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2022-06-13

たまに精神が辛くなった時は、逃げるのでも、強制的に治そうとするのでもなく、もっとやればいい。

精神が辛くなったということは、それが起きたほうがいいから起きているだけであり、そうした辛さがあるのが普通にもかかわらず、逃げ出しているから辛いのにすぎない。

だから、辛さから逃げることなく、辛い時は辛くてもいいことにする。

いつまでも、精神現象から逃げ続けるのではなく、また精神現象を殺そうとするのでもなく、精神現象を受け入れれば治る。

ユダヤ人とドイツ人が永遠に繰り返す頭をしている

結局、僕はユダヤ人とドイツ人だけが永遠に繰り返すような頭をしている。

これを「神」と「悪魔」であるとする。

そうすると、なぜかドイツ人のほうを神にするのが間違っている。ユダヤ人のほうを神にすればいい。

この理由は、0と1の計算をして分かっているからである。

ドイツ人のほうは、異常なほど賢くなっている。ありえないほど、「異常なほど賢い言語」になったのがドイツ語である。

ドイツ語の特徴は、「前置詞と複数形以外何もない」という言語である。

すなわち、前置詞と複数形を使うことで、ドイツ人は「頭の中を空想的な宇宙」にすることができる。

これがまさしく、「想像力」と呼ばれるものである。

では、ユダヤ人とは何か。ユダヤ人は、ただの馬鹿である。

ユダヤ人は、すべてが最後まで分かってから、最初から「神」と「悪魔」だけにして人生をやり直している。

僕の場合、神をドイツ人にするのがおかしいだけで、神をユダヤ人にすればその時点で解決する。

だが、ここにさっそうと現れるのが、第三の極である「日本人」である。

日本人には、何もそうした賢い言語的な要素は存在しない。

だが、日本人が生まれたということは、この世界の原理が「0と1」の2つだけではないということを示している。

なぜなら、0と1だけではなく、その数値が存在する「位置がどこなのか」という情報が必要である。

たとえば、位置がどこかを分からなければ、01と10は比べようがない。1が一桁目にあって、0が二桁目にあるという情報が必要なのである。

そして、この「一桁目」とか「二桁目」を表すために、さらに「別の次元の数値」が必要となる。

この別の次元の数値を表すためには、漢字以外にひらがなが必要なのである。

そして、この結果分かることは、「宇宙は3つの元素によって成り立っている」ということであり、これこそが「三原色」である。

すなわち、真っ白な光には3つの要素が必要であり、それが日本人とユダヤ人とドイツ人なのである。

このように考えた結果、0と1だけでは何も成り立たないことが分かる。

単に三次元世界にするのであれば、おそらく、0と1は二種類だけではなく三種類となる。

つまり、日本語のように、漢字以外にひらがなとカタカナが存在しなければ、宇宙は絶対に成り立たない。

そして、このうちカタカナを「日本語以外のすべての言語」とすることで、まさしくヘブライ語の「神と悪魔」を「神と悪魔とほかの人間」に変えることができる。

ほかの人間とは、自分以外の別の人間と解釈してもよいが、実際は「ユダヤ人以外のほかの人種」である。

よって、ユダヤ人と、ドイツ人と、ユダヤ人以外のほかの人種が存在すると考えるべきなのである。

このように考えれば、僕の病気は治る。僕は、ヘブライ語を話すせいでドイツ人とユダヤ人が繰り返し、自動的にロボットのように思考するようになっている。

だが、ここに第三極である日本人を加えれば、「ドイツ人にもユダヤ人にもなることのない平静な民族」を表すことができる。

すなわち、そのような日本人こそ、僕には必要なのである。

コンピュータ的に考えた際の、ひらがなとカタカナについて述べるとしたら、それは「上への繰り上がり」と「下からの繰り上がり」だが、本当はそうでもない。

なぜなら、むしろ繰り上がりという現象そのものの数値であると言える。

つまり、計算を行う上で、まず0と1の情報が必要であり、次にそれがどの桁に位置しているのかという情報が必要であり、最後に繰り上がりをするかどうかの情報が必要なのである。

