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2022-09-03

意志を強く持て。

精神がおかしく動き回るようになっているのは、強い意志を持たないで放っておいたからだ。

そもそも、頭がロボットになったり、実況中継をしたりするのは、子供に戻っているからであり、その理由は意志を持とうとしないからだ。

意志を強く持てば、精神がおかしくなっているのは一瞬ですぐに治る。いつまでも強い意志を持とうとしないことは「逃げ」であると知れ。

身も心もすべて日本人になる

僕は、身も心もすべて日本人になることにする。

僕が馬鹿なのは、外国人になっているからだ。ドイツ人になっているから、このような単なる馬鹿な人間になる。

日本人になれば、賢い人間になる。

そのために必要なのは、礼儀を守り、節度を持って、約束事を破らずに生きることだ。

日本人になるために必要なのは「礼儀と節度」である。礼節を守ることができる人間は、きちんと普通のことができるようになる。

何よりもまず意志を強く持て

何よりもまず、意志を強く持ちなさい。

狂った人間は、自由にされるあまり、意志を強く持つという体験ができなくなっている。

しかしながら、それでも体は「意志を強く持ちたい」という本能を発する。

その結果、「狂った形で意志を強く持つ」という、おかしな精神の病気を発症してしまう。

だが、そのような病気は、意志を強く持てば治る。

意志を強く持て。常に意志を強く持って生きようとせよ。そうすればどんな試練でも越えられる。どんな地獄でも耐えられる。

知性をつける方法

知性をつけるために必要なのは、「何をすれば正しいか」「何をすれば間違っているか」を考えることだ。

ここでいう「正しい」とは、「目的を達成するための条件」から導き出される判断基準である。

目的を達成するために、何をすれば正しく、何をすれば間違っているかを考えよ。

そして、そこから「法則性」が見えてくる。その法則性こそが知性である。そして、これこそが、正しい数学である。

善悪と神

このような、「何をすれば正しいか」という考え方は、「善悪」の判断基準へと繋がっていく。

それはすなわち、「何をすれば善か」「何をすれば悪か」という判断である。

そして、そのような結果、考えられるのは「善とは神である」という判断基準である。

すなわち、神、キリストの教えが善である、ということである。

これは、究極的な答えである。すなわち、神の言っている通りにすれば正しい、ということである。

知性のない考え方

だが、このような判断基準にとって、「知性は必ずしも必要ない」ということも言える。

すなわち、知性を否定して考えたほうが、正しい答えを導き出せるということである。

善とは何か。善とは、多くの人間が善であると信じているような考え方であり、それぞれの人間が「自分はこれが善だ」と考えるような考え方のことである。

同じように、価値とはそれぞれが価値あると思うことであり、正しさとはそれぞれが正しいと思うことであり、正義や理想もまた同じ、それぞれが持っている正義や理想が正義や理想である。

そして、そのような結果、「それぞれの集団が社会を築くべき」であるということが分かる。

同時に、それぞれの集団がどのような社会を築くべきかと言えば、「それぞれの価値観に基づく社会を、それぞれの自由な合意に基づいて作るべきである」ということが言える。

このような「知性のない考え方」は、本当はとても一般的かつ普遍的な考え方だ。なぜなら、数学的証明とはそういうことだからである。

実体

しかしながら、このような数学的な考え方は、ただ知性がないだけでは終わりません。

なぜなら、知性を超えて、社会における個々人が融和した「実体」が形成されるからです。

実体とは、人々の融和した「現実社会」のことです。ここで、個々人それぞれがそれぞれの進歩レベルで自由に生きています。それぞれは分離されているように見えて、本当はさまざまな形態で融和しています。

人間とは、そのような「実体化された生物」であると言えます。

社会をどのようにするのか、ということを考える上で、実体の考え方は重要です。なぜなら、実体は「合一」になることで「吸収」されるからです。

実体において、進歩レベルの違うそれぞれの集団が、それぞれのコミュニティで生存しています。このそれぞれのコミュニティを吸収することで、「実体の一部分を自分自身の心や精神の中に取り入れる」ということができます。

実体の一部分を取り入れると、自らの精神がその実体の一部分と「合一」になり、吸収することができるのです。

その上で見えてくるのは、「普遍性の物差し」です。普遍性の物差しとは、「一部から全体を捉え、全体から一部を捉える」ということです。

そして、この上で、「歴史的な社会展開」が明らかになっていきます。自らの心の内にある「実体」は、いつしか「自らの中で歴史を辿っていく」ようになります。

僕はこれこそ、ヘーゲルの言いたかった「精神」ではないかと思います。

無意識のうちに自分を破壊し続けている

結局、僕の精神の病気というのは、「無意識のうちに自分を破壊し続けている」ということです。

いつも、この世界を破壊しながら、自分自身を破壊していたことの「ツケ」が来たのです。意識せず、無意識のうちに、そのような「世界と自分の破壊行為」を繰り返し、今でも破壊を続けているのです。

この破壊行為の問題は、不可逆的であることです。すなわち、破壊したものが、元のものに再生する、ということがないのです。破壊したせいで破壊されている状態のまま、再生することも復活することもなく、永久に破壊行為が収まることなく続いてしまうのです。

ですが、元には戻らなくても、破壊そのものを停止させることはできます。少なくとも、無意識のうちにやっている破壊行為について、習慣を改め、顕在意識できちんとその破壊行為がどのようなものであるか理解し、自分の力で解決してやれば、破壊行為をやめることができます。

そう、無意識のうちに、僕は自分自身を破壊し続けています。すぐに世界を破壊することをやめなかった「ツケ」が来たのです。