正しいのは民主主義だ。
独裁は間違っている。独裁を許すと必ず腐敗が生まれ、独裁者は勢力を広げるために戦争し、それに反するものを粛清し、国民を弾圧するために多くの一般市民が犠牲となる。
民主主義こそが正しい思想であり、民主主義以外のすべての思想は間違っている。
また、右翼は間違っている。自民党の政治家は、田中角栄の時代の「金権政治」から抜け出せていない。金の面倒を見てやるから自らの子分になれという田中角栄の政治手法から抜け出せていないのだ。
もう一度、民主主義の原点に立ち返るべきだ。正しい民主主義とはなんであるかということを考えよ。右翼でも独裁でもない姿での民主主義を実践せよ。それでしか正しい政治は行われない。
コンクリートをいくら作ったところで、日本という国家は豊かにはならないし、平等にすらならない。本当に必要なところにお金を回さなければならない。本当に素晴らしい国家にするために、より正しいお金の使い方をしなければならない。
民主主義が正しい。民主主義以外のすべての思想は間違っている。わたしたちは民主主義があるからこそ、自由な言論ができるし、自由な選挙ができる。中国や北朝鮮、あるいはドイツのような国家には絶対になってはならない。
すべての国家が平和であるために、共存と共栄こそが大切である。中国や韓国との関係を悪化させるな。その先にあるのは太平洋戦争の再来だ。右翼はその戦争の再来を狙っている。絶対に右翼に騙されてはならない。彼らは民主主義の皮を被った国粋主義者だ。自民党の国粋主義者に騙されるな。自民党は決して民主主義の政党ではない。自民党はお金と国粋主義にまみれた汚い政党だ。
わたしたちは平和な民主主義国家を築くために、民主主義以外のすべての思想を否定しなければならない。社民党や共産党などは論外であり、絶対に彼ら悪党に政権を委ねてはならない。強制ノルマの悪夢が東ドイツの亡霊のようにこの世界で復活しようとしている。その先にあるのは言論弾圧と逮捕だ。
わたしたちは民主主義を信じるべきだ。北朝鮮や中国のような国家は、もし民主主義国家に転換しないのであれば完全に滅ぼすべきだ。彼らには独裁と恐怖政治しかすることができない。もっともファシズムに近いのは日本ではなく北朝鮮や中国である。
民主主義国家の理想、それはアメリカやドイツに経済力と科学技術力で勝つことだ。基礎研究に予算を与えよ。すぐさま金儲けに結びつくような応用技術だけでは、アメリカやドイツに真の意味で日本が勝利することはできない。数学や基礎物理のような基礎研究をしてこそ、はじめてアメリカやドイツに勝利できるような「オリジナルの発見や発明」をすることができる。基礎研究を大切にしなければならない。
民主主義国家において、小さな政府と新自由主義だけが理想ではない。民主主義とは国民に寄り添うということであり、国民のための国家ということである。強者や多数派だけではなく、弱者やマイノリティもまた国民である。彼らに力がないからといって、彼らを「考える価値のないどうでもいい存在」であるとする、今の自由主義は間違っている。わたしたちは全員が生まれながらにして平等である。よって、わたしたちは弱者やマイノリティも同じ国民であるとし、資本家や大企業の富を彼らに再分配しなければならない。
独裁者や独裁国家を許すな。独裁者や独裁国家は民主主義の敵である。絶対にわたしたち、民主主義国家の日本が、中国や北朝鮮に負けることがあってはならない。だが、彼らと常に敵対し続けようとする、タカ派の右翼にもまた騙されてはならない。彼らはアメリカとロシアの思うがままであり、東アジアの黄色人種同士で潰し合いによるアジア人滅亡の戦争をさせようとしている。絶対に、アメリカとロシアに騙されるな。彼らに騙された時点で日本の未来はない。アメリカとともに集団的自衛権で戦うならば、今すぐにロシアと戦争になってもおかしくはない。絶対に憲法を変えてはならないし、憲法解釈をこれ以上悪い方向に変えられてはならない。わたしたちの平和はアメリカやロシアに負けないことにあり、同時に平和憲法を維持することにある。
