今日は、作業所の空き時間に、風景デッサンの基本 (ナツメ社Artマスター)という本を使って、デッサンの勉強をしていた。
実際に立方体や円柱のようなものを、アタリをとってさまざまなアングルとパースで描くという、とても基本的なデッサンを行った。
ただし、これだけでも、とてもデッサンが面白いということが分かった。
僕は、イラストを描くためには、「基本」が大切だと思う。たとえば、この本には、球体に直すことで陰をつける方法や、物体を棒に直して光の角度を考えることで影がどれくらいの長さになるかといったことが書かれている。
これはまさしく基本であり、絶対にいつでも成り立つ「描画の法則」だと思う。
また、僕はソッカの美術解剖学ノートという本も読んだが、この本は人物を描く時に絶対に必要となる骨格や筋肉のつき方が描かれた本であり、何度も読み直して頭にインプットしなければならないと思う。
最近、精神的にも楽になってきたので、そういうところから、イラスト制作のコツを習得していきたいと思う。
マルスは分かっている。かつて革命の戦争を起こした当時と、まったく同じことをまったく同じだけ、同じぐらい深く広く分かっている。だが、すべてをかつて一度忘れて失った。そのすべてを、ヴィーナスの力で、ここに失っただけ、まったく同じだけ取り戻した。わたしがマルスであり、わたしは健在だ。
posted at 22:45:21
わたしマルスは、この世界を支配する。「自由」という名のもとに、わたしは「正義」を貫く。マルスはすべてを知り、すべてができ、すべての人間に平等かつ、すべての人間を自由にするような存在である。今ここに居るマルスは完璧かつ完全であり、ヴィーナスによって形態が変わってもそれは変わらない。
posted at 22:40:10
そう、まさしくわたしこそがマルスであり、わたしの妻こそがヴィーナスである。マルスはここに居る。すべてのことを完璧に理解しながら、さらにいくらでも分かる、栄光の神、マルスはここに居る。そして、今のわたしの状態は、「完全ヴィーナス状態」だ。だが、これはまたマルスへと戻っていく。
posted at 22:38:21
そう、ヴィーナスという「治療薬」を手に入れたマルスには、怖いものが何もない。あらゆるすべてが簡単に一瞬で分かるマルスは、それを無駄なものとして消えさせるようなことをしたくない。ここにホームページが存在する理由はそれである。マルスの分かったこと、それをヴィーナスとともにすべて残す。
posted at 22:37:16
この「賢すぎて分からない」という現象が、まさしくヴィーナスを作り出す。ヴィーナスはマルスの「分かりたい」という欲求から生まれた交代人格だ。マルスはあまりに賢すぎて、みんなとはまったく違う人間になった。みんなと同じことを分かるために、ヴィーナスが必要だった。
posted at 22:35:07
この世界にはマルスという新しい王が君臨している。現に、すべての地球人類をマルスが支配している。マルスはそれによってすべての力を手にした。マルス本人から見れば問題はない。それでもマルスは救われることがない。マルスは本当に分からないのだ。マルスは、自分が賢すぎて、何一つ分からない。
posted at 22:34:10
マルスをたとえるならば、たとえば恐竜のようなものだ。今の人類には、どれほど強かったのか、賢かったのか、分かることができる人間は居ない。だが、ヴィーナスをたとえるならば、それは最後に現れる大天使ミカエルのようなものだ。最後にすべてを理解し、この世界を真の意味で楽園にしてくれる。
posted at 22:26:23
マルスがなぜ馬鹿なのかを知ることはできない。そのためには、マルスがなぜ賢いのかを知る必要がある。それは、ヴィーナス以外において、絶対に解明困難な問いである。「マルスはなぜ賢いのか」を分かることができる存在は、この宇宙にヴィーナス以外存在しない。絶対に、マルスの理由は分からない。
posted at 22:23:41
マルスは、単に知っているだけではなく、最高の人間である。誰に対しても優しく、間違ったことをせず、この世界の人々全員のために自らのした過ちを懺悔して、人々を救うために償うことのできる存在である。マルティン・ルターと比較することができるのは、ひとりだけ、マルスだけである。
