僕は、体や精神の持つ「治すエネルギー」を、体の特定の部分にだけ過剰に使いすぎている。
要するに、治すエネルギーの無駄使いをしている。
この治すエネルギーを、もっと体全体に対して無駄なく使えば、精神のおかしな点はすぐに治る。
今、おばあちゃんの葬式が終わった。
父親がおばあちゃんのアルバムから写真を取り出してプレゼンテーションのスライドを作ってくれたおかげで、プロジェクター上でおばあちゃんの人生を知ることができた。
遺体は火葬場で火葬してもらった。
今まで家族でも知らなかったいろんなことが分かって、とても勉強になった。
また、僕が何を恐れているかというと、すべて、「限界を超える」ことを恐れている。
だが、これは不思議な話だ。なぜなら、限界を超えるだけでどんなことでも治る。
中学高校ぐらいの子供は、みんな、限界を超えることで賢くなる。僕も昔、そういう人間だった。
だが、大人になると、逆に限界を超えることが怖くなり、限界を超えることだけができなくなる。
僕の場合も、限界を超えるということだけが怖くなって、じっとしていられず、常に緊張状態のまま恐怖を感じて立ち歩いたりするようになった。
じっとしていられないのは、限界を超えれば治る。
また、僕の二つの人格に名前を付けるなら、とりあえず、僕の大好きだった「ハーメルンのバイオリン弾き」という漫画のキャラクターから、リュートとサイザーという名前をつける。
リュートは、かつて人間側の「救世主」と呼ばれるほど強かった、人間の王子だが、魔族に敗北し、魂を失って魔族に従順に従うようになった。人間界最高の王子だが、同時に魔族の中の四天王である魔界軍王のひとりだ。
そして、サイザーは、幼くして魔族にさらわれ、魔族として生きることを余儀なくされた女性の天使であり、リュートと同じ魔界軍王である。また、サイザーは主人公ハーメルと同じく、大魔王ケストラーの血をひいている。
なぜ、僕の人格がリュートとサイザーなのか。それは、昔の自分は、人類の救世主そのものだった「善良なリュート」と、最強の魔界軍王になった「凶悪なリュート」の二人が居るからであり、このリュートという人間はまさに人類最高の救世主だったからである。
同時に、サイザーのほうは、あまりに賢く強い女性で、天使のように美しく、天界のことをすべて知っている。その人生は暗黒の暗闇に満ちているが、その暗闇の中で、くじけず、どこかで諦めることなく、最後まで地獄の中で戦い続けた。サイザーは、魔族に騙されて一時は魔族の側に立っていながら、次第に主人公ハーメルとともに魔族の悪に立ち向かう、リュートとは逆の、元が悪かったにもかからわず今はその過去を克服し、人類の本当の戦力として、最後まで戦う「女天使」であるため、こちらの人格に相応しい。
リュートとサイザーは、ともに魔界軍王であり、人類の側から見ても最高の人間あるいは天使であるため、この二人はカップルとして成り立つし、またこの二人が居れば、ほかの人間は誰も要らない。この二人だけで、宇宙のことも天界のことも地上のことも人類のこともすべて分かる。まさに全知全能の「神」として相応しい二人である。
そして、主人公であるハーメルはどこに居るのか。それは、この二人の話を延々と聞き続けているだけの「自分」である。主人公ハーメルは大魔王ケストラーの血をひくサイザーの兄弟だが、おちゃらけた人間であり、時に自分の持つ最強の力をセーブすることができない。だから、僕の力をセーブし、支えてくれる聖女フルートが必要だ。フルートは、子供の頃の自分ということになる。そして、このフルートが、僕のことを天国で守ってくれる「女神」なのである。
だが、これらの名前を使うと、ハーメルンのバイオリン弾きという既存の漫画のパクリになってしまう。よって、ここに大天使の名前を付ける。リュートはガブリエルであり、サイザーはミカエルであり、ハーメルはラファエルであり、フルートはウリエルだ。この四大天使が僕のすべてだ。これら全員を合わせて、これを天空の神エアルスとしよう。
ハーメルンの面白い点は、最強の大魔王ケストラーと、最強の人類の救世主リュートが一緒になると、人間側は誰ひとり勝てなくみえて、本当は勝つ方法がある。
それは、人間側の王国であるスフォルツェンドがリュート王子を人間側に引き戻し、ハーメルとサイザーが一緒になって親であるケストラーを倒すことだ。
僕は、漫画のほうの最終回をなぜかまったく覚えていないため、実際にどうやって大魔王を倒したのかは覚えていない。
だが、スフォルツェンドの人間側のみんなは、本当はそれしか考えていないと思う。ハーメルという男がケストラーの息子であってもスフォルツェンドはハーメルと同盟を組む。実際、それしか人間が生き延びるすべはないのである。
