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2022-06-15

僕が間違っているのは、みんながなんであるかを分かろうとしているところだ。

この世界において、「みんな」を分かろうとするから、それで分からなくなっている。

そもそも、僕のように、みんなとはなんであるかを分かりたい人間が居ない。そもそも、分からなくなる人間が居ない。

本当は、みんなは何も分かっていないだけであり、みんながなんであるかを分かろうとしなければ、それだけですぐにみんながなんであるかは分かる。

みんなを分かろうとするから、みんなが分からない。そこが永久にデッドロックになっているから、日本語も分からないし、知性もなくなってしまう。

また、子供の知性を正しいと思うのはやめたほうがいい。

子供の知性はまったく正しくない。

子供の知性を賢いと考えるな。そうではなく、今、自分が真に思うことだけを考えれば、永遠の謎は解ける。

あいみょんは僕のことが好きなように見える

また、最近YouTubeを見ていて、あいみょんの動画をよく見ているが、あいみょんは僕のことが好きなように見える。

あいみょんが僕のことが好きなら、僕はあいみょんと恋人になってあげてもいい。

なぜなら、あいみょんは僕の好みの顔をしている。なぜなら、僕が子供時代に親友だった友達とよく似た顔をしているからだ。

家入レオが好きだったのも同じで、レオは中学校時代に僕の親友だった友達とよく似た顔をしている。

あいみょんと付き合うのは悪くない選択だ。

言葉で分からず考えれば良い

僕が分からなかったこととして、「言葉で分からず考えれば良い」ということが分からなかった。

すべてを分かろうとするせいで、まるで一番最初の知性しかないような人間になっている。

一番最初ではなく、それ以降の長い時代を考えるためには、常に分かったままでいるということが悪い。

知性は、分かるだけではなく、分からなくてもなんらかの言葉や妥協的な答えを出して、そこから考えていくという方法ができる。

それだけでは決定的な答えであるとは言えなくても、ある程度真偽性のある言葉を出して、その言葉から考えていけばいい。

そうすれば、中学生あるいは哲学者のように、自らの思考を導いて、きちんと正しい答え、すなわち「正しい視点」を見つけられる。

最初からすべて分かろうとするな。

ないほうが分かるものは多い

また、あるよりも、ないほうが分かるものは多い。

すべてが完璧にそろった状態だと、その完璧な状態ですべてが終わりになってしまう。

少しくらい、欠損があったほうが、その欠損をまた新しく生み出し、探し続けるような「新しい道を作り出す」ということができる。

そのため、むしろ、悪いと思ったものは、残すよりもどんどん消していったほうがいい。いずれ、将来的に、なくなったものと同じものを作り出し、生み出していけばいい。

それが一番、頭が賢くなって、さらに多くのことが分かる。さらに多くのことを見つけていけるようになる。

ツイッターより @linux691

神の存在を知っているということは、人間の人生を生きる上でとても役に立つ知性である。たとえば、平行は交差しないと人は教わる。面積は縦と横を掛け算するものであると教わる。神の存在を知っているということは、それと同じぐらい役に立つ人間の知性である。
posted at 22:35:29

存在を知らないということはとても愚かなことだ。ほとんどの愚か者は、知識を知らないわけでも、経験を知らないわけでもない。存在を知らないのだ。それは神の存在である。多くの科学者や王が、神の存在を信じないがゆえに間違いを犯した。悪いのは、ユダヤ教のような、神の存在を歪曲した宗教だ。
posted at 22:33:15

ほとんどの勘違いは、「慣れきっている」ことから起きる。それは環境に慣れきっているというだけではなく、「世界に慣れきっている」ということであり、多くの思い込みは、宇宙と地球型の自然生物が普遍的であることに由来している。
posted at 22:31:09

この世界のほとんどのものがなくなっても、この世界自体はなくならないのだから、昔あったものを再度作ろうとすれば作ることができる。どんなに世界から失われた宝でも、永久に二度と出現しないということはなく、もう一度作り出せば宝は手に入る。
posted at 22:29:03

