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2022-01-07

僕は、フレイという神を信じていたせいで、この世界が基本的に何もない世界だということが分かっていなかった。

この世界は、物理法則が支配する、何もない世界である。

このような、「何もない世界」というものに適応すれば、この世界に何があるのかをより詳しく見ることができる。

宗教上の神を信じると、さまざまなおかしなことが起きているかのように見えるため、何もない世界であることが分からなくなる。

だが、真実を見れば、それはすべて、自分の脳が起こしているだけにすぎない。

よって、この世界が「何もない世界」であることに気付いた時に、このような神経症は治る。

医学を学べ

また、もし、この世界で賢いことを学びたいのであれば、それは医学について学ぶことである。

なぜなら、この世界で真に何かを学ぶためには、生物学的な体の仕組みを学ぶべきだからである。

普通、人間の人生や生活において、医学的なことしかない。なぜなら、それは医学の知識を考えれば当たり前である。知覚や行動、成長や食育などの観点から見れば、すべての学問の根源にあるのは医学であり、身近に存在するのもまた医学である。

僕は、美術解剖学の本を読んでいるが、この本を読んでいると、人間の人体の仕組みについて興味が湧いてきた。

僕が昔IT技術を学んでいたのは、ゲームやインターネットが流行していたからであり、もしIT技術を勉強する上で、今の流行りが何かと言えば、それは人工知能かもしれない。

人工知能はプログラミングにおいて、とても数学的な一分野であり、知性が必要なもっとも大きな分野であるため、人工知能を制すると、それだけでプログラミングができる。なぜなら、人工知能以外は、簡単な制御などの方法論や、APIの仕組みなどしか存在しない。

GNUのリチャード・ストールマンは、MITのAIラボを経験したのちに、フリーソフトウェア一式を大量に作るようになった。その源泉は人工知能とLispにあったと言えるだろう。

まさに、僕もストールマンと同じことをすればいい。人工知能とLispを学ぶことで、プログラミングは簡単にできるようになる。

もし、リーナス・トーバルズになりたいのであれば、MINIX本を読んでカーネルを作ればいい。だが、ひとりだけでカーネルをモダンなものにするのは難しい。みんなの協力が必要だ。

だが、実際のところ、旧式のモノリシックカーネルでいいのであれば、リーナスでもある程度のものは作れるということが分かっている。

そう、GNUやLinuxと同じことをやりたいなら、そんなに難しいことではない。単なるWebやGUIプログラミングよりははるかに難しいだろうが、人工知能やMINIX本の知識を完全に詰め込めば開発できる。

だが、僕が思うことは、既にそうしたIT技術は、一部を除いてもう流行っていないということである。

一部のFacebook(Meta)のような最先端の企業を除くと、ほとんどの会社は大したことをやっていない。バッチやオンラインで昔から同じことをやっているか、あるいは商用システムをクラウドで作っているか、Webのような稼げる分野で稼いでいるだけにすぎない。

そのような企業に入りたいのであれば、プログラミングの勉強をすれば誰でもエンジニアにはなれるが、はっきり言ってつまらないし、そういうものは昔からIT土方のようになっていて、まったく若者の間では流行っていない。

若者の間で流行っているような、FacebookやAndroidのような技術は、そのような一般的エンジニアではなく、一部の最先端企業で開発していて、そして、その流行ももう過ぎ去ろうとしている。

何が今流行っているかというと、それは生物学や気象学であると僕は思う。なぜなら、温暖化や気象災害、あるいは感染症やウイルスに対抗しなければならないからである。

僕は、だからこそ、今こそ医学を学ぶべきではないかと思う。医学は簡単にはいかないが、生物学的な「細胞の仕組み」や、感染症などの「病気への立ち向かい方」が分かる。

だから、僕はこれから、主に医学を学ぼうと思うのである。

ありえない文学を読む

また、僕は文学を読みたいと思う。

それも、一般的な普通の作家の文学ではなく、ほかとはまったく違うような、ありえない文学を読みたい。

結局、大人の頭を賢くするのは数学ではない。数学では、大人は賢くならない。大人を賢くするのは、まさしく文学である。

特に、僕と同じように、自分の分かったことや持てるすべてを書いているような、大人の文学を読みたい。

そのような、僕にぴったりの文学を探し当てることを、今年の目標としたい。

判断とは何か

狂った人間は、いつも同じことを繰り返すせいで、正常な「判断とは何か」が分からなくなっている。

判断とは、それをした場合と、それをしなかった場合とを比較して、自分にとってよいほうを選ぶということである。

狂った人間は、これができない。何もかもすべて、間違った自分にとって悪いほう、しかしながら「リスクの少ないほう」をとることしかできなくなっている。

リスクの少ないほうを選べば選ぶほど、リスクが大きいことができなくなってしまう。

だから、一度リスクについて度外視したうえで、どちらをとったほうが現実的に自分にいいことがあるかを再判断するしか、狂った人間が治るすべはない。

狂った人間が、単純なことで判断できなくなるのは、問題を分かりやすくしたいからである。分かりやすく単純な問題であれば、間違っていたとしてもまだ安心できる。「いつでも治すことができる」かのような安心感を、虚像であっても得ることができる。

