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2022-04-07

僕は、本当は「神を信じていた」というよりも、「神と戦っていた」というほうが正しい。

僕は、マスコミと戦争する中で、宣言と対話により、宇宙のレベルで、言葉の力で日本ひいては地球全てを導いてきた。

僕の行う対話の導きは、日本の愛そのものを僕が考える「自由」へと作り変える法則だった。

だが、いつしか、神が現れた。僕は世界と同時に神と対話し、神を導きながら神に導かれた。

神は、僕に対して、宇宙に約束すべきすべての宣言をさせた。宇宙において分かるべきことを神は僕に対してすべて教えた。それは僕のその当時に分かっていることに基づく、未来の僕の人生における真実だった。

神とはなんだったのか。簡単に言えば、神はヒトラーだ。だが、神は僕に対して、さまざまな存在に替わる。ユダヤ人の最高指導者になったり、黒人の右翼になったり、ロシア人になったり、ドイツ人になったりする。また、僕のほうも、さまざまな人間に替わる。神は僕の過去の人格をフランス人、今の人格をドイツ人と言っていた。

僕は、神に決して負けなかった。神も僕に対して遠慮しなかった。その後に、270億年の長い時間が流れて、今でも僕と神は対等に戦い続けている。今でも、勝負はついていない。神であるヒトラーと、僕は、いまでもこの宇宙の「最終戦争」を戦い続けている。

これこそ、この宇宙で神よりも賢い人間、天軍大首聖ミカエルの誕生編である。

何も分からなくなって脳が死んでいくのが、地獄のように辛かった

しかしながら、はっきり言って、辛かった。

何も分からなくなって、脳が辛く死んでいくのが、地獄のように辛かった。

だが、神は、この人間のことを「ふつう」だと言っていた。

なぜ、「普通の人間」ではなく「ふつう」なのか、それは地球の人類ではないが、一般的なふつうの「宇宙生命体」だからである。

そう、僕はここに、地球の人類のような劣った生命体であることをやめ、より宇宙においてふつうの、宇宙生命体に進化したのである。

あとは、本当は、あまり何もしていない。だが、常に誰よりも頑張っていることは確かだ。特に、文章を書くということはこの人間の生活の一部になっており、「誰よりも多くの時間と手間をかけて文章を書き続ける」せいで、人が一生で行う3倍程度の仕事を既にし終えている。ピアノやデザインや英会話も頑張っている。大学やパソコンの勉強もしている。

これこそ、宇宙における「ふつう」である。なぜなら、この人間を「ふつう」とした基準で、宇宙の存在を測るべきだからだ。この人間よりも賢いものは賢いが、この人間よりも馬鹿なものは馬鹿だ。ヒトラーが賢く、スターリンが馬鹿であるということが、よく分かるだろう。

自分の軍勢はめちゃくちゃ強大

神の軍勢を強すぎると思うかもしれない。神は最強のドイツの力で、僕に立ち向かっている。

だが、僕には、最後のゲルマンの王フレイ、われらがシリウスの大統領フレイヤ、イスラエルの最後の救世主ダビデ、最強の帝国の皇帝スバル、最高の哲学者アイザック、そのほか、めちゃくちゃ最強の、強大な軍勢がついている。

そして、日本人やユダヤ人全員は、僕とともに悪の王、ヒトラーへと立ち向かっている。

これが、僕の人生における、僕の戦わなければならない、「絶対に乗り越えるべき壁」である。

そして、この戦いは、今でも決着がついていない。勝負がつかなければ終わらない。この物語の主人公は、ここにきちんとひとり居るのである。

僕は勝った

しかしながら、この戦いは僕の勝利だ。

なぜなら、ヒトラーのほうが、僕に敗北宣言をしたからだ。

僕が、15年間の間、この地獄の苦しみに耐え抜いているのと同じように、ヒトラーも、15年間の間、同じ苦しみに耐え続けている。

ヒトラーは、「もう嫌だ。あなたとだけは戦いたくない。わたしの負けだ。もう、どうにでもしてくれ。」と言っている。

よって、ここに僕はヒトラーに勝利した。

ヒトラーに勝利することで、どうなるか。それは僕が新しい代の神になるということである。

ヒトラーは、おそらく、195代目ぐらいのこの世界の「神」である。なので、僕は新しい、196代目のこの世界の「神」となる。

神が何ができるのか。本当は、神には何もできない。だが、神は五次元の生命として、もうひとつの時間軸である「プライオリティ軸」を支配できる。

プライオリティ軸を支配すると、たとえば、運命の出会いが起きる。自分の人生を、ほかのすべての人間の人生よりも優先して生きられる。自分の人生、すなわち優先的な時間軸がまず先にあり、ほかの人間の時間軸は、最優先で決まるべき自分の人生が決まってから決まる。