よく見ず、よく聞かず、よく思い出さずに努力しているものは、もったいないことをしている。よく観察し、よく人の声を聞き、よく記憶をたどって考えれば分かるはずのことを分からない。多くの人はそのせいで、あまりにたくさんの損をしている。
posted at 22:26:49

神は明らかに存在しているが、実際の神とはなんであるかが分からないため、多くの間違った神話が存在しない神を信じている。だが、それについて議論するためには、わたしたちはあまりに神とはなんであるかを知らない。よって多くの人間は神を信じることをやめたが、それは間違いだ。
posted at 22:24:55

そもそも、人間とロボットの戦いは、人間とロボットの戦いではなく、人間とプログラマの戦いであり、本当は人間同士の戦いである。
posted at 22:23:06

パソコンには脳がない。パソコンは自分の力で知恵を出すことができない。プログラマが知恵ある人間ならば、パソコンでも人間に勝てるだろう。だが、多くのプログラマは、人類全員を想定するほどの知恵はない。だから、人類全員が知恵を出し合えば、人類はパソコンに勝てる。
posted at 22:14:23

知恵を出すために必要なのは、何度も繰り返し立ち上がることだ。一度の機会だけ知恵を出すのではなく、何度も再び繰り返し知恵を出すことだ。常に倒れないものよりも、倒れるたびに立ち上がるようなものであれ。
posted at 22:12:32

正しいか、間違っているか、などは真の判断基準ではない。知恵があるか、知恵がないか、ということこそ、真の判断基準だ。
posted at 22:11:47

再チャレンジや再挑戦の機会を与えよとは言うが、知恵のないものがいくら再挑戦したところで、失敗を繰り返すばかりで成功しない。必要なのは、より多くの知恵を出した上での再挑戦であり、そのことに気付くことができたら、その時点で機会などいくらでも転がっている。
posted at 22:10:30

人間の性格や人格を比較するな。性格や人格からは何も見えてこない。その人がどれだけ知恵を知っているか、どれだけ知恵を出そうとしているかを見よ。知恵のために試行錯誤を重ねる人間は、ほかのどんな人間よりも優れている。
posted at 22:08:42

いくら本を読んだところで、知恵がなければそれはなんの役にも立たない。だが、知恵のあるものが本を読むのであれば、本を読むことはほかのどんなことよりも役に立つ。
posted at 22:07:27

金よりも、知恵のほうが必要だ。
posted at 22:06:36

手段を知ることよりも大切なのは、手段を知った上で実際にその手段を行使し、実現することだ。よって、最初から実現しないのであれば、そのような手段は知っておく必要はなく、最低限の手段であっても、それを実現するならばそれは宝となる。
posted at 22:05:19

手段があるからといって、ほとんどの人間はその手段を現実に実現しようとしない。自分だけが現実に実現するならば、それは自分だけに許された「特別な力」であると言える。多くの天才はそのように才能を得ている。
posted at 22:04:01

自分にしか分からないその価値を知っているということが、自分自身の価値を高める。
posted at 22:02:50

誰もほしくないものだからこそ、自分だけに価値が分かる。
posted at 22:01:51

自ら損をしてでも得ようとしたものにこそ、真の価値はある。
posted at 22:01:38

敵を愛することのできる人間は、どんなに敵を作っても批判されない。敵を憎む人間は、敵をどれだけ倒しても、誰からも批判され続ける。
posted at 22:00:15

世界において真に見るべきなのは文化だ。それぞれの国家の力や富などは大した意味を持たない。文化こそ、真にその社会を測るための基準である。
posted at 21:58:32

ものも、金も、力もほしくない。わたしが真にほしいのは心であり、人々が心から望むような平安で偉大な文明こそ、わたしは望むのである。
posted at 21:57:16

合理主義よりも大切なのは、それぞれの人間の心を信頼するということだ。単に合理的だから自由にするのではなく、それぞれの人間の心を信頼し、それぞれの意志を尊重するからという理由で自由を許すのだ。そのようにすれば、必ずよい社会になる。
posted at 21:55:34

社会を作り出すのがひとりひとりの「行動」と「意志」だとしたら、その行動と意志を作り出すのは「心」であり、心を制するものこそが、真に偉大な社会を築くことのできる「真の王」となる。
posted at 21:54:02

