今日は、父親に料理を教えてもらった。
僕はもう30代だが、料理の経験が少ない。なので、ひとりになった時に困らないために、あるいは男子力のアップのために、料理ができるようになりたい。
なので、今日は父親と一緒に、鮭のムニエル、レタスサラダ、ご飯、そして味噌汁を作った。
まず、米を二膳分集めて水でとぐ。そして、二膳分の水を入れて炊飯器にかける。
鮭をまな板に出して、ムニエルの粉をまぶし、裏返して裏にもまぶす。そしてフライパンを火にかけ、サラダ油をフライパンに入れて、鮭を弱火でじっくりと焼く。蓋をする。
そして、レタスはシャキっとするように、小さく破りながら冷水につけておく。
味噌汁は、まず湯を鍋に入れて、だしの素を入れ、その上で味噌をこしながら入れ、火にかける。
その後、鮭を途中で裏返し、表で10分、裏で10分、合計20分程度、弱火で焼き続ける。
きちんと焼けたことを確認したら、火を止める。そして、炊飯器でご飯が炊けたら、食べる。
もしかしたら抜けがあるかもしれないが、今日はそんな感じで鮭のムニエルを作った。自分で作ったから美味しかった。ただし、少し疲れた。
あとは、盛り付ける際に、タルタルソースとマヨネーズをかけ、明日の昼食の弁当用に少し残して置いておくのを忘れないように。
料理をして分かったのは、人間はひとりでは生きられないということ。
鮭も、米も、味噌も、すべて自分ひとりで得ることはできない。漁師の人や米農家の人の獲った魚や作った作物を、ありがたく頂戴して僕たちは食べ物を得ている。
これは、楽である反面、セキュリティ上の脅威があることも示している。農家の野菜すべてが信頼できるものであるものとは限らない。農薬を散布している場合も多い。だが、だからこそ、ある程度の面では妥協して、農家や社会を信頼して生きるしかない。
僕は、陰謀論者や反ワクチン派が、「ワクチンは人間の持つ免疫機能を破壊する」と言っているのは、自らの体を自らで守りたいからだと思うが、それでも彼らはジャンクフードであるハンバーガーやフライドチキンを食べているのである。必ずしも、すべての面においてセキュリティ的に安全な環境で生きるというのは、現実的ではない。ある程度は、社会を信頼することも必要である。
そういうわけで、ひとりだけで生きられる人間など居ないのだから、もっと他人に頼ってもいい。料理ぐらいは自分でできるようになるべきだが、すべてを自分一人が完璧にこなす必要はない。僕はデザイナーの勉強だけを突き詰めて極めていけばいい。むしろ、プログラミングなど、できる必要はない。それで文章を書いていれば、僕にはきちんと生きる目的がある。これは幸福な価値ある人生だ。
また、法則と呼べるものは、すべてが原理ではない。なぜなら、法則には、より基本的なレベルの法則が、単に複雑に絡み合ってできているもののほうが多い。より基本的なレベル、根源とするレベルに降りていくことでしか、真の「原理と法則の世界」を捉えることはできない。
posted at 20:24:06
人間の見ている世界はかりそめの世界だ。真にあるのは宇宙そのものであり、宇宙とは「原理と法則の世界」である。
posted at 20:22:59
原理となる本質を発見すれば、具体的な応用はすべて変えられる。根源となるシステムを構築することで、「新しい世界そのもの」を築くことができる。基礎を分かれば応用のすべてが変わる。あるいは、基礎は応用を作り出すためにある。
posted at 20:20:26