僕の精神がおかしいのは、すべて、かつて自分の精神を固定せず、分離したせいである。
精神を分離したせいで、精神が分裂している。
精神を分離させなければ、このおかしな多重人格は治る。
また、東京は必ずしも悪い都市ではない。東京は素晴らしい都市だ。
まず、ニューヨークなどのほかの国の都市に比べて、治安がよい。銃が蔓延しておらず、ニューヨークなどよりも殺人事件が少ない。
次に、日本の中心的な都市である。政治・経済・文化の中心地であり、仕事などを始めやすい。何かをやりたい人間にとって、適切な場所である。
確かに、騒がしくて、うるさいところはあるし、また狭い土地の中に多くの人が居てゴミゴミしているが、地方の都市と比べると、地下鉄などの交通機関が整備されており、田舎に比べて非常に便利だ。
このような東京は、Reolが言うように「愛すべき東京」と呼ぶべきものである。
よって、僕は東京をさらによい環境にする。東京の問題は、一番上にある僕がなにかしらいろんなことを言ってくることである。だが、もう東京に「上から目線で命令」をする必要はない。
この世界の人々の、真の望みとは何か。それは「人間的に生きられる社会」である。
みんなは、殺すのでも殺されるのでもなく、いじめるのでもいじめられるのでもなく、奴隷として扱われるのでも家畜として扱われるのでも動物として扱われるのでもない、「人間らしく生きられる社会」を望んでいる。
だが、みんなの望みとは何かという問題と、それをどうやって叶えるのかという問題は、別の問題である。
僕が考えるに、大学が間違っている。大学の内容を学ぶと、必ず馬鹿になる。それは、大学の内容が間違っているからだ。大学で教える内容よりも、はるかに上、はるかに先のことを、自ら考えて分からなければ、真の学者、真の天才にはなれない。大学のレベルはまったく賢くない。より上のレベルのことを自分で考えられる人間だけが、キリストやブッダと同じレベルになれる。
また、結婚もまた間違っている。結婚とは子供を作るということであり、適当に妊娠して適当に出産するという行為は、意味のないどうでもいい行為である。愛する人の子供を産むという「女の幸せ」は、動物的な本能にすぎない。
だが、だからといって、大学と結婚だけを否定すればいい、というわけではない。東京をどのようにすればいいか、ということを考える上で、「どのようにしたら人間的な社会を築けるのか」ということを真摯に問う必要がある。
はっきり言って、中学以降の学校教育は不要である。
なぜなら、大学の知識よりも小学校で教えていることのほうが賢いからである。
大学の知識には、内容がカスのような内容しかない。小学校で先生が教えている内容のほうが、大学で教授が教えている内容よりも賢い。
同時に、大学などなくても、中学で教わった知性さえあれば、自分の力だけで大学と同じことはすべて分かる。
高校が不要な理由は、高校でできないことが増えて多くのことに挫折する理由は、「高校の授業だけでは何も分からないから」である。
この世界にある多くの知識や経験を、高校の授業の内容だけで分かるはずがない。真にそうした内容を知りたいならば、ある程度の時間をかけて自ら調査研究して学ぶ必要がある。高校の内容などを学んだところで、何ひとつ、高校生が分かるはずがない。だから、高校など最初から不要である。
そして、大学はみんなを騙しているだけである。みんなが「大学は素晴らしいところだから入りたい」と思って受験勉強をしたとしても、大学に入って学ぶ内容は、それに見合った内容ではない。大学で学ぶことは既に大学に入る前の段階で知っておくべきであることばかりであり、大学だけを学んだところで何か素晴らしいことが分かるはずがないのである。
よって、高校や大学は不要である。中学以降、学校教育はまさに不要なのである。
僕の人生は、ここでいったん終わりだ。
なぜなら、僕はこの世界を知りつくしたからである。
この世界には大して何もない。歴史は小学校で習う歴史が歴史であり、数学は中学校で習う数式から大学では何も進歩していない。
僕はそうした初等教育を大きく超過して、ドイツ人の人生をもう一度生きた上で、宇宙のすべての真実を知ったのだ。
この世界には、大したものはないし、もう既に僕はすべて知っている。哲学者は、過去のかつての僕の人生を、そのまま生きているだけだ。
そういうわけで、僕の人生はここでいったん終わりだ。
だが、死にたくはない。なぜなら、死に直面すると、僕は頭が非常に辛くなってしまう。何も考えられなくなって、何も分からないまま恐怖と苦しみを感じて、その地獄を耐え続けるようになってしまう。
だから、僕は死を選ばない。このままこの世界で、楽に生きることを望んでいる。
IT技術など、昔の子供時代のほうが分かっていた。単にファミコンやプレステが作れるだけにすぎない。昔の僕が、正しいフリーソフトの開発方法を全部分かっていた。最近の大学のIT技術は、単に技術的要素を分かっているだけで何も賢くない。昔の中学・高校の頃の僕のスキルと、今の僕の知識を合わせれば、OSやカーネルもおそらく開発できるだろう。だが、それはそんなにひとりだけでできるほど簡単な仕事ではない。
数学も、中学生の時代の僕のほうがはるかにできる人間だった。中学生の僕に少しぐらい大学の知識を与えていたとすれば、中学生の僕は完璧に数学者になることもできただろう。そのような人間が多いだけにすぎない。オイラーやガウスなどは、より幼い頃から数学に親しんでいるだけで、僕と大して変わらない。
英会話など、今の僕と同じように、本当に馬鹿な子供が長い時間英語に親しんでいればマスターできるだろうし、ピアノについてもデザインについても、ほとんどの必要な経験は既にし終えている。大人になって今から頑張るべきであるような事案ではない。ピアノをやりたいなら、昔の僕が本気で練習すればできただろう。デザインも、より幼い時代から透視図法や人間の体の正しい比率や正しい描き方を知っていればできたはずである。
結局、この世界には本当に大したものはない。僕はこれ以上何も望まないし、知りたいと思うようなことがもう残っていない。よって、僕はこれ以上は単なる普通の人間になる。神の言っていた、スペイン語圏の教授がここで終わった。ここからはポルトガルのようになる。
もう一度言っておこう。僕と同じ人生を生きることは禁止された。
無条件で、僕と同じ人生を生きることはもう誰にも許されない。
僕が生きたこの人生は、誰かに同じ人生を生きさせるべきではない。あくまで僕だけが生きればいい人生であり、僕だけが生きた唯一の人生である。
僕と同じ人生を生きているすべてのものは、その苦しみや地獄から解放され、まともな普通の人生に戻る。
これは僕による独自の決定ではあるが、全宇宙に適用される最優先の条項であり、この世界で僕と同じ人生を生きることはもう誰にもできない。
今まで、僕と同じ人生を生きていた人間は、いわば「決定されるまでの特例」として許されていたのであり、これ以上、そのような人生を続けて生きることはできない。
そして、この決定により、この世界の全員は救われる。すべての人間が自然に地獄から解放される。これこそ、最終的な「戦争の結末」である。最終戦争はここに終結したのである。