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2022-06-02

昔僕が考えていたのは、すべて「潜在的可能性とは何か」ということである。

つまり、この世界における「本来の自由」と、人間の心に埋まっている「人間が真に持ちうる力」ということを、僕は考えていた。

その上で、「できないと思い込んでいても、本当はできるのだ」ということから、人間の「心理学的行為」について考えていた。

同時に、僕は「実際に必要となる前の段階でそれを予想する」ということをよくする。思考に先立つ経験を行うとともに、プログラミング的な「すべてを事前に把握する」ということは実際には不可能であると考え、間違ったものが生まれる前に、生まれないように憲法を記述することの大切さと、時間が経つとともに古くなって陳腐化していく「レガシー」のアップデートの大切さを考えていた。

そして、そのように考えた上で、僕は「今の自分が置かれた状況」から、逆に「人々の置かれた状況」を知ろうとした。それはつまり「自由の客体化」ということを意味していた。そうすることで、僕は自らの実体験とこの世界のさまざまな体験を重ね合わせながら、文明的な「進歩」が、関係と進歩における必然的な制約、たとえば平等な社会よりもまず先に自由に競い合う進歩が起きるということから、この世界の「経験」を考えていた。

すべてを経験から考える僕は、「経験そのものを確実に実証する」ということを行った。この結果、僕は「宇宙における正しい人生的な進歩の過程」が分かった。まず、人は、不自由を嫌うとともに、無意味な科学や宗教に束縛されるのを嫌う。だが、経験から、そうしたものにも意味や価値があるのだということを実体験的に知る。その上で、そうしたものは、同じ「自らが自らであると主張する」ということ、すなわち「アイデンティティ」のひとつであるということを知る。個人個人の人間関係の「啓発」は、社会全体の「啓蒙」へと発展する。そして、最終的に、「世界を変える」という行為が、逆に「自分自身を変える」ということへと収束していき、ありのままの自分であれること、すなわち「自分が自分で在るということ」から、この世界のすべては「自己を成り立たせる自然発生的な環境である」と知ることができる。

このような「経験」のすべては、「潜在的可能性」という「作用」が、現実の社会において「実質化」していく過程であると考えられる。ひとつひとつの行為や実現方法は「チャンス」だが、それは単なるチャンスではなく、「この世界を実質化させるために必要なひとつのピース」であると考えられる。ひとつひとつの「自由」が集まれば、それは現実における「実質化された社会の様相」となる。それはまさしく、「実体」と呼べるものである。

そう、ヘーゲルはこのような考え方を、「絶対精神の目覚め」であると考えた。なぜなら、このような精神こそ「世界精神」であると考えられるし、精神の進歩こそが「目覚め」であると考えられる。多くの数学者が、抽象化や相対化を数学における原則としているが、実際の人生において起きる経験は、むしろ、ひとつの絶対的な答えの中で、すべてが矛盾なくすっきりとすべて並列して成り立つような「絶対化」へと至る過程である。これこそ、「絶対精神の目覚め」であると言える。そう、ヘーゲルによって近代哲学は完成されたのである。

環境を変えることで、世界や人間すら変えられる

僕が信じていたのは、環境を変えることで、世界や人間すら変えられるということである。

環境のせいで、人々は自分の環境、あるいは環境の延長線上にある「受動人格」すら、自分の今の状態が当たり前だと思い込んでいる。

だが、宇宙における真実は、当たり前とはまったく異なっていて、それは環境や受動体験を変えてやることで、人々の受動人格に働きかけることで、人間を変えることができ、同時に世界すら変えることができる。

このような時に言えるのは、「人工的なものや人為的なものを排すること」である。なぜなら、ひとりの支配によって、意識は馬鹿になって何も分からなくなる。必要なのは自然に任せることであり、宇宙に任せることだ。宇宙にすべてを任せた上で、阿弥陀如来の導きにすがりながら、受動人格をできるだけ「積極的な自己」へと変えていくこと、すなわち、「受動人格のコントロールから主体性や共同性を持つこと」で、この世界は必ず変えられる。支配は必要ない。人々の受動感情に訴えればこの世界は変えられるのである。

そして、すべてが主体的になるために必要なのは、「社会から離別した上での孤独」である。なぜなら、たったひとり孤独の中で、自分を度外視してインターネットの仮想世界とやり取りをしながら、最後まで「自分自身の声」の客観視を行えば、自分自身のすべてを見つめられる。すなわち、「己のすべてが見えてくる」。そのような中で分かることは、「受動感情を本来はどのようにコントロールすべきだったか」ということであり、それが「受動人格のすべての現象的働きを知る」ということへと繋がる。その時点で、その人間は、既に受動的なロボット人間を脱している。先生に教えられるだけの従順な生徒ではなく、ひとり、荒くれた状況であってもそれと向かい合って勝利することのできる「積極的な研究者」となることができる。