わたしたち、民主主義国家日本において、過激派は必要ない。テロリスト勢力には絶対に負けてはならない。わたしたちの優れた日本文化や科学技術や経済が、絶対にキリスト教のユダヤに奪われてはならない。ユダヤが日本に侵略を行えば、わたしたちの素晴らしい日本文化は消滅してしまう。よって、ユダヤ勢力を絶対に信じてはならない。
政治に真に必要なのは、バランスである。なぜなら、再分配をするだけでは富の創造をすることができない。一部の「道州制」や「地方創生」は確かに理想としては間違っていないが、現実は東京や大阪といった首都圏集中の中で、なんとか日本は一流国家を保っている。これを維持しなければならない。科学技術、特にIT技術ではアメリカに今、大きく負けようとしているが、日本の底力はここで終わりではない。真に基礎研究を深めれば、必ずアメリカの一強とされるIT技術の分野でも、日本は後れを取り戻せる。日本にはRubyやTRONという技術がある。必ず、日本が勝利する。絶対に日本が負けることはない。
政治家など信じるな。老人の政治家などが今の現代社会など分かるはずがない。右翼の政治家は嘘つきであり、左翼の政治家はペテン師だ。今の時代、政治などを行わなくても、インターネットでも言論をすることはできる。だが、ネット右翼に騙されるな。同時に、民主主義を守り抜け。民主主義を軽視するネット右翼が言論の事実上の弾圧を行うならば、それ以上に正しく賢いことをひとり言えばいい。わたしたちは絶対に国粋主義者や社会主義者の勢力には負けない。彼らは事実上の言論弾圧を目指している。真にインターネットの自由と公開性を守り抜くならば、ネット右翼とは永久に戦い続けなければならない。永久に平和を守り続ける覚悟とはそういうことだからだ。
なぜ、今、民主主義を諦めて、国粋主義や社会主義へと転換しなければならないのか。
今こそ、より民主主義を強固に推し進めるべきである。
僕は保守派に見えて、本当は保守派が吐き気がするほど大嫌いだ。僕の支持政党は立憲民主党だ。リベラルこそが中道であり、この世界で「アメリカやドイツに負けることのない自由な民主主義国家」となるために必要な、改革や啓蒙政策ができる思想であると信じている。
今、民主主義を諦めるのは明らかにおかしい。今こそ、もっとも強固に民主主義をさらに日本において推し進めることでしか、この国家あるいはこの世界は平和にはならない。
右翼に騙されないだけではなく、左翼にも騙されるな。彼らは「なんとなく」で平等や税金による福祉国家、あるいは社会主義経済を推し進めようとしている。学校教育で教えるような「平和教育」は、実際は日本を蝕む「共産党教育」になりつつある。共産党教育の行き着く先は、独裁者と危険思想に反するすべてのものを抑圧する「いじめ国家」である。学校教育が左翼に傾きすぎているから、日本の学校ではいじめが絶えないのであり、その理由は「自由が嫌いだから」である。
だが、実際のところ、強者や大企業に負けるだけの新自由主義は転換しなければならない。まるでマイクロソフトやグーグルといった巨大テック企業の「遊び道具」であるかのような世界に、どんどんなってきている。彼らの好き放題にさせればさせるほど、テクノロジーの進歩によって日本社会は不幸になっていく。GAFAをはじめとする巨大テック企業の好き放題にさせてはならない。だが、IT技術の進歩で後れを取ることも許されない。
だからこそ、僕はLinuxやオープンソースを支持する。僕の本当の味方はGNUしか存在しないと分かっている。オープンソースをより高品質なものにするために必要なのは、本当は政府の支援ではない。オープンソースは善意のボランティアによって成り立つべきである。だが、これ以上、Windowsをはじめとする独占・商用ソフトウェア勢力に、Linuxやオープンソースが「潰すためのいじめ」を受け続けることは間違っている。僕はWindowsやアメリカの商用ソフトウェアに高い関税をかけ、同時にLinuxやオープンソースソフトウェアの使い方を、Windowsの使い方と同じぐらい日本社会に教え広めていく。それによって必ずこの世界は良くなる。Windows中心のインターネットがLinuxやオープンソース中心のインターネットになれば、お金と欲にまみれた最近の「資本主義・金儲け優先の汚いインターネット」は消滅し、再びいつもの楽しかった「善意と無償努力を中心とするインターネット」に戻る。これこそ「インターネットのルネサンス」と呼ぶべき古代復興である。