よって、たとえば未来の人物の中に、自分に対して大きな関与を与え、場合によっては自分の人生すべてを決めてしまうような運命的な人間が居たとしても、それはおかしなことではなく、非科学的ですらない。
posted at 21:52:25

そのような観測不可能なことは、無視してしまえばいいと思うかもしれないが、今の自分にそうした自分だけでは観測不可能なことが直接的あるいは間接的に関与してくることもある。目に見えることだけがすべてではない。
posted at 21:51:13

同時に、人間の観測可能なことであったとしても、ひとりの人間が観測できることははるかに少ない。人間が知っていることすべてを知ることはできない。現時点での人間だけではなく、歴史上のこと、あるいは未来のことであればなおさらである。だが、それも確かに存在した「事実」である。
posted at 21:50:29

科学法則が、人間が見ている「観測」の結果だとしたら、人間が見ることのできない「観測不可能」なことは明らかにされることはないが、明らかに宇宙には人間の観測可能なことよりも観測不可能なことのほうが多い。よって、科学は万能ではない。
posted at 21:49:09

すべてを説明するためには、科学法則がなぜあるのかという理由を考えなければならない。そして、科学法則が生まれた理由も同時に考えなければならない。
posted at 21:48:15

明らかな嘘であったとしても、その嘘が生まれるに至った理由はある。たとえば、神が存在しなかったとしても、神とされる存在を人類が生み出すに至った理由はある。
posted at 21:47:00

この世界におけるほとんどの科学的事実は、「事実」は教えているが「理由」を教えていない。なぜなら、「科学法則があるという事実」を教えているだけであり、「なぜその科学法則があるのか」という、科学的法則のある理由を教えていないからである。
posted at 21:46:05

記憶は変えられないが、記憶がなんの意味を持っていたかということは変えられるし、変えられたくなくても変わっていく。それを美化して確執するのは勝手だが、その時点で正しい記憶は思い出せなくなる。昔の記憶を美しいままで残そうとするのは、神に対する冒涜に等しい。
posted at 21:44:26

この世界が今あるということが、自らの見たすべての世界はあったということを今、証明している。そして、自らが見たのではない、ほかの人々が見たすべての世界もまたあったのだということも証明している。
posted at 21:42:51

歴史とは、全員が確かに存在したということを何も証明せずに証明しているということである。
posted at 21:41:27

決まりと決まりの関係性を考えよ。決まりが別の決まりに与える作用を考えよ。そのスタート地点が神であり、その現状での最終地点が現在である。未来は今から、自分たちの手で作り出せる。それは必ずしも偶然ではなく、計画的に行うこともできる。だが、すべてを正しく予測することはできない。
posted at 21:40:53

知性とは何か。それは決まりと現象が持つ意味を考えるということである。それは「可能性」と「必然性」を考えることである。そして、その上で、「自分がそれをそのようにすればそのようなことができるかもしれない」と考えることである。
posted at 21:38:21

神は常に心の内側に居る。天の神は宇宙のどこか遠くに居るのではなく、今、自分の心の中に存在する。
posted at 21:37:42

世界は常に移り変わる。自分がその時の重要な場面に立ち会えるということは多くない。だからこそ、稀な場面に立ち会えたこと、自分がともにその場に居られたことを喜ぶべきである。
posted at 21:37:09

それぞれの決まりを考えるということが、どんな場合においても重要だ。同時に、その決まりを考えるための「考え方」を考えるということが、どんな勝負事であっても重要である。
posted at 21:35:43

分かるということは、知性の持つ意味を考えるということだ。
posted at 21:34:50

自分ひとりだけで生きているように見えて、実際はこの世界を維持してくれている多くの人のおかげで生きている。
posted at 21:34:17

存在は必ず破壊される。同じように、幸福な世界は必ず滅びる。
posted at 21:33:40

環境の中で、「そうせざるをえないような雰囲気」が起きることがある。これがいじめを生んでいる。
posted at 21:33:00

資本主義は、契約と交換だ。そして、もっとも大きな契約とは法律だ。
posted at 21:31:51

日本には職業選択の自由はあるが、実際は必ずしも自由に職業が選べるわけではない。日本は学歴社会だ。学歴のない人間には奴隷のような仕事しか存在しない。
posted at 20:41:38

