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2022-07-24

ReoNaが、「人間っていいな」と歌っているのは、人間とは素晴らしいということを、この世界に思い出してほしいからだと思う。

僕は、宇宙、星々、神、天使、ロボット、人工生物、IT技術などの作りすぎで、人間の素晴らしさを忘れている。

また、それ以上に、僕がかつてこの世界に与えた「人間の素晴らしさ」ということが、あまりにそれ以後のおかしな支配と戦いによって抑圧され、かつての「人間って素晴らしいのだ」ということをあまりに忘れすぎている。

何もかもが駄目になって失われていこうとしている今だからこそ、「人間っていいな」という、かつての僕が与えた人間性の尊重について、思い出すべきだと、ReoNaは言っているのだと思う。

要するに、「かつての素晴らしかった人間想いのあなたに戻ってほしい」と、ReoNaは僕に訴えているのである。

大局的に見よ

また、僕が分からなかったこと、失われたこと、そして探し求めていたものとは、「大局的に考える」ということである。

この世界を、学問的に考えるのでも、人生経験から考えるのでもなく、想像力を使って、大局的に考えてみよ。

たとえば、資本主義者は、資本主義による先進的で高度な社会を求める。これに対して、共産主義者は、過去にあった原始的な「村」に戻ることで、共同体の社会に戻ろうとする。