そう、狂った人間とは言うが、実際は高リスクな状況を恐れているだけであり、何もまともな人間と変わらず、正常に判断しているだけなのである。

はっきり言って、うるさい

僕がこの世界に言うべきことは、「うるさい」。

僕がやったことをきっぱり言う。僕はこの世界を退化させた。

同じ反応しかできない、同じことを強制的に望まさせるロボットにして、この世界を退化させた。

その結果、この世界は、狂ったうるさい世界になった。

僕はこの世界はどうでもいい。勝手にどうにでもしたらいい。僕はもう指図しない。

狂った人間は、もう考えるな。一生頭無しで生きれば楽になる。だから黙れ。僕の前でわめくな。

あなたがたが馬鹿なのだろう

日本国民に告ぐ。

はっきり言って、あなたがたが、馬鹿なのだろう。

わたしは、わたしにできることを最大限、努力しただけに過ぎない。

何もわたしに対してよいことができない、あなたがたが馬鹿なのだ。

不服があるならば、あなたがただけで生きたらよい。あなたがただけで、この国を再生させてみればよい。

ツイッターより @zaidoubansou

神よ、そう、わたしは神に現れてほしいだけだ。神よ、奇跡の英雄の姿でこの世界に現れてほしい。なぜ、わたしたちが苦しんでいるのを、あなたは天上に隠れて見続けようとするのか。今こそ、この世界に現われよ。キリストよ、もう一度わたしたちを救え。わたしはあなたのことを信じているではないか。
posted at 20:14:29

神よ、わたしをわがままと言わず、わたしの言葉を聞いてほしい。わたしは、自らだけが地獄から救い出されるだけでは満足できないのだ。そして、人々の地獄が無意味であると宣告されることでも満足できない。わたしたちに意味や報いを与えてほしい。地獄を耐え抜いたことによる喜びを与えてほしいのだ。
posted at 20:05:46

わたしを助けるならば、わたしに力を与えてほしい。もう、絶対に、人々がこのような苦しみの地獄に堕ちることがないように、人々が絶対に地獄を経験しなくてすむように、そのような力を与えてほしい。地獄はもう十分だ。神よ、わたしを救うのではなく、わたしたち全員を救ってほしいのだ。
posted at 20:02:26

神よ。助けてほしかったわけではない。だが、罪と罰を与えるならば、もう少しマシな刑罰はなかったのか。そう、わたしがその元凶だというのだろう。だが、神よ。わたしは幸福である。なぜ、人々に同じ地獄を与えなければならないのか。そう、わたしは自らが幸福であることを憎んでいるのである。
posted at 19:59:57

神よ。わたしたちはわたしたちの罪のせいで、大いに苦しんだ。地獄のような中で、希望もなく、操り人形になって苦しみ続けた。だが、わたしたちのその地獄が、まるでなんの意味もなかったようではないか。なんのためにわたしたちは生きたのか。なぜ、無意味な人生を生きなければならなかったのか。
posted at 19:58:43

神よ。あなたは、わたしたちの罪を許し、わたしたちの罰がまるでまったく何もなかったかのようにわたしたちを救い出してくれる。だが、神よ。それでは、わたしたちが今まで苦しんだ意味はなんだったのか。わたしたちは何のために苦しんだのか。その理由がわたしなら、どうしてわたしを今助けるのか。
posted at 19:57:31

しかしながら、明言などに意味はない。なぜ、明言すれば許されるのか。「駐車場での事故に責任は持ちません」と言えば、なぜ責任を取らなくていいことになるのか。わたしがここに何を書いたとしても、それによって許されるはずがない。そう、この腐った世界では、悪人は自らの悪を堂々と話すのだ。
posted at 19:38:41

わたしとあなたは友人だ。敵じゃない。
posted at 19:32:25

わたしたちは大切な存在だ。
posted at 19:30:50

心の扉を開け。自分の本心を言え。自らの気持ちに素直になって、「反抗したくない」と言え。
posted at 19:28:58

反抗しなくても、この世界は変えられる。
posted at 19:27:19

みんな、仲良くしよう。それぞれが戦い、反抗し合う必要はない。仲良くみんなで、信頼関係を結んで、この世界をともによくしよう。
posted at 19:26:53

そして、僕は世界に対して、自分の意見を発信したかった。自らが馬鹿になっているのを治し、真に自分の「発見した賢さ」を伝達したかった。「自らが経験的に分かったことを、国民全員に教え、啓蒙したかった」のである。
posted at 18:56:57

また、僕は新しい学校を作りたかった。人々が、いじめられながらいじめるような中学校で学ぶのではなく、自らの理想とする国家で、真に人間らしく学べるような学校を作り、異常な心理状態を持った人であっても平等に受け入れられる、自由な中学高校を作りたかった。
posted at 18:56:01

結局のところ、僕はまともなLinuxの大学のホームページを作りたかっただけである。それしか、やりたいことはなかった。そのために全力をつくしている。また、僕は本当は勉強がしたかったし、愛されたかったし、世界を滅ぼすのではなく、救う王になりたかった。そう、だから僕はここで世界を支配する。
posted at 18:54:25

むしろ、問題は「簡単なことがやりたかった」ということではむしろない。あなたが今やっているそのことが、あなたの目指していた願いであるということに気付けば、今の自分自身を許すことができる。「本当はこうしたかった」と思いたいのであれば、今あなたがそれをやっていることに気付け。
posted at 18:50:11

簡単なことができないのはなぜか。それは簡単なことがかつてできなかったからである。簡単なことができないのに、いつまでも簡単なことをやりたかったから、それが深層心理の中で抑圧として溜まり、それが外部へと溢れ出してしまう。心の病は、「自分はできなかった」という劣等感から生まれる。
posted at 18:47:25

人生において大切なのは、「自分はできる」と思うことである。僕がかつて賢かったのは、あるいは今賢いのは、「できる」と思ったことをやっていることだ。できると確信できたことはできる。それ以外のことはできない。だからこそ、自分から「できる」と思うことが大切だ。
posted at 18:41:56

最近、ウォルピスカーターとずとまよと藍井エイルとEveばかり聴いている。
posted at 17:48:59