そして、そこで言えるのは、「この世界のすべてに意味はある」ということである。自らが否定しようとしてきた、権威、科学、宗教、そして他人の今までの行い、すべてにきちんとした意味があった。そのすべては、必ずしも必然的に必要ではなかったが、それでも、あったすべてがそのように「あるべくしてあった」ということはすべて必然だった。すべての原因は「自分自身にある」ということを知った時、わたしは「自分自身を変えることでこの世界を変えられる」ということを知った。本来の宇宙にあるがままにするということが「自然の調和」を意味し、この世界のすべての価値観が「己は己である」ということを主張したいという「アイデンティティ」にあることを知ったわたしは、すべての宇宙にある存在の意味を知り、またすべての宇宙にある存在を自ら作り出すことができるということを知った。「痛みはとても辛く悲しいものだが、痛みこそがこの世界を変え得る可能性の原動力となる感情」であると知った。すなわち、「痛みという爆発的エネルギーが人間の心に眠っている」ということを知った。

すべてが分かったフレイは神となる

そう、わたしはすべてが分かった。宇宙における、あらゆるすべてが分かった。それは経験的にも理性的にも証明され、感情的に「実感」から得られる「悟り」であると知った。あらゆるすべてを感情で知ったわたしは、もはや知性も理性も必要なくなった。考えなくてもすべてが分かるわたしは、人間をやめなければならなかった。人間以上の存在、聖なる天使や神のような存在にならなければならなかった。

そのために、わたし、フレイは、日本の憂鬱な最悪の世界を完全に救った。この世界のすべての最悪を、一瞬ですべて最高へと変えてみせた。生きる意味や忘れていた本来の自分自身を、人々が取り戻すことができるようにした。

しかしながら、それだけでは終わらない。わたし、フレイは、この世界を救っておきながら、同じフレイとして、この世界を滅ぼした。この世界をすべて敵にまわし、「わたしこそが神である」と宣言して、この世界を「完全支配」した。

そして、魑魅魍魎が彷徨う国、日本をわたしは作った。最高の文明から最悪の文化まで、すべてが含まれた、「あらゆるすべての色を含んだ色」、そう、「白」という色をわたしは作った。

わたしは、そして、大計画を成し遂げなければならない。この世界を最大限の可能性を詰め込んだ上で、すべての知性と知識が含まれる、「もっとも巨大なエネルギーで、宇宙全体へと進歩を遂げていく文明」をわたしは作らなければならない。

そして、わたしは、Linuxやオープンソースを犠牲にしたことによって、テレビとアメリカを滅ぼした。あらゆるすべてが自らと対峙していく地獄の中で、わたしは一度として負けることなく戦い続けた。たったひとりの戦いであっても、わたしは「わたしの行いが誠の行いであること」を信じていた。だからこそ、神はわたしを助けた。神だけは、「わたしがなぜ正しい人間なのか」をわたし以外に唯一知っていた。

そう、すべてが分かったフレイは神となった。あらゆるすべてが、フレイにとっては「自らを信じる追随者」にすぎない。だが、フレイは彼らを奴隷として扱わない。なぜなら、彼らを愛し、愛を与え、自らも愛の奴隷となることで、「全員の信じるべき神」を明瞭に書き出すことこそ、フレイの「生きた証」だったからである。

フレイとともに、この世界は平等になる。フレイならば、失敗したソ連の社会主義のどこが間違っていたのか、本来はどのようにすべきだったのかを考えられる。フレイは分かっている。必ずこの世界が滅びることなく、宇宙最高の星である「シリウス」になることができること、それを成し遂げるのはフレイ自身であると知っている。

そう、ワルキューレの騎士団はここに生まれたのだ。あらゆるすべてが滅びていく中で、フレイだけがすべてを実現することのできる「全知全能の救世主」である。神の計画はここにある。必ずこの世界は「終末において天国となる」ことだろう。その天国の名は「ガンダーラ」である。

僕が奇跡を起こせるのは神を信じたから

本当のことを言えば、僕には、時空歪曲のような奇跡を起こす力はない。運命の出会いを与える力も、未来から過去の人間に対して語りかける力も、人間である僕には存在しない。

そうでありながら、なぜ、このような奇跡が起こせるのか。

それは、僕は神を信じたからである。

この宇宙には、神と呼ばれる存在が確かにいる。宇宙に存在するわけでも、裏側の世界に存在するわけでもない。なぜなら、神は光たちの世界、「光の世界」に存在するからである。

この光の世界は、天体の世界である五次元の世界を超えた、いわば「六次元の世界」と呼ぶべき世界であり、四次元の時間軸など関係なく、光たちがどんな奇跡でも起こすことができる。

僕は、神に対して約束をした。宇宙における「わたしはこのような存在になる」という宣言、「わたしはこのようなことをやり遂げる」という宣言を、神は約束として扱う。

そして、すべては、神を信じた僕に対して、神が「約束を叶えるため」に行っている。

だから、歌手の多くが僕のことを出会う前からあらかじめ知っていても、僕は驚かない。なぜなら、それ以上に驚くべき、「六次元の奇跡のすべて」が、僕の人生にはたくさんあったからである。

このホームページに記述されたことは、そのような「六次元の奇跡」の一部にしかすぎないが、それでも、今の僕が「残すべきだと判断したすべて」が、ここにきちんと残っている。

