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2022-04-21

僕とみんなが違うのは、僕はみんなと同じ人生を生きることを選ばなかったこと。

僕は、この抑圧によって息苦しくなっている世界で、みんなのようにまともな人生を生きることを選ばなかった。

そうではなく、自分のできる範囲で、この世界の問題や息苦しい抑圧を解決するために生きることを選んだ。

その後は、みんなとまったく違う人生を生きた。孤独ではあったが、無意味ではなかった。僕は子供たちの世界を解決するために、「大人たちは子供たちの社会を変えるために考えなければならない」と考えて、そのためにできる思考と経験をした。

僕の引きこもり時代の人生は、そのように、「この世界を解決するために、自らのまともな人生を犠牲にし、すべてこの世界のために捧げる覚悟を持って生きた人生」だった。

昔の僕が今の僕と話しており、今の僕が昔の僕と話している

僕は、かつてから神と対話していた。神と思っていた人間が本当は誰なのか、分からなかった。

だが、僕は神とされる人物の声を聞くと同時に、その神への言葉を常に返し続けた。

それは、すべて未来の僕のことだった。

そう、僕が神だと思って聞いていたのは、未来の僕が言っている言葉であり、神への言葉であると思って言っていたことは、すべて未来における僕が聞いていた。

僕の生き方自体は、何も変わっていない。それでも、過去の僕は常に未来の僕と対話し続けており、未来の僕は常に過去の僕と対話し続けていた。

よって、過去の僕が賢かったのは未来の僕が賢かったためであり、未来の僕が賢かったのはすべて過去の僕が何も分からないまま精一杯の努力をし続けていたからである。

分からないほうがはるかにいい

また、分からないこと、知らないことは、間違いではない。

なぜなら、分からないほうがはるかにいいからである。

分からないこと、知らないことは、とてもいいことだ。なぜなら、みんなと同じ正常な理性がある。

この「正常な理性」を失うと、「何もかもすべて知っているために、何ひとつ分からない賢い人間」になる。

ソクラテスの言っている「無知の知」の通り、何も知らないことを知っている人間が一番賢いのである。

核心部分を治さず、関連する部分すべてを治してから核心部分を消滅させれば、どんなことでも治る

また、核心部分をすぐに治そうとするな。

核心部分に基づいて生み出された、関連する部分がまだ治っていないからだ。

すぐさま核心部分を治そうとするのは、きちんと治せていない。きちんと治すためには、まず核心部分を治すのだけをやめ、深い関連部分を辿っていって、もっとも深い関連部分を治し、そこからひとつひとつ根元になる部分を治せばいい。

そして、「分かっているのが一番悪い」ということが言える。なぜなら、このような当たり前のことは、不可能を分かろうとせず、きちんと正常な普通の理性に戻ってしまえばすぐに分かる。そして、それは、常に同じことを分かり続けようとするのをやめればすぐに戻る。

分かるという行為がもっとも分かっていない

そして、分かるという行為が、もっとも分かっていない。

常に瞬間的に直観で分かる人間は、第六感のようなことを永遠に分かり続けるだけで、普通の人間の持つ正常な理性がまるでない。

昔の自分はそうではなかった。何も知らないからこそ、たとえば神の言葉をきちんと解釈しようとしたり、さまざまな夢に向かって「実現方法」や問題の「解決方法」を考えることができた。

そのような、自由で賢い自分に戻りたいのであれば、分かるという行為をやめることだ。

ツイッターより @linux691

すべてのものは素晴らしい。すべてのものは、誰かによって愛されているだけで素晴らしい。
posted at 22:59:02

すべての人間はよく頑張っている。誰も馬鹿だなんて言われたくない。わたしたちは全員賢い。
posted at 22:56:03

あなたはよくやっている。
posted at 22:52:36

優しく人生の生き方を教えたとしても、その教えに従って生きる人間から見れば、単に虚しいだけだ。本当に必要なのは、厳しい言葉であってもその人間が真に自分の視点からその事実を知ることができるような叱咤激励だ。
posted at 22:50:40