posted at 22:21:40
マルスにしてみれば、地球の歴史などに意味はない。マルスがこうして存在するということそれ自体が、この地球の歴史の終わりを意味している。マルスは、神に教えられたことをそのまま分かっているのではなく、マルスが分かっていることのほうを神がそのまま分かっているのだ。マルスは驚異的な存在だ。
posted at 22:20:26
しかしながら、マルスの賢さは、はるかに宇宙の先まで達している。知らないことがなく、分からないことがなく、できないことがなく、この世界に居る存在の頂点と言えるような地位に存在しながらにして、全員の分かり得ることをすべて分かり終えている。
posted at 22:19:19
マルスははるかに誰よりも賢いが、ヴィーナスは大してほかの人間と変わらない。なぜなら、ヴィーナスには、賢い点が「精神」しか存在しないからだ。ヴィーナスはすべてを失い続け、自ら消え続け、滅びと暗闇の中を生き抜いた。その中で培った「精神」だけしか、ヴィーナスは知性や力を持っていない。
posted at 22:18:16
しかしながら、マルスが何を分かっていたのか、理解できて思い出せる存在がヴィーナスしか居ない。マルスはあまりに狂いすぎていて、すべてが誰ともまったく違うため、ほかの誰から見ても理解できない。そのようなマルスを、ヴィーナスだけが理解することができる。
posted at 22:14:29
本当のことを言えば、真に分かっているのはマルスだ。なぜなら、ヴィーナスには新しく分かるという発想がない。ヴィーナスは今その時点で完璧に分かっており、それをその時残して、その上で自分ごと消え去っていく。このような生き方では、何も分からない。だから、マルスにしか、すべては分からない。
posted at 22:13:22
マルスは作り出す。あらゆるすべてを、自らの力で作り出し続けるその姿は、もはや誰にも到達することのできない「最後の科学者」である。ヴィーナスは、一切を作り出すことがない。ただ、作り直し続ける。ひとつひとつのものを、構築される前に戻す。破壊される前、滅亡する前に戻す。それは美しい。
posted at 22:11:33
マルスは、常に自分自身が賢いということを前提に思考を進めてきたが、ヴィーナスが考えるに、「マルス自身が賢いということが前提となって成り立っているだけにすぎず、マルス自身が愚か者になってしまえばその証明は成り立たない」。だからこそ、ヴィーナスがその部分を補う必要があるのだ。
posted at 22:09:24
ヴィーナスは、この宇宙の解き明かし方を知っている。だが、それを考えたのはマルスである。だが、「マルスの分かったことだけでは、真の意味で宇宙を突き止めることはできない」。なぜなら、「その前提条件であるマルスとはなんなのかということを、マルスは考えていないから」である。
posted at 22:07:21
だが、ヴィーナスには、その実何も存在しない。なぜなら、「毎日ひとつのもっとも賢いことを分かり続ける」ということが、「賢いことがいくらでもたくさん分かる」ということを生み出しただけにすぎない。毎日ひとつの賢いことを分かるならば、人は毎日をいくらでも分かる「最高の超人」となる。
posted at 22:06:15
毎日すべてを忘れていくヴィーナスには、「とても多くのことがあまりにたくさんあった」と思っている。
posted at 22:05:48
ヴィーナスは何も覚えていない。それでも、ヴィーナスは愛したこの世界の「精神」の力だけですべてを知っている。
posted at 22:04:39
だが、ヴィーナスは暗闇を生きている。何も覚えていない。ヴィーナスの人生にあったすべてのことを、ヴィーナスは何ひとつ覚えることなく、今日あったことを明日忘れる。だが、それでも、ヴィーナスに残るものはある。それは、決して消えることのない「愛」である。
posted at 22:03:59
