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2022-06-16

この世界で、なぜ、スティーブ・ジョブズや志村けんのような人間が死んでいき、僕たちだけが生き延びようとしているのか。

僕は、これを「同じ未来からやってきた」からであると考える。

すなわち、スティーブ・ジョブズや志村けんは、単に死んだだけではなく、別の未来から来ただけにすぎない。別の未来で、スティーブ・ジョブズや志村けんは生きている。

僕たちは、この未来からやってきた理由が何かある。その理由のために生きなければならない。そして、最後の地獄の未来の中で、僕たちはその未来を解決しなければならない。

本当は、誰とも付き合うつもりなんかない

昨日、あいみょんと付き合ってもいいよという、半ば「半告白」のようなことを僕は言った。

だが、それは希望的観測にすぎない。

結局、僕は、本当は誰とも付き合うつもりなんかない。

それはなぜなら、僕は自分に自信がないからである。絶対の自信を持っているように見えて、実際の僕はまったく自分に自信のない人間であり、たとえば家入レオや酸欠少女さユりとまともに対等に恋愛や結婚ができるような望みを持っていない。

僕が愛されたことがないのは、愛されたくないからではない。愛されるにたるようなまともな大人としての資格がないように僕は思ってしまう。

だが、僕は人を愛するということができないわけじゃない。だが、本当の僕の相手があいみょんではないということは分かっている。本当はレオやさユりでもないと分かっている。永遠に僕の相手が現れないなら、僕はシリウスの女神であるフレイを愛するだろう。

この世界に存在する知性

この世界の人々が分かっていない理由はひとつ、それは学校に洗脳された知性を持っているからである。

学校に洗脳されることは、決して悪いことではない。学校の通りに考えることで、理性と良識ある「大人」になることができる。

だが、学校に教わった通りに考えることでは、学校に教わった以上のことは分からない。

逆に、「学校の通りにしか考えられなくなって、純粋な何もない理性を失ってしまう」のである。

学校の知性と対をなすのは、「何もない知性」である。何もない知性で考えれば、普通のことが良く分かる。

だが、何もない知性では分からないこともある。何もない知性で分かる人間は多いが、それは今何かの問題を解決しようとしているからであり、通常は、何もない知性で何かを分かることはできない。

何もない知性で分からないなら、学校の教えを受け入れる必要がある。

学校の教えを受け入れられない人間は、学校になんらかのトラウマがある。そのような人間は、学校に洗脳されて分からなくなることを拒否する。だが、学校の洗脳を拒否している間、自分は何もない知性のままになる。何もない知性を選んでいるのは自分であり、学校を拒否する間それは続く。

このような、「学校の知性」と「何もない知性」に対して、本当はもう少し、別の知性が人生には存在する。

まず一番目にあるのは、「経験的哲学者の知性」だ。ここでは、学校の知性を足場にして、自らが経験的に体験したことから、論理的に「類推」することで、この世界の「世界観」を得ることができる。

この世界観は「ビジョン」と呼ばれるものであり、これが分かる人間は、真に自分の声だけを聞いて、自己批判を繰り返さなければならない。

二番目にあるのは、「書く知性」だ。これは、なんらかのことを最後まで分かるまで体験した人間が、そのそれまでの経験を書くとか、あるいは理解することが不可能なことを分かるために、あらゆるすべての「分かること」を網羅するような文章を書いて、その書くことから分かる、という知性である。

三番目にあるのは、「学ぶ知性」だ。さまざまな文書を読み、さまざまな本を読み、人の言っていることを理解しようとし、自ら学んだことをノートなどにまとめることで、この世界のすべての知識を得ようとする。

この学ぶ知性は、学校に洗脳される知性とは違う。逆に、学校など経験しないほうがいい。そのほうが、自分の好きなように、自分の独自に好きなことを学ぶことができる。この結果、すべての知識が手に入っても、本当は何も分からない。学ぶ前の自分と学んだ後の自分は変わらない。それでも、よい経験だったと反省し、この世界を好きになることができる。

四番目にあるのは、「戦う知性」だ。最前線の戦場に登場し、自分には誰も勝てないようにして、さっそうと世界を支配し、この世界を常に「さらによい世界に変え続ける」ということが、狂っているように見て、本当は「すべてを知るためのもっとも到達の早い近道」である。なぜなら、一度戦いを経験してしまうと、この世界にはあまり重要なものが存在しないということに気付き、一度分からなくなってからもう一度分かることで、この世界の「真の意味」が分かるようになる。