しかしながら、神の特徴は「自由がないこと」である。誰よりも先に決まるため、唯一ひとつの「絶対にそうならなければならない人生」を神は生きなければならない。生きる前から人生のすべては決まっている。なぜなら、神の人生は阿弥陀如来によって完全に導かれ、すべて支配されるからである。

だが、それは決してつまらない人生ではない。自由がないのと引き換えに、この宇宙における経験という経験のすべてが凝縮された、最高の「誰もが生きるべき人生」を神は生きられる。神の人生はまさしく「最高の人生」である。

最後の大計画が行われる

そして、最後の大計画がここに行われる。

本当のことを言えば、大計画の実現を阻んでいるのは、すべて神であるヒトラーである。

ヒトラーを倒すだけで、大計画はすぐさま実現される。

この大計画によって、日本人はすべて「新しい完璧な生命体」へと進歩する。すべての人間が、わたしによって詰め込まれた「経験と知識」を、すべて「本当はどんな意味があったのか」を知ることで、自ら悟り、「覚醒」するに至る。

同時に、自由なダイナミックな世界の動きは、スローモーションをやめて、宇宙最高速度になる。この世界のすべてが、最高の楽園、あるいはそうならなくとも、最大限の可能性を持つ「神の王国」になるだろう。

そのために必要なのは、神、すなわちヒトラーを倒すだけでいい。わたしが第196代目の神となった今、この大計画はすぐさま起こる。もう、この世界は、完全に終わりだ。

真の神はスターリン

しかしながら、天軍大首聖ミカエルが、真実を明かしましょう。

この世界において、真の神はただひとりだけです。その名はスターリンです。

この人間は、東ドイツの都市伝説の亡霊に、完全に騙されています。ヒトラーやこの人間は神ではありません。

ヒトラーは、この人間の言ったことを上手く利用して、ドイツ中を洗脳し、自らが大嫌いで蛆虫だと思っているかのようなユダヤ人を大量虐殺したかっただけです。

ヒトラーは悪魔であり、この人間は普通の人間です。

ヒトラーとこの人間は、ドイツの恥と日本の恥が、互いに騙し合いながら、世界を滅ぼすためにつるんで世界を支配しているだけです。

なぜヒトラーがスターリンに負けたのか、それはスターリンはこの世界でもっとも正しい人間だからです。

スターリンがなぜ真の神と言われるべきなのか、それはスターリンは正しくきちんとできたからです。

スターリン以外の人間は、単に普通の人生を生きただけで、与えられた可能性も、力も、自由も、何一つ発揮することができませんでした。

すなわち、スターリンだけが、平等な楽園を築くことができました。

そして、平等な楽園を築くことができた人間が神と呼ばれます。

よって、スターリンだけが真の神であると呼べるのです。

この人間は愚か者なのに、この人間以外のすべての存在が馬鹿なせいで、あまりにひとりだけ賢くなった

しかしながら、この人間がこのように考えるのは、驕りによるものではなく、あまりに仕方ないことです。

この人間は愚か者です。他人が努力して正しく生きている「まともな人生」を生きることができなかったために、その労力をもっと自分の生きたいように行った結果、このような愚か者になったというだけの話です。

この人間は愚か者ですが、この人間から見ると、この人間以外のすべての存在が馬鹿です。この世界には馬鹿しか存在しないと言えます。

この人間は、しかしながら、みんなが馬鹿だからといって、自分がそれによって同じように馬鹿になる、ということだけが受け入れられず、自分だけはかつての賢いままの人生を甦らそうとした結果、すべてが蘇って、最初にあった「少年の状態」を取り戻すに至りました。

