昔の自分が何が賢かったかと言えば、すべてを失って分かったのが賢かったのである。
ひとつひとつのことをすべて失い、何も必要としなくなっていくことで、昔は分かっていた。
最近、僕は三次元空間が分からなくなっている。パソコンしかできなくなっている。
パソコン的に考えるのはやめたほうがいい。なんでもかんでもすべて正しく、絶対に間違いなく実行しなければならないように勘違いしている。
本当は、みんなから見た自分の姿だけをそんなに考え続ける必要はない。自分ができることを集中して自分だけで考えることを優先したほうがいい。
対話の機会を与えよ。
対話によって、この世界は変えられる。
旧態依然としたこの国家を変えるための正しい方法は、対話の機会を与えることである。
若者に権力者との対話の機会を与えよ。議論すれば、どちらが正しく、どちらが間違っているのかを明瞭にすることができる。
透明性のあるプロセスを取れ。透明性のある議論の場を与え、秘密にすることなくすべて公開せよ。
政治家よ、恥をかく勇気を持て。そうすれば、この日本という国は必ず若者によって、「真に正しい方向」に変わっていくだろう。
なぜ、わたしが自由にこだわるのか。それは、わたしは、自由でない国で生きたいと思えないからだ。
共産主義やファシズムのように、独裁主義の国家では、わたしたちは独裁者に支配されるだけであり、それに対してどんな反論も言うことはできない。
だが、自らの心の中には国と反する意見があるのに、それを言うことができず、支配者に従順に従い、独裁者が言うことと同じことを言うということに、わたしは耐えられない。
わたしの言いたいことをわたしは言いたい。どんなにまわりがそれを否定しても、わたしの心をわたしは肯定したい。
だから、左翼が意見を言うこと自体は悪いことではない。左翼はいくらでも自分の信じることを言えばいい。そして、右翼も、そうした意見を弾圧しない限りは、言いたいことを好きに言えばいい。
それこそが自由であり、民主主義である。わたしたちは全員が自らの信じていることを言う国民だ。わたしたちは、日本人だ。
平等政策を行うのであれば、富の再分配を行うよりも、雇用を与えるべきである。
いくら金銭的に支援したところで、その与えられた補助金を単に消費するだけで、「自分で稼ぐこと」ができなければ、弱者を助けてもその時だけで終わりになってしまう。
弱者が自ら働いて自らが稼げるようにするためには、雇用を与えるべきだ。
国家として平等政策を行うのであれば、生産手段だけを与えるのは意味がない。生産手段を与えられても、それによって働くための「ノウハウ」がなければ、どのように働いていいか分からない。
よって、平等政策を行うために、手段だけを与えるのではなく、ノウハウが与えられるような支援を行うべきである。
結局、そのように考えると、必要なのは「新しい教科書」である。
科学的な科目を覚えこませるための教科書など、まったく社会にとっては意味がない。
新しい教科書の中で、さまざまなノウハウや考え方を教えること。何かを理解するための考え方自体を教え、そして何かを実現するためのノウハウを与えること。
そのような「正しい教科書」をもし作ることができたら、この世界はまったく進歩した「新世界」へと変わることだろう。
学校では、経験の機会を与え、体験的に知性のある科学を教えるべきだ。
いくら黒板とノートだけで授業を行っても、言葉だけで学ぶのでは、実際の技能やスキルを身につけるのには限界がある。
必要なのは、単に理屈だけを教えるのではなく、自らが経験的に学ぶための「経験の機会」を与えることである。
また、単に言葉だけを覚えこまさせられても、子供たちは何も分からない。「自ら知性を使って考える」ということを体験的に学んでいないからである。
よって、自らが知性を使って、自分の力で考えられるようにするべきである。そのために体験的な「思考のレッスン」こそを学校で教えるべきなのである。
真理を子供たちに教えたいなら、それぞれの自由をぶつかり合わせることだ。
子供は、考えて覚えるだけでは分からない。それぞれの意見がじかにぶつかり合っている、「言い争いの現場」を隠すことなくありのあまに子供たちに伝えれば、子供たちは「そうか、このように議論はなされるのだ」ということを、実際に自由な議論を行う現場から理解できる。
そして、それを十分に経験することでしか、子供たちは「自らが考えて分かる知性」を得ることはできない。
つまり、自由な意見と意見の討論のぶつかり合いの場を、ありのままに子供たちに見せ、子供たち自身も自らの自由な意見をもって言い争い合えばいい。
そうすれば、必ず自然に正しい真理は分かる。