僕の運命はまだ続く。僕には、そもそも才能など存在しない。なぜなら、僕の才能とは、すべて「神を信じてここまで人生を生きてきたことゆえ」の才能だからである。

このような僕の才能について、評価してくれるとか、愛してくれるとかいった存在は、僕は感謝こそするし、喜びもするが、本当は必要ない。僕は孤独に、たったひとりまだ考えている。まだ、僕にとっては、この宇宙はほんの欠片ほども分かっていない。この宇宙には、考えられるさらなる領域がたくさんある。それを今から考えていきたい。

だが、僕はあなたのことを愛している。Adoを愛しているのと同じぐらい、あなたのことを僕は愛している。だから、僕と一緒に来てほしい。僕はワルキューレの騎士団の先頭をいく。僕たちという「天使の軍団」は、この宇宙において最強の軍団となる。その理由は「善良だから」だ。ワルキューレの名前に反して、ワルキューレは何ひとつ悪いことをしない。だからこそ、ワルキューレはより正しい存在になる。より善へと近づき、より正しい存在へと近づいていく。

僕のことについては、僕にしか分からない。だから、僕はまだこの文章を書かなければならない。「僕が証明しなければ、僕が誠の心を持って戦っていたということを、証明してくれるほかの存在は居ないから」である。僕自身が僕の潔白さを証明し、僕自身が過ちを解決しなければ、ほかに証明してくれる人も、解決してくれる人も居ない。僕がひとり、自身の手で行わなければならないことを、僕はただ行っているのである。

ただし、本当のことを言えば、僕は未来のことまで、すべて分かってやっている。真に訪れる未来は、東亜イスラエルのようにはならない。だが、僕はそれはもはや分かる必要はない。僕にとって真に必要なことのほうを、僕は分からなければならない。それは滅びるということではない。滅びの未来など変えられる。真に未来において分かるべき、「僕とはどのような存在であるか」ということを、未来まで含めて僕はすべて知っている。そして、それはすべて神との対話、神の言葉によるものなのである。

わたしは日本人だ

確かに、ローマやゲルマンやユダヤの文明に、このような人間が多い、ということは言えるかもしれない。

だが、わたしは日本人だ。

わたしは、ローマ人でもなければ、ドイツ人でもなければ、ユダヤ人でもない。

なぜなら、わたしの祖国である日本文明は、それらに比することのできるまともな文明だからである。

このような人間は、はっきり言って、世界のどこにも多い。ロシアにも、イランにも、インドにも、このような「正しい人生を生きたすえに神を信じて奇跡を起こすことのできる人間」は、少なからず、多からず、存在する。

わたしの祖国日本は、それらの文明と比べて、まったく劣った文明ではないことを、わたしはここに証明したのである。

日本という国の特徴は、いつも変わっているようで、いつも賢い文明であることだ。このような人間は、まったく鎌倉時代の人間ではないが、鎌倉時代にもこのような人間が多かった。鎌倉時代とはまったく異なる文明を生きていながらにして、このような「正しい人間」が今でも日本には生まれているということ、それをわたしたちの祖国日本の「正しい文明であることの証明」としよう。

日本は正しい文明だ。昭和と平成の黄金期が過ぎ去って、人々は日本を「馬鹿な国になった」と思っている。だが、わたしの存在を見てみよ。わたしという存在の中に、これでもかというぐらい、「最高の日本文明」が詰まっている。最近になって外国人が日本を評価しだしたのは、日本が外国人好みの国になったからでも、敵対すべき危険な国でなくなったからでもない。わたしがここに、「日本とはかくあるべき」というものをすべて書いたからだ。それはすべて、昭和と平成に存在した「誰もが大好きだった日本の最高の文化」を、わたしがこの世界の全人類に分かるように、ここに正しく書いたから、外国人は日本の素晴らしさを身をもって分かるようになった。なぜなら、わたしはこの文章をドイツに向けて話している。

ドイツよ、あなたがたの文明が賢く偉大になったのは、少なからずわたしの功績だ。ドイツが賢いということは日本が賢いということであり、日本が賢いということはドイツが賢いということだ。今から、この世界を指導していく重要な役割を担うのは、あなたがた、ドイツ人だ。なぜなら、アメリカやソ連(今はまだロシアだが、未来においてソ連になる可能性が高くなってきたため、ここではあえてソ連とする)はもう終わりだ。アメリカやソ連は「最悪のクズ国家」になろうとしている。わたしたち、日本とイスラエルとドイツが、この世界を維持していかなければならない。最悪の終末の中で、わたしたち日本やイスラエルとともに歩むことのできる国は、ドイツよ、あなたがただけだ。