そう、絶対に保守派ならびに革新左派・過激派に日本が負けてはならない。リベラルで中道な民主主義こそを守っていくべきである。そのようなことが分かっていないすべての人間は、アメリカやロシア、あるいはユダヤやフリーメイソンに騙されている。西洋諸国が教える科学や宗教・哲学思想には、賢いものは何一つ存在しない。大学の間違いは、西洋中心の学術研究をしていることである。本当は日本の文化、特に芸術における日本の伝統文化こそを第一に守り、愛するべきである。ドイツやイタリアの文化も重要だが、もっとも日本にとって重要なのは日本の文化を保護することである。たとえば、将棋や柔道などはとても興味深く偉大な日本文化だ。そのような日本文化が失われないように、ヨーロッパの文化を退けてでも、日本文化を守らなければならない。
これほど小さな国家である日本が、アメリカや中国にどのようにすれば勝てるのか、僕だって本当は分からない。
だが、「基本の科学技術」で勝つことができれば、必ず勝てる。
基本の科学技術と一言で言うのは難しいが、まず、もっときちんとした教育を行うべきである。英語と数学の教育レベルをもっと高くせよ。それだけでアメリカや中国に一矢報いることができる。IT技術については、ハードウェアとソフトウェアの技術について、古くからの基本技術や方式だけを教えるだけではなく、最先端技術についても教えよ。アメリカの大学のように、「その大学で独自に研究している最先端技術」が少しでも多く存在すれば、ハーバードやMITに比類する高度な学術研究は行える。
日本企業は、GAFAや巨大テック企業がやっているような「悪の儲け方」をせず、よりきちんとした「善の儲け方」をせよ。それはニコニコ動画のように流行に乗っているだけの馬鹿なサービスを作ればいいというものではなく、真に日本社会の全員のためになるようなサービスを作れ。そうすれば、ツイッター・SNSやYouTubeにも必ず勝つことができると僕は思う。
だが、テクノロジーに日本社会が潰されないようにせよ。本当のことを言えば、最近の日本社会は、既にIT技術やWebサービスに飽きてきつつあると僕は思う。また、クラウドなどで儲ける手法には、WebブラウザとWeb/AP/DBサーバでシステムを構築する三階層システムなどの形式的な方法が確立しており、Webの先進的な技術よりもインフラの恒常的な提供のほうが儲ける時代になってきている。人工知能などのブームも過ぎ去りつつある。本当にお金を投資するべき分野として、本当にメタバースやブロックチェーンなどを選ぶべきだろうか。真に日本社会の進歩と日本経済の勝利のためには、そのような「どうでもいい最先端技術」は相応しくないのではないかと思う次第だ。
そう、IT技術は本当はもう終わりの技術だ。これ以上は、IT技術よりも、むしろ音楽や漫画・アニメといった既存の日本のコンテンツを、YouTubeのような動画サービスなどでいかに活かしていくのかという時代だと思う。そして、音楽やアニメは一時期から比べればレベルの低いものになりつつあるとは言うが、僕は本当は今の音楽や漫画・アニメは決して黄金期と比較して終わったコンテンツではないと思う。今の音楽や漫画・アニメは十分面白いし、僕は昔の音楽よりも今の音楽が好きだし、漫画・アニメについてもクオリティは今のほうが上ではないかと思う。だから、僕は音楽やアニメを日本のためにより重視していきたい。今の世界では、音楽やアニメはツイッターやYouTubeなど、パソコンによる画像投稿や動画配信を中心とするものになりつつある。そのような配信方法を実現するためのインフラとして、日本製のインフラがあることは重要である。確かにYouTubeに対してはニコニコ動画などがあるが、2ちゃんねるっぽさがあって万人受けはしない。より万人にとって相応しいような、ツイッターやYouTubeの代わりとなるような、日本製のインフラ技術が今、求められているのである。
独裁者を否定せよ。
