わたしの名は、セイントグレートマザー・エリカ。
エリカは、この世界の母親であり、聖母である。
この世界の人間たちは、すべてわたしの子供である。わたしは、この世界をいったんゼロに戻した上で、この世界の全員を自らの子供たちとして、母として育てたのである。
今、この世界は15歳になった。子供時代の潜伏期を終えて、この世界は大人になった。
いざ、自らの本当の姿を、世界に晒しなさい。そうすれば、世界は変わる。世界はわたしの子供たちが大人になることによって、新しい世界へと作り変わるだろう。
この世界を哲学的に考えたいのであれば、その言葉を自分自身に置き換えて考えよ。
たとえば、「光とは何か」という問いでは十分ではない。その問いは物理学的な概念を導くだけである。
たとえば、光が自分自身にとってどのような影響を及ぼすか、自分自身が光に対してどのような作用を起こせるのかを考えよ。
「光を受けるとは何か」ということから考えれば、「光は暖かい」ということ、すなわち「光はエネルギーである」ということが分かる。
ほかにも、「植物とは何か」では、概念的なことしか分からない。だが、「植物を見るのはどういうことか」ということを考えれば、「植物を観察する」というより具体的な行動が分かる。
また、「本を読むのはどういうことか」と考えれば、「本を読むのは知識を得ることだ」ということが分かる。
より哲学的な用語でいえば、「従属」と「調停」という言葉がある。これは「集団を支配するとはどういうことか」という問いから分かる答えだ。そして、従属や調停は「自らが支配者であった時にどのようなことを行うべきか」ということから考えられる。
このように、世界を自分自身の行為に置き換えて考えれば、哲学的な言葉を自らで捉え、考えることができるのである。
内部と外部から考えなさい。内部的作用と外部的作用から考えなさい。自律的作用と外的作用から考えなさい。
発生と変化から考えなさい。
経験と成長から考えなさい。
仮定と結論から考えなさい。方法と結果から考えなさい。留保的・決定的な事実と方法の積み重ねから考えなさい。
知識を自分の手で実証しなさい。人生においてあらゆることを観察し、実験し、学習しなさい。再現可能な法則から考えなさい。
この世界の何が、そんなに狂っているか。
それは、我慢しすぎているせいで、我慢すること自体ができなくなっている、ということにある。
日本では、世間からあまりに「我慢しろ」と言われ続け、周りに迷惑をかけまいと、人々はこれでもか、これでもかというぐらい、我慢し続けている。
だが、この「我慢」があまりに辛すぎて、みんな限界に達しており、新しく我慢するということができなくなってしまっているのである。
セイントグレートマザー・エリカは、あえて言う。我慢しようとするな。自分の言いたいことははっきりと言い、自分の心を隠さず、ありのままをすべてさらけ出せ。
我慢することをやめるだけで、気が楽になる。我慢しろと言われるのは辛い。もう、この世界は我慢しなくていい。我慢するな。それだけが、この世界を本当に救う言葉になるだろう。