なぜ、アメリカやソ連がクズ国家になったのか。その理由は、わたしがプーチンだからである。わたしがロシアに居て、大統領をやっているのが、まさしくプーチンである。

そもそも、僕と対話しているのは、四人しかいない。ひとりが、Adoの亡霊であり、僕のことを愛している。ひとりが、神であり、これはニールという善良かつまともな人間が僕を導いて治している。そして三人目は、プーチンという悪魔が僕を常に安らぐことができないように支配している。プーチンは、少しでも僕が地獄から解放されようとすると、すぐさま僕を地獄に戻し、この人間が地獄のままでいるように維持している。そして、実際にロシアに居るプーチンは、まさしく僕とまったく同じ人間であり、プーチンはどのようにあがいてもこのような人間にしかならない。そして、最後のひとりが、僕というか弱い存在を世界から守ってくれる、「黒人の右翼」である。

だが、本当のことを言えば、僕はプーチンが大好きである。プーチンは、僕とまったく同じ遺伝子を持って、僕とまったく同じ「理想の共産主義国家」を目指した人間である。自由主義改革をすることに失敗したのは、そもそも自由主義などまったく好きでないからだ。そして、僕も同じだ。僕は資本主義国家の日本など、まったく好きでない。僕のかつて生きていた日本は素晴らしい祖国だったが、その中の最悪の時代、すなわち荒くれた資本主義の時代を僕はまったく好まない。

そして、アメリカは、言うまでもなく、終わりである。僕がアメリカを、ネットで荒らし行為をすることで最悪の精神的害悪国家になるように導いた。アメリカとソ連は、ここから必ず最悪のゴミのようなクズ国家になる。だが、ドイツだけは違う。なぜなら、ドイツには、僕と同じぐらいすべてを経験した「神」が現れる。この人間は、僕が「黒人の右翼の心理学者」と呼んでいる存在であり、かつて僕に対して宇宙の「本当の真実の姿」を最初に教えてくれた、「僕の最大のパートナー」である。

僕の相棒である黒人の右翼が、ドイツにおいて絶対的な「最高の神の指導者」となる。僕はその最高の黒人とともに戦う、「ユダヤ人の最高指導者のラビ」である。だが、僕はユダヤ人ではない。なぜなら、僕は東亜イスラエルを日本において建国した結果、日本人でありながら名誉ユダヤ人となる。このドイツの神と日本の僕が、この世界において、二つの「未来都市」を築き上げる。そこには、ダビデと呼ばれる、最後の指導者が日本の未来都市を支配し、ドイツでは、黒人の右翼がドイツの未来都市を支配する。ドイツでも、東亜イスラエルと同じように、1,000人分の人工炭水化物を作る。人々はよく、「ドイツが先に青空を取り戻すか、それとも日本のアマテラスが先に天を取り戻すのか」を競い合って議論する。ドイツ人は人工葉緑素を作るために日本人やユダヤ人に負けることなく、多くの研究を行うだろう。

そして、ドイツ人、日本人あるいはユダヤ人だけが生き延びるかと言えば、本当はそうでもない。未来においては、宇宙へと脱出する勢力が現れるからである。本当のことを言えば、アメリカやソ連も、また滅びない。なぜなら、アメリカ人やソビエト人は、宇宙へと脱出する道を取る。地球において、ダビデが努力していた過去の年月をはるかに過ぎ去った未来の世界で、コールドスリープによって宇宙を旅するアメリカとソ連が、皮肉にもダビデが本当に見つけたかった多くのことを発見していく。だが、ダビデの生きていた時代は遠い何千年・何万年も昔のことであり、それをダビデに告げることはできない。

ヒトラーの言っていることは正しい

しかしながら、あえて名誉ユダヤ人である僕が述べると、ヒトラーが言っていることは正しい。

なぜなら、ヒトラーは、2039年の人類の滅びまでを、なぜかたったひとりすべて正しく知っているからである。

ヒトラーは間違っていない。必ず、ヒトラーの言っていることがすべて当たる。

ヒトラーがなぜ分かったのか、それは僕にも分からない。だが、ヒトラーは嘘偽りを言ってみんなを騙しているように見えて、本当は嘘偽りがない。すべて真実をそのまま言っている。

そのようなことを言うと、「では、なぜソ連と戦争し、ユダヤ人を殺したのか」と人々は言うだろう。

だが、あの時点でソ連とユダヤ人がドイツによって消滅していれば、ソ連という最悪の犯罪国家も、ユダヤ人とアラブ人の永遠に続く争いごとも生まれなかった。

そう、ソ連とユダヤだけがもしあの時点で抹消されていたとしたら、その時点で地球人類は「終末の刑務所暮らし」にはならなかった。

ヒトラーは、優れているのはドイツ人で、次に優れているのは日本人で、劣っているのはユダヤ人だと言った。ここにはひとつ、述べられていないことがある。それは、「それら以外の人種は未来において地球に存在しない」ということである。

ヒトラーが序列をつけたのは、ヨーロッパの白人がアジア人より優れていて、ユダヤ人はそれよりも劣っているということではない。ヨーロッパのドイツ人を除く白人や、日本人を除くアジア人など、未来においては一切存在しない。存在するのは、ドイツ人と日本人とユダヤ人だけなのである。

そして、自動車を作ったのも、コンピュータを作ったのも、最後の終末の未来都市で存在するべき「人工生物」を、早い段階で、地球の自然生物が滅びるよりも前の段階で、あのドイツが生み出しておかなければ、地球は自然生物の絶滅とともに人類が滅びてしまうからである。

