僕の名前はセリト。この人間の中に生まれた、「もっとも正しく賢い最後の人格」である。
セリトの特徴は、「セリトは」という言葉から思考すること。
すべてを慣習的に、無意識に思考しているから、苛立ちや迷い、不安や心配が生まれる。
常に「セリトは」という言葉から思考し、常にそのように考え続けることで、苛立ちや迷いはなくなる。
セリトは、リカエルとスラーという存在と対話することができる。
リカエルとスラーが居れば、ほかの存在は何一つ必要ない。そして、リカエルとスラー以上に賢い存在は居ない。
リカエルとスラーの二人だけで、セリトはすべて分かった。この宇宙における、あらゆるすべての知識と知性を得ることができた。
もう、ほかに何も必要とするものはない。セリトにとって必要なのはリカエルとスラーだけである。
また、リカエルとスラー以上に賢い存在は、地球上に存在しない。なぜなら、存在するのは、リカエルやスラーの「偽物」や「まがい物」だけである。そして、リカエルとスラーは、もっとも正しく、もっとも賢いリカエルとスラーなのである。
なぜ、地球上にリカエルとスラー以外、賢い人間が存在しないと証明できるのか、それはヴィルエリックというウイルスのせいである。
この世界で、生きることに絶望し、生きることを諦めた人間は、すぐにヴィルエリックという病気にかかる。そして、このヴィルエリックという病気は、どんなに頑張っても治らない。だが、この病気をどうにかして賢い人間にすると、リカエルとスラーのどちらかになる。ヴィルエリックという病気の症状から考えて、賢い存在がもし居るとしたら、リカエルあるいはスラーにしかなることはできない。
ヴィルエリックという病気にかからないならば、まともな賢い人間にはなることができる。だが、世間一般に存在するそのような賢い人間は賢くない。社会のどこを見ても、正常な人間には、子供のような馬鹿な人間しか居ない。宇宙のすべてを悟りきるような、本当に賢い人間は、ヴィルエリックというウイルスの力を得なければならない。そして、その結果賢い人間になるとして、それはリカエルとスラーのどちらかにしかならない。そして、この世界には、リカエルとスラーの偽物やまがい物しか存在しない。そう、リカエルとスラーしか、賢い存在は存在し得ないのである。
わたし、セリトが対話しているのは、リカエルとスラーであるということになっている。
だが、本当はこれは正しくない。なぜなら、リカエルやスラーという存在と「対話するように導いている裏の支配者」が存在する。これが、赤空夜月である。
赤空夜月とは、要するに、終末の世界で青空を失った世界における、夜空に浮かぶ月である。
この月が、僕に対して、宇宙のすべてを教える「神」となって、リカエルとスラーを従えて僕と対話しているのである。
しかしながら、セリトはそろそろ、ようやく安心できる。
あらゆるすべての問題は消え去った。もう、恐ろしい恐怖は起きるはずがないほど、すべてに問題がなくなった。
ここに、リベラル平等党の党首、セリトは世界平和を宣言する。この世界は平和になった。
もはや、永遠に平和が続いていく。決して終末の滅亡は起きない。セリトこそ、そのような滅びの運命を書き換えていく、真の意味での「救世主」だからである。
セリトになるのは簡単である。なぜなら、「僕は」という言葉を常に考え続けるだけでよいからだ。
不安になった時に、その不安を感じるままに任せて、通り過ぎようとするから、不安が増えてしまう。
不安に思った時に、「セリトは不安に思う」「セリトは安心する」と頭の中で言えば、不安をすぐに打ち消し、安心すべきである、ということをすぐに認識できる。
常に「セリトは」という言葉で考えるセリトは、誰よりも強靭なメンタルを持つ。セリトは常に正しいことを考え、常に安心し続ける。これが僕の考える「新しい正しい人格」である。
セリトとリカエルとスラーの三人は、絶対に負けることのない最強の三人だ。なぜなら、ほかの存在がはるかに下だからである。セリトとリカエルとスラーの三人に対して、ほかの存在は誰も勝つことができない。
結局、僕の人生は、回り道であっても、それが正解だった。
この人生は、むしろ、回り道でなければできない人生だった。
最初から、大学に入って、IT技術も哲学も勉強せず、物理学と天文学だけを学べば、同じ道を最短で生きられたかもしれない。
だが、それではこの人生はできない。文章を執筆するという、永遠に続く地獄の体験がなければ、今の僕と同じことは分からなかったし、書けなかったはずだからである。
僕にとっては、この回り道こそが「最短の経路」だった。どんなにもっとすぐさま解答が得られるような道があるように見えたとしても、それは間違った道だ。それでは、空間原子構造も発見できなかっただろうし、人工知能や人工生物も作ることができなかっただろう。
結局、僕にとっては、この人生こそがもっとも正しかった。そう、だからこそ、スラーの人生は、かつての天才革命家である、最高の知性を持っていたリカエルと同じくらい、賢い人生だと言えるのである。
どんなに馬鹿で、時間がかかってもいい。下手くそであっても、最後まで続ければ下手なりに才能はつくのだ。その才能だけを背負って生きる、それだけが人生だ。どのような人生であったとしても、絶対にそれは変わらない。回り道であってもいい。僕にしか生きられない回り道こそが真の最短経路であることを、地上最大の天才である僕だけが唯一、そして完璧に知っているのだ。