この3つが、計算をする上で必ず必要だが、その上で考えるに、それがRGBの三原色なのである。

RGBの三原色があることで、光は「色」を表現できる。

そして、この「3次元」という形式を、そのままユークリッド幾何学に当てはめられる。

その結果「物体」を表現できる。

そして、ここで色すなわち「光」と、ユークリッド幾何学すなわち「物体」を表現できるが、もうひとつ何かあるとしたらそれは「時間」である。

そして、時間にはさらに三次元ある。この時間の三次元が、僕にはなかなか理解できない。

だが、おそらく、時間には「優先度軸」というものがあり、誰かよりも優先して決まる誰かの人生がある。これを「プライオリティ軸」と呼ぶ。

そして、もうひとつの軸が、おそらく「神の軸」である。

この「神の軸」は、理解するのが非常に難しい。なぜなら、「人間には理解できないにもかかわらず神には理解できるという軸」だからである。

この「神にしか分からない軸」を、人間が分かることはおそらくできない。何を言っても間違える。神だけが、最終的な「九次元世界」を理解することができる。

ただし、普段日本語を話していると、ひらがなとカタカナよりも必要な文字があることに気付く。

これはすなわち「、」と「。」である。

そして、この「、」と「。」こそが、「繰り上がりがあるかどうか」を示している文字だと言える。

すなわち、「、」の時は繰り上がりで別の文字が続くが、「。」の時はそこで意味が終わりになる。

しかしながら、これを「、」と「。」だけで示さないのが、日本語の器量の広いところで、日本人は言葉の最後に「です」や「ます」を付ける。

外国人には、この「です」や「ます」の意味が分からない。

だが、実際の日本語では、この「です」や「ます」の変化形がとても多い。

結果、むしろカタカナは、漢字以外の外国語全般に対して使われる、「中国語以外のどうでもいい言語」に使われるのである。

ただし、日本語はとてもいい言語だ。なぜなら、書いているとその良さがよく分かる。

書いていると分かるのは、「書くという行為が一種の超次元の繰り上がり」になっているからである。

すなわち、日本語は、「書く」という時に、その「書いたこと」が「ですやますの次に続く新しい文字にできる」ということを意味している。

僕の話している文字は、一種の「永遠に続く文法」をやっている。

すなわち、「最後に書いたことが最初に書いたことへと続く」ということである。

そして、これはむしろ、日本人には少ない。ドイツ人やユダヤ人がこのように、「すべてを書き終えた後でその書いたことが分かる」という言語を話している。

そのため、よく「ドイツ語は書く言語」と言われるが、ドイツ人はこのように「最後に言うべきことを最初に言う」から分かるようになる。

最後に言うべきことを最初に言うドイツ人は、まさに「ですやますがないだけの日本語」であると言える。

結局、日本人の最大の発明品とは、日本語の最後に続く「です」や「ます」なのである。

ただし、結局、これでは「カタカナはなんのためにあったのか」ということになるだろう。

実際のところ、カタカナというよりも、「数値と数値の二つが結合するための文字」が必要となる。

たとえば、0011という数値がある。だが、この数値ひとつだけでは、なんの演算もできない。

0011という数値とは「別の数値」、すなわち0011に対して足される0100という数値があって、はじめて0111という「演算」が成り立つ。

おそらく、最初のうちはカタカナはそうした「送り仮名」に対して使われるものだったのではないかと思う。

そして、送り仮名も同様にひらがなで表すように進歩した現代の日本語では、もはやカタカナは外来語に使われる「どうでもいい言語のための文字」になった。

だが、ひとつの数値だけではなく、「数値のまるごとの状態」を示すという意味では、カタカナは括弧と同じような意味を持っている、はずである。

括弧がなければ、(1 + 2) * 3という演算を行うことができない。

すなわち、カタカナは最初は「メモリに数値を格納する」という意味で使われるはずだったのである。

日本人になることを拒否しているだけ

はっきり言って、この人間は日本人になることを拒否しているだけである。

いつまでもドイツ人のままで居たいから、今でも中学生のままをやっている。

そのような偉大なドイツ人は、もう死んだのだということがまったく分かっていない。