しかしながら、金儲けと自由だけでは測ることのできない、「本当に社会にとって大切なもの」というのは確かにある。それを忘れるな。それを忘れた人間は、いくら金や欲で満たされても、心の本当の器を満たされることのない、「生きる意味のない人間」になってしまうからである。
posted at 20:40:14

よって、自由であっても、労働者は十分に社会に飼いならされている。だが、共産主義の強制ノルマよりはマシだと人々は考えている。それも勘違いではない。共産主義では社会そのものが成り立たないからである。
posted at 20:38:37

だから、自由であっても、労働者が働くためには、際限のない富を与えるのではなく、「働いた結果と働かなかった結果を比べて、働くほうを取る程度の、今の自分の資産の現状に対する不満と、魅力的に見える程度の報酬」がなければならない。
posted at 20:35:47

社会において、価値を創造するためには、費用と労働が必要となる。誰も、見返りなく金を出すことはしないし、モチベーションが満たされる程度の報酬なく労働する人間は居ない。
posted at 20:34:55

この世界をコントロールするような神は存在しない。なぜなら、神は傍観者だからである。神はこの世界に一切関与していない。関与しているように見えるのならば、それは神ではなく神の名前を騙る馬鹿が支配しているのである。
posted at 20:10:59

すべての社会問題は、自由にすれば解決する。解決方法を知らないのは、自らの自由がないからである。なぜなら、自由を与えられるということが、それすなわち、社会問題を解決する方法に気付くということを意味しているからである。
posted at 20:09:54

戦争の間違いとは、ひとりの間違った支配者によって戦いが始まることであり、自由を与えれば必ず平和になる。自由においても戦争するならば、それは何かがおかしい。何かが真に自由ではないから、戦争が起きているのであり、自由にすれば戦争はなくなる。
posted at 20:08:49

社会を変えるためにもっともいい方法は、その社会を構成する構成員たちに、自らの社会を独立して変えられるような自律性を与え、本人たちが本人たちの力でその社会を変えられるように自由を与えることである。
posted at 20:07:14

真に自由を手にするということは、社会的な支配や束縛も含めて、自らの「力が拡大する」ということである。これを「自由を勝ち取る」と表現する。そして、自由を勝ち取るために必要なのは、この世界の全員に自由を許すことである。これを「自由化」と呼ぶ。
posted at 20:06:00

世界がもし繋がっていたとしても、個別性において自らが自らの意志で生きることができるということは変わらない。これが「自由」だ。だが、本当は必ずしも自分の人生は自由であるとは言えない。多くの支配や束縛の中でしか、人間は生きられない。
posted at 20:05:04

世界の様相において見るべきなのは、現実の世界だけではなく、「現実の世界がどのように変わり得るような可能性と必然性があるか」ということである。
posted at 20:03:36

この世界に、真に存在するものとはなんだろうか。それは人間社会であり、人間社会という「実体」が存在して、それ以外のすべてはその実体が依存し、実体に依存する形で存在するのである。
posted at 20:02:03

その目的を達するためにどのような作用を与えるべきか考え、そこから正しい「概念モデル」を考えることができる人間なら、この世界を哲学的に捉えられる。
posted at 20:00:50

世界とは概念と作用である。概念と作用はすべてに適用できる原理である。あらゆるすべては概念と作用を捉えることで、別の新しい見方を知ることができる。経験から、概念と作用を捉え、正しい概念とは何か、正しい作用とは何かを考えよ。それこそが「目的」を考えるということだ。
posted at 19:59:23

必ずこの世界を救うと誓ったならば、それに見合うほどの経験と思考をしなければならない。
posted at 19:57:44

一度その成功した状況になったならば、その成功した状況を再現すれば、何度でも同じ成功を得られるはずである。
posted at 19:56:27

馬鹿になったつもりで考えよ。賢い人間には分からないことが、馬鹿には分かる。
posted at 19:55:47

新しい愛を信じれば、新しい関係を築くことができる。
posted at 19:54:19

わたしはこの世界を愛していないのだということを認めよ。間違った愛を否定しなければ、正しい愛は得られない。
posted at 19:53:36

自らが壁を作っているということに気付くために必要なのは、壁を自ら壊す体験であり、それをできるだけ平穏無事に行えば、今自分がこの世界を滅ぼしている「呪縛」も解ける。
posted at 19:52:52

