造したものである」という論が導入される。結果、「宇宙のすべてと合一になる」とか「神と一体になる」ということが可能になっていく。そしてあるのは、「宇宙と自分は繋がっている」ということ、「宇宙は自分の心の中にある」ということなのである。

最後に現れるのは「人格の心理学」である。そう、自らの人格とはなんなのか、何がしたくて自分はそれをしているのかということを、すべて「経験主義」で考える。自らの経験がそうだったから、今の自分はこのように行動しているのだ、とする「完全な経験主義的な因果性」を僕は考えた。同時に、人々がそれをしているのは、それを「外部から要求されながら自分の受動感情が反応しているから」という、「無意識の中における自動判断」であると考える。ここで、判断を無意識で自動的に行うことのリスクを僕は考える。すなわち、いったんすべての思考を停止して、ゼロから「なぜそれをしているのか」を問い直す。この結果言えるのは、「常に他人からの要求に対して動いているロボットが人間である」ということである。そして、これは子供たちにとっては非常に辛い事実だ。なぜなら、子供たちはそれが自分のしたいことではないにもかかわらず、誰かの要求によってそれをすることを、せざるを得ない状況で望まずにやっている。これをより簡単に言えば、サルトルの考え方のようになる。だが、人格はそのようなあらゆる経験を「すべて俯瞰的に見た上で完全に総合して判断」できる。ただし、それは単一の人格ではない。自らの人格の中にある、たくさんのサブ人格を組み合わせて、ようやくすべてを完全に判断することができる。これが「絶対者による完全判断」と言えるものである。

だが、このようにいくら考えたところで、このようなすべての考え方は正しくない。なぜなら、これこそが「無知の知」であるからである。ソクラテスは、何も知らないことを知っている人間がもっとも賢いと言った。その通り、何も知らない人間が考えれば、誰でもこのような哲学思想を考える。だが、これらは間違っている。なぜなら、ソクラテスは間違いを言っているからだ。すべてを知った人間のほうが、このような何も知らないで考える人間よりも確かに賢いと言える根拠がある。それは僕自身の存在だ。僕がここに存在しているということこそ、「すべてを知った人間がもっとも賢い」と言える根拠である。

経験に基づく成立の社会モデルを作れ

社会論として言えるのは、「経験に基づく成立の社会モデル」を作れということだ。

社会をどのように実現するかという時における、「成立モデル」を、経験に基づいて作っていけば、どのような社会であっても自由自在に実現できる。

願わくば、この成立モデルを「子供たちのみんなの力で築く」ようにしたい。そのために、子供たちに多くのことを、できるだけ体験的に学ばせていきたい。自分の手で発見し、自分の手で社会モデルを成立可能にできるようにしたい。

このような結果、僕は資本主義の社会をインターネット的な視点から研究し、社会の成立モデルを作った。

そして、この社会モデルは、それだけでは終わらなかった。なぜなら、「文章に書く」ということから、「考えられる限りのありとあらゆる社会モデルを成立させる」ということを行ったからだ。

この社会モデルは、「自由と環境」に基づくものだ。すなわち、それぞれの環境が異なるものであり、それぞれが自由意志によって環境そのものに作用できるということを前提とする。あるいは、それを最大限目指していく。その結果、この社会モデルは「新しいソ連」を作り出す。すなわち、環境と成立モデルは自由によって「共同体社会」となる。これこそ、まさしくマルクスの目指した「真に正しいマルクス経済学」であると言えるものだ。そしてこの成立モデルは「断言」に根ざしている。それは「決断」とか「独断」と言ってもいい。あらゆるすべてを断言していく中で、「頭の中に紅の魂が生まれていく」。そしてこの魂は「永久に自らの記憶にしっかりと傷跡を残して残り続ける」のである。

このように考えることで、新しいソ連を作り出すことを、僕は目指していた。そして、そのために僕は世界すべてを敵にまわし、ひとりで孤独に世界と戦っていたのである。