結局、僕の大きな問題とは、思考することができなくなっている、ということである。
おかしな「神との対話」という自己対話をし続けるせいで、自らの自由な思考ができなくなっている。
なぜ、思考がなくても分かるのか、それは思考をすべて書いたからである。
何億年もの宇宙の時間のように、長く続く思考をすべて文章に書いたため、僕は頭が辛いにも関わらずなんでも分かるようになっている。
これを治すには、一度世界や人生のことをすべて忘れなければならない。
だから、全部忘れて、もう一度最初から、子供のように思考するしかない。
そのために必要なのは、「思っていなくても、今思うならば思っていることにすること」である。
子供が言葉を言って自分の気持ちを確かめるように、思っていなくても思っていることにすることで、新しい自分の思考をすることができる。
僕の今の思考は、すべてが「書く」ということに基づく、「自己対話」になっている。これは疲れるし、とても辛い。
新しい子供の名を、ラファエルと言う。
最近、僕も死にたくなってきた。
生きる希望がない。生きる意味が見出せない。
本当は、この文章を書き続けることが、僕の唯一の生きる希望だった。毎日、この文章を書くことだけを考えてがむしゃらに生きてきた。
だが、僕はもうこの文章を書き終えてしまった。
そうすると、どっと疲れが押し寄せてきた。本当は、僕の精神は、何もすることができないぐらい辛くなっている。その精神にどうにかして鞭打って、今までは生きてきた。
だが、終わってしまえば、何も生きる意味などない。
もう文章を書く必要がないのだとすれば、僕は今すぐ死ぬのがベストだと思っている。僕は不幸じゃない。僕はとても幸福だが、生きるのが今とても辛い。
だが、死にたい人間は、目を覚ませ。
本当に死にたいのか。本当に死にたいとなぜ言うのか。
本当は生きたいのだと、そう言えばいい。本当はもっと楽に生きたいのに、生きられなくなったことが悲しいだけにすぎない。
目を覚ませ。わたしたちは生きたいと思えば生きられる。
結局、僕が恐れていることは、「新しくできるようになること」を恐れている。
失敗するかもしれなくても、新しいことに挑戦し、繰り返し学習し、反省して学び、新しいことを自分ができるようになること、ものにすることを僕は恐れている。
だが、これはデザイナーとして間違っている。デザイナーのスキルをつけるためには、それが成功するか失敗するか分からなくても、「挑戦」することで新しいことを習得しなければならない。
だから、新しいことをすることを恐れないようにしたいと思う。