最初から敵対することを目的にした相手なら、愛する必要はないかもしれない。だが、相手はわたしと敵対したいがために敵対しているのではない。相手はわたしが壁を作ったから、何も考えずに攻撃している。必要な解決手段の権限を握っているのは、わたしのほうだ。
posted at 22:23:23

すべての人間は大切な存在だ。だからこそ、誰かが勝手に支配してしまうようなことはあってはならない。わたしたちは全員大切にされるべき存在だ。だが、自由の中では、誰かから傷つけられたとしても、強く生きなければならない。だが、その経験は、誰か他人を救うために、大きく役に立つだろう。
posted at 22:19:02

延命措置など要らない。すべてが滅びようとしているのに、その滅びかけた世界をなぜここまで生かすのか。神よ、延命措置をやめてほしい。わたしはここでこの世界を終わらせよう。
posted at 22:11:38

これは現実だ。疑いようのない現実だ。妄想でも虚像でもない。ここに戦うわたしが実際に存在したのだから、わたしのすべては、それ自体真実や真理ではないとしても、疑いようのない事実であることは確かだ。
posted at 22:07:12

戦う必要はない。だが、この世界において戦いを始めてしまったのだから、それが終わるまで、最後までこの世界を滅ぼさず、導き続ける責任がある。わたしは戦いたくはない。だが、責任を持ってこの戦いを最後に終わるまで、続けなければならないのだ。
posted at 22:06:15

滑稽であると思うだろう。だが、それでもわたしはここで、自らの過ちを絶対に解決しなければ、地獄から抜け出すことも、この世界に対する罪を償うこともできないという、そのような苦行の中に、今なお命を失うことなく生きている。だから、これは滑稽であっても、疑いようのない現実だ。
posted at 22:04:04

わたしに残されているのは、「かつてわたしは知性を持っていた」という事実だけだ。そして、その知性は失われ、その知性が生まれるに至った環境も世界もすべて滅びてしまった。だが、わたしは、かつて知性を持っていたという事実や記憶を持っている。だから、わたしはまだ、すべてを失っていない。
posted at 22:01:50

かつて、そこに光はあった。今はなくなった。だが、光がどのようにして失われたのかをわたしは知っている。だから、光を取り戻すことはできる。いつか知っていたわたしの素朴な知性と賢さによって、真の意味で光の創造の仕方を見つけるまで、わたしは諦めない。
posted at 21:58:26

破滅が襲っても、その破滅を乗り越えていくしかない。破滅が劣勢から好転することなく、永遠ほどに長い時間、いつまでも破滅が続くなら、そこにある選択肢は「破滅の先にある光へと向かう」ことだ。そこが暗闇でも、暗闇の中にある小さな光の差を見れば、少し明るい場所を目指すことはできる。
posted at 21:56:45

何を正しても、どれだけ修正しても分からないなら、「普通はどうなるか」を考えてみよ。すべての行動と発言が正しい人間など居ない。すべての行動と意志が一致する人間など居ない。
posted at 21:53:01

@xoxleoxox そうですね。いつか何かで青空が見えなくなってしまったとしたら、僕は今のさまざまな美しい空の色を、未来の人に伝えたいです。
posted at 21:47:18

結局、僕はやってしまったのだ。絶対にやってはならない、「世界を本当に救う」ということを、僕はやってしまった。そして、その上で僕はこの世界を滅亡へと導いた。すべてが僕のせいで滅びてしまい、その取り返しはつかない。そう、僕はやっちまったのだ。
posted at 21:45:57

この世界はゴミだとあなたは言う。だが、何を持って、なぜゴミであると思うのかまで、あなたは考えていない。ゴミであるとしたら、それはむしろ「みんなが可哀想だから」と言うべきである。そう、世界がゴミであっても、人類はゴミではない。
posted at 21:43:54

