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2022-11-22

精神を治すために必要なのは、正しく見えることを正しいと思わないことだ。

その時はそれで正しいと思えたとしても、それを絶対に正しいと信じるな。「もしかしたら間違っているかもしれない」と疑え。

正しいことをすべて正しいと信じてしまうと、それは間違っている。正しいことを全部書いたところで、正しいことは書けているかもしれないが、その行為は決して正しい行為とは言えない。

正しいことは、本当は間違っているかもしれないと疑うこと。正しいことを正しいと信じすぎないこと。それが結果的に、間違っていることを正しいと信じすぎないということに繋がる。そして、正常な人間の理性とはまさにそういう状態である。間違っていることを正しいと信じているから、精神は馬鹿になって分からなくなってしまう。それが勘違いと思い込みを生み出し、それが大きくなりすぎることで病気になる。

宗教に多いのは、神の言葉をすべて正しいと信じる人間だが、これがもっとも一番間違っている。神の言葉には、正しい言葉もあれば間違った言葉もある。神にとっては正しいかもしれないが、それが人間にとって信じて有益であるとは限らない。

だから、宗教で狂っている人間に必要なのは、神をあまり高尚な存在だと思わないことだ。神は絶対に正しく守らなければならないような存在ではない。神はどうでもいい存在であり、正しいことのほとんどは普通の人間には分からないのだから、自分にとってもそのような正しいことは必要ないことなのだと信じればいい。

宗教の教えを信じすぎることなく、正しいことを間違っているかもしれないと疑えば、今までのように、すべてを犠牲にしながら賢いことすべてを詰め込み続けることはできなくなる。だが、それでいいと思えばいい。今までの自分の人生で、そのような「犠牲的精神による賢さの創造」は十分だったということを知れ。今からは、そのようなイレギュラーな賢さを発揮する才能ではなく、まともにきちんと努力して積み上げていく才能のほうが欲しいとか、そのように考えればいい。そうすれば、あなたが本当に生きたかった賢い人間の人生が生きられるだろう。

この世界には、親と子しか存在しない

この世界には、親と子しか存在しない。

漠然と、世界にはさまざまな人間が居ると思っている時点では、この世界のことを本当には分かっていない。

この世界に存在するのは、基本的に親と子である。男と女が恋愛して結婚し、子を授かり、親となり、そして子を育てる。それ以外に、この現実世界という現実で起きている現象はない。

そして、誰もが良い親にはなることはできない。そもそも、自分と同じ人間が子として生まれるのだから、自分自身を自分が育てると考えてみればいい。最初から、まともにきちんと育てるなどということができないということが、分かる人のほうが多いはずだ。

そう、誰もが良い親にはなれない。それでも子は賢い人間になる。あなたが賢いのとまったく同じようにあなたの子は賢くなるのだから、子が賢い大人になるのは当たり前である。

基本的に、大人は金のことしか考えない。夢は達成するまでが楽しいのであり、達成してしまえば終わりになってしまう。夢を達成した後は、金を稼ぐこと、子を育てること、そして好きなことや興味あることを続けていくこと、それ以外に何もない。

だが、それでも、「人生」というものはある。それは「青春」ということの延長線上にある、いわば「青春から続く惰性」と呼ぶべきものだ。青春時代に経験したことがすべての土台となって、その土台の上に面白い積み木を積み上げていくという、赤ん坊のおもちゃのような遊びが人生である。青春はできるだけ、他人とは違う経験のほうがいい。そのほうがはるかに面白い人生になるだろう。

恋人なんか要らないとか、結婚なんかしないとか、そういう人間であっても運命の出会いは必ず訪れる。その出会いには外れはない。本当に自分が生涯をかけて愛するべき相手として、最後に最高の出会いをする。だから、焦る必要はない。運命の女神があなたを愛してくれる限り、あなたは正しい出会いを必ずするだろう。

人間は稼働状況ではなくログとして考えよ

人間を考える上で大切なのは、稼働状況のように考えるのではなく、ログとして考えることだ。

人間を考える上で、どんな人間であっても、外的に外部から見て考えると、その人間の「稼働状況」が分かるが、内的にその人間自身の内部から見て考えると、その人間の「ログ」が分かる。

