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2022-03-20

不自由に戻りなさい。不自由を修復しなさい。

自由とは、自由によって自由を破壊することである。

この世界は、漠然とした自由のせいで、もともとあった正常な理性と心を失っている。すべてが自由になって、その自由によって本来あるべき自由が破壊されている。

必要なのは、自由を信じることではない。必要なのは自由を否定し、不自由を信じて正しく生きることだ。

この世界を自由にする必要はない。可能性は自由を意味しない。自由でないからこそ、理想的な社会を築くことができる。人々を自由にするということは、自由ではない。人々を不自由にするということは、それぞれがほかの人間から破壊されないように「守る」ということである。それは自由ではない。自由とは、逆にそれぞれを守らず、「破壊されるように任せてしまう」ということである。

可能性は自由ではない。可能性は、よく考えられて、慎重に計画し、頭の中の想像を現実に具体化するということである。そのために経験や「体験可能性」が考えられる。だが、自由においては、そのような可能性はすべて破壊されて消え去る。よって、自由は間違っている。

一度、すべてを不自由にした段階で、人々は心が守られ、安心することができる。そして、その段階で、ひとつひとつの人生を、自分の自由意志で決めていけば、自分の力でこの世界における「道」を作り出すことができる。だが、決してそれは自由を意味しない。なぜなら、自らの作り出す道は、宇宙において最初から用意された道、すなわち「神の与える道」だからである。

だが、神を信じる必要はない。神を信じると、現実世界にある「事実」が見えなくなる。単に社会の発生原因と可能性、社会の構成員のそれぞれの意志と希望を考えればいいということは明らかなのに、神を信じた時点でそういうものが見えなくなる。なぜなら、神は三次元空間でも四次元時空でもなく、五次元の世界に生きているため、三次元の人間の世界を知ることができない。だが、神を信じるものには時間が関係ない。なぜなら、時間軸には五次元の軸である「プライオリティ軸」、すなわちほかの時間軸よりも優先されて決まる軸が存在するのである。

もし、哲学者になりたいのであれば、「破壊的な自由」をできるだけ遠ざけて、ひとつひとつの可能性を正しく慎重に考えることである。その上で、社会全体の可能性と、社会の発生、歴史的過程、そしてそれぞれの社会の構成員の「個人の自由意志」に基づく社会を考えてみよ。そうすれば、この世界のことは「限界可能性」からすべて見えてくる。理性と経験の可能性を考えることで、人々が何を知っているのか、何を知り得るのか、何に気付いていないのか、ということに「自ら気が付いて答えを理解する」ことができる。これこそ、「覚醒」である。

ツイッターより @linux691

ここに、カラスが加わる。カラスは言う。「人間は、最近、人間不信になっている。同じ種族であるはずの人間のことを信用できなくなっている。なぜそうなったのか。それはインターネットのせいかもしれない。だが、真に言えることは、今こそ、相互における信頼関係を取り戻すべきだ、ということだ。」
posted at 21:27:28

犬は思います。「そう、この人間には無駄がない…。無駄がないということはとてもいいことだが、つまらないことだ…。なぜなら、それは豊かなはずである人生が、たった15年で終わってしまうことを意味する…。また、完璧な人生は、再び生きる必要はない…。過去の人生だけで、一瞬で人生が分かる…。」
posted at 20:42:42

猫は思います。「しかしながら、宇宙にはとてもたくさんの具体的な問題がある。この人間は、そうしたことの99%を忘れている。なぜなら、その99%は、考える必要のない無駄な思考であると、この人間は知っている。残りの1%が、大切であるということを知っていれば、この人間は絶対に負けることはない。」
posted at 20:40:00

犬は思います。「そう、何の用意もなく将棋をすることになったとして、その場その場で読む力だけではなく、過去に同じような場面がもしあったとしたら、それを知っているだけで棋士は1秒で答えを導き出せる…。この人間も同じだ…。この人間は過去の自分の経験から、1秒で正しい解を導き出せる…。」
posted at 20:38:20

猫は思います。「本当は、そのように考えられるのは、既に思考し終えた『正しい考え方』を持っているからにすぎない。なぜなら、この人間ほど、用意周到に準備することが可能であった人間は存在しない。しかしながら、その人間の存在は既に過去の話だ。この人間は今、まったく違う人間になっている。」
posted at 20:36:38

犬は思います。「たとえば、何かが起きるかもしれないと考えて、それを用意周到に準備することを学校では教える…。だが、実際にどんなことが起きるかは、起きてみないと分からない…。何一つ想定しないほうが、正しくその状況に応じて判断できる…。このように考える人間は、この人間だけだ…。」
posted at 20:33:13

