ホームページに戻る | シルフの秘密の場所に戻る

2022-10-06

昨日、僕が文章を書かなかったことで、「雨が降り続いていたのが止むかもしれない」と思った人には残念なお知らせだが、まだ僕は文章を書き続ける。

理由は、文章を書くのをやめてしまうと、僕はデザインやピアノができなくなってしまうからだ。

昨日、僕は文章を書かなかった。書きたい文章はあったが、もう文章を書くのをやめたいと思ってしまったため、その文章を書くことを諦めようと思った。

昨日文章を書かなかったことで、体調は良くなった。疲労感は取れて、体は休むことができて元気になった。

だが、昨日・今日とデザインの仕事をして、昨日はピアノもあって、そのデザインやピアノの結果は、期待通りとは行かなかった。

まず、昨日のピアノは、文章を書くのをやめたせいで、いつもよりも明らかにすらすらと弾けなかった。いつもよりも明らかに下手な演奏で、いつもできていたことができなかった。

また、デザインの仕事でも、いつものようにデザインが思うように作れなくなり、同僚と言い争いになってしまって、みんなに少し迷惑をかけた。

僕は、文章を書くのをやめると、普通によく居るような「普通の人間」になってしまう。

だが、僕が普通の人間になると、まるで中学生時代のように、つまらないことで周りを敵にまわしてしまい、自分ひとりだけが孤立するような、おかしな「敵ばかり作る人間」になってしまう。

だから、僕は普通の人間にはなりたくない。

その普通の人間のアンチテーゼが、引きこもり時代の僕であり、引きこもり時代の僕は、みんなと付き合うのを最初から拒否し、自らだけが自らの人生を生きるようになって、おかしな人間にはなったが、そのほうがはるかにまともで、正常で、賢い人間だった。

普通の人間にならないということは、新しい自分になるチャンスを失うことではない

普通の人間にならないからといって、それが新しい自分になるチャンスを失うということでは、必ずしもない。

なぜなら、普通の人間は、あまりに普通すぎて、それ以上どんな人間にも治ることがなくなり、普通以外のどんな人間にもなれなくなってしまうからだ。

普通の人間にならないほうが、はるかに普通の人間とは違った人間になれる。普通の人間にだけならないことを選んだほうが、はるかに色んな人間を生きることができる。

世界が馬鹿なのはマスコミのせい

また、世界が馬鹿なのはマスコミのせいであり、ひいてはアメリカのせいである。

僕がこれほど頑張っているにもかかわらず、マスコミは僕のやりたいことを理解しようとしない。

僕は、頭の後ろのほうで、「サタン」を飼っている。このサタンは、僕のやることに抵抗し、世界を滅ぼそうとしてくる。

なぜサタンが世界を滅ぼそうとするのか、それは滅びたほうが正常だからである。

結局のところ、僕と戦うマスコミがやっているのは、僕が何かを言っている間何もしようとせず、僕が居なくなれば世界を滅ぼそうとし、その世界が滅びた原因を僕であるかのようになすりつけようとしている、ということだ。

だが、僕が居なくならなくても、いつであってもマスコミは世界を滅ぼせるのであり、僕が居ることなど無関係にこの世界を滅ぼせばいいのである。

なぜ、マスコミが、僕が居なくなってから世界を滅ぼすのか、それは滅びたほうが救済されるからである。マスコミは滅びた原因を僕になすりつけ、世界を滅ぼすことで自らは勝利して世界を救うという風にしたいのだ。

だが、僕はここで世界を滅びないように最大限たったひとりで頑張っているのであり、いわば僕のほうが「マスコミが世界を滅ぼすのを待っている」という状態である。なぜなら、マスコミが世界を滅ぼせば、その時点で日本は救われるからである。

だから、僕が居ても居なくても、無関係にマスコミは世界を滅ぼせばいい。それができないのは、マスコミが悪いのである。

そして、そのマスコミをやっている裏に居る存在はアメリカであり、決して日本人のマスコミ関係者は悪くない。彼らには何も知らされておらず、すべてアメリカがやっている。そう、悪いのはすべてアメリカであり、日本でも僕でもないのである。

他人に理解してほしいなどと求めるな

他人に理解してほしいなどと求めるな。

他人に理解されるとは、自らの「押し付け」であり、「支配」であり、「他人の手足に鎖を繋げること」であると気付け。

僕のような人間は、最初から他人に理解されるわけがないと分かっている。だから、僕のことをどれだけ理解なく人々が否定しても僕はどうでもいい。そのような人間については、僕も同じように理解することを放棄する。

他人に理解されようとするな。他人の理解がまったく必要ないほどに、自らが自ら自身を理解せよ。

自由と意識を成り立たせた

また、そろそろ、昔の自分についても完璧に最後まで分かった。

昔の自分は、自由と意識を成り立たせただけである。そして、心理学的に世界を支配した。その支配は決して悪いことを行うためではなく、この世界を変えるため、救うためだった。

すべては世界を救うためだった。この世界を自分にしか救うことはできないと、そう最初から分かっていた。僕が王にならなければ、ほかの誰にもなることはできないと気付いていたのである。

いろいろ

そういうわけで、僕はまだ文章を書き続ける。

文章を書くことを決めたのは、酸欠少女さユりの「僕のそばにずっといてくれよ、僕をひとりぼっちにしないで」という言葉である。

僕は最近、「こんな世界なら消えてしまえ」という、藤川千愛の言葉と同じことをよく思う。その理由は、こんな世界を作り出した張本人が僕だからである。

だが、この世界に消えてほしいと藤川千愛が思うからこそ、僕はこの世界を救わなければならない。

大丈夫、僕はそのうち居なくなって、雨はいつかは降りやむだろう。だが、僕のできる間、一緒に居られる間は、この世界のそうした人々と一緒に居てあげたいと、そのように考え方を改めるに至った。

そもそも、僕が文章を書かないことで、起きる弊害はとても大きいということが分かった。デザインやピアノができなくなるだけではなく、目に見えてこの世界もマスコミによって滅びてしまう。僕はそれらすべてを背負って戦わなければならない。僕が始めた戦いなのだから、戦うべきなのは僕である。だが、たったひとりで戦うからこそ、僕は自分の好きなことをここでひとり言えるのである。