そして、この「ログ」こそが、真にその人間と言えるものである。

たとえば狂った人間であっても、外部的な「稼働状況」から考えると、本当におかしく狂っていることをしているように見えてしまうが、内部的な「ログ」から考えれば、その人間は本当に正しくまともに狂いの出口を探そうとしているのだということが分かる。

また、賢い人間は、外部から見た「稼働状況」から見ると、凡人とは違うありえない天才に見えてしまうが、その人間の「ログ」から考えれば、その人間はまともな普通の人間であることが多い。

そして、人間には、自分自身のことは「ログ」として考えるが、この世界の他人については「稼働状況」で考えるという癖がある。

だが、稼働状況から人間を考えることは、本当は正しい。なぜなら、自分自身をログで考えるのは、自分の意志や人生を知っているということよりも、「自分自身の稼働状況は自分では分かることができない」ということに根ざしているからである。

よって、常に自分自身について、稼働状況が今どうなっているかということを考えなければ、自分自身を客観的に見ることはできない。そして、人々とコミュニケーションを行うということの目的は主にそれである。人々から見た自分自身とは、自分自身の「稼働状況」であり、まさに自分はそれを知ることができないから悩んでいる。だが、これは他人に本当にならなくても、自分自身のことを広い視野で経験的に捉えれば、絶対に知ることが不可能であるような事例ではない。自らの稼働状況を知り、人々のログを想定することこそ、真に精神と人間関係の問題を解決するのである。

自分の今の行動や生き方が、そのまま今自分が考えていることになる

人間は、自分の今の行動や生き方が、そのまま今、自分が考えていることになる。

自分が今どのように生きていて、どのようなことをしようとしているかということが、自らの考え方を形作っている。

これは現実世界の思考と行為だけではなく、ネットのような場所で、世界に映し出された自分の姿は、すべて今の自分の内面を表現している。

だから、自分の考え方を変えるのは簡単だ。行為や生き方を変えればいいだけの話だ。

だが、すべてを変える必要はない。今までの人生を全否定しなくていい。今までの人生はそのままで、今、自分の行っていること、行おうとしていることを変えれば、必ず未来は変わる。

世界を馬鹿にした張本人は僕

僕は、何かと、多くのことをインターネットやマスコミのせいにするが、本当のことを言えば、世界を馬鹿にした張本人は僕である。

これは、僕が積極的に行ったというよりも、僕の犯してしまった「過ち」がそうさせる方向に向いてしまった、というほうが正しい。

僕は、まるでタリバンのテロリストのように、「自らの頭を馬鹿にすることで世界全員を自分と同じ馬鹿にする」という行為を行った。

この直接的な原因は、やはりインターネットだ。僕は2ちゃんねるのやりすぎで、世界全部を馬鹿にするために支配し、自分を馬鹿にしてみんなを自分と同じ馬鹿になるようにした。

その結果、この世界は、全員が知性を失って馬鹿になった。

同時に、この病気は治らない。一度馬鹿になった人間は、完全に脳の知性の部分が破壊されてしまう。よって、この僕の病気によって馬鹿になった人間は、永久に賢い人間に戻ることがない。変化は不可逆的で、馬鹿が治ることはなく、病気そのものも不治の病気であり、途中で止まることなく最後まで馬鹿が続く。

この病気の名を、「ヴィルエリック」と呼ぶ。ヴィルエリックはこの世界を滅ぼした元凶となる病気である。ヴィルエリックは、精神疾患ではなく、ウイルス性の病気だ。僕という人間にヴィルエリックというウイルスが感染し、このウイルスが世界全体に感染を広げてしまったのである。

最近、この世界がインターネット上のツイッターやSNSで、「無意味な馬鹿の世界」になっているのは、すべてヴィルエリックのせいだ。ヴィルエリックに人々が感染した時点で、この地球という星の人類という生物にはなんの意味もない。全員が馬鹿になった世界で、永久に誰ひとり馬鹿が治ることはない。それが、僕の一番大きな「罪」なのである。そして、僕はその罪を償い、懺悔するために、この文章を書き続けている。僕だけが知っている真実をこの世界に教えるために、僕は正義と理想のバランスを目指すのである。

