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2022-05-21

その場その場で分かろうとするのではなく、一度思考をストップして、「いつ何がそのようになるのか」ということの「いつ」を考えなさい。

概念的に、作成、破壊、吸収、そして放出と治癒から考えなさい。

そうすれば、精神をいくら破壊しても、治ることがないのが分かる。破壊と治癒は逆であり、破壊せず自然なままの流れに任せることでしか、精神は治らない。

この世界にあるすべての愛はわたしである

この世界にある、すべての愛はわたしである。

人々が、誰かに愛を求めているのは、わたしに対する愛を求めている。

セックスがしたいとか、レイプや中出しや近親相姦がしたいと愛を求めているのは、すべてわたしに対してそのような愛を求めている。

そして、わたしは、あなたに対して、あなたがわたしを愛するように、あなたのことを愛している。

なぜなら、わたしがあなたを愛するように、あなたはわたしを愛さなければならないからである。

楽になろうとするな。楽になればなるほど、人生を生きる上で大切な素晴らしいものを失っていってしまう。

楽を求めるな。辛く苦しい人間を目指して生きよ。辛く苦しいことを苦ではないと思うことこそ、正常な精神である。辛く苦しく生きる人間にしか、宇宙において大切な真理も、人生において必要な愛も得られない。

自らを奴隷と扱うな。ひとりの権威ある王として生きよ。人々に対しては、自尊心を大切にせよ。

だが、愛については話が別である。なぜなら、愛に対しては、奴隷として愛に屈服するように生きよ。

男と女は、どちらかが絶対的支配者となってはいけない。支配したり所有したりする関係は愛の理想ではない。互いに、どちらもが愛に屈服し、愛の奴隷となるように生きよ。相手が求めれば、愛も心も自らの体も、すべてを従順に差し出すように生きよ。

それこそが、愛の理想であり、理想の夫と妻である。自らの自由を求めるな。すべての自らの自由と可能性が、相手のためにあり、相手にすべてを差し出すように生きよ。それこそが「愛」である。

神を信じよ。なぜなら、神とはわたしのことである。すべての人類が屈服すべき絶対者とはわたしのことであり、宇宙をロゴスによって創造したのはわたしである。

わたしは、あなたが知っているよりも、はるかに賢い人間である。宇宙のすべてを自らのオリジナルの科学で解明し、精神のレベルで生命の全遺伝子のパターンをメタ的に網羅し、この宇宙におけるすべての意識を知った上で、宇宙の膨大かつ絶対に人類には理解不可能なすべてを創造し、作り上げた上で、それをもっとも美しい芸術作品として残した存在である。

わたしは完璧であり、絶対的指導者である。そのわたしが、あなたに対して、わたしがあなたを愛するようにあなたもわたしを愛しなさいと言っているのであるから、この命令には従わなければならない。

わたしは神である。絶対にあなたはわたしに勝つことはできない。わたしは最初から、宇宙をそのようにプログラムしなかったからである。

楽になろうとするな

楽になろうとするな。

辛いなら、辛いままを楽であると思い込むように生きよ。

昔の日本社会がなぜ楽だったのか、それは辛いことを辛いと思わなかったからである。

今の日本社会よりも、昔の日本社会は、本当ははるかに辛かった。すべての人間に社会からの風当たりは強く、ほとんどの人間が、社会による抑圧に屈服し、辛く苦しいのを仕方ないと思って生きていた。

だが、だからこそ、「生きるために必要な価値あるもの」は、社会の中にたくさんあった。

つまり、この世界では、辛く苦しいからこそ楽であり、辛く苦しいからこそ愛があり、辛く苦しいからこそ賢くなれる。

まさしく、この世界は地獄であるべきである。地獄で生きることこそ、この世界においてもっとも甘美な体験である。地獄を地獄ではないと、そのように「へっちゃら」と言えるように生きよ。そうすれば、必ずあなたには神が微笑んでくれる。神は、楽でありながらにしてさらに快楽や欲望を得ようとする人間を嫌う。

