新年明けまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
昔の自分の人生や、IT技術や大学科目については、完璧に書き終えたため、心機一転するために新しいシルフの日記を作った。
今年はいい年になると思う。
結局、僕の唯一の願いがもしあるとしたら、それは「書きたい」ということである。
去年は、勉強することができた一年だった。IT技術や大学、芸術や音楽について、勉強することができた。ある程度のレベルまで花開くことができた。
だが、僕は去年を終えてしまうと、もう、未知なる勉強の領域があまり残っていない。少なくとも、僕の基準では。
僕は、もう、勉強してできるようなことがない。本にはもう、何も新しいことは書かれていない。
僕は、本音を言えば、もう本も読みたくないし、勉強もしたくない。
そもそも、大学の教授のような偉い人間を演じているのは、すべて仮面に過ぎない。本当の僕はとても醜くて、何も知らないで荒くれたスラムの中で遊んでいただけに過ぎない。
だから、どんなに地獄でも僕は平然として涼しい顔で居られる。昔の僕と比べれば、こんな地獄は大したことではなく、恐怖が永遠に続いたとしても僕は辛くない。
だが、そのようなおかしな平然さが、逆に僕を破滅に向かわせていると、自分でも分かっている。
僕の真の願いは、まさに「書く」ことだけである。僕は読みたいわけでも、勉強したいわけでもない。研究するのであれば、そのために僕は書いているのであり、僕は本当は、中学・高校・大学とは無関係に、もっと正しい、もっとレベルの高い研究をしたかったが、それができる場所がなかったから、このようなおかしな人生になったと、それだけの話である。
そして、勉強しても、昔の僕よりもレベルが上がった試しがない。勉強しても、レベルは下がるばかりで上がらなかった。
だが、僕は神に感謝したい。神が多くのことを教えてくれた。この神が本当は幻想であり、自分で一年間すべてを想定して計画を構築してやっていることには薄々気付いているが、それを可能にしたのは僕の強い神への信仰心であるということもまた僕は知っている。
だから、神よ、ここで僕の大学は卒業にしよう。結局、きちんと読んだ本など数冊しかなかったが、それでも僕は大学のすべてを知ることができた。神に感謝したい。
また、はっきり言って、日本語はもう分からなくていい。
そもそも、昔の僕は、日本語が分からなかった。読めないのではなく、何が書かれているのか、理解する能力がなかった。
そのような、いつもの日本語の分からない学習障害の僕に戻れば、いつもの「天才作家」に戻ることができる。
僕が文章を書けるのは、みんなとまったく違う頭をしているからであり、常にこの世界のすべてを経験も知性も人生も含めてすべて分かっていた、あの日本語が分からなかった僕の頭が、今までの人生で一番賢かった。
病気を治そうとは思わない。間違っていたのは、病気を治すことであって、もう、そのような病気は永遠に治らなくていい。
僕は、いつもの詩人に戻る。そう、これこそ、僕だけが到達する「神の境地」である。
結局、必要なのは、「何かを見つけ出すこと」である。
この世界にそもそも存在する、何かを、この世界の中から見つけ出すことで、真理を悟ることができる。
数学は役に立つが、時に害になることもある。
自らの思考に頼るのであれば、外部からの知識をよく考えて吸収しなければならない。外部からの知識をまったく排除し、自分の力で、自分だけで考える必要もある。
そうすれば、この世界に存在するなんらかの知性を、得ることがきっとできるはずである。
インターネットが、この世界から個性をどんどん奪っている。人々は同じツイッターやSNSを見て、Googleで同じ情報を有益な情報だと思い、そのせいで同じ思い込みや勘違いをする。嘘偽りと無責任ばかりで、同じ手法でたくさんの人間が騙される。それがインターネットである。
posted at 22:18:42
インターネットは決して自由じゃない。みんなが同じものを見て同じ環境で生きるのは、世界全体を客観的に見ればインターネットである。世界全体から見ると、学校や職場や家庭は、それぞれの人間が別々の環境で生きており、個性がある。ツイッターは画一的で、誰もが同じ場所で同じことをしているのだ。
posted at 22:17:21
わたしたちは、罪悪感に蝕まれながら、永久に手に入らない「楽」を望み続けている。だが、そんなものはこの宇宙には存在しない。わたしたちに罪あれど、永久に楽は得られぬ。人生は本人が変えなければ変わらない。だが、変える意志はあってもその方法を失い、その方法は永久に手に入らなくなった。
posted at 22:09:56
自分自身の心に問うてみよ。真剣に、決めつけなく、問うてみよ。わたしは本当に今のままでいいのか。なぜ今のままを選び続けるのか。今の自分の何を失うことができないのか。何が本当に大切だと今考えているのか。
posted at 22:04:55
生きる手段だけに囚われるな。どのように生きたいかという目標もまた意味がない。今、自分が生きているこの人生こそが重要である。今生きている、今現在の自分を見つめよ。そこから分かることで、人生は変えられる。
posted at 22:01:57
重要なのは手段でも目的でもない。重要なのは具体的なその中身であり、結果的に伝わる内容である。原理的にそれが何をなすかは重要ではない。それを使ってどんなことができるかが重要だ。
posted at 22:00:01
何かが生まれたからには、何かの理由がある。絶対にそれがそうであると決まっていることは少ない。その理由が分かってしまえば、その時点でそれは絶対的法則ではない。わたしたちは知らず知らずのうちに、簡単に変えられることを絶対に変えられないと勘違いしている。
posted at 21:57:20
それが何の役割をなすかを抽象化せよ。そして、それぞれの個別の存在が合わさったものが集合であるとし、個別と集合から関係性を考えよ。そして、世界すべてが、一直線の時間と三次元の空間の中に存在するとし、その中に個別と集合があるとせよ。それこそが、この世界を同一性と差異で把握する手段だ。
posted at 21:56:31
それを裏付ける根拠を知れ。それが何をもたらすか、何の役に立つかを知れ。それこそ、それが数学だ。そして、数学は裏切らない。なぜなら、数学は絶対的に正しいからだ。数学をいくら疑っても、正しいのは数学だ。
posted at 21:54:39