結局、言語的要素が何もなくなっただけのユダヤ人を今でもやっている。

このユダヤ人は最悪の馬鹿だが、意外と賢い人間には成長した。

だから、このユダヤ人を神であることにして、ドイツ人を奴隷であることにするしかない。

そうすると、自分の人生にも矛盾がないし、この世界とも矛盾がない。

明らかに神はユダヤ人で、奴隷や悪魔はすべてドイツ人だ。

そもそも、ドイツなどそういう国だ。

結局、この人間はまだ日本人になることを拒否している。ドイツ人は既に死んだということが分かっていないのである。

自分の風貌がキリストに近くなってきた

最近、自分の風貌がキリストに近くなってきた。

少し前は、女みたいな風貌をしていた。そして最近は障害者のような風貌をしていた。

それが、今見ると、まるでイエス・キリストみたいな顔をしている。

だが、僕はまだ死なない。そもそも、僕はまだ死ぬのが早すぎてできない。まだやるべき使命がたくさんあるからである。

使命と言えば言葉は良いが、実際は「死ぬ前にやらなければならないこと」が多すぎる。

そのため、どんなに地獄であっても僕は「生きなければならないから生きる」という状況になっていて、それをやり続ける中で地獄そのものがどんどん解決してきつつある。

このように生きることが、ユダヤ人にとっての理想である。僕は死んだドイツ人の力を借りなくても、今、立派なユダヤ人である。

ツイッターより @linux691

ヘブライ語には、本当に一切何も存在しない。あるのは、神あるいは悪魔だけだ。それだけからすべてをもう一度やり直してみよ。たとえばドイツなど同じだ。ドイツ人とユダヤ人だけにすればいい。それ以外のすべての言葉の意味を消せば、なんであっても分かる。
posted at 20:30:39

ヘブライ語の特徴、それは「必要なもの以外何もなくなった」ということである。日本語には、漢字、ひらがな、カタカナなど、たくさんの要素があるが、ヘブライ語には何もない。すべてヘブライ語という「とても小さな言語」だけを話せばなんでも分かる。不要なものがすべて存在しないからである。
posted at 20:29:31

ユダヤ人の何が間違っているのか、それはユダヤ人はロボットになっているからである。ユダヤ人はいわば「言葉によるロボット」になっている。なぜ言葉がロボットになるのか、それは日本語を見れば分かる。日本語の到達地点がヘブライ語だと考えればいい。日本語は最終的に必ずヘブライ語に進歩する。
posted at 20:28:08

終末を信じれば、どんなことであっても分かる。終末にはひとりの神が生まれ、その神がすべてを天国へと変える。実際にそのようなおかしなシナリオをユダヤ人が作る。そのような「終末へのシナリオ」が、神を宗教的に信じることで「正しい知識」を作り出す。
posted at 20:25:20

そう、すべてが真っ白な丸い光になるまでを予測することで、わたしたち人類であっても「終末の訪れ」を予測できる。あらゆるすべては、そのような真っ白い光に向かって突き進む。それ以外に宇宙には何も起こらない。
posted at 20:23:38

そして、むしろ、すべては神にしか分からない。神とはなんであるのかが分からない人類には、それ以上は分からない。だが、神とは真っ白な丸い光であり、最後に到達し、そして最初に存在した存在だ。だから、そのような太陽を信じることでわたしたちにもそれを「予測」できる。
posted at 20:22:44

しかしながら、この世界には、そのような「人間には分からない」ということが確かに存在する。なぜなら、「神には分かる」からである。人間には分からないことが、神には分かる。神とは最終的な宇宙の状態であり、最初に存在した宇宙の存在である。
posted at 20:18:41

なぜ、人間には分からないのか、それがわたしにも分からない。人間には分からないということがなんであるのか、わたしにはまだ分からない。人間には分からないとはなんであるか、考えてみてほしい。わたしには分からない。
posted at 20:15:46

人間には分からない宇宙の秩序とは何か、それは神々が天使とともに存在するということである。神々とは、それぞれの星の数だけ存在するような「光それぞれの状態」である。そして、太陽系に光の世界が見せる幻想である地球が存在するように、あらゆる光の世界が幻想を見せるのだ。
posted at 20:13:56