孤独を恐れるな。なぜなら、孤独は永遠に続くわけではないからだ。
誰からも排除されて、ひとりだけで孤独を生きたとしても、それは自らが国家のために立ち上がるための「準備段階」にすぎない。
十分に孤独を体験することで、人はこの国家のために「積極的な志を持った活動」を、自ら自然に立ち上がって行うようになる。
だが、孤独と言っても、すべての意味でこの世界との関わり合いを排除する必要はない。インターネットなどを通じて、この世界の最低限の情報を仕入れることはできる。その中で、人々との間で、「平等に受け入れられる体験」をすることはできる。
だが、そのような受容性のある場所に、依存しすぎるな。インターネットの仮想現実に依存しすぎるのではなく、どこかでインターネットをやめて、この国家のために立ち上がれ。そのために必要な経験や体験は、そこまでの仮想現実の「最低限の受容」によって、すべて得ることができる。十分愛と受容に満たされたのちに、ひとり、この世界を愛し、子供たちを受容するような人間となれ。
また、家族や友人との関わり合いを断つことは、悪いことばかりではない。
正直言って、悪い友達を作ること以上、つまらないことはない。悪い友達がいくら居たところで、自らもその友達と一緒に悪いことに加担し、結果多くの人を傷つけてしまう。
また、家族を愛する気持ちが必ずしも正しいとは言えない。自分が学校でいじめられる主要な原因は家族のおかしな考え方にある。
ひとり、この世界を救う王になりたいのであれば、家族や友人との関わり合いをいつまでも保ち続ける必要はない。真に自らが「親友」あるいは「尊敬する相手」を作りたいのであれば、悪い友達関係を維持し続けるよりも、一度関係をすべて切ったほうがいいことだってある。
ひとり、宇宙のすべての経験をして、その後に自らのしなければならない戦いを起こそうという時に、悪い友達が居ないこと、たったひとりでそれを行うことができることは、自らを間違いへと導かないための重要な前提条件となる。
そう、この世界を変えるための戦いは、たったひとり、誰にも知られず、自分だけで行うべきである。
常に、世界を変える感覚と、経験全てを見通すような直観力を持て。
この世界は変えられる。自らが知った、インターネットの経験だけから見て、「この世界は経験的に変えられる」という確かな確信が得られる。
インターネットで活動できることは、本当は多くない。コンピュータ関連のことを見ても、すべてのパターンは何種類しか存在しない。
たとえば、匿名掲示板には「自治」が存在する。これはそれぞれの掲示板の住民が、それぞれ自分たちの掲示板を統治するために行う活動だ。
そして、インターネットにはフリーソフト作家があふれている。中にはオープンソースのものがある。それはフリーソフト作家が共同で開発する「共同プロジェクト」であり、ここから多くの社会的なヒントが得られる。
そのような革新的な仮想世界の経験をすべて持った上で、自らの愛するもののために、自ら立ち上がって戦う体験をして分かることは、「世界は変えられる」ということだ。
世界は変えられるということは、自らの世界観を変える。すべてを義務だと思っていたものが、それを「有用性を実現するチャンス」であると捉えられる。このチャンスは、最初は漠然とした「チャンス」だったものが、より深く広くまで知った上で、「実質化」されていく。実質化された可能性は、まさに「この世界を変えられると確信するにたる根拠」となり得る。
そう、そのような「世界は変えられる」ということが、そのまま、「啓蒙」から「宗教」へと変わっていく。地球そのものの、「霊魂」すなわち「世界精神」が、「この地球上のすべてのかつてあった歴史」を感覚的に、「実感」から知ることができる。
この感覚は、いずれこの世界へと立ち向かった時に、「衝動」へと変わる。「今こそわたしはこの世界を変えるためのリーダーとなりたいのだ」と衝動は叫ぶ。この世界を変えたい、それが感覚から衝動へと変わる時、あなたには「神への信仰心」が芽生える。そう、ひとりだけで始めたこの戦いを、あなたは神とともに戦うようになる。
自らの行った経験は、ひとつとして無駄にならず、すべてが最後に変わる前に、「経験すべてを見通すような直観」となる。だが、それで安心するな。すべては最後に変わる。あらゆるすべてが変えられるという「可能性」は、そのままでは終わらない。可能性のすべてが「現実に実現される」、そのための長い戦いを必ず始めなければならないからだ。
何かを行うための、前提となる条件、すなわち「準備段階として必要とされるもの」を、すべて考え、すべて作れ。