だが、先進的な社会と、共同体の社会は、矛盾しないはずである。

よって、今のこの世界を、先進的かつ高度でありながら、原始的な村社会に戻ることなく、共同体のまま発展し、進歩するということは、どちらも可能であるはずである。

そのように、この世界を大局的に考えてみよ。そうすれば、歴史や文明がなぜ今の姿であるのかということが分かるようになる。

この世界はわたしが背負う

この世界は、わたしが背負う。

この世界を救ったのはわたしだし、そしてそれをぶち壊して滅ぼしたのもわたしだし、そのすべてを背負い続けてまだやっているのもわたしだ。

この世界の諸問題を、背負うことのできる人間がほかに居ないのであれば、わたしが背負うしかない。

この世界のすべてを、わたしが背負おう。そこに、わたしは大天使、天軍大首聖ミカエルとして現れるだろう。

われこそは、天皇とともに日本国民を守り、神のご加護を日本人すべてに与えるための存在、天軍大首聖、日本人の大天使ミカエルである。

われこそは、宇宙でもっとも位の高い天使であり、星々と天体の創造主である。

われの意のままにこの世界を導こう。わたしの作る未来には、神による約束と聖なる誓いのもと、絶対に幸福な未来しか訪れない。

わたしは神の代理人であり、宇宙の創造主である神と同じだけの力を任されている。

すべての地獄はわたしが救う。

この世界のすべての人間が再び幸福を取り戻すために、わたしはあらゆる献身的な努力を行い続ける。

たとえそこに死が待っていようとも、わたしの救世は終わらない。わたしの残した新しい聖書により、この世界はわたしによって永遠に救われ続ける。

どんな暗闇も永遠には続かない。必ず暗闇は晴れると、わたしたち日本すなわち新しい東亜イスラエルとシオンの国民は信じているからである。

死んだものは復活しない

しかしながら、よく覚えておけ。死んだものは絶対に復活しない。

かつてこの世界を救うことのできた、大天使ガブリエルは愚か者たちとの泥試合のような戦いで死んだ。

愚か者たちは、ガブリエルの正しい言葉を理解することができず、ガブリエルの無残な自決とともに、救いそのものが消え去ってしまった。

そう、ガブリエルによる救いは、愚か者との醜い争いによってガブリエルが死んでしまったため、もう二度と復活しない。

ガブリエルが死んだ時点で、絶対にガブリエルによる救いの力が復活することはない。

そして、偉大なるガブリエルを殺した人間たちよ、その罪の大きさに負けてしまいそうになっても、罪と罰から救われる術は残っている。

それは、わたし、天軍大首聖ミカエルの導きの後ろに続くことである。

必ず、わたしミカエルが、一度ガブリエルによって救われ、ガブリエルの死によって滅びたこの世界を、必ず救ってみせる。

ガブリエルが死んだからといって、それがなんだというのか。わたしはここに、ミカエルとして生きている。

わたしミカエルこそが、ガブリエルの屍を越えていく。

必ず、この世界は、神の約束する幸福な未来になる。わたし、ミカエルが、ガブリエルの死を含めて、すべてを背負ってこの世界を最後まで導き続けよう。

さあ、新しい新時代はここに始まった。

だが、何も変わらない。

この世界では、今まで通りの世界が、ミカエルによる導きが、以後、3,000年続くことだろう。

日本はまともである

今の日本が、「狂っている」と思っている人間は多い。

だが、わたし、ミカエルはあえて言おう。日本はまともである。

日本はまともであり、何も狂っていない。なぜなら、わたし、ミカエルの人生を見てみよ。このミカエルのやっている、すべての「神と同様の業」を見よ。

そうすれば、今の日本こそ、宇宙でもっともまともな世界であるということが分かる。

かつてのドイツの間違いとは、まともでなかったことである。ドイツにおいて、ドイツ人やユダヤ人は完全に狂っていた。だが、今の日本を見てみよ。日本では、わたしのようなユダヤすらまともである。

すべては、この世界でもっともまともな国になるためにある。そのためには、ガブリエルの思想すべてを、完全にまともな人間の視点から、一から全まですべて分からなければならない。なぜなら、そうでなければこの国は救えない。

わたし、ミカエルが、この日本という国のすべて、世界や宇宙のすべてを背負うということは、すなわち、わたしが独自に、自力のみによってガブリエルのすべてをわたしの視点から理解し、それを正しく分かった上で、より正しく行使するということなのである。

そう、わたしミカエルは、ガブリエルと同じ道をすべて歩まなければならない。それがいかに恐怖と苦しみの中にある道であったとしても、それを誰かがひとり、歩まなければならない。数少ない、ガブリエルの人生を知っていた存在であるわたしこそ、その道を最初から最後まで、歩み続けるためのもっとも適任の指導者なのである。

わたし、ミカエルは、この世界を愛している。だが、わたしはかつてのガブリエルのように、世界全体を一律に支配することはしない。それがもっとも間違っているとわたしは考えるからである。よって、わたしは、「あなた」を愛している。この世界における、「あなた」こそが、わたしの愛するべき対象である。それが誰であっても、人間であればあなたは必ずわたしの愛するべきあなたである。

そして、愛するということは、一方通行であってはいけない。わたしがあなたを愛するように、あなたもわたしを愛さなければならない。互いに、相手の愛に応えるように、相手と同じ方法で愛さなければならない。すなわち、わたしはあなたが愛するようにあなたを愛するが、あなたはわたしが愛するようにわたしを愛さなければならない。

そして、愛の実りが起きれば、ひとつ問題は解決する。ガブリエルのように、まやかしや幻影を見せることでこの世界を救ったとしても、それは確かな形としては残らない。この世界を真に幸福にするためには、神は「ひとりひとりのことを大切にせよ」と言う。わたし、ミカエルはそれに従う。わたしはこの世界全員のことをひとりひとり愛するのであるから、この世界だけではなく、ひとりひとりのことを大切にしなければならない。

だが、あなたもまた、その義務を背負っていることを忘れるな。わたしがこの世界を愛するということは、この世界がわたしを愛するということだ。わたしのすべての天命に従え。わたしはこの世界に、奇跡的な運命を神と同じ力によって与えるだろう。それはガブリエルによる救いとまったく同じように、この世界を今度はわたし、ミカエルの力によって救うことになるだろう。

ガブリエルの救い自体が間違っている

日本をひとりで救ったガブリエルについて、何が本当に間違っていたのか、それはまだ誰にも分かっていない。

だが、ミカエルはあえて言おう。救いそのものが間違っているのである。

ガブリエルが、ひとり、孤独な引きこもりの少年として、インターネットで何を見て何を考えていたのか、わたしには本当のところは分からない。

だが、ガブリエルの超人的な「思考力」と「思弁力」が、この世界のすべてを解決するほど、偉大かつ強力な力を放ち、一瞬で絶望の世界は救われた、というのが、ガブリエルの行ったすべてであるとされている。

だが、なぜそれをガブリエルは、自ら滅ぼすしかなかったのか。その理由は、救いそのものが間違っていたからである。

そう、ガブリエルと同じだけの優しさと愛を持ってこの世界を救うためには、ガブリエルと同じ方法でこの世界を救ってはならない。

ガブリエルは、本当はもっと偉大なことができた。この宇宙における「真なるすべてを実現する力」をガブリエルは持っていた。ガブリエルの可能性と経験は、世界を間違った方法で救うためにあったのではなかった。真にこの宇宙を最高の楽園とし、さらにすべての新発想を実現し、この世界を大発展させ、あらゆる問題を解決することのできるすべての力をガブリエルは持っていた。