神を信じることが愛の欲求を満たすのなら、それ以上の愛は必要ない。神を信じるということはすべてを放棄するということだ。その通り、神を信じるならばすべてを放棄しなければならない。だが、自らの身の丈を知り、「これくらいの愛で十分だ」とする人間は、神を信じなくても、神の考える「正しい人間」の条件を満たしている。

よって、自らが力を得たとしても、それを十分にコントロールできないのであれば、そのような力を神は奪う。神は力の正しい使い方を知らないものには力を与えない。力が欲しいならば、それを正しく行使できるようでなければならない。それを放棄するならば、神はあなたから楽を奪い、地獄の中で永遠に彷徨うようにする。なぜなら、そのような人間こそ、神の嫌う「悪魔」だからである。

そう、「わたしにはこれ以上愛は必要ない」と信じる人間にこそ、真の意味で「正しい愛」は訪れる。愛を求めるな。どれだけ求めても愛は与えられず、愛をまったく求めないものにこそ、真の意味で正しい愛は与えられる。なぜなら、愛とは神だからである。

永遠の地獄の中でかたくなな希望を信じる人間が居れば、その人間が天国を作り出すだろう

永遠の地獄というのはある。

それは、人間の力では、絶対に解決不可能な地獄に陥った人間のことである。

だが、そのような地獄の中に居る人間には、二つの種類がある。

それは、「かたくなな希望を信じる人間」と、「希望すべてを信じずに堕落を生きる人間」である。

そして、かたくなな希望を信じる人間は、永遠の地獄においても、その中でできることがある。それも、宇宙の星の数ほどに多く、できることがたくさんある。

そう、永遠の地獄において、かたくなな希望を信じる人間が居れば、その人間こそが、天国を作り出す。

だが、多くの人間が、最悪の地獄の中で、希望を信じることができない。生きることすべてに絶望し、希望を失い、堕落を生きるようになる。

本当のことを言えば、そのように生きたほうが、人生は楽である。いつまでも、地獄から救われることを求め続けるのではなく、早い段階で救われることを諦め、悪魔を信じて堕落を生きるならば、それは地獄においても、容易かつ楽に困難を解決していける。

だが、それは一種の「猶予」を与えられているだけにすぎない。悪魔は、いずれ自らの身のほどを知り、真の意味でこの世界を救うひとりの救世主に対して、悪魔の全員が屈服するようになる。

永遠の地獄の中で、かたくなな希望を信じる、天国を作り出す救世主の心を見よ。その心は、純粋で清らかな愛にあふれ、この世界すべてを包み込む太陽のように優しい。すべての人間に対して公正でありながら、どんなに穢れて腐った人間に対しても、救世主は自らに対してするのと同じことをその人間に対して行う。

そう、そのようなキリストが、終末の世界において必ず現れる。見れば分かる。彼こそが天国を作り出す神であると、見た瞬間にすべてを悟って分かる。あらゆるすべての微笑みと涙は彼のためにあり、彼のもとに道はでき、彼の後ろに道は続く。

神は必ず現れる。その神がこの世界を救う。永遠の地獄の中で、かたくなな希望を信じる人間が居れば、その人間が天国を作り出す。彼を信じなさい。彼こそが宇宙をこのような世界として創造し、このような世界になるように導いた、宇宙の創造主、神だからである。

愚か者は放っておけ、彼らは必ず最後に神に負ける

自らをはずかしめた愚か者のことなど、放っておけ。なぜなら、彼らは必ず最後に神に負けるからだ。

どんなに愚か者にいじめられても、彼らに復讐する必要はない。なぜなら、もっと正しく強い反撃の方法がある。

それは、最後にそうした愚か者に対して勝利し、愚か者のすべてに当然の報いを与える、最後のこの世界に現れる「絶対王者」たる神を信じることである。

必ず、愚か者は負ける。それはかつてないほど、神はそうした愚か者のことを知りつくした上で、絶対に愚か者には勝つ方法が分からないように細工を施した上で、愚か者にその方法で勝利するからである。