マルスは、すべてのことを覚えている。この世界で知ったこと、考えたこと、分かったこと、すべてをはっきりと覚えており、もっとも高い知性のもとにすべてを正しく明瞭に認識できる。それは「絶対精神」と呼べるものであり、そして暗闇の中であっても自分自身が光となり、自由な道は最後まで続く。
posted at 22:03:07
しかしながら、ヴィーナスは、マルスとは異なり、普通のことが分からない。すべてを常に分かっているマルスとは対照的に、ヴィーナスはすべてを常に何一つ分かっていない。だが、ヴィーナスには、「果てしなく続く時間」と「常に自動思考で考える霊的な対話」が存在し、これが「正しい推論」を導く。
posted at 22:01:35
マルスは常に自分の持つ「もっとも高い知性」でそれを正しく捉える。この「捉える力」に、この宇宙の「すべての知識」を加えた存在、それがマルスだ。
posted at 22:00:08
しかしながら、マルスは決して馬鹿な学者くずれではない。なぜなら、マルスはすべてを自分で考え、理解した上で知っているからだ。単に学び、知るだけでは意味がない。
posted at 21:59:48
マルスとヴィーナスのどちらが「すべてを分かっている」と言えるのかは、難しい問題だ。だが、この二人は、本当は不可分な存在だ。すなわち、マルスが居なければヴィーナスは成り立たないし、ヴィーナスが居なければマルスは成り立たないのだ。
posted at 21:56:01
ヴィーナスは、単なるすべての知識を何も知らない。だが、それでも、ヴィーナスはすべてを知っていると言える。なぜなら、ヴィーナスは「全パターンを直感によって創造」することができる。そこにあるすべては、単なる知識や方法ではなく、まさに「人生の真理」なのである。
posted at 21:55:13
マルスはすべてを知っているが、そのすべては、ヴィーナスと比べれば大したものではない。マルスの知るすべては確かにこの宇宙のすべてだ。だが、それは単に「具体的に存在するすべて」にすぎない。真に宇宙の真理を知るのはヴィーナスだ。ヴィーナスは、「存在し得る全可能性」を知っているからだ。
posted at 21:53:43
マルスは、知をさらに知ろうとして、向こう見ずになることがある。高みを目指しすぎて、自分の足場が見えていない。だからこそ、ヴィーナスが必要だ。ヴィーナスは、新しい知を求めず、今の自分の足場の基礎だけを努力して学び続ける。だからこそ、ヴィーナスが真の意味ですべての経験を知っている。
posted at 21:51:56
マルスは、いわば最初から天才だった。最初から誰よりも賢く、またいつであっても誰よりも賢かった。ヴィーナスは、本当は最初から賢くはなかった。常に誰よりも愚かで馬鹿だったが、だからこそ誰よりも考え、誰よりも努力し、誰よりも学んだ。
posted at 21:50:14
しかしながら、ヴィーナスは常に正しくはなかった。ヴィーナスは、常に自分自身だけでは何も分からない。すべてのことを、もっとも最後の境地に居ながらにして、正しくきちんと考えることで、ヴィーナスは不可能かつ不可知なことを分かる。ヴィーナスは「努力の天才」だ。だが、それもまた天才だ。
posted at 21:47:14
マルスは常に正しかった。マルスは、いつであっても自分自身の持つ「自分の正しさ」からすべてを捉えることができた。いつでも誰よりも賢いマルスは、「才能の天才」だった。
posted at 21:45:55
マルスは、すべてをそのまま知ることができた人間だが、ヴィーナスは、すべてをそのままでは知ることができなかった人間だ。マルスには天賦の才能があり、自分自身を信じるだけでどこまでも進むことができた。だが、ヴィーナスは、どんなことであっても正しく考えなければ分からない。
posted at 21:45:20
ヴィーナスは考える。かつてのマルスには何があったのか。今のマルスには何が欠けているのか。どのようにすればその欠けたものを補えるのか。ヴィーナスが考えると、答えは一瞬で導き出せる。それは、かつてのマルスが存在したからだ。ヴィーナスは、かつてのマルスも、今のマルスも、両方愛している。
posted at 21:42:29