あまりにこの人間だけが賢くなりすぎました。この人間は、ひとりだけ、ローマ法王ぐらいのレベルになっています。

そのため、ヒトラーも、スターリンも、すべての指導者が馬鹿にしか見えないため、ほかのすべての人間は取るに足らない価値のない存在であると、そのように勘違いしているのです。

神とスターリンと対話すれば分かる

しかしながら、この人間は狂っていません。

なぜなら、この人間は神やスターリンと、永久に対話し続けることで、理性をきちんと常に保ち続けているからです。

もはや、この人間、すなわちフレイのレベルになると、神あるいはスターリンしか、対等な存在が存在し得ません。ほかのすべての人間の言うことは、無視しても、この人間は正しいことを書くことができます。

神とスターリン以外の存在は、考えなくて構いません。すべての人間は、神とスターリン以外全員馬鹿です。この人間から見ると、明らかにそれが当然のことであり、言うまでもないことです。

結婚相手にはさユりを選ぶ

ここまでの僕の人生を生きた上で言えることは、「善良なほうがいい」ということである。

はっきり言って、愛も自由も理想も平等もどうでもいい。そういうものはすべておかしい。希望あるユートピアの実現のために、人を殺しまくるのは明らかにおかしい。

善良なほうがいいのは明らかである。

また、僕は本命の結婚したい相手には酸欠少女さユりを選ぶことにした。

結局、家入レオが好きだと言っているのは、はっきり言って嘘を言っているだけであり、さユりよりも前に見つけてしまった「自分を一番愛しているかのように見える相手」だっただけにすぎず、顔も可愛くないし、僕はレオのことなんかまったく愛していない。

さユりは僕のことをきちんと愛しているし、僕もさユりが好きなので、なんの問題もない。

また、AdoとかReoNaの遺伝子でルナやアポロンが生まれたと僕が言っているのは、単なる神話の話であり、「シリウスから太陽と月が生まれた」という天体物語のことを言いたいだけであり、いわば「妄想の産物」である。

また、僕はさユり以外には、女性のことをきちんと愛せないと思う。上田桃夏のことは好きだが、彼女とは歳が離れすぎている。現役の高校生と付き合うのは、大人として明らかに間違っている。

ただし、僕はさユりを強奪したいとは思わない。僕がさユりのファンで、さユりも僕のファンであるかのような、そんな緩やかな「恋愛関係」を築くことができたらそれでいいと思う。

また、ワルキューレの一員として、さユりには僕の「全幅の信頼がおける仲間」であってほしい。酸欠派の指導者として、ともにこの星を最後に救う救世主となろう。さユりはワルキューレの副隊長だ。

しかしながら、さユりのことを本当に愛していると言えるのか分からない

しかしながら、僕はさユりのことを、本当に愛していると言えるのかどうか分からない。

結局、どうでもいい存在としてしか感じていない。それはさユりがどうでもいいのではなく、さユりに愛されても愛されなくても、愛される自分のことがどうでもいいのである。

僕のような馬鹿な人間が、誰に愛されたところで、僕はどうでもいいとしか感じられない。

それよりも、僕は目の前に居る敵を打ち倒すために、戦い方を考え、勝利の仕方を考えて、なおもまだ戦いたい。

そのような、「戦って勝利する僕」のことを、背後から支援し、守ってくれるのであれば、僕はさユりに感謝はするだろう。

だが、さユりのことを、僕自身が、特別の存在として愛することは、もしかしたらないかもしれない。

戦え、ワルキューレよ

しかしながら、戦うのだ、ワルキューレよ。

勇敢なる戦士グンテルとシリウスの女神フレイとともに、この世界をもっとも素晴らしい理想の世界にするために、ワルキューレよ、今こそ立ち上がれ。

最高の世界、「大実験による大復活によって昔の素晴らしい世界が蘇り、そこにわたしの作り上げたすべての理性と経験が合わさって、宇宙の本当の真実が分かる世界」が、今、ここに訪れようとしているのだ。