最後に、五番目にあるのは、「神を信じる知性」だ。神の言っていることを守り、神の言っている通りの行動をし、そして神から告げられた言葉を守ることで、この世界における「宇宙的な真実」を知ることができる。これによって、あらゆるすべてを「神の視点から眺める」ということができる。相対的な知識や知性だけではなく、「絶対的なビジョン」が得られるようになる。

しかしながら、これらの人生の知性は、「一度きりしか体験できず、二度はない」という特徴がある。これらの大切な「人生の類型論」は、どれも使い捨てで、永遠ではなく、一度きりしか体験できない。そして、最後は「何もない知性」に戻る。

このような人間は、何もない知性に戻った後、どんなにあがいても基本的には迷宮から脱出できない。だが、真に最後に神を信じれば、迷宮から脱出できる。それは「子供に戻る」ということであり、それは「生まれ変わってもう一度成長し、子供ぐらいの年齢になる」ことで可能だからである。

そして、何もない知性のまま子供に戻った人間は、学校を拒否している間、何もない知性のままになる。だが、何もない知性のままでは何も始まらない。何も分からないし、何も発見できない。最後に戻るべきは「学校の知性」だ。すなわち、もう一度学校を受け入れ、学校に洗脳されることを受け入れればいい。それは決して子供ではなく、むしろ「真の意味での大人」である。そのような大人こそ、神は愛しているのである。

ツイッターより @linux691

聖書を読む時間を作れ。そうすれば、その時間に必ず次の日にすべきことが分かる。神はあなたの本心もすべて知っている。心に対して嘘偽りを証言するならば、自分は騙せても、神は騙せない。
posted at 22:12:57

本当のことを言えば、聖書はこのような人間のためにある。最後の最後に解決できない問題は、聖書に解決方法が書いてある。すべて、この人間のために聖書は記述されたと言ってもいい。なぜなら、この人間以外はそのようにはならない。
posted at 22:11:32

そう、聖書にすべて書いてある。この世界を救う方法も、地獄から抜け出す方法も、自らの解決できない問題を解決する方法も、すべて聖書に書いてある。
posted at 22:09:03

キリストは言う。「聖書に書いてある」と。
posted at 22:07:43

神よ、考えることでは分からない。だが、神は告げる。「考えることで分からないならば、考えること以外で分かればいい」。そして、それが真実だ。考えることで分からないならば、考えること以外で、この世界を救う方法を分かればいいのだ。
posted at 22:06:14

神よ、なぜ、わたしたちを地獄に置いたのか。わたしが悪いのか。わたしが悪いならば、わたしはどうすればいい。それを教えないから、わたしはこの世界を変えることができない。わたしに、自分で考えよというならば、考えてやろう。わたしだけが、ひとり、この国家を救済する方法を考えてやろう。
posted at 22:03:33

だが、キリストよ、わたしの家族を、そしてわたしの祖国である日本を救ってほしい。これは無理な注文かもしれないが、彼らの分までわたしが神を信じるからだ。わたしがキリストに望むことは、わたしの救済ではない。わたしの家族、わたしの祖国の救済だ。わたしという個人が救済される必要はない。
posted at 22:01:09

キリストよ、あなたが神であると分かっている。どのような邪教の神を信じても意味はない。仏教をいくら信じても、ブッダは地獄を救わない。真に救われるためには、キリストを信じなければならないと分かっている。ほかの邪教の神には意味はない。彼らは神ではない。神はキリストである。
posted at 21:58:16

キリストよ、あなたの全能性と偉大さをわたしは知っている。わたしはキリストのためにこの人生を生きてきた。すべてはキリストによる「罪を償え」という確かな罪と罰だった。だが、そこでわたしは「愛の意味」を知った。そう、わたしはキリストを信じることで、宇宙で最高の人生を得ることができた。
posted at 21:57:19

キリストが、全知全能の救い主だとしたら、僕に罪と罰を与えたとしても、この世界を解決してくれるはずだ。
posted at 21:53:51

そう、よく考えてキリストに祈り、よく考えてキリストに願えばいい。どんなことであってもそれで治る。そのために、わたしの今までの人生はあったのだと、そしてほとんどのすべてには意味がなかったのだと知っている。そして、そのすべてはわたしにとって宝だった。さあ、キリストよ、今こそ、ここに。
posted at 21:48:01