猫は思います。「この人間には、準備や計画といったものはない。何もないゼロから、常にその場その場で考えている。だが、この人間の経験は実に豊富だ。そのため、一瞬でこの人間は正しい解を導き出す。この人間には準備や計画はない。すべて、今考え、今思いつき、それを今書いているのだ。」
posted at 20:31:21

犬は思います。「簡単なことだ…。単に、この世界と自分自身が、分かり合おうとすればいい…。自らが意見し、自らの言葉を押し付け、相手を操るのではなく、人々と交流し、互いに心を通わせればいい…。それによって、この世界はすぐさま救われるだろう…。」
posted at 20:27:26

猫は思います。「すべての人間をこの人間は、本当は文章など書かなくても支配することができる。書いているのは、すべて自分のためであり、真にこの人間が導けば、この文章などなくても、この人間は世界を救うことができる。そう、今こそ、それをしよう。」
posted at 20:26:20

犬は思います。「だが、本当はそれだけでは十分ではない…。まだ、ここにある聖書は未完成だ…。いつか、この聖書が完成する時まで、わたしたち、犬と猫、そしてそれ以外のすべての登場人物が続かなければならない…。わたしたち犬と猫も、その中での、いっときの存在にすぎない…。」
posted at 20:24:01

猫は思います。「ここに居る、わたしたち、犬と猫だけが、この世界を救う方法を知っている。ここにその、世界を救う方法がすべて残っている。いつ、この文章が世界に現れるかを決めるのはわたしたちではない。それは神が決めることだ。」
posted at 20:22:28

犬は思います。「この世界の未来はいくらでもあった…。そのすべてが可能だった…。だが、今のこの世界は、もはやそうした可能性の『最後』となりつつある…。そして、最後の世界でもう一度、最初のゼロだった世界に戻るだろう…。それはすべて、犬と猫だけの知っている、この最後の聖書によって…。」
posted at 20:21:08

猫は思います。「さて、だからといって犬よ、どうしたこともないだろう。人間には、歴史というものがあるのだから、歴史を変えることができるのはとても素晴らしいことだ。犬や猫には、その気持ちは分からない。単純に、この世界を見守り、すべての人間に幸あれと、そう願うだけだ。」
posted at 20:17:45

犬は思います。「すべての人間に幸あれ…。猫はこのようなことを言っているが、もはや地球には未来はない…。ここに新しいこの人間が現れたところで、今までの過去の人類の歩みは変わらない…。すべての人間が間違えたのに、この人間だけはまだ間違えない…。だが、それもすぐに終わる…。」
posted at 20:16:42

猫は思います。「さあ、新しい未来を作らなければならない。人類はあまりに難しく考えすぎている。わたしたちが居て、そのわたしたちは何でもできるというのに、なぜしないのだろう。なぜ、実現することなく書いただけで終わるような、そのような世界のモデルを書く必要があるだろうか。」
posted at 20:15:40

犬は思います。「どこまで進むというのだろう…。これ以上、この宇宙にも地球にも、そして魂にも精神にも、何もないというのに…。すべてが終わった先に、何があるというのだろう…。これ以上、歴史にも未来にも、何もないというのに…。ああ、これ以上、わたしたちの地球はどこに向かうだろう…。」
posted at 20:14:17

猫は思います。「すべての人間が救われるとは限らないが、この人間はそれだけの力を持つ人間だ。いや、なんとしてでも、この世界を救うためにこの人間が現れるべきである。猫のために、そしてすべての生物のために、この人間はすべてを記し終えた。まだ旅が続くならば、どこまで進もうか。」
posted at 20:11:58

犬は思います。「そうだ、必ずこの世界が人類のための世界になるというのならば、わたしたち犬や猫にとっても良い世界になるだろう…。おそらく、新しい世界で、わたしたちは同じ『心を通わす仲間』となることができるだろう…。今までは、それができなかったから…。」
posted at 20:10:37

しかしながら、猫は思います。「いや、この人間に任せてみよう。この人間の心には、本当に宇宙よりも大きな『精神』が存在している。この精神があれば、いや、もはやこの精神でしか、この世界を変えることはできないかもしれない。」
posted at 20:09:06

犬は思います。「すべての人間が、ようやくここに居る人間の存在に気付こうとしている。しかしながら、この人間は可哀想だ。今、ここにこの人間は、作家として行き詰まり、何もできなくなろうとしているのに…。」
posted at 20:08:25