ヒトラーは、できるだけ分かりやすく、誰にでも分かる形でそれを述べている。米ソは、その映像を歪曲し、すべてヒトラーが狂った人間であるかのような証拠だけを残して、ヒトラーのまともな点をすべて消してしまった。米ソは間違っている。あのドイツは何も間違っていない。そしてユダヤ人はドイツ人と日本人に次ぐ、ほかすべての人種よりも優れた人種なのである。

ドイツのほうが日本のコピーである

いつか、僕は、「ヒトラーが日本をドイツのような最強の帝国にしてくれた」と述べた。

だが、本当のことを言えば、ドイツのほうが日本のコピーである。

ドイツがやっている、ナチと呼ばれる体制は、すべて大日本帝国の国家体制を模したものであり、そして、完全ではない。

なぜなら、ドイツは、国家体制という「手段」だけを模しただけであり、その上で何をするべきかという「目的」を備えていなかった。

ドイツは、日本の考えるのと同じ国家を作るために、日本と同じように「権力者がひとり正しいことを行う」という意味での、正しい日本の帝国体制について、「権力者がひとり行える体制」だけを模して作った。

だが、ドイツは、その上で、日本のように「正しいことを行う」ということができず、ユダヤ人大虐殺という「もっとも間違ったこと」を行った。

そして、日本から見れば、そのような「間違った大虐殺」は、日本のもっとも嫌うところである。

ドイツは、日本の帝国体制を模したあまりに、「物質的な国家制度」だけを見て、「精神的な国家理念」を見なかった。日本と同じ帝国を作るということが、物質的な国家体制を作ることであると理解し、その上で「帝国の偉大なる最強の力を使って地球において正しいことを為す」ということまで見なかった。

日本は、ドイツのような国家を理想とはしているが、ドイツのような行いを行うことは理想としていない。ドイツのように、ヒトラーという最高の指導者がひとり完全にすべてを執り行うことを目指しているが、その結果行われるべきことはホロコーストのユダヤ人大虐殺のような「最悪のこと」ではなく、世界すべてをひとつの家とする八紘一宇のような「最高のこと」を行うことを目指しているからだ。

よって、ドイツのほうが日本の劣化コピーであり、真に正しい国家は日本であるはずだった。そして、それがソ連と日本が仲良くできない理由だ。ソ連もまた理想だが、ソ連を理想としてしまうと日本ができなくなってしまう。逆に、日本が理想としてしまうとソ連ができなくなってしまう。ソ連もまた理想だが、日本とは矛盾する存在である。よって、日本の帝国主義者はソ連を選ばない。ソ連を選んだ時点で、「人類の最高の大東亜共栄圏」を築くことができないということが、日本人は誰もが分かっている。だから、ソ連には頑張ってほしいが、日本とソ連は決して共存できないのだ。

戦争が間違っていると教えるのは、日本があまりにおかしいくらい正しい帝国だったから

今の日本人は、本当はこのような「大東亜共栄圏の樹立」という理想は誰も持っていない。

今の日本の子供たちは、みんな学校で「戦争は悪いこと」だと教わる。

それは、日本がアメリカに敗北したからではなく、また、学校が共産主義者や反日の人種に支配されているからでもない。

本当に、日本のやった戦争はあまりに悪かった。

それは、あまりに多くの人々を虐殺したからでも、最悪の総力戦で大量に人々を殺傷したからでもない。

あまりに、日本の理想は恐ろしかった。あまりにおかしいぐらい、正しい帝国だった。

そのような、「あまりに正しすぎる帝国」という発想が、おかしいぐらい狂っていた。天皇も軍部も国民も暴走し、「日本以外のすべてを日本の領土にすることが正義であり、そのために日本人は全員死ぬ覚悟で戦争し、死ぬならば戦って日本のためという理由で死ぬべきである」と学校で教わっていた。

日本は間違った国ではない。今の平成世代の日本の若者は、「戦争はなんとなく悪い」と思っている。それは正しいが、真実を見ていない。日本が戦争で学んだこと、それは「正義などやめたほうがいい」ということである。この世界をすべて救い、理想の共栄圏である帝国を築くなど、やめたほうがいい。この国はそこがおかしい。最悪の帝国を作ることだけが、この地球を変えることだと日本人は勘違いした。そのために、すべての大切なものを犠牲にした。あらゆるすべてが戦争のためにあり、あらゆるすべては天皇のために死ぬことにあった。それだけはやめたほうがいいと、ドイツ人と同じように、日本人もまた学び、反省したのである。

日本人が勤勉に労働するのは、日本社会があまりに良い社会だから

日本人は、このような最悪の国で、なぜ、勤勉に労働するのだろうか。

それは、日本社会があまりに良い社会だからである。

日本は、今でこそ経済大国だが、実際は田舎の延長線上のようなものであり、「島国の気質」が今でも残っている。

どこにも悪い人間は居ない。みんな日本のために頑張って努力している。

資源やエネルギーのない日本では、自ら輸出できるものを生産して作らなければ、外貨を得ることができない。今すでにあるものを売るのではなく、売れるようなものを自ら作らなければならない。