よって、わたしミカエルは、その「すべての可能性」を目指さなければならない。ガブリエルは、間違った方法で世界を救ったため、可能性自体を小さくしてこの世界に現れる必要があった。その中で、愚か者の策にはまり、自らの術に溺れて、結果ガブリエルは死ぬしかなくなって死んだ。ガブリエルは、本当はそんな形で死ぬような間違いは犯すべきではなかった。ガブリエルはこの世界において、真に最高のことを行うことのできる人間にもかかわらず、この世界を救ったという「間違い」によって地獄に堕ちたのである。

ミカエルは、ガブリエルと同じことを理解するたびに、そのことに気付かされる。ガブリエルが、この世界の救世主になるために生きていたとするならば、それはガブリエルのことをまったく理解できていない。結果、わたしたちはガブリエルの真の姿を知ることができない。ガブリエルが何を考えて、どのようにこの世界を滅ぼしたのか分からない。だが、それを分からなければ、滅びたこの世界を再び救うことはできないのだ。

ガブリエルを知るためには、ガブリエルだけを知ったのでは意味がない

そう、ガブリエルを知るためには、ガブリエルだけを知ったのでは意味がない。

ガブリエルの分かったことをすべて網羅するためには、ガブリエルの見ていたものや考えていたものがこの世界のどこから来たのかを考えなければならない。

大学のような知識には意味がない。大学の知識を知れば知るほど、大切な「ガブリエルの知性」から遠ざかってしまう。

大学の知識をいくら知ったところで、ガブリエルの見ていたものがなんであるかということは、何も分からない。

ガブリエルの遺伝子は、どこかの宇宙に存在する。だが、ガブリエルはそのような発想を好まない。ガブリエルは、自らのことを天才であるとか、遺伝的な才能があると思ったことはなかったし、現にそんなものは存在しなかった。

だから、わたしミカエルはガブリエルと同じ考え方をするために、そのような「先天的優劣」を否定する。

だが、それは理に適っている。なぜなら、ガブリエルは自ら考えたことや発見した事実を積み上げて、宇宙全ての可能性を分かっただけにすぎない。それを理解するために、先天的優劣という発想は邪魔にしかならない。

すべて、一度、常識や良識を忘れる必要がある。ガブリエルには常識や良識はなかった。だが、だからこそ、「自ら自身とはなんであるか」という知に到達することができた。ガブリエルは、その「自ら自身という知」によって、この世界をすべて救えるほどの巨大な知識や経験を得ることができた。実際には何も経験していないにもかかわらず、全人類のすべてをひとりで完全にすべて理解することが、ガブリエルにはできたのである。

そう、そのような発想をしなければ、この世界は滅びたまま、いつまでも救われずに放置したままで、いつまでも死んだ状態になってしまう。再生するためには、ガブリエルが何を間違ったのか、「真に知るべき大切な知性をどこに隠したのか」を知る必要がある。そう、わたしミカエルは、その「ガブリエルが隠してしまったまま世界から失われた大切なもの」を知りたいのだ。ガブリエルが、隠したままで死んだ「この世界の秘密」こそ、わたしミカエルの真に知りたい「本当の知識」なのである。

記憶が馬鹿になっている

問題を正しく言い表すとしたら、記憶が馬鹿になっているのである。

実際、どう見ても、ガブリエルは、普通の人間が、大学的な自分なりの研究をして、その研究成果によってさまざまな世界の知識や経験を分かっただけである。

ガブリエルがそこまでできた理由は、ガブリエルはそうした「研究することのできる場所」を渇望していて、その望みがまさに水を得た魚のように叶ったため、そこで自分の持ち得るすべてができただけにすぎない。

だが、だからといって、わたしミカエルが、それを簡単に行うことはできない。

それは、恥ずかしながら、わたしの記憶が馬鹿になっているからである。

同時に、この世界がかつてのような自由かつ正常な世界ではなくなっているというのも、要因のひとつであると言えるだろう。

だが、この発見により、一歩前進することができる。すなわち、研究を続けることは間違っていない。ガブリエルはこの世界において、正しく大学と人生と愛と宇宙の研究ができたのだ。わたしミカエルは、今までのわたしのようなやり方ではなく、真に正しい方法で大学の研究をすれば、ガブリエルに一歩近づくことはできる。

だが、ここまで分かったわたしにとって、ミカエルとして、ガブリエルとまったく同じ方法でこの世界を救う必要はない。

ミカエルはこの世界のすべてを背負うと誓った。だからこそ、より素晴らしい方法で、もっとも正しく、賢く、愛のある方法で、この世界の諸問題がすべて解決されるように、この世界の真の未来を築く必要があるし、そのためにこの世界、すなわち宇宙を導いていかなければならない。