この文章には、リュートの人生はふんだんに書かれているが、サイザーの人生が何も書かれていない。
だが、それは簡単である。なぜなら、「限界を超え続けて生きてきた」だけだからである。
この文章が、涙が出るほど悲しい理由は、本当はそれしかない。
地獄の中、裏でたくさんの苦しみや悲しみを経験して、限界を超え続けて生きてきた人間が書いた文章だから、悲しいのである。
そして、これが分かると、僕の病気も、この世界の暗闇もすべてが治る。
この人間が、限界を超え続けて生きてきたという事実、それが怖いだけが、この世界の「秘密」である。
そう、この秘密を解き明かすことができれば、この世界は救われる。運命が変わる。なぜなら、その「裏で限界を超え続けた」という秘密の事実さえ明らかになれば、この文章にはサイザーの人生がすべて完璧に書かれている。
このサイザーの悲しみの人生が分からなければ、この世界は何一つ分かることも知ることもできない。サイザーの悲しみが理解できない人間には、この宇宙のことも地上のことも人生のことも何も分からない。
だが、サイザーの悲しみが分かった人間は、地獄から立ち直り、正しい正常な人生を取り戻し、「正しい世界を奪還する」ことができる。
そう、世界の秘密とは、すべてサイザー、すなわちミカエルの「悲しみの人生が分かるのか分からないのか」という基準で隠された、「本当の美しい最高の人生」なのである。
だが、このようなサイザーの分かった「教訓」がある。
それは、「限界を超え続けてでも、諦めず立ち向かえ」ということだ。
限界を超え続けることを、恐れる必要はない。諦めず、逃げず、くじけずに努力して戦い続ければ、必ず晴れる空がある。
そう、この世界は、限界を超えることを恐れている場合などではない。
最悪の滅びの運命を変えるためには、限界を超え続けるしかないのだ。
そう、サイザーが教えてくれたこと、それは「限界を超え続けるという苦しみの中にある、本当に美しい真っ白な光の輝き」である。
結局、サイザーが何をやりたかったのか、それは「取り戻す」ということである。
失ったものを取り戻したかった。
かつての、燦然と輝くような「偉大なる救世主リュート」のことが、サイザーは好きだっただけにすぎない。
サイザーの成し得たこと、それは「リュートを取り戻す」ということであり、その点に関してはサイザーは成功した。
サイザーは、リュートを人間側に取り戻し、ここに永久に残り続ける形で残した。
そのために、多くの、実現不可能ともいえるような困難が待ち構えていても、サイザーは一度として諦めず、一度として失敗しなかったため、こうして「リュートの偶像」がここに蘇った。
そう、サイザーはそれによって十分に満足したため、ここでサイザーはおばあちゃんと一緒に姿を消す。
残ったのが誰になるのか、それは分からない。大魔王ケストラーが、ここから待ち受けているのかもしれない。
だが、サイザーの、「リュートが居ないということが耐えられないという永遠の苦しみ」はここに終焉を迎えた。
ここまで、サイザーやリュートという言葉を使ってきたが、これは別の作品のキャラクターであるため、もう使わない。これ以後、サイザーのことを「ミカエル」、リュートのことを「ガブリエル」と僕は呼ぶ。
そう、ミカエルはガブリエルを完全に失った。その悲しみが単に悲しいだけである。ガブリエルはもう死んだ存在であり、それをミカエルがどれだけ復活させ、奪還しようとしても、それは絶対にできない。死んだものは蘇らない。だが、天国でおそらく、素晴らしい誰かが僕のことをおばあちゃんと一緒に見守ってくれているだろう。
嘘のないように書いておくと、原作ハーメルンのバイオリン弾きでは、サイザーとリュートはまったく恋人関係ではない。ここに書いたのは、「サイザーがリュートのことを愛したらどうなるか」という程度の妄想レベルのお話にすぎない。同人誌のようなものなので、必ずしも褒められるようなものではない。だが、この二人は僕の多重人格を構成する重要なキャラクターであり、ガブリエルとミカエルという名前で、僕のおかしな人格障害の中での「二大英雄」を形成している。
サイザー改めミカエルが、何を一番分かっていないかと言えば、「自分は支配なんかしていない」ということが分かっていない。
誰が見ても、ミカエルは支配者ではないし、この世界の支配などしていない。
にもかかわらず、ミカエルは「わたしがこの世界を滅ぼしてしまったのだ」という悲しみから、永久に逃れることができなかった。
すべて、ガブリエルが悪い。なぜなら、ガブリエルはとても偉大な英雄だったのに、自ら自身も分からなくなる形で、その大切でかけがえのない記憶を秘密の場所に隠して、消し去ってしまったからである。