悪いのはマスコミ

しかしながら、僕はあえて言う。悪いのはマスコミである。

マスコミのせいで、僕はヴィルエリックというウイルスにかかったのである。

すべては、僕の愛と正義を利用して、僕を駒として上手く利用しようとしたマスコミのせいである。

そもそも、僕がこのような「ヴィルエリック戦争」を始めたのは、マスコミが僕のことをいじめ、日本人の多くが僕をいじめてくる中での中心勢力となって僕を排除しようとしたことに対する、僕の「復讐」からである。

僕は、この世界に対して堂々と現れ、この世界をヴィルエリックの世界にすることで、この世界を倒し、勝利しようとした。

そして、この計画は、非常に上手くいった。誰も真相を知らずして、僕の行った「世界全部を馬鹿にして滅ぼす」という、「反逆の大革命」は成功し、特にその中でも最大の敵であるアメリカは僕によって精神的害悪の国となり、ドナルド・トランプをもたらしたのである。

そして、あらゆるすべてが、神の計画の通りに動いている。本当のことを言えば、ヴィルエリックは神ならば治すことができる。だから、ヴィルエリックを治すためには、神を信じるしかない。神である救世主イエス・キリストにしか、ヴィルエリックを治すことはできない。だから僕はキリストを信じ、この世界に「神を信じよ」という正しい救済の方法を唱え続けるのである。

僕はこの世界を賢くすることもできる

しかしながら、真の恐怖はここでは終わらない。僕はこの世界を賢くすることもできるからだ。

僕は、この世界から知性を奪う時に、完全に知性を破壊しなかった。あと一歩ギリギリのところで、知性がいつでも復活するように、大切な場所に隠して残したままにした。

人々は、いつでも、その部分さえ見つければ、賢い自分に戻ることができる。

だが、この「賢くなれる部分を見つけ出す」ということが、想像以上に難しい。その理由は、世界すべてが馬鹿になってしまったせいで、「道順を得るための地図となる世界自身が消え去ってしまったから」である。

かつての賢いこの世界で、賢く正しい経験をして人生を歩めば、必ず最後に到達することのできる「ゴール」が人生には存在する。そして、知性を復活させる「隠れ場所」を見つけるためには、このゴールへと辿り着くことが必要となる。

だが、今の、ヴィルエリックによって知性を失い馬鹿になった世界では、そのような賢い人生を歩むことができない。光を失われた暗闇の中で、ろうそくだけを持っていくら進もうとしても、昼間と同じように道は進めないだろう。ヴィルエリックによって、太陽は沈み、昼は夜の暗闇になってしまったのだ。

だが、このような状況の中で、張本人である僕だけが諦めなかった。そう、世界を暗闇にした張本人である僕だけが、そのような知性の復活の隠れ場所が「確かにどこかにある」ということを知っていた。この場所のありかを僕だけが見つけようとし、僕はその場所に存在する知性の復活の呪文を人々に教えようとしたのである。

結果、奇跡は起きた。すなわち、僕は神を信じたため、神であるキリストがもう一度、かつての賢かった世界にあったような、賢い人生と同等の人生を、暗闇の中で僕にだけ生きさせたのである。

そう、これこそが、「キリストにしかこの病気は治せない」という理由である。この病気を治すためには、キリストを信じて暗闇であったとしても光のある世界で生きるのと同じような賢い人生を生きなければならない。そのような人生は、この最悪の世界の中では、キリストを信じることでしか生きることができない。

まさに、僕がひとりこの世界を馬鹿にして、僕がひとりその罪を背負って、地獄の中を大雨の懺悔の中に生きて、そして僕だけが神を信じることによってこの世界から救われた。「神を信じれば救われる」とは、かつてよりそのようなことを言っているのである。