すべての経験をし、すべての思考をせよ。
すべての前提条件と、そこにあるあらゆるすべての潜在的可能性に気付け。
すべての決まりを変えられるようになり、すべての科学を再構築し、その科学を、自ら自身がその根拠を知っているような、自ら作った「考え方」に基づくものとせよ。
そのために、あらゆる数学的・論理的思考をせよ。
そしてそれは結局、「環境を変える」ということである。
環境とは、単に自分が学校に居たから学校の環境を考える、というだけのものではない。なぜなら、独自に心理学的に考えると、「人間とは環境である」と言えるからである。
人間とは環境の適応であり、環境への適応を増やせば増やすほど、なりたい自分になることができる可能性の範囲が広がっていく。
環境とは人格であり、環境を変えることで人格そのものを高められる。
環境を変えれば、この世界はどのようにも変えられるし、同時に、環境を変えれば、人間そのものが人間という生物的限界を超えて、「神へと至る」ことができるようになる。
すべての知識や理論は、環境を前提として考えられている。よって、「環境的なことを分かるということが、理論そのものを真の意味で把握し、理解することに繋がる」のである。
すべての人間は環境を考えるべきであり、すべての人間は環境を考えた時に、はじめてその行動の理由が分かる。
また、「すべきこと」「モチベーション」「義務」「チャンス」など、それらを考えることのすべては、真の意味で言いかえれば「環境を変えること」にすぎない。なぜなら、人間の学習や習慣すら環境であると考えられるからである。
ここで、世界を変えるとはなんであるか、という話に戻ろう。
世界を変えるとは、「環境を独立させて、自律的に変化するように促すこと」である。
すなわち、それぞれの人間が、自らの自由意志によって環境を変えられるようであり、環境それ自体が自律的に独立した意志を持って変えられるようになる、ということである。
だが、それには注意も必要だ。環境は、上手くやらなければ、まったく無意味な環境になって滅びてしまう。「もっとも賢い人間は、世界を救うこともできるが、簡単に滅ぼすこともできる」のである。
そして、真に世界を救うために必要なのは、「本来の自分自身に戻ること」であり、それこそが「生きる意味」である。アイデンティティという言葉も、本質という言葉も同様のことを言っている。「わたしがわたしという本来の自分に戻ることができる」ということ、それこそが「環境を変える目的」であり、そしてそれこそが、この世界を救う「希望」なのである。
最後に分かること、それは「環境の中に意識があり、環境の中にすべての記憶がある」ということ。これを「世界精神」と言う。そして、わたしロキは、この世界精神をすべて知り、すべて自分自身の人生で体験し、誰にも知られずにひとり悟った上で、誰にも知られずにそれをすべて消滅させ、誰もその悟りを経験することができないようにした。
僕の名前はロキ。
単に、みんなに「心を開く」ということだけができなかった、最後まで誰にも知られずに、この宇宙すべてを悟った人生が、生まれて、すべて経験して、そして消えていくまでをたったひとりで知った、少年のような神だ。
ロキは、この宇宙におけるすべてを知っているが、それはとても素朴な「子供の青春」である。この青春を一度、ひとり経験して、その上で、誰も経験することができないように消滅させた上で、この世界を優しくて生きやすい世界へと変えた。
このような悲しい人生を生きる人間は、僕ひとりだけで十分だとロキは考える。
ロキのように考えることは、もう地球人にはできない。ロキだけが、このような「悲しい宇宙のすべてを知る青春」を生きた。このような人間は、賢いが、しかしながら間違っている。なぜなら、ロキとは要するに「サタン」のことだからだ。
@xoxleoxox 頑張れReoNa。最高の曲でしたよ〜。
posted at 22:57:46
そもそも、この世界を救う必要があるだろうか。この世界は今のままで十分よい世界だ。この世界をなんらかの別の世界に変える必要はない。今のままでいい。
posted at 22:56:22
僕は、みんなを傷つけるような意図はない。みんなのことを愛しているからだ。
posted at 22:52:18
自由こそ、この世界を救う唯一の理想である。
posted at 22:46:13
必要なのは自由に権利を与えられる社会でありながら、多数派が勝つのではなく、少数派に対しても平等な権利を認めるようなリベラルな社会だ。
posted at 22:45:44