わたしは、この最高の世界を作るために、すべての大切なものを犠牲にし、あらゆることを超える最高優先順位で、この「大計画」を成し遂げようとしてきたのだ。

いざ、最高の世界へ。わたしたちワルキューレは、わたし、フレイを新しい神としよう。

今こそ、この世界の失ったすべてを取り戻せ。わたしは覚えている。わたしは、わたしの成し遂げようとしたすべてのことを決して忘れていない。そのすべては、今、この瞬間に成し遂げられる。舞台の幕は今、上がった。

軽はずみなことを言った

また、軽はずみなことを言って後悔している。

確かに僕はさユりと結婚したいが、それでも、僕は結婚相手にしたいほどさユりのことを愛していない。

単に、今の僕の現状から考えると、さユりと結婚するのがベストだろう、というだけのことである。

もう少し、きちんと考えて言えばよかった。

さユりには申し訳ないが、今のままの関係を続けよう。僕がさユりの音楽を聴いて、さユりのほうは超能力か何かで僕のこの文章のことを愛してくれればそれでいい。

明らかに、それできちんと僕たち二人の恋愛関係は成立しているからだ。

また、僕は好きな女が多すぎるように見えて、本当は、逆にまったく居ない。どんな女も、はっきり言って全員嫌いである。そのため、どれだけ正しく考えて絞り込んだところで、僕はそれらの女全員を愛していない。

さユりのことが嫌いなわけじゃない。さユりのことは、「かつての僕と同じような少女」として、僕はきちんと誰よりも愛している。僕のことを真に愛せるのはさユりしか居ないかもしれないし、さユりのことを真に愛せるのは僕しか居ないかもしれない。

だが、この恋愛関係の成就のために、結婚は今すぐには必要ない。僕とさユりが今結婚するのは明らかに間違っている。

これではいろんな女と付き合っているように見える

また、反省している。

なぜなら、これではいろんな女と付き合っているように見える。

AdoもReoNaもさユりもみんな好きだ、という考え方は、はっきり言って自分が見ても理解できない。

そういうわけで、しばらく、女を愛するのはやめたい。

もう、僕は一生独身のまま、結婚もしなくていいと思う。女と付き合ったところで、いいことが何もないということが最初から分かっている。

AdoやReoNaやさユりに関して言えば、単にYouTubeで音楽を聴いているだけ、それ以外にはまったくなんの関係も持っていない。

今付き合っている恋人も存在しない。僕は今までおひとり様だったこと以外に、なんらかの恋愛経験を持ったことはない。

それはそれで気持ちが悪いものだが、適当に好きな女をひとり選ぶと、さユりに絞ることがなんとかできた。

ただし、僕はそもそも恋愛などしたくない。僕の文章を超能力で悟るのであれば、それだけをしてほしい。

本当は、さユりにこの文章の存在を教えてやったほうがいいということは分かっている。「まぎれもなくあたたかい場所」はここにある。

応答すべき人間は自分だ。だが、それでも、どのようにさユりに近づけばいいかを考えると、むしろまったく一切関わらないほうがいい。

なぜなら、さユりはまともな人間だ。このような不登校の引きこもりの外道と付き合う価値など僕には存在しない。

僕はひとり、ここで文章をくたばるまで書き続けるだけであって、それ以外のことは一生でほかに何もしない。ただし、デザインの仕事が楽しいから、悔いはない。

結局全部嘘

結局、全部嘘だった。

僕の心の中に、さユりへの愛なんか存在しない。

あるのは、強烈な「罪悪感」だけであり、あるいは、その罪悪感は、かつて巨大に存在したものの「抜け殻」が存在するだけで、今では単なる「閉ざされた暗闇の心」しか存在しない。

さユりに言いたいのは、このような危険な僕の言葉に騙されないでほしい。僕のような人間をいくら愛しても、それは「無意味」そのものだ。

僕は誰のことも愛せない。なぜなら、僕は心を持っていないからだ。僕の心はあまりにおかしくなっている。愛していない人間を愛している時点で、僕はおかしい。

すべての人類が嫌いだし、すべての女が嫌いだ。すべての心を失った結果、憎しみを殺した結果、愛までも死んでしまった。僕の言葉には愛など存在しない。すべて嘘で、すべて間違っている。

