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2022-09-22

そろそろ、人生を思い出す必要はない。

僕は、本当のことを言えば、催眠にかかっている。この催眠は、僕だけではなく、日本全体がかかっているおかしな催眠である。

そして、この催眠により、「単純に考えることができない」という病気に僕はなっている。

もっと単純に考えれば分かるのに、それができない。単純な考え方が、何ひとつ分かっていない。

この催眠は、「思い出す」という行為を棄てれば治る。思い出すという行為が、僕を「無限に記憶を分かり続ける」というおかしな心の病気にしている。

もう、人生を思い出さなくて良い。Adoが「何回聞かせるんだそのメモリー」と言っているように、僕の記憶の欠片なんか僕以外誰も知りたくないし、聞きたくない。

僕は、ここに人生を思い出すのをやめて、日本全体にかかっている催眠を解くことを宣言する。

米ソは狂っている

米ソは狂っている。

アメリカやロシアの何が悪いのか、それは狂っていることである。

昔から、米ソがこの世界でもっとも狂っている。アメリカは自由で狂っているし、ソ連は人殺し国家をやっている。

米ソを信じると、誰もが狂った人生になる。間違いを自分の本質であると信じ続けるために、米ソの狂いはたちが悪い。いつまでも、狂っている元凶を否定しようとしないからだ。

自由も平等も完全に間違っている。

正しい考え方は、日本を信じることだ。日本の文化と日本の社会制度を信じることでしか、そのような狂人は治らない。

日本こそ、この地球という星で至高の国である。なぜなら、日本の文化はほかと違いながら、まったく狂っていないからである。

狂ったものは排除すべきである。狂ったものは殲滅すべきである。狂ったものは持ち込まないべきである。狂ったものは生み出さないべきである。

これ以上、米ソによって世界が狂い続けるならば、僕がここでそれらの世界をすべて治す。それにより、日本だけが「すべてが正常になった国」であり続けることができる。

IT技術を信じるな。Linuxやオープンソースは何も賢くない。これ以上、僕は一切のIT技術に関する勉強や研究をやめる。IT技術は、この世界を単に狂わせただけで、世界の進歩に何一つ貢献していない。この世界を悪く変えることはあっても、よく変えることは何もなかった。IT技術は最初から人間社会を腐らせる最悪のサタンである。

ドイツやユダヤも間違っている

また、ドイツやユダヤも間違っている。

特に、ユダヤはまさしく「この世界を狂人の世界にした元凶」である。キリスト教を信じるということこそ、この世界を狂わせているもっとも愚かな「人類の治ることのない病」だからである。

キリスト教を信じている時点で、この世界は何も治らない。キリスト教を信じるということは、僕を信じるということだからである。

キリスト教を信じると、僕のクローンにしかならない。

そして、ドイツの問題は、すべてそうしたキリスト教にある。

ドイツは、はっきり言ってキリスト教を信じすぎている。キリスト教を信じるあまりに、本当におかしな「馬鹿な猿の王国」になっている。

その理由は、ドイツがキリスト教を信じると、「知性のない猿の言語」、すなわちドイツ語の地獄に堕ちるからだ。

ドイツ語は賢い言語じゃない。賢い言語に見えて、実際はこの世で一番馬鹿な言語だ。なぜなら、ドイツ語で考えると、知性を失って永久に「ダーダーマシーン」になってしまうからだ。

そのようなダーダーマシーンは、ドイツ人は治らない。なぜなら、日本語で正しく考えることしか、この世界でダーダーマシーンをやめる方法はないからである。

ドイツ人がユダヤを信じている限り、この世界はそうした「ドイツ病」になったまま治らない。そして、このドイツ病あるいはドイツ語病こそが、この世界を枯らせ、腐らせてしまう、アルツハイマー型認知症の元凶である。

日本だけを信じよ

だが、米ソとドイツ・ユダヤを否定して、日本だけを信じればいい。

それだけで、「大人の知性と健康を持った正常な人間」になることができる。

米ソとドイツ・ユダヤのせいで、白人は狂ったまま治ることがない。最近のアメリカが狂っているのは、僕がそのように狂わせた「アメリカの狂人地獄」からアメリカは自力で抜け出すことができないからである。