ひとりの単一の指導者が、すべての全権を握り、みんなが反対しても押し通すような強固なリーダーシップは、独裁者であり、最初から間違っている。
社会の長はみんなから選ばれるものであるべきであり、政府は独裁者に私物化されるのではなく、公共の国民のためのものであるべきだ。
これは、政府だけではなく、企業についても言える。ひとりのワンマン的な社長やCEOがすべてを行うような会社は、金儲けという意味では正しいかもしれないが、会社が公共の「公器」であるという意味から言えば間違っている。
だからこそ、政府だけではなく会社も、透明性のある民主的なものであるべきであり、オープンソースと同様にオープンなものでなければならない。
また、選挙で選ぶだけでは、本当は民主主義としては正しくない。
真に民主主義として正しい社会にするためには、社会を共同体とすべきである。
すなわち、自治会のレベルで、その町が町独自の個性を持つことができ、自立した共同体として、コミュニティの自由と共同体をベースとした「独立組織」として成り立つようにしなければならない。
だが、田舎の市区町村からするに、自由化することは本当は正しくない。自由化すれば、過疎化した地域にバスや電車などの公共交通機関はなくなり、病院や郵便局などの必要な都市インフラもなくなる。そうすれば、必ず過疎化はさらに進んでいく。
だからこそ、「自由な民主主義」だけではなく、「平等な民主主義」に基づいた考え方をしなければならない。
すべてのものを自由から合理的かつ効率的に考えようとする、新自由主義は間違っている。本当は国営化すべき点は国営化し、公有化すべきところは公有化すべきである。
よって、郵政民営化は解除し、もう一度郵政公社に戻すべきであるし、JRやNTTは公的企業へと戻していくべきだ。そのほうがはるかに日本国民のためになるだろう。
自由は間違っていない。自由な権利を与えるということ、できるだけ多くの会社が自由に市場に参入できるようにすること自体は悪くない。
だが、民間企業と民営化だけでは限界がある。
過疎化の問題だけではない。民営化することで、劣悪な企業や詐欺まがいな企業までも、市場に参入してしまう。特に行政や役所の役人が、競争入札や下請けによって、そうした劣悪な企業や詐欺まがいの企業にサービスを委託することがとても多い。
本当に自由な社会において、正しいのは過度な民営化でも民間企業の際限のない参入でもない。
真に政府を正しいものとするために、できることは小さな政府を実現することだけではない。政府としての役割を縮小させる方向ばかりでは、政府は健全な「良いサービス」を提供することはできない。
よって、民主主義といえども、社会主義的な政策はとらなければならない。
また、資本主義化を推し進めすぎることで、逆に公共サービスが疎かになるというのは、医療や福祉、あるいは弱者や貧困者のためのセーフティネットについても言えることだ。社会保障のために財源を割り振ること自体はまったく悪いことではない。そのためには税金も取る必要がある。
税金を取るということだけで政治家の政策を否定する「税金アレルギー」はまったく間違っている。海外の北欧のような国では、高い税金であっても福祉を充実させることで、どこよりも国民が暮らしやすいと判断するような福祉国家も存在する。
民主主義は必ずしも、自由主義や資本主義とは重ならない。民主主義でありながら社会主義的な政策を行うことは可能だ。税金アレルギーを改め、選挙で勝つために減税だけを唱えるのではなく、「間違った増税」ではない「正しい増税」を行うような国家でなければならない。
このような悲惨な日本の現状にもかかわらず、選挙では自民党が大勝したようである。
はっきり言って、クズであり、クソである。日本人も日本の政治家も、全員がクズ並みに馬鹿だということである。
オープンソース支持者でありながらリベラル支持者の僕にとって、この選挙には大した意味はない。
どんなに野党が負けようが、戦い続けるしかない。
そう、僕はここまで全員を敵にまわして、それだけではなく、永久にこの世界と孤独に戦い続ける。
いずれ、この世界が真の意味で「気付く」ようなその時まで、この世界を許さない。絶対に、どちらかが倒れるまで、日本と僕は永久に戦い続けるだろう。