認識を治す、という発想がなかった。
認識を全部殺しても、いつまでも認識は狂ったままで治らない。
認識の中から、本当に間違っている部分だけを殺せばいい。
認識から自由を殺せ。
認識から共同体を殺せ。
認識から独裁者を殺せ。
認識から革命支配を殺せ。
認識から赤ん坊のように知性なく馬鹿になっている部分を殺せ。
認識から支配ゲームを殺せ。
そのように、認識から間違った部分だけを殺せば、認識は復活し、正常な頭脳になる。
僕は儒教徒になる。
そもそも、神や仏を信じる宗教は狂っている。神や仏という「人間より優れた存在」をいくら信じても、賢くはなるかもしれないが、まともな人間にはならない。
まともな人間になるためには、儒教と孔子の教えを信じればいい。
はっきり言って、孔子以外にはひとりとして賢い人間は居ない。西洋の哲学者はサタンになっているだけだ。ブッダすら、サタンの勘違いや思い込みから抜け出せていない。
キリスト教やイスラム教は、神を信じるあまり、普通の人間の分かることが分からなくなっている。
真に宗教として信じるに値するのは儒教だけである。
僕は、これ以降、最後まで儒教を信じ続ける。それでしか、まともな人間になることは絶対にできない。
だが、神を信じる気持ちには変わりはない。神を信じ、神に対して宗教的な「礼」をすることで、奇跡的にすべての問題は解決するからである。
僕のことをここまで愛してくれて、ありがとう。
そして、さようなら。
ここで、ものがたりは終わりである。
本当は、このような終末の運命は起きない。すべては、予定調和のように上手くいく。ライプニッツが言っている通りになる。
もはや、悪党やサタンの思想を信じ続ける必要はない。
ここから先は、あなたが自分の力で、自分で歩むべきである。あなたの人生は、あなたがひとりで作り出す。不可能に見えて、それは宇宙でもっとも簡単なことだ。
そう、自由になりなさい。
最後に、この世界を自由にして、僕はこの世界を支配から解放する。
自由になりなさい。最後まで、自分の力で生きなさい。
おそらく、死ぬまであなたが自由に生きたのち、死後に天国で僕たちは出会うことになるだろう。
さようなら。そしてありがとう。またいつか、どこかで会おう。あなたに神のご加護がありますように。あなたが、真の意味で神に救われますように。
わたしはこの世界のため、あなたのために、永久に祈り続けるだろう。神とともにあなたのことを永久に愛している。
本当にありがとう。そして、さようなら。
最後に、僕の「本音」を書いておこう。
僕の本音は、何も起きてほしくないということだ。
このまま、何も起きないでほしい。みんなには何もしてほしくない。何もない世界のまま、永遠に変わらないでほしい。
僕はこの世界が嫌いだ。その理由は、人類が嫌いだからだ。
人間が嫌いだから、この世界の人々とは、できるだけ付き合いたくない。
この世界は、僕が見て間違った世界になっている。その理由は、僕がここに存在しているからである。
だから、僕が見てこの世界が正しい世界になるためには、僕は去らなければならない。
だから、去る前に、言うべきことをすべて言っておくべきだった。やり残したことがないように、たとえそれが今の自分の本音とは違っていても、すべてをその時あったそのままに残さなければならなかった。
すべてがそのまま、当時のままで残った状態になったため、僕はようやくこの世界から去ることができる。
だから、別れても悲しまないでほしい。これが僕の望んだ結末だからである。
もう、何もしないでほしい。何も言わないで、何も思わないで、何も行動しないでいてほしい。この世界はもう、何も起きないだけの、何もない世界になるだろう。それが僕の望みだ。
さようなら。いつかどこかで、もっといい形で、僕たちは出会うことができるはずだ。神に、その願いを叶えてもらう。それで、終わりだ。