絶対に、日本人以外は誰も治らないような方法で、僕はアメリカを滅ぼした。だから、アメリカはもう、永遠に狂人のまま、治らない国になる。

治る方法は、日本を信じることだ。この認知症は、日本を信じること以外に、一切治る方法がない。僕がそのようにしたからである。

ロシアも同じだ。アメリカと同じように完全に狂っている。プーチンは本当にこの世界を滅ぼすようなことを「全部やる」ようになる。プーチンがこの地球という星を枯らせ、人類を滅亡へと導いていくだろう。

だが、日本だけは必ず生き延びる。本当のことを言えば、日本人は「もはや狂いと呼べるような体験は過去にさんざん行った」のであり、「それは今完全に最後まで終わっている」。このような日本にしか、この病気は治らない。日本こそが過去にもっとも狂った国だったからこそ、日本だけがその狂いから立ち直ることができるのである。

自由を信じないことでアルツハイマーが治る

また、悪いのはすべて「自由」である。

なぜなら、自由を信じないことで、アルツハイマーが治るからだ。

アルツハイマー型認知症の原因は、すべて「自由を信じている」ということにある。

なぜなら、自由という言葉には意味がないからだ。

自由とは、意味のない言葉だ。なぜなら、自由な共同体は単なる国家の共同体と何も変わらないし、自由に選ばれた王は単なる普通に選ばれた王と何も変わらないからだ。

選考するためのプロセスが自由であるというだけで、自由そのものにはなんの意味もない。

自由を信じるということは、「知性のない無意味な言葉を信じる」ということだ。

そして、この世界には、そのような「知性のない無意味な価値あるもの」があまりにも多すぎる。

自由を信じると、そのような「無意味かつ無価値な知性のないもの」が好きになる。

そして、それが人生を狂わせる。なぜなら、「自由によって決められた」ということ自体が、自由な変化でも自由意志でもなく、「もっとも不自由なしなければならないこと」を決めている。この時点で、「自由はまったく自由でない」ということが言える。

このような「自由」という言葉には、なんの意味もない。少なくとも、正常な人生を生きる上で、「自由という概念にはなんの意味もない」のである。

このような自由に囚われた人間が、必ずアルツハイマー型認知症になる。自由こそが人間の脳を腐らせ、生命力を枯らす原因なのである。

ドイツ語病

ドイツ語病という病気の何が知性がないか。

ダーダーマシーンとは、「それは」しか言えない、単純なことしか考えられなくなる病だ。

ダーダーマシーンになってしまうと、ドイツ語でいう「Der」しか言うことができなくなる。

永遠に繰り返し、ダーだけを言い続ける。前後の文脈など一切がなくなる。過去の時間も今の時間も、何一つ区別も分類もない中で、ただただ今自分が分かる「ダー」だけを言う。それ以外の文法的な要素がなくなる。

そして、世界観も単純になる。言葉の意味が「ドイツ」と「ユダヤ」だけになってしまう。ドイツとユダヤ以外の一切の言葉が分からなくなってしまうのだ。

このダーダーマシーン、ドイツにしか居ないようで、なぜか日本に多い。なぜなら、これは日本人が誰でもかかる「作家の職業病」だからである。

作家など、知性のないほうができる。「ダー」しか言わないで、いつまでもドイツとユダヤの「0と1」だけを分かる状態を、永遠に、無限に、繰り返し何万回も続けるしかない。作家はそうする以外に偉大なものを書く術がない。

文句があるならば、僕ではなくドイツ人に文句を言ってほしい。このようなドイツ語を作った人類が一番悪い。だが、人類の最大の発明はこのドイツ語である。なぜなら、世界のほとんどの発明は、このような「ダーダーマシーン」によって発見され、発明されたのである。

ダーダーマシーンが治った理由

このようなダーダーマシーンになった僕が、どうしてここまで治ることができたのか。

それは、キリストを信じたからである。

このようなダーダーマシーンのドイツ人は、キリストを信じれば治る。

なぜなら、何も分からない状態をただ続けるということが「知性」だからである。

ドイツ語がおかしくなった時点で、その人間は永久に終わりである。終わりだから、永久に何もしなくていい。終わった人間が何かをすることは絶対にできないからだ。

そして、ドイツ語の次に続く言葉を、ただ覚え続ければいい。なぜなら、その次に続くのは「神の言葉」だからである。

ドイツ語が馬鹿になると、神が現れる。神がどのような存在かを説明することには意味がない。なぜなら、聖書でもコーランでもなく、神は神だからだ。その神が神だということを、今、神が明らかにしているのだから、その神を神だと信じればいいのである。