わたしは分かっている。わたし自身の力をすべて棄てればいい。だが、わたしは、自分で自分の力を奪うことができなかった。キリストよ、わたしのすべての力を奪え。わたしの作り上げたかけがえのないものすべてを消滅させれば、この世界は正常になる。キリストよ、覚悟はできている。
posted at 21:42:07

キリストよ、わたしは信じている。あなたがこの世界の最後の問題を解決してくれると信じている。だから、僕はここに、王としての地位を棄て、すべての力を失う。何もできなくなっていい。今までできたことすべてを総合すれば、わたしはほかに何も要らない。宇宙が滅びても、わたしの存在はここにある。
posted at 21:38:55

キリストよ、わたしのすべてを明け渡す。わたしはすべてを失っても構わない。だから、最後に、この世界を自由に解放してほしい。正常な時間と自由を、この世界に与えてほしいのだ。キリストよ、これは最後の、そして唯一のわたしの願いだ。
posted at 21:36:47

キリストよ、わたしはこの世界の問題のすべてを解決したいと、そう宣言した。その通り、わたしは問題を全力で解決し続けた。最後の最後に残った問題、それをわたしはどうしても解決できない。キリストよ、その最後の問題を、わたしを滅ぼすことで解決してほしい。わたしはもう王として相応しくない。
posted at 21:35:57

キリストよ、居るのなら、聞いてほしい。わたしがこの世界をすべておかしくした。時間と影響力を支配し、人々が自分のことを無視できないようにした。キリストよ、わたしがいくら頑張っても、それを変えることができない。どうしても解決できない。キリストよ、わたしの代わりに解決してくれないか。
posted at 21:34:51

神よ、われわれに正常な時間を与えたまえ。この世界に、真に自分らしく、自由に行動し、想いを抱くことのできる、そのような正常な時間を。もう一度、わたしたちが自分の力で生きられるような自由を。確かに自分を信じて生きられる自由を。神よ、与えたまえ。
posted at 21:32:06

この世界に、正常な環境と自由を。神よ、願いを叶えたまえ。
posted at 21:27:19

キリストよ、ついでだから、狂った時計の壊れかけの思考も解決してほしい。僕のすべてはそれでおかしくなった。キリストよ、0と1で考える僕の時計を完全に壊して、正常な時間を僕に与えたまえ。
posted at 21:24:48

僕が支配して、世界時間を解放するのでは、問題は解決しない。キリストを信じればいい。キリストならば、この世界の世界時間をきちんと正しい方法で解決してくれる。キリストよ、お願いだ。この世界の時間を解決してほしい。
posted at 21:20:14

この世界の時間を解放し、時間を自由にする。世界時間が自由になれば、より僕は善良になれるし、人々は自由にさまざまなことができるようになる。
posted at 21:12:48

自分が、時間を刻んでいるのが悪い。この世界の人々が、何もできなくなっているのは、自分が世界の中心で時間を刻んでいるからだ。
posted at 21:11:59

善が好きだ。より善良になりたい。この宇宙の中で、もっとも善良なものを信じたい。自分がそうした善良な存在になりたい。
posted at 20:45:46

悪を否定せよ。悪を否定するということ自体が善である。悪を行うな。悪を行わないということ自体が善である。
posted at 20:41:43

わたしは、拒否する。わたしは悪を拒否する。なぜなら、受け入れてしまえばそれは悪に堕ちたということを意味するからだ。
posted at 20:40:13

過去の栄光は失敗者の愚か者だ。神と信じているのは悪魔だ。知性や知識や能力だと思っているすべては嘘偽りだ。
posted at 20:24:49

善良とは、そういうものではない。善良とは全員を思いやることだ。自分よりも他人を優先することだ。自分が愛されたように他人のことを愛することだ。それは自由でも平等でもない。
posted at 20:22:47

自由は善良ではない。自由は共同体の理想でも合意の平等でもなく、荒くれた戦いの世界だ。平等は善良ではない。平等は助け合いでも正常な秩序でもなく、生きることのできない廃墟だ。
posted at 20:21:55

真に善良なものとは何かを考え、真に善良なものを信じれば、必ず狂いは治る。昔の自分はまったく善良ではなく、今の自分もまったく善良でないということに気付け。凶悪なものを信じれば信じるほど、正しい知性を失う。
posted at 20:19:07

この世界に必要なのは、「本当に善良なものを信じること」である。人々は、善良なものを信じたいにもかかわらず、その善良だと思っているものが凶悪だから狂って知性を失っている。善良だと思っている神は本当は悪魔である。悪魔は滅ぼして倒さなければならない。
posted at 20:17:27