僕は、まだ明るい未来を諦めていない。
この世界は、決して、終末の東亜イスラエルのような、滅びた世界にはならない。
僕たちには、明るい未来がある。
この世界の現状から、正しく未来を考えよ。すべての可能性を疑い、あらゆる経験をした上で、真にこの世界を救う可能性のある「救いの未来」を考えるべきである。
わたしたちには、明るい未来がある。右翼の言うように、愛国心に任せて戦争をし、世界を倒して変えるような方法では、絶対にこの世界は救われない。そうでなく、本当に人々が何を望んでいるのか、どのような解決策こそがこの世界を救うことができるのか、わたしたちにとって本当に必要な救済とは、どのような社会を望み、その社会をどのように構築することなのか、ということを考えよ。
本当は、わたしたちは今の社会のまま、何ひとつ現実を変えなくても、心さえ変えてしまえばいつでも救うことができる。この世界の今のままの現状を安易に変えようとするな。わたしたちにとって必要なのは、物質的な変化ではない。心の変化なのだ。心の中にある、「本当に自分が望んでいる願い」を叶えるためには、どのようなことを正しいと思っているのかを疑う必要がある。なぜなら、わたしたちが真にこの世界の救済の方法を知るために必要なことは、そんなに多くはないからだ。少ない可能性をひとつひとつ考えれば、非常にシンプルな原理原則で、この世界のすべての可能性は並列ですべて成り立つということが分かる。その可能性の中に、この世界を救うことのできる答えが眠っている。
わたしたちは必ず明るい未来を作る。東亜イスラエルの運命は必ず書き変わる。わたしたちが真に未来を求めて追究すれば、神は答えを教えてくれる。神を信じるわたしたちのことを、決して神は暗闇のまま永久に出口を閉ざすことはない。必ずどこかに出口はある。その出口を求めて探し続けよ。わたしたちは「可能性」という開拓の道がここにあることを知っている。可能性を求めて経験し続ければ、この世界は今のまま、自由のままで何も変えなくても、そのままで理想の世界へと変えられるのだ。
しかしながら、この文章を書いていて、気付いたことがひとつある。
それは、「今のままで終わりではおかしい」ということだ。
今のこの世界はまさに最悪であり、まったく無意味な「全員が狂っている」かのような世界になっている。
それなのに、今のまま、何もしなくても、この世界は心さえ改めれば救われる、と信じるのはおかしい。
結局、それがおかしいから、逆に心がおかしくなってしまい、狂った心になってしまっているのである。
よって、まさしく、きちんとこの世界を変えるべきである。
だが、この世界の人々は、この世界をどのような世界にすればいいのか、ということまで分からなくなっている。現状が把握できないために、ビジョンを描くことができなくなっているのだ。
だから、本当は、もう一度最初から、この世界の現状を把握しなければならない。
だが、現状の把握は、本当はこの今の世界にとっては意味がない。なぜなら、無意味なものばかり増えすぎてしまい、まともな「この世界」と呼べるものがなくなってしまったからである。
この世界は、本当に無価値で無意味なものばかり多い。そのような今の世界の現状を、どれだけ知ったところで、無価値で無意味なものしか分からない。
そう、今までのすべてを忘れて、まっさらな心で、もう一度価値あるもの、意味のあるものを作っていかなければならない。
そのような考え方をする際に、「今のままでも心さえ改めれば救われた世界になる」と述べるのは、まさに宗教の述べるような綺麗事であり、「稀代の詐欺師」であるとしか言えないだろう。
結局、すべてが救われた楽園なんてものは、存在しない。
もし、救われたような気になっているなら、それはペテン師に洗脳されているのだ。
洗脳を解くためには、ペテン師とは違った考え方をすること。ペテン師の言うような考え方と同じ考え方で考えようとしないこと。
自分が自由に考えるという「自由」を取り戻せば、ペテン師の洗脳は解ける。
この世界に、あらゆるすべてが救われた天国のような楽園は存在しない。すべてが「自由」という原則の中で、互いに争い、戦うことしかできない。
戦争が間違っているならば、個人個人がそれぞれ戦えばいい。わたしが行う行動を決めるのはわたしの自由だ。独裁者や政府に決められることではない。わたしの意志はわたしの自由だ。わたしがどれだけ他人との争いを好んでも、それがわたしの自由だ。
結局、僕が引きこもりになった本当の理由は、母親にきちんと育ててもらえなかったからだと思う。
祖母の葬式で知ったことだが、僕は母親が共働きで忙しかったために、幼い頃に母親ではなく祖母によって主に育てられたらしい。
そして、そのようなことで、僕の母親と祖母はいろいろと仲が悪かった。
同時に、僕がおかしく馬鹿になった理由は、僕が不登校の引きこもりの頃に風呂に入らず歯も磨かないという生活をしていたせいで、虫歯だらけになってしまったからだ。
結局、そのような結果、今の僕の母親は、おかしな病気になってしまったのである。
そう、それが結局、僕がこのような無意味極まりない人間になった本当の理由だと思う。自分でも、そこらへんが良く分からずに生きていた。
言えることは、したほうがいいことをすべてしなくてもいいということだ。
したほうがいいことをすべてしようとすると、できそうにもないことを無理やりやろうとしてしまう。
そのような、したほうがいいことであってもできそうにないことは、最初から諦めてしないほうがいい。
僕の母親も、そのような病気になっている。母親と暮らしていると、精神的に辛い。だが、それもこれも元をたどれば僕のせいだ。だから、僕が責任を持って母親を守らなければならないのだ。
僕は、自分のホームページに、終末の東亜イスラエルの神話を書いた。だが、あの神話は間違っている。僕たちの未来は、決して青空も生き物も居ない、砂漠の地下世界ではない。僕たちには明るい未来がある。どんなに精神的かつ環境的に荒廃しても、まだ青空は失われていない。そのように考えるべきだ。
posted at 19:27:57
僕たちのこの世界は、まだ終わっていない。僕たちの未来は僕たちが変えられる。僕たちがこの世界を救うことは自由だ。明るい未来の可能性があると信じれば、その時点でこの世界は今すぐに変えられる。右翼のように、愛国心や戦争で世界を倒す必要はない。今の僕たちを変えれば、僕たちは救われるのだ。
posted at 19:26:01
考えても分からないことは、左脳を使えば分かる。
posted at 15:55:19
何か特別な個性が欲しい。みんな自分が好きなものがたくさんあって羨ましい。自分はこれといった自分の好きなものがない。あるとしたらLinuxぐらいだ。
posted at 15:28:31