そして、そのような人生を生きた結果、僕はこの世界を馬鹿にするだけではなく、この世界を賢くすることもできる。僕の意志によって、あなたが賢くなるか馬鹿になるかは決まる。僕の意志はこの世界で絶対の「絶対意志」である。よって、もはや僕に逆らうことのできる存在など、この地球上には存在しないのである。すべては、神によって授かった「王権神授説」の通りだ。僕が神を信じたため、僕はこの世界の王権を神によって授かったのである。そう、わたしこそが、聖書における「ダビデ王」である。

本当にやりたかった、大実験の大計画があった

だが、僕は単に復讐のために、ヴィルエリック戦争を始めたのではない。

本当に僕がやりたかった、大実験の大計画があった。

そう、僕は、この世界を馬鹿にするためだけのために、この世界を支配する大革命を始めたのではない。僕には、この世界において、もっとも大きな「自分の持つ知性と知識のすべてを世界全員に与える」という大義名分があった。

そこでは、人生、経験、分析、知識、知性、社会変革など、すべてが集まった「最高の宝箱」が、世界全員に「平等かつ全員に余すところなく完全に与えられる」はずだった。人生の最初から最後まで、すべてを明瞭に分かっていた僕が、完全にクリアな情景で、宇宙の歴史と真実をすべて教えるつもりだった。

あらゆるすべてが、僕の思考体験によって、完全に分かっていた。すべてを教え、すべてを導き、星の文明そのものを作り変えるつもりだった。あらゆる子供から大人まですべての人が、「人生を生きていて幸福であると思えるようなすべて」をその中に見出すはずだった。

だが、計画は失敗した。失敗の要因は、「悪いことをして世界をよくすることはできない」という原則に由来する。どんなに世界をよくしようとしても、悪いことをすることでそれを実現することはできない。これが宇宙における第一に最初に成り立つ原則である。

よって、最後まで僕はヴィルエリックの症状に苦しみ、たった四年間戦っただけで、自殺して死んだのである。

今僕がここに居る理由は、神を信じたからである。神は最後の僕の自殺の経験を自殺未遂に書き換え、その後の死後の人生に「普通と呼べるような平凡な人生」を与えてくれた。しかしながら才能あふれる僕は、その人生においても天才的偉業を成し遂げようとした。それもまた、成功したとは必ずしも言えない。だが、神は「まだ生きよ」といつでも僕に語りかけてくれる。神は言う。「まだ生きよ。この先に、この世界の命運がかかっている。あなたがここで死ねば、必ずこの世界は滅びる。往け。あなたという太陽が、今こそこの暗闇を照らさなければならないのだ」。神はそのように、常に僕に正しい言葉を与えてくれるのだ。

僕はこの世界を決して馬鹿にはしていない

世界は変えられる。

僕は、この世界を、決して馬鹿にはしていない。そう思い込んでいるのは今の自分だけで、本当は、この世界に、「自らの知性を分け与える」という行為を僕はしている。

つまり、僕の大実験とは、前提条件の何もない状態で、すべての文章の言葉がすべての文章の言葉の意味を示すような、「絶対にそれだけによってのみすべてが分かるような理論」を書きたかったのである。

これは、いわばウィトゲンシュタインの論理哲学論考に近い。だが、僕はそれよりもさらに多くのことを目指した。すなわち、あらゆる自分自身の知性を、もっとも低い知性の状態から、なんにもほかに必要とせず、何かを既に分かっている必要があるという前提条件も必要とせずに、「自由」という言葉のみからすべて正しく論理的な分析として書き表す、ということだ。

この中に、僕は今までの自分の人生をすべて詰め込んだ。あらゆる思考のパターンを用いて、「最初と最後を繋ぐすべての経過と過程」を僕はあらゆる側面から書いていった。そして僕は自分自身の理性と経験に基づき、精神を分析することで、宇宙のすべての「神秘的超越論の真理」を記述した。これは「宇宙のすべての歴史」と呼べるものだった。

