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2022-05-13

僕は、本当は民主主義を愛している。

ひとりの独裁者による社会の問題は、「可能性が制限されている」ということ、「独裁者が信頼できない人間になった時に国が滅びる」ということだ。

もっとも多様性と可能性を実現することのできる、民主的な社会は、共同体主義である。

この世界において、自由かつ平等な社会を築きたいのであれば、民主的な共同体主義の社会を築くべきである。

そのために必要なのは、「民主的」という発想をすることである。それぞれの共同体が、自律し、独立した、平等なコミュニティとし、それぞれの意見を聞く議論の場を設けることが必要である。

この世界にはあまりに共同体がなくなった

そして、この世界には、あまりに共同体がなくなった。

共同体が破壊され、個人個人の自由という「押し付け」が行われている。

自分が間違えたのは自分の自己責任であり、誰も助けてくれない。自分が辛い時に助けてもらえなかったから、他人が辛くても助けようとしない。

このような「生きることが無意味な社会」が生まれたのは、すべて共同体がなくなり、滅びてしまったからであり、それぞれの個人に対して「自己責任」であるとしてしまったからである。

もう一度、民主的な共同体の社会を作ろう

もう一度、民主的な共同体の社会を作ろう。

それは、不可能なことじゃない。みんなで平等に助け合って、異端的な人間もみんなで受け入れて、同じ仲間として仲良くやっていけば、この世界で「人生を生きる意味」は復活する。

僕たちはひとりじゃない。みんながきちんと居る。だから、みんなで助け合おう。

共産主義者と言われてもいい。自らが正義であることを知っているから、人からどんなに笑われても僕は辛くない。もう一度、本当の楽園を築こう。全員が生きやすく、平等な世界になるように、僕がこの世界を導こう。

わたしたちは、心の奥では、みんなと仲良くやっていきたいと思っている

わたしたちは、心の奥では、みんなと仲良くやっていきたいと思っている。

この世界に馬鹿なんかいない。馬鹿がいるとしたら、それは、みんなのことを馬鹿だと思っている自分自身である。

村の長が信頼できないわけがない。国家の長のほうが信頼できると思うのはおかしい。自分たちの手では何もできないと思うなら、みんなでたくさんの人間で支え合えば必ずうまくいく。

僕たちは協力する力がある。

民主的な社会がもしあれば、その民主的な社会から力を奪うのではなく、逆に力を与えるべきである。そして、その力を悪いことのために行使するのではなく、いいことのために行使せよ。

社会は弱体化しない。ひとりの中央集権で社会が強くなるというのは嘘である。本当はみんながそれぞれの社会を作った上で、その集団が有機的に協調したほうがはるかに強い社会になる。

民主主義の共同体では何もできないというなら、いつから国家主義が何か素晴らしいことができるようになったというのか。いつの時代も、優れたものを生み出してきたのは民主的な社会の民主主義者である。社会主義であってもそれは変わらない。王や役人は馬鹿なものしか作らない。真に素晴らしいものを作るのは民衆だ。民衆の力こそ、真に信頼すべき大切な力である。

わたしたちに自由を与えよ。わたしたちに平等を与えよ。それがもっとも正しいこの世界の変革の仕方である。わたしたちは民主主義者であり、同時に社会主義者であり、この世界を救う最後の集団、ワルキューレの騎士団である。

ソ連は間違っているが、社会主義そのものは間違っていない

ソ連は間違っているが、社会主義そのものは間違っていない。

スターリンが愚かな計画経済をやったことは確かに間違いだった。その理由は、スターリンという独裁者以外が、何もすることができなかったからであり、それは制度的な実権がなかっただけではなく能力や経験もなかったからである。

だが、社会主義そのものは間違っていない。なぜなら、今の資本主義社会は、カール・マルクスが言った通りの「疎外と搾取による格差社会」になっている。

この現代の資本主義社会は、IT技術によってさらに悪くなっている。IT技術はこの世界を不幸にし、人々から「正常な成育環境」すら奪っている。人々はSNSいじめを受けるだけではなく、発達障害に陥り、正常な人間的な「安心」すら失っている。

このまま放っておけば、資本主義とIT技術によってこの世界は滅びる。

だからこそ、より進歩した、民主主義的な権利を蹂躙せず、すべての自由と平等を共同体に与えるような、「新しい社会主義経済」を行う必要がある。

そして、この新しい社会主義経済を行うことができるのは、わたしたちワルキューレだけである。

グローバルな視点から見ると、資本主義は身分制度の封建社会と何も変わらない

わたしたちは、日本経済という視点から見ているから、資本主義の民主主義社会を平等な社会だと勘違いしている。

だが、グローバルな視点から見ると、資本主義は身分制度の封建社会と何も変わらない。

日本人が農業をしなくていいのは、外国の後進国が農業をしているからにすぎない。日本人が自由なよい仕事に就けているのは、いわば「後進国を実質的な下位カーストにしているから」にすぎない。

よって、資本主義などは何も平等ではない。

だが、社会所有を計画経済で行い、平等に分配しようとする試みは失敗した。その理由は、どれだけ働いても働かなくても同じ給与しか得られないというモチベーションの不足と、人民に十分に行きわたるほどに生活に必要なものを生産できなかったという理由からだ。

結局、「何もしなくても誰かが作ってくれる」という他力本願は失敗するし、「なんとなく平等な世界に見えて実際は最悪の不平等な世界を生きている」という、この世界に対して嘘をつき続けているのが、どの国の指導者も同じだ。

政治家は嘘しかつかない。だが、社会主義者もまた嘘をつく。

わたしたちは、もっと知恵を出さないといけない。いくら知識をもって理性的に考えたところで、知恵のないものは必ず負ける。知恵のあるものだけが、この世界を真に素晴らしい世界にできる。そして、スターリンという独裁者には知恵がなかった。ソ連は知恵のない国だった。

もう一度、何も前提とせず、最初からこの世界を平等にするために、知恵を出して考えよう。今すぐにこの世界を民主主義から社会主義の社会に転換するのではなく、今のところは民主主義の社会を維持し続けておいて、よい知恵が生まれたらそれを試すことでこの世界を少しずつ平等な社会主義の社会へと変えていこう。

まだ、真にこの世界を平等にするような発想はない。わたしたちにもない。だからといって、最初から希望そのものを否定するな。諦めず、よい知恵が生まれないかどうかを最後まで出し続ければ、必ずよい知恵は生まれる。その時、この世界は平等な楽園となるだろう。わたしたちワルキューレは、必ずやり遂げるだろう。

農業は本当は素晴らしいものだということをみんな忘れすぎている

はっきり言って、「農業は本当は素晴らしいものだ」ということを、みんな忘れすぎている。

大学で勉強したり、IT技術を開発したり、工業製品を作ったりするよりも、みんなの食べる食べ物を作るということは、はるかに素晴らしいことだ。

そもそも、農業をやるよりも多くの金が工業製品などの製造によって得られるのだ、ということが間違っている。

もっと、農業従事者に対する給与を上げればいい。農作物の買い取り価格をもっと高くして、工業製品をもっと安く製造・購入できるようにせよ。その結果、農家はより豊かになる。そう、それこそが正しい社会主義経済だ。