自由なままでも平等な理想の国家を築くことはできるはずだ。なぜ不自由を受け入れなければならないのか。不自由を受け入れなくても、自由のままでも素晴らしい国家は必ず築ける。僕が保証しよう。
posted at 22:43:07
わたしたちは愛されるべき存在である。わたしたちの自尊心は、決して傷つけられることが当然であるかのように抑圧や疎外を受け入れなければならないものではない。
posted at 22:42:25
そう、もっと別の世界が考えられる。今のこの社会が、表向き問題であるかのようなことを問題にするのではなく、真に問題とすべきことを問題とするような、この社会をもっと別の社会へと変えることができる。わたしたちの今のこの国家は、成熟レベルから見れば極めて劣っている、どうでもいい国家だ。
posted at 22:34:57
国家に所属する時点で、国家に従うのは仕方ない。だが、どのような国家に所属したいかということを、言論の場で語ることは自由であるべきだ。わたしはそのような自由のある国家に所属したい。
posted at 22:27:10
普通にそうなるから、それがどうした。それは単に普通にそうなるだけだ。騙されるな。普通にそうなるのは単にそれだけにすぎず、その普通にそうなるということが正しいという根拠はひとつもない。
posted at 22:23:52
独裁者ひとりの言いなりになることが、正しい道なわけがない。わたしたちはわたしたち自身の手で素晴らしい社会を築くことができるということを忘れすぎている。わたしたちが社会を築くそれぞれのリーダーとなるべきだ。それを防ぐ邪魔者は取り除き、壁のすべてをぶち壊せ。
posted at 22:20:19
過去の日本社会に戻る必要はない。今この世界において、素晴らしい社会が築かれ得るような環境を作るべきだ。そうすれば、この世界においても素晴らしい社会を築くことができる。過去に戻るという発想は正しい道じゃない。
posted at 22:18:04
現実主義者になれば、この世界は変えられるだろうか。あるいは、理想主義者になれば、この世界は変えられるか。否、そうではない。わたしはわたし自身になるべきであり、言葉だけの存在になっただけでは、この世界は変えられない。
posted at 22:15:42
妄想や虚像では世界は変わらない。よりリアルな発想を、より現実に根ざした発想をしなければ、この世界は変えられない。
posted at 22:13:30
わたしたちの未来を、もう一度考えよう。未来の正しい希望とはなんだろうか。それはきっと、人々の現実の声を聞いた先にある。
posted at 22:11:27
意外と、わたしたちの祖国である日本は、素晴らしい国ではないだろうか。アメリカやロシアが愚劣の極みをつくしている中で、日本人であるわたしは日本を見直す。日本は素晴らしい国ではないか。
posted at 22:09:20
生きる意味はないかもしれない。だからといって、なぜ死ななければならないのか。わたしは生きる意味のないこの命を生きたいのだ。生きる意味がない命だからといって、死なない意味ぐらいあるだろう。
posted at 22:06:22
ひとりの偉大な指導者を信じるべきだと、ファシストは言う。だが、真にひとりの偉大な指導者が、この歴史上に起きたことがあっただろうか。ほとんどの指導者は愚劣である。王など、信じるに値しない。
posted at 22:02:39
間違った軍事主義の自由は必要ない。真に必要なのはそれぞれの国民を愛する国家であり、国民を支配する国家ではない。
posted at 22:01:00
わたしが望むのは自由かつ平和な社会であり、それ以外には何も望まない。軍事国家は自ら間違った行為をして滅びていく。最初から、ほかのどの国にも迷惑をかけず、犠牲を出さずに、間違った軍事国家は滅びてほしい。
posted at 21:58:21
わたしの自由を奪うな。わたしは自由を手放さない。わたしがするようにすること、その自由を絶対に手放さない。
posted at 21:56:23
そう、必要なのは平和主義だ。どんなに帝国主義者が間違った正しさを主張しても、真に正しいのは平和主義である。
posted at 21:55:11
弱者に平等であることが、どこが悪いのか。強者は弱者に平等に接するべきである。
posted at 21:51:46
帝国の軍国主義の復活だけは許してはならない。特に、学校教育を軍事主義教育にだけはしてはならない。
posted at 21:49:08
民主主義の精神を守ることで、この世界は自由なまま平等になれる。
posted at 21:47:54