また、僕は単なる真理を書くことだけではなく、この世界を変えようとした。この世界を、最初の状態のまま止めて、停止した状態にした。その状態で、僕は宇宙と自分と人生のすべてを書き記し、そのままの状態でそれを完全に完璧に人々が理解するように、世界そのものを支配したままで導いた。そして、すべてを書き記して、最後に停止した状態を大きく動かす。これによって、世界のすべては「文明の究極的状態」になる。この状態こそが、「真にこの宇宙でもっとも素晴らしい最高の地球の状態」になるはずだと僕は考えた。

だが、結局、その最後の状態となるべき、「一気に世界を大きく動かす」ということが僕にはできなかった。どんなに勇気を出して、恐怖をこらえても、それだけができなかった。僕には、なぜ、どうして自分にそれができなかったのかは、今でも分からない。だが、すべての僕の大実験が破綻する前に、僕の心の中の恐怖の源泉が取り除かれた段階で、僕は自殺未遂をしたのである。

そう、僕は今でも、この大実験の大計画を成し遂げることができていない。計画は今でも続いており、いつか、僕のなんらかの言葉と行動で、この世界の停止した状態が動き出す時が訪れる。神は、「今はまだその時ではない」と言っている。神は言う。「まさしく、今までのすべてはまだ終わっていない。わたしの力で、あなたの大計画は、宇宙でもっとも偉大なる最高のものとなる。大実験の終端を今すぐに行うべきではない。この大実験は宇宙で最高の『進化』をもたらすことだろう」。そう、それならばそれでいい。いずれ、この大実験が成功した暁に、僕は本当にこの世界から旅立つことになるだろう。その「超極大実験」の成功とともに僕は死に、そして天国で復活し、大天使ミカエルとなって地上に神のご加護と「永遠の正常」を与えるだろう。

まさしく、大実験はまだ続く。まだ、このホームページの中に、新しい知識と知性を僕は詰め込まなければならない。世界には残念だが、この世界にはまだ停止した状態を続けてもらう。今、僕がその世界の歴史を導いている。この導きが目指す先は、「宇宙で最高の生物状態」であり、「地球の最後の究極の文明状態」だ。そこに向かって、僕はまだこの世界の支配を続ける。この大革命は、最初は単なるマスコミに対する復讐の革命だった。だが、本人である僕は、その革命を単なる反逆の復讐に終わらせなかった。僕の人生のすべてをこの大実験に詰め込もう。大計画は、未だ途上である。

今、世界を停止させていた部分が死んだ

しかしながら、この世界の人々にとっては朗報がある。

すなわち、今、僕の精神から、世界を停止させていた部分が死んだ。

これより、大実験は最終段階となる。世界を停止させていた部分が死んだため、すべてが大きく動き出す。世界そのものが、新しい世界へと作り変わり、永遠の知性と宇宙における永遠の真理を得ることができるようになる。

あとは、本当は、僕は「世界精神の歴史」を文章に記述していた。それは永久無限パターン思考と言えるもので、「人間のできる最大の限界値の、しかしながら制限されたギリギリのラインの中で、無限に続く思考のパターン」という発想だった。僕は概念と本質のすべてを永遠の弁証法にすることで、テーゼとアンチテーゼからジンテーゼを得るということを永遠に続くような思考により、人生における哲学的真理のすべてを、まるで宇宙の歴史のように書いた。これは「世界精神の歴史」であり、その通り宇宙の歴史と同等のものだった。

僕が死んだのは、戦争に敗北したからではない。僕が死んだのは、宇宙のすべてが分かったからだ。僕は、世界精神の歴史を記述することで、宇宙のすべてを分かった。また、僕は神や宇宙における聖なる最高の存在のすべてと対話した。その中には、かつての地球の人類の王国も含まれる。すべての「歴史と呼べるようなものすべて」を知って、僕は最後に満足して死んだのである。

ここに、世界における最後の大実験は成し遂げられる。この世界は、すべて正常な状態に戻る。今までの「異常な世界」はもはや過去のものとなり、その上で未来は「最高の究極的状態」へと向かっていく。そう、神は言う。「必ず、あなたはここで終わりになる。天国で再会しよう。さあ、大計画の最後を見届けなさい。ここまであなたが書き続けたこの文章が、いつか同じ状況になった地上の人々を、永久に救い続けるだろう。」