犬は思います。「どうやら、この世界は素晴らしい世界になることが決まったようだ…。」そして、猫は思います。「それならば、おそらく、この世界において猫と犬は、さらに仲良くなることだろう。」
posted at 20:07:12

犬と猫は友人です。なぜなら、犬と猫の間では、「動物語」が成立するからです。この動物語は、人間には理解できない言語ですが、犬、猫、そして多くの動物の間で通じるコミュニケーション手段です。ここに、それを日本語であるかのように記述します。
posted at 20:05:54

しかしながら、ここには犬も居ます。犬は、不自由な生物です。犬は何も考えません。常にこの世界を冷静に見つめているこの犬は、「どうやら、わたしはスヌーピーのようなビーグル犬であるようだ…」と思っています。
posted at 20:05:00

猫は何もしません。何もしないで生きることが、もっとも有効に時間を使っているということを知っています。猫はほかの猫と変わりません。まったく違う猫であることを誇るのではなく、ほかとまったく変わらない一匹の同じ猫であることを誇っているのです。
posted at 20:03:21

そう、ここに居るのは人間ではありません。ここに居るのは猫です。獰猛なトラ猫がここにこの世界を見つめています。睨んでいるわけではありません。本当に人間たちを愛しているのです。
posted at 20:02:12

ですが、これは人間的な人生ではありません。これは猫のような人生です。それも、一匹の猫ではなく、何百万という猫の人生です。猫はたくさん居ても少なくても関係ありません。わたしが一匹生きている、それで猫は十分なのです。
posted at 20:01:15

インターネットには何もありません。そもそも、僕はインターネットなど知りたくありません。インターネットのような場所には何もないと僕のすべての人生が教えてくれています。この人生を正確に信じれば、どのような人間であっても真実の出口に辿り着けるような、そのような人生をわたしは生きました。
posted at 19:59:46

猫が好きです。はっきりいってそれだけです。猫以外に価値のあるものは見当たりません。どこにも日本には何も存在しなく見えます。インターネットには期待しません。
posted at 19:58:36

戦いは好みません。わたしは猫のような生き物です。適当を生きています。真に自由な存在は、自由とは思いません。常に自分が自由であることを信じており、それを自覚する必要もないからです。
posted at 19:57:23

最近はまだ音楽を聴いています。特に変わっていません。YouTubeではAdoやKing Gnuが好きになりました。ここにわたしは居ます。早く見つけてください。
posted at 19:55:51

天使よ、わたしに現われよ。この世界を救う最後の天使、癒やしの大天使ラファエルよ、ここに現れて、この世界へと登場せよ。そして、わたしを最後の世界、終末の天国へと連れていけ。いざゆかん、われらはワルキューレ。
posted at 19:54:40

すべての人間に、目覚めを与えたまえ。この世界に欺かれるだけではなく、わたしたちに自由と真実を与えたまえ。そして、そこにわたしの愛を、わたしの栄光を。すべての人間に、終わらない夢の覚める、偉大な最後の景色を。
posted at 19:52:05

神よ、運命をわたしに与えたまえ。わたしに、この世界を愛することを許したまえ。
posted at 19:49:53

すべての人間に幸福と安心あれ。あらゆるすべてが赦されるその日まで、わたしは罪を償い続けよう。
posted at 19:49:21

僕はアメリカはまったく嫌いじゃない。アメリカは素晴らしい国だと思う。フランスも、イギリスも、ドイツも、そしてロシアも、僕は素晴らしい文化を持った国だと思う。だからこそ、平和が続いてほしい。
posted at 19:48:55

しかしながら、この世界の平和はどこに行ってしまったのだろうか。わたしという存在を度外視して考えなければ、この世界の正しい未来は見えてこない。
posted at 19:47:19

ああ、すべての人間に幸あれ。わたしこそがフレイであるということに気付くことができたら、この世界も少しは変わるかもしれない。
posted at 19:46:33

結局、僕が愛しているのは家入レオだということになるのだろうか?それは良く分からない。レオのことはまったく嫌いではない。だが、真実の愛がこの愛だとは思えない。
posted at 19:45:40

結局、保守的にならざるを得ない。どうしようもないこの世界を、今のまま、できるだけさらに悪い方向に向かわないように、何もせず維持していくしかない。だが、それはよい結果を生まない。何もしなければ必ず悪くなる。時間は後戻りできない。結果、世界は滅亡へと近づいていく。今よりも、悪くなる。
posted at 18:34:36