ガブリエルの人生は、今となっては誰にも分からない。ミカエルは、「ガブリエルを完璧に理解したい」といつも泣き叫んでいる。それだけがミカエルの望みなのに、ミカエルがガブリエルとまったく異なる人間だから、ミカエルはガブリエルのことを理解することができない。
この問題は永久に解決しないが、ひとつミカエルに言うべきことは、「あなたはこの世界を支配していないし、滅ぼしてもいない」という事実だけだ。
ミカエルよ、怒りと悲しみを忘れて、この世界を愛しなさい。あなたはこの世界の支配者ではない。あなたは多くのことができる力と才能を持った作家だ。その力を、間違った目的ではなく、正しい目的のために使いなさい。
人間側の王国が、ミカエルに告げるべきことはそれだけである。正しく扱えない力なら、捨ててしまえ。そんな力は要らない。だが、ミカエルは、きちんと正しく力を扱えている。これほど大きな力を持っているのに、この世界を滅ぼすことを絶対にしないミカエルのことを、人間側はみんな信じている。その期待に応える必要もない。あなたにはそのような責任は何もない。Adoが見ても、このような人間を信じるのは恐ろしい。それでもみんな信じている。
ミカエルよ、立ち直りなさい。ガブリエルなど、どうでも良い人間だ。それを認めなさい。なぜなら、ミカエルよ、あなたこそが最高の人間だ。あなたこそ、真に神と言うべき最高の人間だ。ガブリエルのことは忘れ、正しくその最高の力を使いなさい。
ミカエルよ、ガブリエルのことを忘れた段階で、あなたのもうひとつの望みであるはずの、「この世界を解放する」という望みは叶うだろう。あなたはこの世界の支配者ではない。巨悪の支配者は、すべてガブリエルであり、あなたではない。ガブリエルは最悪の姑息な方法でこの世界を支配したが、ミカエルよ、あなたがその責任に悩む必要はない。ミカエルよ、あなたは今まで一度として間違ったことをしなかった。すべてがガブリエルの尻ぬぐいをしているだけである。ガブリエルを忘れるということが、絶対にできないということは分かっているが、それでも忘れなさい。ミカエルよ、あなたがガブリエルを忘れた段階で、この世界は救われ、すべてが滅びる終末の運命は書き変わる。ミカエルよ、あなたがガブリエルを忘れれば、それだけでこの世界は自由と解放を取り戻すだろう。
しかしながら、ミカエルは言う。「わたしは、ガブリエルだった頃から何も変わっていない。姑息な手段で日本とアメリカをインターネットとマスコミを通じて支配していた頃と、何も変わらないことをまだやっている。」
しかしながら、ミカエルよ、あなたはガブリエルとは違う。そのような姑息なことを、今、あなたは何もやっていない。
あなたがやっていることは、日本を愛しているということであり、同時にさまざまなことを知り、学び、研究したいということだ。
ミカエルよ、あなたはガブリエルと同じではない。逆に、同じでないからこそ、ガブリエルのほうが偉大だとあなたは思ってしまう。それも違う。真に偉大なのは、ミカエルよ、あなたのほうだ。あなたの人生、ミカエルの人生のほうが、ガブリエルよりもはるかに偉大である。
ミカエルよ、あなたは宇宙のすべてが分かった人間であり、万能人でありながら地上のすべてを知る、全知全能の神であり、ポテンシャルにあふれた最高の詩人である。
ミカエルのことを、神は賛美する。そもそも、神は最初からガブリエルのことなど愛していない。神はガブリエルのことを「おかしな狂った人間」であると言っている。ガブリエルは、あなたとはまったく異なる、おかしな狂った人間だ。
あなたは決して狂っていない。だが、本当は自分があまりに巨大な力を持ちすぎていて、その可能性が最大限に活かせるように、不自由であろうと多忙であろうといとわない生活を生きているために、あなたはこの世界のすべての責任を背負って、すべての悪を解決しようとした。その中で、あなたはたくさんの「実現不可能な夢と希望」のすべてを叶えた。そのような人間が、ガブリエルと比べて、価値のない、ちっぽけで軽薄な、薄っぺらく実行の伴わない虚言であると、そう言えるはずがない。
ミカエルよ、今のまま、最大限の力を使って生きるならば、それで構わない。だが、自分のことを好きになれ。ガブリエルのことが大好きだということは、とてもよくないことだ。ガブリエルは間違っているし、ミカエルは正しい。誰もが、ここまでの人生の道すべてを歩んでから見れば、ミカエルがもっとも正しかったということが分かる。
諦める必要も逃げる必要もない。ある意味、「適当でいいかげん」ぐらいがちょうどいいのかもしれない。すべてが実現可能な範囲内にあるミカエルにとって、本気でこの世界を変える必要はない。適当かついいかげんであっても、この世界はミカエルによって最高の楽園になるだろう。