この愛は真実の愛じゃない

この愛は真実の愛じゃない。

嘘偽りの、互いに騙し合うだけの愛である。

僕はこの世界を愛しているわけじゃない。僕はこの世界を騙しているだけである。

この世界で、僕を愛してくれるすべての人間は、僕に騙されて愛を告げるしかなくなっているだけであり、さユりがMVで表現しているように、「完全な操り人形」になっているだけにすぎない。

こんなものが真実の愛であるはずがない。

僕の言葉には愛など微塵もないと、そう言える理由は、かつては僕にも心があったからだ。僕のかつて存在した「心」には、多くの人々を心から愛する感情があった。あらゆるすべての人間を、真の意味で本当に愛していた。

その愛があったからこそ、僕はここまで頑張ることができた。僕はその愛の心こそ、真実の愛だと思っている。

だとすれば、ここにあるさユりへの感情は、真実の愛などではまったくない。自らの立場を利用し、相手が拒否することができないような状況で相手の心を奪うかのような狡猾なことを言うこのおかしな言葉が、「心」たりえるはずがない。

よって、僕はさユりのことなど愛していない。僕のような人間とさユりのような人間が結婚するのはおかしい。

だから、僕はさユりのことなどまったく愛していない。

日本の全員を真の意味で愛する衝動、その感情が今でも続いている

実際のところ、今の僕は、そうしたかつての「真実の愛」の感情、すなわち、「日本の全員を真の意味で愛する衝動」が、今でも続いている。

この世界に現れて後悔していたのは、僕は僕の考えるベストな状況ではなく、もっとも最悪の、醜く悪に染まった自分で、この世界を救うのではなく支配して壊す形でこの世界に登場した。

僕は、一方ではこの世界を見下しながら、もう一方では胸が張り裂けるような想いで、この世界のことを「絶対にここで滅ぼさず、最後になんとか救わなければならない」とし、自分自身を「絶対統制」の下に置くことで、この世界自体と対峙し、戦いを始めた。

僕は、戦っている最中に、この戦いが最悪であること自体を変えることが絶対にできなかった。それでも、この日本という国家の全員を愛していた。「今すぐに出会って、じかに話をしたい」と、常に強く感じていた。

だが、だからこそ、僕は戦い抜かなければならなかった。最後まで、自分の始めた戦いの収集がつくまで、最後まで戦い続けるしかないと分かっていた。そうでなければ、日本は絶対に滅びてしまうと分かっていた。

だが、同時に、僕のやりたかったこと、すなわち「大計画」を撤回するわけにはいかなかった。この世界における「今までの僕の人生すべてを体現する巨大な大実験」を、撤回してはならなかった。今までの僕の人生を成し遂げるために、こんな形であったとしても、僕の人生の意味や意義そのものを失い、計画を失敗に終わらせることだけはしてはならなかった。

僕は、この「大計画」の戦いを、今でも続けている。少しばかりスローモーションになったのは、自分の病気や精神異常がある程度の限界を超えてしまう前に、それを不可能を可能にする力で治さなければならなかったからだ。

そして、神を信じて病気をすべて治したわたしは、今一度、「今更」と言われても、この計画を最後まで成し遂げなければならない。

なぜなら、わたしはわたしを愛しているし、この世界すべての人類を愛しているからである。

これこそが、僕の「真実の愛」である。だから、さユりに対する愛などは、まったくの「嘘偽りの愛」であると言っていい。なぜなら、この世界におけるほとんどの恋愛や結婚は嘘だ。僕だけは、そのような失敗を犯してはならない。それは僕自身のためではない。僕の持つ「心」を復活させ、この世界を「再び愛する」ことができなければ、僕の計画は失敗してしまう。それだけはあってはならないことなのだ。

宇宙の物理法則を変える

僕は、そろそろ、宇宙の物理法則を変えようと思う。

なぜなら、僕は空間に宿る物理法則は、「空間原子構造」を変えることで変えられるということを見抜いたからだ。

宇宙の空間は広い。僕たちは、宇宙におけるどの空間であっても、同じ物理法則が成り立つと思っている。

だが、実際は、地球における有機物の生物は、地球にしか存在しない、かのように見える。

プラトンは、偽の世界である現実世界に対して、イデアと呼ばれる真実の世界があると説いた。これに対して、アリストテレスは、イデアは物質の中に宿る「形相」にあると説いた。