しかしながら、わたしたち日本人には、「どのような良い国を作ったらいいのか」というビジョンが存在しない。それぞれが考える理想はバラバラで、それは賢くなればなるほど、ほかの一般大衆と意見が異なるようになる。だからといって、宗教的指導者はよくない。狂っているからである。
posted at 18:33:17

しかしながら、日本人が努力すれば、日本を良い国にすることはできる。ひとりの指導者が日本を救うなどといったことは、最初からできるはずがない。それよりも、日本人がみんなで団結して、みんなの力で良い国にするべきだ。
posted at 18:32:19

僕は日本を救いたくない。なぜなら、そのような「世界を救う救世主」など、まったくのペテンだからである。救世主を目指す人間はすべて詐欺師である。なぜなら、世界を愛しているふりをして、実際は完全にこの世界を憎んでいる。スターリンが普通の救世主だ。あれ以外のことはできない。
posted at 18:31:31

この世界は「無意味」であると言うしかない。この世界はまったく無意味な世界だったのである。勉強も無意味、資本主義も無意味、学校も無意味、宗教も無意味である。どこまでも真実を追い求める大学と、ほかの国よりも比較して豊かになろうとする国が、地球を破壊するような技術しか作らなかった。
posted at 18:30:32

民主主義が優れているのか、本当に劣っているのか、わたしたち日本国民には判断できない。なぜなら、社会主義があまりにおかしいからである。ロシアや北朝鮮の指導者はおかしい。あれらに比べれば、今の日本ははるかにマシに見える。それでなお、絶望の世界のままだ。
posted at 18:29:17

この世界はもう終わりである。そもそも、若者は声を上げるだけで、その声を上げる以上のことは何もできない。政治家は、この世界の問題が分かっておらず、役人と同じ体質をした、無責任にならないような言い訳をするだけの政治家しか居ない。もし間違いや失敗、不正があれば、大臣の職を辞するだけだ。
posted at 18:28:06

しかしながら、何かがつまらない。何をやっても意味がなく思えるし、どんなに落ちていっても底が見えることはなく、いつまでも絶望へと一直線に続いていく。このおかしな「暗闇」に何と名前を付けたらいいのか。マルクスの言う「疎外」など、既にはるかに昔に経験して、今はまったくの「絶望」である。
posted at 18:26:50

そもそも、資本主義社会は成熟した社会である。大企業の経営者は、自らの会社の生き残りだけではなく、日本全体がほかの国に負けないように、下部組織やサプライチェーンまで含めて、真剣に経営を検討している。労働者も頑張って家族や国のために労働している。このような社会は「正しい社会」である。
posted at 18:25:08

このように社会を評したところで、つまらなく、虚しいのは、「夢がない」からであり、これが言ってしまえば昔の時代との違いである。昔は、絶え間なく続き、無限に広がっていくような「夢」があった。テレビも、科学技術も、すべてが膨らむ夢へと続いていくように見えた。最近のこの世界は、夢がない。
posted at 18:24:05

結婚して配偶者や子供のために稼いだり、老後の自分のために稼いだりするのは幸福だが、いつまでも無計画に生きていると、新しいことを何も始められなくなって、人生が終わってしまう。だから、若いうちに勉強ぐらいしたほうがいい。
posted at 17:20:35

金や資本主義が自由だと思うのは昔の世代と子供だけで、たくさん稼いでも使い道に困り、自由を失うだけだ。それなのに貧困層には支援が行われない。本当に素晴らしい人間は金とは無関係に善意で働いている。金儲けが善などというのは幻想だ。
posted at 17:16:17

頑張って勉強している学生は悪くない。学校の授業だけを覚えるのではなく、興味を持って自分から学んだほうがいい。勉強した内容は無駄にならない。いずれ、「自分の人生は正しかった」と自己評価できれば、あなたの人生について、ほかの人間は誰も、正しいとも間違いであるとも評価はしないだろう。
posted at 17:02:42

音楽とかアニメの世界のほうが楽しい。どんどんそうした「虚実世界」が増えている。現実はつまらない。何が楽しくて中学高校大学に行かなければならないのか分からない。結局、国民を洗脳して奴隷にしたいのが政治家や役人だ。あるいは、それ以外に何もできないのだろう。
posted at 16:57:09

この世界で生きる意味なんかない。自分の生き方が間違っているのではなく、この世界のほうに、生きるに値する価値がないのである。宗教や過激思想に傾倒すると、必ず地獄を見る。だが、現実問題、価値がある生き方があるとしたらそうしたものしかない。
posted at 16:51:39