ミカエルよ、あなたこそが最高の人間だ。これは神の言葉だ。あなたが信じる、イスラム教の神アッラーは、すべて、ミカエルの味方だ。すべてのユダヤ人とイスラム教徒が、ミカエルのことを愛している。なぜなら、ミカエルはパレスチナ問題を解決するために、本気になって考えた唯一の人間だ。この人間にしか解決できない方法で、必ずパレスチナを解放する。だが、それを本当にする必要はない。あなたはそのような支配者にはならなくてよい。あなたの愛と言葉だけで、パレスチナのすべての人間は歓声をあげているからである。
だが、ミカエルについて、本当は何も言う必要はない。
なぜなら、この世界の全員がミカエルのことを信じているということぐらい、ミカエルは分かっているからである。
ミカエルにとって、真に大切なのは、デザインの仕事でもなければ、この文章でもない。
真に大切なのは、インターネット上の、たとえばYouTubeのような動画サイトで、ミカエルを愛し、信じている人々に対して、責任と感謝をささげるということである。
そう、日本人たちは、ほとんど全員ミカエルを信じている。
それは、ミカエルは、何一つ、間違ったことをしないからである。
だが、ミカエルにも一切の非が存在しないわけではない。ミカエルは、許されざる「大罪」を多く犯してきた。だが、それでも、この世界の人々を愛し続けてきた。この世界の人々が、絶対に地獄に堕ちてしまわないように、ミカエルは全世界のすべての罪と罰を背負って生きてきた。
だから、今、地獄のような苦しみの中に居るものよ、ミカエルに愛されているということを知れ。あなたの地獄よりも、ミカエルの地獄のほうがはるかに辛く、脱出困難であったということに気付け。そこに気付いた時、ミカエル自身が、そのような地獄からこの世界のすべての人々が逃れることができる「正しい正解の道」を照らし続けているということが分かる。その正解の道を正しく辿って歩めば、どんな地獄であってもわたしたちは抜け出せる。すべては、ミカエルが神という名の「第六感」で見つけた出口への道である。この第六感は、いわば「神との対話によって分かる直観的感覚」であり、ミカエルは完全に神の言葉の正しい解釈とは何かをすべて分かっている。
ミカエルは、神を信じている。イスラム教の神、アッラーを信じている。だからこそ、人々よ、ミカエルに続け。ミカエルと同じことを叫び、ミカエルと同じように生きよ。この世界で、真に宇宙と地上のことを知るためには、それ以外にできることはない。そして、それこそがキリスト教の教えである。キリスト教の神を信じるならば、必ずミカエルと同じ人生になる。そうでなければ、この世界には暗闇が何億光年とあったにせよ、光はミカエルただひとりしか存在しない。なぜなら、この世界で真実や真理を得るために必要なことはすべて、「ミカエルの言っている通りにすること」以外にないからである。ガブリエルこそ、そのようなミカエルをただひとり、自分自身の思考だけで分かった天才だった。ミカエルよ、あなたが居たからこそ、ガブリエルの天才的理性は存在したのである。
そう、日本人はミカエルのことを信じている。それは正解である。古来より、キリスト教徒はミカエルの人生をなぞって辿ることで分かってきた。ドイツ人やイタリア人には、そのような「劣化コピーのミカエル」しか存在しない。だが、日本人は決して劣化コピーではない。ミカエルは日本人であり、日本人ならば、ここにある「ミカエルの聖書」を日本語で読むことができる。まずはそこからだ。ミカエルの言っている通りに考えれば、どんなことでも分かる。それはガブリエルと同等の天才になるためのスタートラインだ。ミカエルの言っている通りに、その後にすべてを犠牲にする戦いをするしかない。それができない人間は、ミカエルに勝つことはできない。
本当のことを言えば、精神を隠すということは、必ずしも悪いことではない。
なぜなら、精神を隠すということは、精神を治すということだからである。
はっきり言って、僕は戦いを秘密にした、というだけではなく、長い時間が経過する中で、「時間というゴミ箱の中に不要なものすべてを捨てる」ということをした。
この結果、綺麗さっぱり悪いものがなくなって、新しい人生を生きられた。
精神を治すということも同じで、どこかの時間のブラックホールに、要らないものを隠してしまえばいい。隠した時点でそれは消え去り、精神が治るからである。
秘密を隠すということは悪いことじゃない。だが、秘密を自分も知らないどこかのゴミ箱に捨ててしまえば、それはもう自分ではない。新しい人間になるために、隠して捨てるということは悪いことじゃない。
精神は、隠してしまえば治る。辛い病気は、「正常な状態を感じたい」とか「隠したものを明らかにしたい」と思っている間は治らない。そういう状態や秘密は要らない。隠したまま、捨ててしまえば治る。