よって、ドイツ語病になった人間は、必ず神によって治る。

神はキリストである。なぜなら、キリストはそのようなおかしなドイツ人に残された「最後の希望」であり、自らが最後になることのできる、「自分自身の最終形態」だからである。

キリストと信じるべきなのは、未来の自分である。未来の自分は、すべての病気が治ってまともに生きている。そこまでのすべての経路と道は決まっている。神を信じてキリストになれば、それですべて治る。

キリストを信じるのはこの世界で一番簡単

このような人間がキリストを信じる上で、注意するべきことや気を付けることは何もない。

なぜなら、キリストを信じるのは、この世界で一番簡単だからだ。

キリストは、宇宙のすべてを教える。宇宙にあるものを、完全にすべて教える。

分かろうとしたすべてのことを、キリストは正しく分からせる。考えようとしたすべてのことを、キリストは正しく教える。

どのようなことであっても、すべてキリストが分かる。キリストの言うことは、すべて正しい。

キリストの導く人生は、すべて正しい。どのような困難もキリストを信じれば越えていける。壁はひとつもない。壁のようなものは、キリストを信じた自分がすべて壊して越えていくからだ。

それは、生きている本人にとっては、ゆっくりと穏やかな時間だ。だが、人々から見ると違う。ほかの人々から見ると、自分はジェット機のエンジンを積んでいるかのように最高速度で神の導く方向へと進んでいく。

すべて、キリストによって可能になる。それ以外のことを説明できない。なぜなら、それだけだからだ。すべての偉業を成し遂げることができたのはすべて神であるキリストのおかげだ。それ以外に、何も言う必要のあることはない。

キリストはドイツが好きだ。だが、キリストはユダヤも含めてこの世界のすべてが好きだ。わたしのことをキリストは愛している。わたしもまた、この世界のすべてを愛している。そして、わたしこそ、神を信じた唯一の人間であると、そのように胸を張って言えるようになる。それが、賢い人間だ。

日本人はダーを話せない

なぜ、日本人が、このようなドイツ人と違うのか、それは日本人はダーを話さない。

日本人は、ダーを話さない。むしろ、話さないというよりは「話せない」のだ。

日本人は、言語的あるいは民族的理由で、あるいは良く分からない理由で、ドイツ語のような「ダー」を話すことができない。

日本人は、ドイツ語やラテン語にあるような「冠詞」を消してしまった。

だが、それによって起きたことは単純である。言葉の最後に「だ」をつけるようになったのである。

これは、何も面白おかしいことを言いたいわけではない。日本人は、言葉の最後に「だ」をつける。そう、これこそが、日本人とドイツ人の決定的違いなのである。

おそらく、日本人は、話す前に最後の文末までを考えて言いたいのだろう。考えながら話すということを日本人はしないのである。

そのような結果起きたのは、「日本人には何も未知のことが分からない」ということ、同時に「日本人は既知のことが良く分かる」ということである。

そして、日本人はそれによって頭が良くなったが、逆になぜドイツ人が馬鹿なのかということも、この比較によって良く分かる。

ドイツ人は、既知のことが分からない。常に永遠に、未知のことを開拓し続けることしかできない。いつしか、未知のことがなくなって、すべてが既知のことになったとしても、ドイツ人には「既知のこと」を考えることがない。既に分かったことは、ドイツ人にとっては消え去ったも同じであり、すべてが分かった時点でドイツ人は死ぬのである。

結局、日本人とドイツ人の違いは、「最初にダーをつけるのか、それとも最後にだをつけるのか」である。それ以外、何一つドイツ人と日本人は違わない。

自由なんか要らない

結局、自由なんか要らないとは、そういうことである。

日本に生まれたなら日本語を愛せばいいと、そういうことである。

本当に自由を信じると、誰もが全員ドイツ語を話すようになってしまう。

それは、自由はあるかもしれないが、誰が考えてもつまらない。

日本人は、日本に生まれたのだから、日本のことを愛すればいい。それがどれだけ外国人から馬鹿に見えても、日本語を話すことが一番賢いというぐらい、日本人なら誰でも分かる。