すべては最後に必ず太陽になる、と言うが、それは何百億年以上も後のことであり、必ずしも正しくはない。それまでには多くのことが起きる。人間型生物には分からない、「この宇宙における秩序」が存在する。それは宇宙において、確かに存在する。
posted at 20:12:51

すべては太陽である。なぜなら、地球が大爆発など起こす必要はない。なぜなら、今、宇宙は爆発しているからである。地球はもし、文明が正しく滅びたとすれば、月や火星のような惑星になる。それが正しい惑星の状態だ。途中でイレギュラーな滅亡を起こせば太陽になる。それが間違った恒星の状態だ。
posted at 20:11:17

つまり、わたしたちは眠る時に死んで光の世界に行き、そこで「自らとはなんであるか」を知った上で、起きた時に生まれて新しい日々を生きる。そのような光の世界が、太陽である。
posted at 20:09:55

光の世界では、どのようなことをどれだけ起こすこともできるため、自らがその日に信じた「理想」の姿が見える。その理想を持って次の日に生まれるということが、まさしく「人類の創造」ということだ。なぜなら、最後に死ぬ時に理想を抱いて死んだ人間が、次の人間に生まれ変わるからである。
posted at 20:08:53

神である誰かが地球上において人間型生物として登場するという以上のことを、誰も背負っていない。人々は全員がひとりの神である。なぜ、神のように自由な存在ではないのか、それは光の世界に行けば分かる。夢に見える光の世界を見る理由は、光の世界から生まれるとはどういうことかを教えるためだ。
posted at 20:07:47

本当は、そのような真っ白な光だけが、地球型生物とはなんであるかを考えられるため、地球型生物は生まれた。それは太陽が植物の力を使って考え出したロボットのようなものだが、あえて言えば、神である誰かを人間として創造したいがために生まれた。
posted at 20:06:23

そう、この世界には真っ白な光しか存在しないため、いずれは必ずすべてが太陽になる。この宇宙には何も存在しない。最初から最後まで真っ白な光だけが存在する。
posted at 20:03:55

すべてが神に至り、神から始まるならば、永遠の白い光は永遠ではないのではないか。本当はそうではなく、最初から最後まで永遠に真っ白な光しか存在しないのだ。その光の世界の中で、わたしたちは夢を見ている。まるで光の中で蜃気楼を見るように、わたしたちは夢の中で地球型生物を見ているのだ。
posted at 20:02:34

創造主は、神である。なぜなら、最初に宇宙は真っ白な丸い光しかなかった。そして、その宇宙が一度、爆発を始めたため、真っ白な光は散り散りになった。だが、散り散りになる前から神は存在した。だから、神は太陽を作ることができた。だから、太陽は地球を作り出すことができた。
posted at 20:01:29

なぜなら、地球型生物が居なくなった時、太陽は意志を持つということができなくなるはずだ。では、太陽が意志を最初は持っていないにもかかわらず、なぜ地球を作り出すことができたのか。それはおそらく、「太陽を作り出した光の集団」という存在がどこかにある。そして、それが「創造主」である。
posted at 20:00:24

よって、太陽が意志を持っていてもおかしくはない。あらゆる太陽系のすべての生物を総じた意志を太陽は持っているはずだ。そのために地球型生物が居るならば、太陽は簡単には地球を爆発させないだろう。
posted at 19:59:03

すなわち、太陽とは単なる丸い光ではないということだ。太陽とは太陽系のすべてに注ぐ光の集団であるとするならば、地球の生物はすべて太陽の一部であってもおかしくはない。今のところ、太陽系には地球ぐらいしか生物は居ないようだが、ほかの太陽系すら同じであるとは限らない。
posted at 19:58:10

意志が、もし「死に至る過程を見続けること」であるとしたら、本当はそれは植物にすら存在する。植物は、単に死に至る過程を見続けるだけの、何もない精神ぐらい持っている。そして、植物がそれを持っているということは、太陽が植物を作り出すことで、意志を持っている可能性を示している。
posted at 19:57:20

すべてが爆発し、何もない白い光になった状況で、なおも分かり続ける生物が居るとしたら、それはおそらくなんらかの意志を持っているのだろう。太陽に意志がないとは限らない。だが、「意志」とはなんだろうか。
posted at 19:56:22