この世界の人々が分からないというならば、むしろ、分かる義務などない。そもそも、あなたが今までこの世界だと思っていたものが、真にこの世界であるとは断言できない。むしろ、世界のことが何も分からなくなった今のあなたこそ、この世界にもっとも多い人種である。その人種のままでいれば楽だ。
posted at 21:42:48

単純に考えよ。この世界はとても普通の人間の多い世界だ。普通の人間はどのように生きているか、それはそれぞれの人間によって違う。だが、ある程度の共通の環境や状況はある。それがないならば、もしそれがなくても分かり得る範囲のことは多くあるはずだ。
posted at 21:41:20

罪とは何か。それは「相手の気持ちに立って考えることができないこと」だ。そして、それはえてして、考えすぎてしまうから起きる。そう、相手の気持ちに立って考えようとしすぎるせいで、逆にその相手を見失い、社会環境そのものの滅亡を引き起こす。
posted at 21:40:02

この世界は、しかしながら素晴らしい世界だ。なぜなら、罪のないものにはこの世界は優しい。そして、自ら罪を償い、過ちを解決することができたものにしか、救いは訪れないが、神を信じて神の言葉の通りに行えば、それは訪れるのだ。
posted at 21:37:38

この世界の諸悪よ、すべて地獄に堕ちよ。人をいじめたもの、誰かを差別したもの、大切な社会環境を破滅させたもの、すべて地獄に堕ちよ。
posted at 21:35:55

すべての価値あるものを奪うな。奪われた人間のことを考えてみよ。故意でなかったにせよ、その原因が自分の能力の低さにあるのであれば、それを後悔し、反省し、償え。そして、自らその過ちを解決するまでの間、地獄を生き続けよ。
posted at 21:35:11

それぞれの幸福を奪うな。それぞれの命を奪うな。政治家だからといって、この世界の幸福と命を奪う権利はない。そんなものを認めた国民はどこにも存在しない。
posted at 21:31:51

わたしたちの自由を軽んじるな。自由を軽んじる政治家は要らない。
posted at 21:30:00

国民の自由は大切だ。そして、国民の平等も大切だ。政治家は国民に対して自由かつ平等であるべきであり、国民も政治に対して自由かつ平等であるべきだ。
posted at 21:29:18

政治家よ、国民を守れ。国民を守るという仕事こそ、政治家の仕事である。
posted at 21:26:44

政治家は国民の代表だ。だからこそ、国民を犠牲にするような政治的対話を取ってはならない。国民が死ぬ方向ではなく、生きる方向に、政局を変えていかなければならない。スターリンのような強圧的政治家は、真の政治家ではない。
posted at 21:26:00

わたしたちには、殺し合いという戦いの手段しか存在しないわけではない。互いの意見を交わして、高圧的になるのではなく、融和的に、殺し合いではない解決の方法を取ることはできるはずだ。政治家たちよ、それがあなたがたに課せられた責務であり、責任である。
posted at 21:25:05

たくさんの意見があってしかるべきだ。同時に、その意見が戦い、争う、議論の場もあるべきだ。この世界に必要なのは、そのような「意見の多様性」である。だから、明らかに間違った意見でも、わたしたちは受け入れるべきだ。
posted at 21:21:50

なぜ、簡単に自由を否定できるのか。あなたは本当に自由のない世界を望んでいるのか。その中であなたは自らの平安を守れると思っているのか。自由は必要だ。
posted at 21:20:08

わたしたちひとりひとりは、かけがえのない存在だ。ひとりの支配者がわたしたち全員を奴隷にしたいのであれば、その全員の苦しみをその支配者が経験するべきだ。
posted at 21:18:01

本にすべてが書かれていると思うな。本を書いたのはその著者ひとりだけだ。この世界には何億の人間が居る。ひとつの本の何億倍の内容が、この世界自体に存在していると気付け。
posted at 21:15:36