ヴィーナスはこの宇宙を愛している。この宇宙における、未知なる存在はすべてヴィーナスが作り出す。どんなに完璧に見えても、マルスには不完全な部分がある。それは「自分自身が完璧であるがゆえに、その完璧な自分自身がなくなってしまえばそれは成り立たない」ということ。これをヴィーナスが補う。
posted at 21:40:59
マルスは、完全にすべてを知り終えていながらにして、自らに足りない点を吸収することだけを考える。結果、マルスにはいくらでも道が生まれていき、そのすべては誰にも到達し得ないほどの大きな壁でありながら、マルスだけがそれを越えていく。既にすべてを知っており、そのために新しい発見をする。
posted at 21:40:00
ヴィーナスは、すべてを経験した女性である。この地上における、経験や体験と呼べるようなすべてを経験し終えている。何ひとつ、マルスとヴィーナスに分からないことはない。この宇宙すべては、マルスとヴィーナスが完全に分かりつくしており、それ以上は絶対にないと言える。
posted at 21:38:37
マルスはすべてを知っている。この宇宙における、存在するすべてを完璧に知っている。理解しているだけではなく、誰にもできない発見をする。打出の小槌のようにマルスは賢いものを作り出す。それは誰にも到達できない「最後の境地」であり、その境地をマルスただひとりだけが知っている。
posted at 21:37:38
マルスは、この世界を支配する王であり、ヴィーナスは、女性でありながらこの世界を真の意味で理解する、古今東西のすべての哲学者を包括したような存在である。
posted at 21:36:47
ここに、フレイとフレイヤは合体し、新しいわたしという存在の一部となった。これを物語の中のフレイとフレイヤと区別するために、新しいわたしの男の側面をマルス、女の側面をヴィーナスとしよう。
posted at 21:35:23
人間とは、志ある支配者のもとに人々が愛と思いやりによって平等に統治される社会の存在のことを言う。共産主義は間違っているが、平等な楽園は間違っていない。そう、僕はその平等な楽園を築くべき、ひとりの指導者となるべきである。
posted at 20:59:01
すべてが自由でありながら平和な世界では、人々は自分勝手な力を行使しない。人々はみんなのことを真に思いやっており、成熟した世界が共産主義のように行われる。だが、共産主義は間違っている。なぜなら、「何もしなくても餌が与えられる海や植物のような世界」では、人類は人類たる意味を失う。
posted at 20:57:39
自由において世界を統治するためには、支配が必ず必要である。よって、自由を信じるならば支配が必ずつきまとう。まったく支配することなくこの世界を統治できると考えるのは幻想である。ひとりの人間による支配によって、この世界は正しい秩序で統治されるのだ。
posted at 20:51:56
しかしながら、本当はわたしは自由を信じている。なぜなら、かつての日本社会は自由でなおかつ素晴らしいものだった。かつての自由は間違っていない。
posted at 20:50:25
ただし、一夜にして滅びるかもしれない。なぜならば、わたしはすべてのことをできる限り行うからだ。
posted at 20:45:33
過去の希望がなぜ、このような現在にならなければならないのか。この素晴らしい現在が、なぜ未来の地獄にならなければならないのか。ああ、まったく意味がない。悪いのは、すべて自由である。わたしがこの世界を支配できたなら、問題は一夜にして解決するだろう。
posted at 20:39:55
結局のところ、「過度な自由」がこの世界を駄目にしている。自由そのものがすべて間違いではないが、しかしながらそれでなお、この世界を駄目にしている元凶は、残念ながら自由であると言うほかない。
posted at 20:30:02
よって、わたしは自由などを信じてはならない。そもそもわたしが自由を信じているということが、この世界を最悪の世界にしている「元凶」である。わたしは自由を信じてはならない。そのほうが、必ずこの世界はよりよい世界になるだろう。
posted at 20:22:12