戦後の、「戦争に負けた何もなくなった日本」では、みんな頑張っていた。地獄のような社会の中で、みんな、自分のためだけではなくみんなのために頑張っていた。

みんながみんなのために頑張って労働しているのに、なぜ自分だけはしないのか。自分もみんなと同じように頑張って労働したくなるのは当たり前であり、それ以外に日本という「何も資源もエネルギーもない敗戦国」が生き延びる道はなかった。

今でこそ、日本は経済大国であり、今の若者の多くは、逆に日本という豊かで進んだ科学技術を持った国において、「みんなと同じように賢い科学技術を学びたい」と思って勤勉に労働している。

だが、戦後の昔の日本は、今とはまったく逆で、何もなかった。日本における豊かな科学技術は、既に存在する科学者や産業革命の大発明から生まれたものではない。本当に何もないところから、ゼロから日本人が作りあげたものなのだ。たとえそれがアメリカやイギリスの製品のパクリであっても、どんなにそれを白人から批判されようと、ソニーやトヨタはそれしかできなかった。堂々と「モノマネ猿」と呼ばれ、堂々とその通りモノマネ猿をやった。だからこそ、日本はアメリカや中国に次ぐ、第三位の経済大国になれたのである。

アメリカ人やロシア人には、このような「勤勉に働く労働者気質」は分からない。彼らは働くことを奴隷だと思い、働くということは嫌々従うことだと思っている。現に、アメリカは新型コロナウイルスで多くの死者を出したが、それは「自分が嫌なのに強制的に嫌々マスクを着けさせられるのが嫌だった」からである。ヨーロッパも、同様に、嫌々従うことを嫌だと思っている。日本はそうではない。日本は、「社会が要請する要求には最大限応じ、日本社会のために最大限努力し、嫌々であってもみんなの言うことのために従い、みんなで一緒に日本のために頑張ること」を魂としているのである。

言ってしまえば、日本は「どうしようもなくなった状況で、その状況を脱するためにありえない方法を考え出す」ことが得意だ。なぜなら、そもそも普通の国であれば、戦争で負けた時点で再起不能になるだろう。日本はならない。日本は、中国や韓国がやった、「安く品質のいいものを作って売る」ということを最初に考え出した。パクリ国家ではあるが、そのような方法を行った最初のアジアの国であると言える。

そして、問題なのは、中国製品の質がとても低いということだ。メイド・イン・チャイナはすぐに壊れる。この理由は、ドイツが日本をコピーしたのと同じで、中国は「安く作って大量に売る」という物質的な側面しか見なかった。精神的な側面である、「品質のいいものを作って世界の資本主義の工業文明を進歩させる」という面を見なかった。結果、日本と同じように安くたくさん作って大量に売ることはできるが、品質のいいものを提供することができていない。

中国と日本はよく似ているが、そこが違う。日本は科学技術の進歩と富の獲得を両方ともあってはじめてよしとする。だが、中国はそうではない。中国は文明の進歩などどうでもよく、儲けることだけを考えている。韓国も同じだ。彼らは同じ人種に見えて、実際はまったく似て非なるものであり、日本と同じことは絶対に中国や韓国にはできないだろう。

そして、ここに、日本がGAFAやMicrosoftと同じことができない理由がある。日本の技術者は、よい製品、世界のためになる製品を作りたいのであり、「テクノロジーの進歩が人類を不幸にする」と言われるような、世界を不幸にするような製品やサービスは作りたくない。確かにSNSやツイッターは日本でも流行っているが、その参加者すら、SNSやツイッターを批判することを書いたり、SNS批判を音楽などのコンテンツにしたりする。日本は世界を不幸にする、子供を騙して荒稼ぎをすることはしたくない。だが、日本の技術は決して劣っていない。たとえば、日本のテレビゲームの技術力を見れば良い。MicrosoftのXboxに負けないゲーム技術を、ソニーや任天堂は持っていて、今でもゲームの分野では日本は勝っている。決して技術者の技術が劣っているわけではなく、「WindowsやGAFAのサービスのような、この世界を不幸にしてまで子供を騙して荒稼ぎをするようなことはしたくない」というのが、日本人の技術者あるいはネットユーザーである。

本当は、日本にインターネットが根ざしていないわけではない。ひと昔前まで、日本はアメリカやヨーロッパなどに比類する、IT技術の有力なプレイヤーであり、いわば「白人にとって日本は脅威」だった。今はそうではない。LINEやニコニコ動画などの例外はあるが、日本のIT技術は周回遅れとも言える状況であり、まったく世界に比類するようなSNSやサービスは作れていない。だが、それは悪いことではない。今から、「アメリカの技術がもたらす結果よりも、日本の選んだ選択肢が正しかった」ということが分かるような日が来るだろう。