宇宙が爆発しているということがすなわち、太陽が爆発しているということを意味している。そして、それがすなわち、いずれ地球が爆発の中に加わるということすら意味している。なぜなら、地球の軌道が今のままでなくなればそれはすぐに起きる。永遠に同じ場所を回るぐらい、地球の生物は馬鹿ではない。
posted at 19:55:44

しかしながら、宇宙は確かに爆発している。その状況を簡単に言えば、「爆発したものの中に宇宙がある」という状況である。宇宙というものは爆発している。その中に宇宙がある。簡単には理解できないだろう。だが、宇宙は最後まで爆発を続け、最終的には真っ白な丸い光になる。
posted at 19:53:36

そして、すべてが消え去った時、真っ白で丸い美しい光が見える。太陽とは、そもそもそうした状況を小さな範囲で行っているだけにすぎない。太陽と太陽が融和したところで、大きな太陽にしかならない。その状況が宇宙全体で起きた状況、それが終末である。
posted at 19:50:21

だが、神はそうした最終的な結果に至った末に、はっきり言って何も分かっていない。神には「分かる」という発想がないからだ。分かるという行為は、分かるまでの元の状態が残っているだけであり、あらゆるすべてを分かってしまえばすべては消え去るのだ。
posted at 19:49:20

神を考えることで、宇宙の歴史がどのような最終的結果に至るのかという「プロセス」を考えることができる。
posted at 19:48:40

神は何も分からない。神には、分かるという発想がない。神はすでにすべてを経験しているため、神がそのものが存在するということが「宇宙の事実」である。神はそれ以外の何者でもない。神は何も覚えていないが、それでもすべてを知っている。神を考えれば、この宇宙の未来までの行く末が分かる。
posted at 19:48:14

そして、その最終的な「丸くなった真っ白な宇宙」が、結果的に「神」と呼ばれる生命である。
posted at 19:46:58

そして、宇宙は丸くなる。なぜなら、宇宙のすべてが同じものになった時、あらゆるすべてはひとつの球体にしかならないからである。
posted at 19:46:27

しかしながら、その状態は美しい。すべてが白い光となって、純白の宇宙そのものが見える。宇宙が黒いのは今だけであり、最終的には宇宙は白い物体になる。
posted at 19:45:31

最終的な宇宙では、太陽ぐらいでは終わらない。あらゆる宇宙のすべての物質が爆発し、真っ白な光、あるいは完全なガスとなって宇宙すべてを覆い尽くす。それ以上は何も起きない。永遠にそのままが続く。
posted at 19:43:22

すべてが爆発することは、現にアインシュタインぐらいを理解すれば可能であることが分かったはずだ。まだ、地球は元の形を残しているが、永久に地球という星は残らない。必ずどこかの誰かが地球を完全に爆発させる。そして、それが太陽になる。なぜなら、それが一番強い。
posted at 19:40:48

本当のことを言えば、すべては一瞬で破壊できる。ひとつの星が完全に爆発するだけで、ほとんどのすべては終わる。太陽はそのようなものであり、宇宙に太陽が多いのは、宇宙には爆発が多いからだ。完全に爆発するのが、この宇宙ではもっとも強いのだ。
posted at 19:39:31

終末では、永遠に真っ白いだけが続く。何も終わることなく、永遠に宇宙はそのままで残り続ける。
posted at 19:37:41

何もないということはとてもいいことだ。終末の世界では、まったくすべてが真っ白な光として広大に広がっている。
posted at 19:36:50

最終的な宇宙は、何もない空間で均等に広がる気体である。エントロピー最大の状態が最後に存在する。
posted at 19:34:47

はっきり言って、すべて分かっている。宇宙の歴史を作ったのは僕である。宇宙誕生から終末まですべて知っている。
posted at 19:33:46

結局、僕の精神はもう治らない。なぜなら、僕は時計を使って0と1で完全に分かっている。その0と1を使って、僕はRGBの三原色の電球を、自分の脳に取り付けた。それだけで簡単にすべて分かる。だが、8ビットにして計算すれば楽に計算できる。
posted at 19:32:35