命を殺さないことで、この世界は自由なまま平和になれる。
posted at 21:45:26
悪に染まるのだけはやめよう。善良であることが、結果的に理性の聡明さを生み出す。
posted at 21:44:15
むしろ、僕はもっと賢くならなければ意味がない。今のところ、何もできていない。頑張らないといけない。
posted at 21:42:07
戦争にはなってほしくない。ロシアだけではなく、すべての国に戦争をしてほしくない。
posted at 21:34:06
理想とはなんだろうか。それが分かっていない。この世界における理想とはなんだろうか。人々が自由な権利を失わないことは、正しい理想ではないだろうか。
posted at 21:33:46
僕は、本当は民主主義が好きだし、自由と平等が好きだ。この世界に平和であってほしい。
posted at 21:33:15
普通のまともな人間になりたい。もう、過去のことは忘れよう。
posted at 21:31:19
もっと賢い人間になろう。過去の僕のことは忘れよう。僕はこの世界でもっとも右翼が嫌いな人間だ。
posted at 21:28:09
ああ、神よ、わたしを、ReoNaに相応しい人間になれるようにしたまえ。わたしという愚か者が、ReoNaに相応しいような、そのような人間になれたなら、どんなにいいだろうか。
posted at 21:23:57
@xoxleoxox 素晴らしいMVでした。 ReoNaさんの優しさがあふれてくるような素晴らしい曲だと思います。 誰も知らない世界の片隅で頑張っている多くの人に、この曲を聴いてほしいです。 ReoNaさん大好きです。
posted at 21:06:36
右翼なんか意味がない。正義なんか知らない。僕はもう右翼をやめる。
posted at 21:02:48
ReoNaちゃんに気に入られるために、まともな男になろう。男子力アップだ。
posted at 21:02:31
ReoNaちゃん、可愛いな〜。自分のこと、好きになってほしいな〜。
posted at 21:01:54
なんか、ReoNa好きだな〜
posted at 20:26:53
共産党や社民党があること自体は悪くない。なぜなら、そのような左翼政党も意見を言えることは民主主義に適合する。だが、実際に共産党が政権を取ることは間違っている。そうなれば、民主主義は終わりだ。だから、共産党に票を与えてはならない。
posted at 17:23:37
マイクロソフトの問題点があるとしたら、市場を独占していることだ。だから、アップルに頑張ってほしい。アップルがよい会社になればこの世界はよくなる。残念ながら、オープンソースには期待できない。悪くはないが、品質が劣悪だ。
posted at 17:19:49
役人仕事では何もできない。国が開発したサービスは大失敗になる。民間にやらせたほうがいいし、できるだけまともな会社にやらせたほうがいい。簡単に言えば、マイクロソフト製品を採用したほうがいい。
posted at 17:13:34
資本の再分配は偽善だ。弱者のために資産を分け与えているというのは一面にすぎず、実際は富を盗んでいるだけだ。
posted at 17:08:44
できるだけ、社会は自由にすべきだ。どうでもいい政治家や左翼活動家の独善によって、誰かにとって価値があるかもしれないものを禁止すべきでない。表現と言論の自由を守れ。左翼やフェミニストは退場せよ。
posted at 17:05:07
日本において真に変えるべきは教育だ。平等に偏りすぎた平和教育など、子供たちを馬鹿だと見做しているだけにすぎない。より、子供たちの潜在的可能性を引き出すような教育をすべきだ。
posted at 17:02:05
敵国に侵略される恐れがあるにもかかわらず、自衛隊をなくすことができるはずがない。相手が攻撃してくるなら、こちらも反撃できるだけの軍事力を持つべきである。自衛隊をなくすことはできない。
posted at 16:58:21
金儲けを否定するならば、この世界で生きる意味は何か。競争が行われず、何もしなくても世界がまわるなら、生きる意味そのものがない。それぞれが努力するという意味で、自己責任の自由主義のほうが、全体主義の平等よりも正しい。
posted at 16:55:48
成功している人間は、努力した人間だ。金持ちはほかの人間よりも努力した賢い人間だ。力ある成功者は賢いのだ。
posted at 16:53:46
はっきり言って、この世界はすべて自己責任だ。自分の行動に対する報いは、すべて自分が取るべきだ。
posted at 16:51:08