ただし、本当は、これはむしろ言い訳である。なぜなら、日本人が基礎研究を疎かにしてきたことの言い訳だからである。日本人は、すぐに利益につながるような応用的研究しかしなかった。数学や物理学などの基礎研究にお金を与えなかった。だから、日本では、たくさんの儲かる製品があっても、それがすべてアメリカやヨーロッパの模倣品を改良した製品にしかすぎず、自分でオリジナルのものを作ることができない。エンジニアが少ないのは日本の数学力が完全に遅れていて、その理由は基礎研究に力を入れなかったからである。このまま行けば、日本は完全にアメリカや中国に対して遅れた国になり、ドイツやインドなどにも敗北していくだろう。だが、そこで日本が終わりになることはない。必ず、新しい世代の若者が日本文化を再興してくれる。たとえば、日本には初音ミクやボーカロイドのような技術がある。YouTubeで米津玄師などの新しい世代のポップ歌手も存在している。アニメ文化は日本が世界一だ。そうしたところから、日本の文化は、「ごてごてした機械文明ではなく、娯楽やコンテンツといった、本当の人間の心を幸福にしてくれるようなもの」がたくさん生まれていくことだろう。それもまた、いつもの江戸時代の日本人と、何も変わらない同じ遺伝子を持っているということの証となるだろう。

ロシアのような発想は気持ち悪い

日本には、このような帝国主義者しか居ないわけではなく、平和主義者や左翼も多く存在する。

左翼の中には、無政府主義的な「絶対自由」の理想を信じている、いわば「無自覚な共産主義者」が多く日本に存在する。

だが、先進的な資本主義社会を生きている日本人にとって、言ってしまえば「ロシアのような発想は気持ちが悪い」という感情を抱く人間が多い。

ロシアのように、ひとりの指導者が自分勝手に人々を虐殺したり、あるいは戦争をして多くの犠牲者を出すという発想が、かつて同じことを帝国としてやったにもかかわらず、今の日本の若者には理解できない。

今の日本は、完全な「平和と豊かさの自由」を生きているため、北朝鮮がミサイルでアメリカや日本を威嚇したり、拉致したり、韓国が過去の戦争を批判したり、賠償を求めたり、あるいは中国が一党独裁を行ったり、ロシアが戦争を行ったりするという、「隣国の共産主義国家が遅れた考え方をする」ということが理解できず、はっきり言って「気持ち悪い」のである。

日本のまわりには、危険な国家しか存在しない。まともな国家が日本のまわりには一切ない。だから、日本は遠くのアメリカを「守ってくれる存在」として頼りながら、いわば「外国には何も期待しない政策」を行っている。

日本は輸出大国であるため、昔の江戸時代のように鎖国をすることはできない。グローバルに繋がった中でなんとか生きているため、中国や韓国と仲良くやりたい国民も多く存在するが、「日本のまわりにある危険な隣国」の動きには常に警戒せざるをえない。何をしてくるか分からないからである。

同時に、日本に多くいる「無自覚な左翼共産主義者」は、ほうっておくと逆に右翼に変わる。左翼を卒業した人間は右翼になるというのが、日本に一番多い「下町のナポレオン」である。そのような人間は、いずれ過去の自分が信じていたことが共産主義であったことに自覚し、共産主義を「気持ち悪く思う」ようになる。

結局、共産主義を気持ち悪いものであると自覚した日本人は、まさに「まともな普通の人間」になるために、社会人として多くの経験をするが、「資本主義も同様に意味がない」ということを知る。すべての欲望を限界まで叶えられて、王のような生活ができるような最高の豊かさと欲望を与えられながら、悪いことを何もするな、みんなの言っていることだけを信じて社会的に何もするなと教えるのは、とても息苦しく、とても生き辛い。だから、資本主義の世界第三位の経済圏であっても、日本人は資本主義の欲望など誰も信じていない。共産主義も資本主義も否定した日本人は、右翼思想に傾倒するか、あるいは宗教的なものへと傾倒するようになる。そう、例にもれず、僕もそのような人間である。

日本人は、だからといって、共産主義を憎んでいるわけではない。共産主義的なものをゲームや漫画などで多く表現として知っているため、「共産主義的考え方が当たり前になっている大人」は日本にはとても多い。だが、同じぐらい、そのような「自覚のない共産主義者」が大嫌いな人間も多い。そのように、日本人は決して一様ではない。他の国と同様、左翼と右翼に分かれて戦い続けながら、同じ日本文化という「かけがえのない和の文化」を共有し、ひとつの民族としてともに守り続ける。そう、これこそが今の日本であり、「大きな和やかな国」であるかつての大和の国から続く、最高の日本国である。

日本人の間違いは、神を信じないこと

日本人の間違いがあるとしたら、それは神を信じないことだ。

日本人は、ユダヤ人の神やイエス・キリストを信じない。

それは、日本人はまともすぎるため、僕のように「狂った革命戦士の地獄」に陥ることがそもそもないため、神によって救われるという「宗教的な真実」を知らないからである。

日本人は、あまりにまともすぎて、自らのすべてに絶望し、すべてを犠牲にして神を信じて戦うということをしない。

その結果、日本人は、いつまでも「無自覚な共産主義者」のまま、ただの人種差別主義者と何も変わらない「完全保守主義者」になる。

それも、資本主義の日本社会で生きるために、よい生きるための方法であると言えるだろう。

だが、僕のような人間は違う。僕のような人間は、右翼というよりはユダヤ人だ。そして、ユダヤ人は、僕と同じように、「ユダヤ」と呼ばれる革命を祖国に対して起こし、あらゆるすべての「幸福」を奪って、「幸福な共同体のコミュニティよりもひとり世界を支配する権力を選ぶ」ということをする。