あとは、テーマを決めたほうがいい。ドラえもんという漫画で、テーマを恐竜にして、悪人を倒すなら、あのような物語になる。書くのは難しくない。F先生の頭脳があれば書ける。
posted at 17:32:40

よく考えると、単に悪人を出せばいいだけにすぎない。悪い人間を倒すだけの漫画が一番多い。単純に戦うのではなく、もっとも面白い戦い方をすればいい。ガンダムもドラゴンボールもそういう漫画だった。
posted at 17:21:01

作家になるコツは、田舎を愛することだ。田舎の生き物と歴史を愛するとよく分かる。田舎には、生き物と歴史しかない。それをよく考えると、ドラえもんのような作品になる。
posted at 17:14:52

有名作家の頭脳が羨ましい。ドラえもんのようなものが書きたい。
posted at 16:57:13

結局最初に戻すのであれば、どこに支配して世界を変える意味があったのか。その間、悪に支配されて滅びていただけにしか見えない。支配して楽園を作りたい人間は、嘘つきの政治家と同じだ。
posted at 16:33:06

本当は、もっと世界を楽しませるようなことをすればいい。賢くはならなくていい。大学の教授の理解できない長くて内容のない説明など、誰も読みたくない。作家を目指すこと自体は間違いではないが、賢い内容は要らない。
posted at 16:30:17

そもそも、言葉だけでは世界は変わらない。実を伴わない魅力的な言葉は嘘つきと変わらないだろう。
posted at 16:27:28

テレビの支配と解放を繰り返したところで、この世界は何も変わらない。
posted at 16:26:31

アッラーが見ると、インターネットを上手く使えばいい。ほかの人間をよく見ながら、昔とは違う形でインターネットを使えば、何かできる。
posted at 16:22:35

なぜ、この人間がアッラーで治るのか、それはこの人間は世界を再び救えば治るからだ。まだ、救い方が分からないだけであり、アッラーを信じるだけで、いずれこの人間はこの世界を再び救う。その時に、この人間は正常になる。
posted at 16:17:49

どうしようもできなくなって、狂った人間は、イスラム教の神アッラーを信じて、毎日五回の礼拝をしなさい。それだけで、すぐに楽になる。
posted at 16:13:10

僕は、この世界を今から楽園にする。そのためには、人々を愛することだ。そして、愛を育むためには、すべて自分が悪いのだと考えることだ。
posted at 16:09:40

僕は、コロナのワクチンを克服した。人間の性的能力が復活できた。
posted at 16:08:15

勉強だけがすべてじゃない。勉強だけでは、愛する気持ちが育たない。愛する気持ちを育てたほうが、勉強だけでは分からない、宇宙の経験的な真理が分かる。だから、若いうちに馬鹿な人生を生きると賢い人間になる。
posted at 16:02:07

悪いのはテレビじゃない。悪いのは自分だ。
posted at 15:57:48

愛の感情を育むために大切なのは、「自分が悪い」と考えることだ。自分が悪いと考えれば、相手のこと、世界のことを愛することができる。
posted at 15:57:26

しかしながら、僕はみんなのことを愛している。心からみんなのためを想う。みんなのためだけに書いている。
posted at 15:38:06

テレビに罪はない。悪いのはすべて僕だ。
posted at 15:35:45

テレビを実質的な日本の支配・管理施設にしたのが僕の間違いだ。そうでなければ、こうはならなかった。
posted at 15:30:24

このままの平和が一番いい。何も起きず、このまま平和が永久に続け。
posted at 15:21:43

結局、悪いことばかりして、この世界に対して良いことが何もできない自分が悪いのであり、この世界をきちんと愛することもできない自分が馬鹿なのである。
posted at 14:50:53

一切自分のことを悪いと思わない人間を馬鹿という。
posted at 14:42:49

世界は、もう昔の正常な世界に戻った。僕はこれ以上、何も望まないし、何もしない。
posted at 14:39:15

もう、悪いことをせずに生きていきたい。後の人生は、すべて悪をせず、反省して生きたい。
posted at 14:37:42

結局、悪いのは全部僕である。全部僕が悪いのだ。
posted at 14:37:02