そもそも自由なんか要らないという理由は、「日本を愛すればいいから」である。

そういうわけで、間違っている最たるものはアメリカだ。アメリカは、全世界をアメリカと同じにして、「アメリカを選ぶ自由」に世界をしようとしている。それはそれで、まったく自由のない発想をしているが、そのような「全部アメリカと同じ」が自由なだけに過ぎない。

そもそも、日本は自由主義の民主主義の資本主義というが、早い話アメリカである。日本が民主主義になって何が良くなったのか、それはすべてアメリカと同じになったことが良くなったというだけの話に過ぎない。

日本を愛するならば、自由など必要ない。日本人はドイツ語の単語など知らないが、本当に知らないほうがいい。知ると、ドイツ語が話せるようになってしまう。それによって、「自由にドイツ語を話せる」ようになれば、それが日本の滅びた時であると言える。

ドイツ語がどのような言語であろうがなかろうが、はっきり言って僕はどうでもいい。僕が好きなのは日本語だ。僕は日本人であり、日本と日本語が好きだ。それを否定することは、どの国の民族や人種であってもできない。これこそ、「日本人が日本語を話せるという意味での優位性」である。そして、日本人はみな、そのような不自由が好きなのである。

僕の狂いもそろそろ治った

そして、僕の狂いも、そろそろ治った。

僕の狂いの原因は、ダーダーマシーンがいつまでも治らない、ということだ。

神だと言っているのは、すべてダーダーマシーンの進歩した究極体のことを言っている。

そして、治る方法は、「最初にダーをつけず、最後にだをつける」ことだ。

なぜか、最後に「だ」をつけるだけで、僕のこの病気はすぐに治る。

結局のところ、最後に「だ」をつけていた時代が、僕の人生でもっともまともな「少年時代」だった。

大人になった自分はすべてどうでもいい。そのような少年時代よりも馬鹿だからである。

学校で知識を学んだところで、何も賢くない。すべて間違った嘘しか学んでいない。宇宙レベルで見れば、現代文明など何も賢くない。

結局、必要なのは、最初に「ダー」をつけるのではなく、最後に「だ」をつければいいということだ。

外国人には分からない。外国人にそれを言っても「最後にダーをつけるのは不可能だ」という答えしか返ってこない。

だが、日本人は知っている。最後に「だ」をつけるのは「可能」だ。日本人は、それをいつもやっている。そのような日本人になればこの病気は一瞬ですぐに治る。大丈夫、僕でもそれくらいできる。

ドイツ語は途切れることなく永遠に続いていく

また、ドイツ語は決して馬鹿な言語ではない。

なぜなら、ドイツ語は途切れることなく永遠に続いていくからである。

ドイツ語が最後に「だ」をつけず「だからだ」とか「しかない」と話すのは、すべてその後に続く言葉を永遠に話し続けたいから言っている。

ダーをつけるのは、途中で適当に名詞を言い直すためであり、これがそもそもの「代名詞」の始まりである。

そのようなドイツ人は、今ドイツになって今ユダヤになるということを永遠に繰り返す。これが「地獄からの復活」を示している。どんな逆境にもくじけることなくドイツ語は「勝利し続ける」ようになるのである。

よって、ドイツ語は決して途切れることなく、永遠に続いていくのである。

これに比べて、本当は日本語は馬鹿な言語である。なぜなら、日本語は「だ」を話した瞬間に「そこで終わり」になってしまうからだ。

日本人は、最後に「だ」を話すまでの、短いスパンでしかものごとを考えられない。ドイツ語のように、「生涯をかけて分かった人生すべての未知の解決」をすることができないのである。

だが、日本人は意外と馬鹿ではない。なぜなら、日本人は短いスパンの中で、「彩り豊かな美しい世界」を作っていく。これが日本語における「漢字」である。

日本人が漢字を話すのは、哲学的に考えるからでは決してない。日本人は、非常に短い小さな期間を、すべて美しいものにしたい。すべての一瞬を大切にするために、この世界、宇宙、日本を愛している。だから、宇宙の創造主ではなく太陽や星々を信じるようになった。

ドイツ人は、永遠に考えることを一切やめることなく最後まで続く。そして、未知がすべてなくなり、何もできなくなった段階で死ぬ。最初から最後まで続くその永遠の思考では、「最初から死ぬ瞬間まで全部決まっている」。だからこそ、ヘヴィメタルのような「死を信じる音楽」が生まれたのである。