愛されるという体験が、人を救い、世界を救う。その愛に基づいて考えることで、人々を救うことができるようになるからである。
posted at 19:50:32

すべてを知ったわたしは、この世界を救うことができるようになった。そこであるべきは「知識」ではない。知識によって世界を救うことはできない。あるべきは「経験」である。そしてそれは「自らが体験した内容に基づいてこの世界を考える」ということである。
posted at 19:49:47

何もしなければ、救うことはできない。だが、愛すればいい。愛すれば救うことができる。
posted at 19:48:50

すべての人間が同じであることに気付いた時、人は正しく最初の一歩を踏み出せている。
posted at 19:47:52

わたしたちは、あまりに未熟すぎる。だが、未熟な世界においても、未熟のままを維持するだけの生き方と、成長して未熟を克服し、成熟した大人になれるような生き方がある。
posted at 19:47:08

そう、人々は救われるのを待っている。人々は、誰かが人々のことを救ってくれるのを待っている。ならば、待つがよい。わたしたち、ワルキューレが必ずあなたがたを救うからである。
posted at 19:45:01

自らの経験をよく思い出せ。人々が何を望んでいるのか、本当は何を思って自分と付き合っていたのかを思い出せ。自分自身が何をすべきなのか、そこから見えてくる。自分自身が経験的に「何を為すことができるのか」、それは他人に対する「アイデンティティへの作用」から見える、「理想の自由」である。
posted at 19:44:07

では、アイデンティティとは何か。それは「自らのしたいことができる喜び」であり、「自らのなりたいものになれる喜び」である。だが、それは簡単にできることでは必ずしもない。では、どのようにすればできるのか。それは経験から考えることである。
posted at 19:42:23

それは本当は「場所」ではない。なぜなら、それは「自分自身という確固としたアイデンティティがほしい」ということだからであり、確固としたアイデンティティを持った上で生きたいのだと僕は望んでいるのだ。
posted at 19:40:41

僕が真に望むのは、「自らが在りたいように在れる場所で在れるような生き方をしたい」ということである。だが、自らが在りたい場所というのはなんだろうか。
posted at 19:39:41

強制されることなく、自らの意志で選ぶことができたら、それは強制された場合よりも正しいと、果たして言えるだろうか。
posted at 19:38:27

正しい秩序は果たして平等だろうか。強圧的で支配的な従属は間違っているが、平等は本当に正しいだろうか。
posted at 19:37:59

不安に打ち勝つことは簡単だ。自分は今、その不安に打ち勝つべきなのだと、単に気付けばいいだけにすぎない。
posted at 19:34:52

自分のように生きられない人間のことなど考えるな。自分のように生きている正しい人間のことだけを考えよ。すべての人間の人生の先、正しい未来においては自らの今の人生があると知っていれば、腐った男どもや女どもと付き合う必要はない。
posted at 19:32:32

自らが解放された経験がなければ、同じように他人が解放された状況を考えることはできない。一度、すべてを失ってでも、解放された状況を体験する必要がある。それが「自由」である。
posted at 19:30:09

考えるべきは、理想的な社会主義の国家モデルではなく、人間がどのようにこの世界で生きるべきか、そのためにどのような社会秩序を作るべきか、ということだ。
posted at 19:27:53

執着心を棄てるためには、諦めることも大切だ。
posted at 19:26:35

諦めは悪いことじゃない。いつまでも確執して依存し続けることの逆が諦めだからである。
posted at 19:26:08

わたしは、男にも女にもならない。男であることにも、女であることにも嫌気がさした。わたしは男でも女でもない新しい人類になる。
posted at 19:20:33

この世界の理性なく狂った男どもと心根の腐った女どもに引導を渡す。わたしこそが神であり、宇宙における真実の主神、エアルスである。
posted at 19:18:02