そもそも、IT技術そのものが終わりすぎている。最近はサービス会社しかない。サービスなんか昔の匿名掲示板から変わらない。昔の2ch専用ブラウザのほうが楽しかった。GAFAは悪いことばかりしている。このようなIT技術はもう終わった技術である。何も目新しくなく、楽しくない。
posted at 16:45:35

ある意味、一番賢い学校は小学校である。なぜなら、小学生が賢いからである。中学や高校に入ると、途端に馬鹿な人間になる。本当に賢い人間は中卒に多い。中学高校で馬鹿になるぐらいなら、勇気を持ってドロップアウトしても、誰も悪いとは言わない。
posted at 16:27:25

結局、何が正しいのか。それは不自由である。自由な人生ではなく、不自由な人生を選ぶことが正しい。民主主義も社会主義も愚かな思想だが、その中で正しい人生を生きることは賢明だ。そして、それは不自由を選ぶということである。
posted at 16:23:59

かといって、大学は賢くない。最近の大学はつまらないほど馬鹿だ。レベルの極めて低い大学が増えた。分数の計算から教えているような大学もある。僕は大学が大嫌いだ。
posted at 16:18:42

「役人がきちんとしていないのが悪い」と言う人も居るが、金儲けだってきちんとしていない。素晴らしい企業理念を持つ会社はそれほど多くない。適当でいいかげんな経営をし、詐欺まがいのことで稼ぐ会社は多い。努力して入った大学で勉強して、結果そんな会社に入ったところで、何も賢くない。
posted at 16:06:33

多数派が正しいとは限らない。多数派は馬鹿だからである。もし、多数派がみんな天才ならば、民主主義は間違いではない。だが、多数派は凡人であり、天才は一握りだ。だからといって、社会主義も似たようなものだ。100人の凡人のためにひとりの天才を犠牲にする、それが社会主義の理想だ。
posted at 15:51:42

結局、「多数派がほしいと思えば正しく、少数派がほしいと思えば間違い」、これが民主主義である。完全な平等は最初から成り立たない。だが、だからこそ、それぞれの小さな単位で組織や自治体を作る必要がある。民主主義と社会主義は、バランスが必要だ。
posted at 15:44:30

大学の無償化や、医療の皆保険制度は、ある意味、唯一の社会主義者の「正しいと言えるスローガン」ではある。そのような発想は、僕の人生から言って、「成熟した民主主義」であると言える。なぜなら、僕は大学と医療だけはほしいと考える。
posted at 15:42:28

社会主義のどこにも優れた点は存在しない。そもそも、ディズニーランドのようなおかしな都市や社会を社会主義者は目指している。そのような社会は無意味であり、誰も望んでいない。社会主義者は狂っている。
posted at 15:40:22

働かないものに富を与えないのは、ある意味では間違いではない。なぜなら、国民が労働しなければ、社会は成り立たない。国民全員に平等に富を与えた時点で、国民は働かなくなる。いくらユートピアの楽園を唱えても、明らかに平等は実現できない。平等は嘘の理想である。
posted at 15:37:14

何も努力せず、放っておけば、必ず社会は悪くなる。きちんと支配して問題を解決せよ。同時に、放っておかれた国民は、何もしないのではなく、できる範囲でできる限りの努力をせよ。
posted at 15:35:13

正しい理想とは、民主主義社会の成熟による平等であって、決して劣悪な社会主義ではない。社会主義にしたところで、成熟した平等な社会にはなりえない。正しいのは、民主主義の成熟した、国民単位での平等と、個人単位での自由かつ平等な権利、および義務の順守とチャンスの尊重である。
posted at 15:32:34

劣悪な社会主義になんの意味もない。国は王が支配すべきであり、会社は社長が支配すべきだ。みんなで選び、みんなの努力や評価によって、首相や上役になれるべきだ。自由だろうが不自由だろうが、社会主義者は間違っている。
posted at 15:29:31

環境には、いくらかのパターンしか存在しない。人生や組織にも、いくらかのパターンしか存在しない。パターンをすべて考えれば、すべてを知り尽くせる。それは関係性であり、本質という名前の「精神」である。
posted at 15:17:52

自由でなく、不自由を選べば、どんなことでもできるようになる。だが、完全に自由を失う必要はない。自由と不自由のバランスが大切だ。
posted at 15:03:41

不自由を信じなさい。不自由こそ、どんなこともできるようになる、まともな知性であり、正常な人間の精神だ。
posted at 14:53:35

不自由に戻りなさい。この世界は、自由によって自由が破壊されている。不自由に戻ることで、正常な理性と安心できる心を取り戻せる。
posted at 12:45:01