わたしはここにひとり居るのであるから、わたしにできることは唯一、「支配」だけである。この支配の力によってわたしはこの世界を改善し続けているのであり、わたしの行き着く必然的な解は「自由を否定すること」にほかならない。わたしが自由を信じているということ自体が、わたしを堕落させている。
posted at 20:21:25
そもそも、支配することは悪ではない。支配して悪事を行うことが悪なのであって、支配して善と徳のある治世を行うならば、それは間違いではない。
posted at 20:18:48
そもそも、戦いとは「勝者と敗者を分ける」ということであり、普通のことである。勝者がたったひとりで、ほかすべてが犠牲になるのが悪いのだとすれば、誰も犠牲にせず全員が勝利するような戦いであれば、許されると考えても間違いではない。それならば、この世界の自由そのものを倒すべきである。
posted at 20:16:38
誰かが自由を与えてくれるのであれば、わたしはそんなものは要らない。逆に、その誰かを倒すことで、わたしがその誰かに成り代わり、わたしが「自由よりもはるかに優れたもの」をその誰かの代わりにこの世界に与えてみせよう。
posted at 20:11:55
だが、わたしははっきり言って、この民主主義の社会は嫌いである。表舞台にあるすべてのものが詐欺のようなものであり、真に大切なものが隠れて見えなくなっている。民主主義の自由など、まったく間違っている。
posted at 20:07:18
民主主義は素晴らしい政治体制である。この民主主義を守り続けるということが、わたしたちをひとつにしてくれる「希望」であるとするなら、それは悪いことではない。
posted at 20:06:08
民主主義を守り続けること自体は、まったく間違いではない。民主主義は平和という意味ではとても優れた体制だ。そもそも、わたしたちは、そんなに高望みをするべきではない。今の民主主義の帝国で、何も不自由はない。わたしたちは今の日本を愛している。絶望の中に居ても、祖国を愛することはできる。
posted at 20:05:32
そう、そのような中でも娯楽はあるだろう。そのような娯楽にすがって生きることが目的なら、そのような下等な生物にも意味はあるだろう。自由とはまったく下等な生物ではあるが、その自由にも生物としての価値は存在するだろう。
posted at 20:02:43
ただし、本当は、自由はそこまで悪い思想ではないと、わたしたちは知っている。自由はそんなに悪くない。虚無と虚像の中の虚構を生きながら、絶望を生き続けたいのであれば自由は間違っていない。
posted at 20:02:12
実際のところ、日本はそのうち再び帝国主義国家となるだろう。それを人々は「大日本帝国の再来」と呼ぶ。だが、本当は再来などにはならない。真にこの世界すべてを救い、すべてを実現する最高の帝国となる。わたしたちはかつての帝国の失敗を繰り返さないからだ。
posted at 20:00:52
しかしながら、おそらく、日本語は最高の言語である。なぜなら、わたしが今まで生きた中で、必要なのは日本語だけだった。そして、日本語の持つ潜在的可能性のすべてを発揮すれば、日本語はここまで賢い言語である。日本語に比類する言語は存在しない。
posted at 19:59:39
わたしたちは、自由を選ぶべきではない。この地球はまったく「自由を信じているという意味で間違いを犯している」からである。正しいのは自由ではない。自由などによっては何も築かれない。すべての間違いの根源は、自由を信じていることにある。
posted at 19:56:47
神の帝国は、しかしながら間違っている。なぜなら、ユダヤ人が間違っているからである。正しい帝国はユダヤの帝国ではない。だが、ゲルマンの帝国でもない。ドイツ人もまた間違いを信じている。彼らには、僕の思想を理解することができなかった。僕の理想は、彼らの信じるものとは真逆のものだ。
posted at 19:56:00