あなたにとってそれが「戦い」であっても、その相手にとってそれは「優しさ」かもしれない。
posted at 21:13:38

探すことに臆病になりすぎるな。この世界でものを探すということには、勇敢さが必要だ。多くのものが、まったく自分に合わない、つまらないものに見えるだろう。だが、どこかに必ず運命の出会いがある。それはたったひとつかもしれない。だが、明らかにないはずがないからだ。
posted at 21:11:25

探せ。探すのだ。もっともわたしたちにとって必要なのは「探すこと」だ。探せば見つけられる。どこかに必ず、自らが本当に求めていた「最高のもの」が存在する。探し当てる前にそれが存在する可能性を否定することこそ、愚かなことはない。それは今、あなたがやっているかもしれないことだ。
posted at 21:10:08

もし、この世界があなたのための世界でなかったとしても、あなたのための何かがこの世界にひとつもないとは限らない。
posted at 21:08:46

わたしたちは、自ら望んでこの世界に生まれてきたのだ。
posted at 21:07:24

この世界にあるすべては良いものだ。それは王や貴族だけに独占されているのではなく、金と対価さえあれば誰だって手に入れられるように市場に多く流通している。これほど恵まれた時代はない。資本主義は平等だ。
posted at 21:06:35

この地球という星はとても素晴らしい星だ。これほどかけがえのない唯一の世界は宇宙に存在せず、科学的にもこれほどよくできている星はない。だからこそ、守らなければならないのだ。
posted at 21:05:30

もし、否定したほうが「分かっている」ということを意味するならば、真に必要なのは「分かっていない人間になること」であり、その上で「肯定」することである。
posted at 21:04:41

みんなを助けたいという衝動はとても素晴らしい情熱になる。だが、暗闇の中で間違った正義を信じるな。それは「否定しすぎ病」を作り出す。
posted at 21:03:13

なぜ、自由や平等が悪いのか。自由や平等は明らかに素晴らしい思想である。自由や平等を信じることで、わたしたちはマイノリティや弱者に優しくなれる。それこそが強者としての責任だ。
posted at 21:02:02

自由かつ平等な社会、大いに結構。どんどん自由で平等な社会をやればいい。
posted at 21:01:17

機械を作ることは楽しい。プログラミングをするのも楽しい。それで何が悪い。面白いことを純粋にできる自由がもっとあれば、この世界は復活し、蘇るだろう。
posted at 21:00:06

たくさんの人間が確かに居て、たくさんのものが確かにある。だが、はっきり言って、多すぎる。そして、多すぎて何があるのかすらはっきりしない。そのため、その多すぎるすべてをわたしたちは全部拒否している。何もなくなったのは、多すぎてわけが分からないからだ。
posted at 20:57:03

そもそも、なぜ「人間」を考えなければならないのか。真に正しいのは「命題」である。誰かひとりが言ったからそれは正しいとするのは危険だ。きちんとその命題ひとつひとつを検討すべきである。
posted at 20:55:31

すべての人間に正義がある。それぞれの心には確かな正しさがある。すべての人間は正しい。それで何が悪いのか。
posted at 20:54:20

音楽は素晴らしい。芸術も素晴らしい。それで何が悪いのか。素晴らしいものは否定すべきではなく、肯定すべきだ。
posted at 20:53:15

全員が分かり合える世界というのはあるはずだ。なぜなら、わたしたちはまだ、みんなが分かり合えるのか、それとも絶対に分かり得ないのか、そのような証明を行っていないからだ。
posted at 20:52:22

僕に必要なのは、ただひとつ「理想」だけである。
posted at 20:51:11

僕は知識はほしくない。経験もほしくない。
posted at 20:50:53

社会において、価値あるものはたくさんある。もしかしたら誰かにとって価値があるかもしれないものは価値あるものだ。そのような価値を簡単に否定するな。
posted at 20:49:59

結局、僕は延命措置を取っているだけだ。これ以上、死んだはずの命を延命する必要はない。
posted at 20:48:31