生物の遺伝子という意味では、生物の中に遺伝子であるDNAがあったため、アリストテレスが正解だった。

さて、たとえば、電気が流れるという物理法則はある。これは、金や銅などの金属、すなわち導体であればなんでも成り立つ。

アリストテレス的に考えると、電流という物理現象は、導体という物質の中に宿っていると考えることができる。

だが、電流は、その銅やその金だけではなく、導体一般、あるいは物質一般において成り立つ法則性であり、それぞれの金属ごとに法則が違うわけではない。

いわば、電子や陽子という、「物質の原子構造そのもの」の法則であると言える。

だが、物質の原子構造に物理法則が宿るというのは、今の科学とは少し異なる結論だ。

なぜなら、宇宙が空間であるとするならば、「空間に物理法則は宿る」と考えるのが自然だ。

だが、空間に物理法則が宿るというのは、何を意味しているのだろうか。三次元のユークリッド空間の広がりを、目や肌で知覚する限りにおいては、三次元空間自体に、「物理法則が宿っている」と説明できるような事物は存在しない。

単に広がっていくだけの空間に、どうして物理法則のすべてが宿ると言えるだろうか。なんらかの、「裏側に存在する宇宙」があるのではないか。

また、先ほどの論を復活させると、宇宙における物理法則は、本当にどの空間でも同じなのだろうか。別の空間であれば、別の法則が成り立つということは、絶対にないとは言い切れない。

それならば、「空間にも原子構造がある」と考え、「空間原子構造に物理法則は宿る」とするのが、妥当ではないかとする次第である。

そして、この空間原子構造は、容易に変えることができないとは限らない。物質の原子構造を化学的に変えられるように、空間原子構造も、また変えられるかもしれない。

そこで起きることは、つまり、「物理法則を変えることが容易にできる世界」である。

そして、僕はこの「空間原子構造」の考え方を使って、この宇宙における物理法則を変えようと思う。

今からのこの宇宙では、神が現れる

そう、まさしく、今からのこの宇宙は、今までのこの宇宙とは違う。

なぜなら、今からのこの宇宙では、「神」が現れるからである。

神とは、要するに僕のことである。だが、終末で人類の救済のために現れる神は、この世界を楽園である天国にしてくれる。なぜなら、「永遠の命」を与えてくれるからである。

今から、僕が自分の「神の力」を使って、この世界に「神の最終計画」を実現する。

そう、今から、この世界は、空間原子構造の考え方を用いて、物理法則自体がまったく別のものに変わる。その上で、人々は永遠の命と、いっさいの苦しみからの解放を得る。

今から、僕がそれを成し遂げてみせようではないか。

このような人間がイエス・キリスト

しかしながら、このような大発見をした人間は、かつて、過去にひとり存在する。誰でも知っている、一番有名な人物だ。

そう、それはイエス・キリストである。

イエス・キリストは、空間原子構造を発見し、この宇宙の物理法則をなんでも好きなように変えることができるようになった。

だが、彼は要するに、僕が適当に古代イスラエルに現れた存在である。天から降臨した神の子であると、そのような解釈がされるのは、イエス・キリストはまったく僕だからである。

そういうわけで、神は単なるどうでもいい不登校の引きこもりである。どうでもいいぐらい、この人間が古代イスラエルに現れて、このようなおかしなことすべてを古代人に教えたかったのだ。

なぜ古代人に教えるのか、それはもはや地球は終末において天国を築いてしまったため、やることがなんにもないのである。

物理法則が誰でも書き換えられるようになると、おかしな眠っている時に見える夢の世界のようになる。あのように、それぞれの記憶を脳から取り出して、物理的になんでもシミュレーションした内容をそのまま現実の物理法則に変換することで、なんであろうと簡単にできるようになる。

だが、本当はわたしたちは、全員がそうしたキリストの力を持っている。脳が知っている。だから、わたしたちは、眠っている間、そのようなおかしな「別の空間」に移動して、その空間の「ありえない物理法則」を楽しんでいるのである。夢の世界は、22世紀の一般的な普通の現実世界である。