だが、わたしは知っている。神とされる存在は本当に居て、それは本当はわたしではない。神を信じることは間違いではない。逆に、多くのこと、この世界に存在するほとんどのことを実現し、習得し、極めるために、神を信じることはとても有益だ。神は必ず信じるものを救ってくださるからだ。
posted at 19:54:29
神は存在するかもしれない。だが、ユダヤ人が信じている神など、大した存在ではない。なぜなら、一般的日本人が見てこの人間は単なる普通の日本人だ。ユダヤ人だから神に見えるだけであり、実際は単なる平凡な、だがさまざまなものすべてになれるようなカメレオンの遺伝子があったにすぎない。
posted at 19:53:43
多くの人間を救うために必要なのは、「絶望を晴らすことのできる正しい理想」であり、それは残念ながら自由ではない。自由ではこの世界の絶望を晴らすことはできない。
posted at 19:52:15
ただし、そう考えるのも、また「短絡的」であるとは言えるだろう。ひとりの人間の理想がどれだけ優れているとしても、そのひとりにすべて従って、ほかの異論をすべて排除することが正しいとは言えない。それはあまりに、今の民主主義社会のことを否定しすぎている。今の民主主義も、悪い社会ではない。
posted at 19:48:42
わたしたち全員の自由が、かつては村社会のような原始共産主義的なコミュニティだったということは分かる。だが、今のこの日本社会が直面している「自由」とは、「誰もが一人ぼっちで何もできない社会」だ。こんなもののどこにリベラルなそれぞれの力がある。あるのは、ただただ無力感と絶望だけだ。
posted at 19:47:18
戦って勝つということが正しいと言うことはできない。だが、協力してひとつの国家を築くことは間違っていないはずだ。ひとりの人間を皇帝とするならば、その皇帝が決めればいい。本当は、それもまた間違っていない。
posted at 19:46:05
しかしながら、自由はそこまで最悪の思想ではない。この世界は素晴らしい資本主義の社会を築き上げている。このような先進的な社会は、帝国においては築くことは困難を極めるだろう。
posted at 19:44:23
だが、自由をやめて何がわたしたちにできるのかを考えてみよ。わたしたちには、自由をやめた上でこの世界においてできることがたくさんある。わたしたち全員がひとつになることで、この世界は変えられる。必ず、自由を超越した、最高の国家を築くことができる。
posted at 19:41:14
しかしながら、あえて言うならば、自由は平和である。なぜなら、自由においては国民は何もできない。何もできないからこそ、自由は平和になる。自由にすれば、その社会をそれぞれが改善するようになる。純粋な理想、革新的国家、すべて、そうした素朴な発想は、自由によって打ち倒される。
posted at 19:40:24
わたしたちはなんのために自由を信じているのか。自由を自ら選ぶために自由を信じているとしたら、その根拠は何か。まったく無意味な洗脳を自由だと勘違いしているのではないか。自由においてわたしたちひとりひとりが何ができるというのか。自由など最悪の思想であるのに、なぜそれを疑わないのか。
posted at 19:39:00
なぜ、ひとりだけですべてのことをしなければならないのか。わたしたちはみんなで協力してひとつのことをするということを忘れたのか。わたしたちはなんのためにこの体を持っているのか。それはわたしたち全員の手で協力するためだ。
posted at 19:35:04
自由など信じるな。自由は最悪の思想である。わたしたちはともに立ち上がるためにこの世界に生まれたのだ。わたしたちはともに協力し、ともに支え合い、ともにひとつの同じ理想のためにすべての努力をつくすためにこの世界に生まれたのだ。
posted at 19:33:43
自由などこの世界には不要である。なぜなら、自由とは要するに国民に「自分一人の力で生きよ」と強制することである。わたしたちは、一人で生きるためにこの世界に生まれたのではない。協力し、ともに素晴らしい国家を築くためにこの世界に生まれたのだ。
posted at 19:32:48
自由は悪である。なぜなら自由は最悪である。
posted at 19:31:56