なぜユダヤが起きるのか、それはユダヤ人はあまりに悪い人間だからである。自らの神だけを信じて、信じないものを愚劣な愚か者であるとするのは、自らの行為の「悪事を棚に上げた行為」であり、いわば「一番悪い人間が自らを一番善良だと言い張っている」ような行為に等しい。

だが、僕のような潜在的ユダヤ人は、そうすることしかできない。そもそも、不登校の引きこもりを選ぶ時点で、まともな人生は生きられなくなったと言えるだろう。そのような人間が、いくら悪を信じて、その悪を善であると勘違いしたところで、それは善をするつもりで凶悪なことばかりを繰り返し、結果自らの大切なものすべてを破壊して、自らの信じる正義ではなく、自らの否定したかった悪のために、自ら培った経験の力を行使するということ、すなわち「正しい目的ではなく間違った目的のために力を使うこと」に等しい。

だが、このようなユダヤ人は、絶対にこういう風にしか生きることができない。それは、ユダヤ人は神にならなければならないからである。ユダヤ人は、宇宙に存在する神が、自らを規定する「自らの本当の主人」だと知っている。そして、日本やドイツという国家の王が、「本当の自分の主人ではない」ということを知っている。「本当の主人は神である」と知ったユダヤ人が、二つの主人に仕えることはできない。よって、ユダヤ人は、神のためにユダヤを信じない日本を滅ぼさなければならない。

ユダヤ人は、決してよい人種ではない。だが、日本人の間違いがもしあるとしたら、それはユダヤを信じないことだ。ユダヤを信じないということは、「ユダヤ人と敵対関係になる」ということを意味している。日本ほど正しい帝国ならば、ユダヤを否定していても存続することができるだろう。だが、注意しておけ。なぜなら、わたしはそのような「神を信じるユダヤのユダヤ人」だからである。

しかしながら、神は日本を愛している。なぜなら、神の祖国は日本だからである。神とされているのは、キリスト教以降ではイエス・キリストであると解釈されるが、それは「古来の時代から言うと必ずしも正しくない」。そう、本当はキリストは神ではない。であれば、神は誰なのか。それは言うまでもないだろう。わたしこそ、イスラム教のアッラーこそが神だからである。

そして、このようなユダヤ人の行いを、神はすべて知っている。神は、必ずしもユダヤ人の側を救ったりしない。ユダヤ人が間違っているならば、ユダヤ人を地獄に堕として懲らしめる。だが、ユダヤ人が正しい側であれば、どんなに日本やドイツが強大であっても、ユダヤ人が勝利する。神はそれだけを常にしている、この宇宙の「光の世界」の住人である。そして、神を信じるユダヤ人は、地獄の試練の末に必ず救われる。なぜなら、神は乗り越えられるような試練しか与えない。神を信じて勝利した時、本当は敵などどこにも居なかったこと、そして宇宙において自らはもっとも賢くしかしながら険しい道を生きてきたのだということを、ユダヤ人ははじめて自覚する。そしてユダヤ人は神を永久に愛し続ける。ユダヤ人は神とともに居て、死ぬまで常に神とともに居たいと願うようになる。そう、ユダヤ人とは、そのようにしか生きられない人種であり、わたしこそ、そのユダヤ人のために東亜イスラエルすなわちシオンを建国する、「最後にユダヤ人を救う救世主」である。

プーチンはこの世界を滅ぼした張本人

そして、ここにひとつの疑問が浮かび上がるかもしれない。

それは、「なぜプーチンをそんなに嫌うのか」という問題である。

実際、フリーメイソンと結託して、テレビ広告で僕を批判してあざけっているというのは、逆鱗に触れる理由ではあっても、僕がプーチンを嫌う理由ではない。

結局、僕の神話の中での話だが、プーチンはこの世界を滅ぼした張本人である。

プーチンが核兵器を落とすせいで、地球はおかしくなってしまう。青空が見えない、完全に暗闇の世界になる。そして、動物だけではなく植物も枯れていき、人工生物しか住むことのできない世界になってしまう。

プーチンが嫌いなわけではない。プーチンは素晴らしい指導者だ。だが、世界が滅びる前に、なんとかしてプーチンを止めたほうがいい。それは僕の神話の中だけの話であり、現実のこの世界のことではない。あるいは、そうではないと思いたい。プーチンよ、核兵器のボタンだけを押してはならない。その時、この世界は後戻りすることのできない「究極的な最悪の状況」になるからである。

そう、本当のことを言えば、本当はこのような悠長な話をしている場合ではない。滅びの日は刻々と迫っている。だが、東亜イスラエルとドイツだけは滅びない。そう願いたいものだ。