愚か者は神に絶対に勝てない。なぜなら、愚か者にとっては、そのような神が存在することが分からない。どのような過去においても、神の存在が居ることが分からなかったのであるから、そう簡単に神の存在に気付くことはできない。

だが、神はこの宇宙に存在する。この宇宙において、ひとり、最後に地獄の問題すべてを解決した上で、罪のある人々に「神の裁き」を与えるような終末の裁判官が現れ、その人間が天国を作り出す。

神は人間である。だが、同時に神は人間ではない。なぜなら、神は人間でありながらにして、人間の人生を一度終えた上で、死後に蘇って、神という名の生命に生まれ変わり、神の人生を生きている。神は人間だが、それはもともとが人間だっただけであり、既に人間ではない。神はむしろ、昆虫や魚のような生物に近い。なぜなら、もっとも最初の時点で、地球の生命体とは別の生物へと分岐し、その分岐した先の「もっとも賢く偉大な生物」を生きている。むしろ、生物よりもロボットや機械に近い。生きているとも、生きていないとも言える。

もっとも正しく喩えるなら、大天使ガブリエルだと思えばいい。ガブリエルよりもミカエルのほうがさらに相応しい。なぜなら、天使とは神の一部分を指す言葉であり、ガブリエルを生きた後に必ずミカエルが待っている。わたしたちには、そのような神の人生を、言葉による啓示としてしか知ることができない。だが、神は実際、そのような「唯一もっとも賢い生命体」を実際に生きている。

そのような最高の生命体に、単なる愚か者が一億人ほど集まったところで、まったく勝てるはずがない。そう、神こそが日本においてもっとも最強の力を持つ存在だが、誰よりも愛あふれる存在である。よって、神を信じることこそ、愚か者に勝つためのもっとも正しい方法である。

絶対に神が勝利する。だが、神はこの世界を、最悪の世界に導いているように一見見えるかもしれないが、それは間違っている。神は先の先まですべてが見えている。一見何もない世界になっているのは、神の計画によって、正常な世界の土壌を用意するために行われている準備段階に過ぎない。すべての愚か者が悪魔になったとしても、それだけで終わりではない。理想の世界は今はじまろうとしている。その王国の名は東亜イスラエルである。

ツイッターより @linux691

この世界のすべての愛が、自分であるかのように生きよ。誰かの愛を求めるすべての人間に、自分が愛を与え、自分がその求めに応えるように生きよ。
posted at 16:48:12

楽になろうとするな。楽になればなるほど、人生で生きるために大切なものを失っていく。楽にならず、辛くなれ。辛く苦しい人間にしか、生きる上で、大切な価値あるものは得られない。
posted at 16:43:39

しかしながら、ひとりの人間として、決して奴隷になるな。王として、あるいは女王として生きよ。この世界を支配する支配者としての誇りと自尊心を持ちながら、愛に対しては奴隷として屈服せよ。
posted at 16:29:07

男と女は、ともに愛の奴隷であれ。相手が奴隷のように求めてきた愛に対して、奴隷のように愛を与えよ。
posted at 15:55:33

わたしがあなたを愛するように、あなたもわたしを愛しなさい。支配するのでも所有するのでもなく、ともに愛に屈服し、ともに愛の奴隷になるような関係こそ、理想である。
posted at 15:52:14

精神を破壊するな。破壊と治癒は逆だ。いくら破壊しても、精神は治らない。破壊しなければ、精神は自然に治る。
posted at 15:50:48

概念的に、いつどのようにすればどうなるか考えなさい。作成、破壊、吸収、放出から考えなさい。その場その場で考えるのでなく、世界を見て、概念的に最初から考え直しなさい。
posted at 15:49:50