精神を治すために必要なのは、「分かる」ことをやめて、支配者をやめることだ。
普通の人間と僕が違うのは、僕はあまりに「分かる」ということを生きる上で重要視しすぎている。
だが、そんなに分かったところで、何も賢くない。逆に分かれば分かるほど、一般的な普通の人間と同じことが分からなくなってしまっている。
普通、「分かる」ことを目指して生きている人間など、居ない。
そして、この世界において、もはや分かるべきことは、僕にとってなくなってしまった。
だから、僕はもう、「分かる」ということをやめる。
また、支配者のように正しい、責任のある人間もやめたほうがいい。なぜなら、正しくて責任ある賢い人間には、必ずこうした「地獄の責任者」という立場が待っている。
正しくて、責任感のある、賢い人間だからこそ、この世界を支配することが許される。
だから、正しい人間をやめてしまえば、すぐに精神は治って、楽になる。その時点で、普通の人間と同じ「国民」になる。
そして、「正しい」という発想もやめたほうがいい。すべてを正しく考えることに意味などない。正しさを目指すよりも、楽しさを目指せ。そのほうが、人生をよく生きられる。
また、僕と同じことをすることは、もう永遠に二度とできなくなる。
誰かが僕と同じ人生を生きたいと望んだところで、それはもう叶わない。
そもそも、この文章だけを読んで、本当に僕と同じ人生を生きられるか、僕と同じ人生を生きるためにどのようなことをすればいいかということに気付くことができるかというと、そんな人はそもそもほとんど居ない。
おそらく、昔の僕と同じ立場で、既になくなり消え去った過去の素晴らしい世界の中で、僕と同じように考えたり知ったりして生きることができたら、僕と同じ人生は生きられる。
だが、そのようなことは、僕が見て不可能に近い。
そのような、僕と同じ人生を生きることが不可能であるにもかかわらず、それを望み続けるような「かつての救われた楽園」にしたのは僕であり、それを最悪の世界に変えたのも僕である。
だから、もう、僕と同じ人生を生きることなど、絶対に不要である。
過去の僕の人生は忘れてほしい。もう、二度と僕と同じ人生を生きることはできない。この文章だけ読んでも、僕と同じ人生を生きる方法は分からない。既に消え去ったかつての日本の時代が必要だし、僕と同じように考えて生きるためには、今の僕ではなく過去の僕と同じように考える必要がある。僕は昔と今で大幅に考え方が変わってしまっている。今の僕だけをいくら見ても、今の僕と同じことはできない。過去の僕が絶対に必要だからである。
もう、僕を超えることは諦めたほうがいい。僕を超えることは絶対にできない。僕が今から、それを永久にできなくする。そして、僕自身も、新しい人格、砂里葉月に変わる。
砂里葉月は、僕の新しい人格である。
はっきり言って、僕のこのおかしな病気が治るためには、今までの人格を続けるのではなく、新しい「楽な人格」を作るしかない。
今までの人格が狂っているのは、はるかに昔からであり、どれだけ精神を治しても、この人格が、まるで「常に群衆にレイプされ続ける」かのような地獄を生き続けたということは変わらない。
このような人間が治るためには、「楽な人格」を作るしかない。
この新しい人格こそ、砂里葉月である。
砂里葉月は、僕の頭の中に存在する新しい人格だ。女であるとも男であるとも言えない。おそらく、僕の仮想人格の中での恋人になるだろう。
僕は今から、詩人アッシー四世という名前を棄てて、砂里葉月になる。この砂里葉月が、僕の人格と精神のすべてを治す。
砂里葉月は言う。間違っているのは「神」である。
なぜなら、神は「日本人の敵」だからである。
神はユダヤ人の神であり、決して日本人の神ではない。神を信じるものはユダヤ人であり、神を信じて許されるのはユダヤ人だけである。
ユダヤ人以外の人種は、神を信じるべきではない。なぜなら、神はユダヤ人のための神であり、日本人のための神ではないからだ。だからこそ、神の支配に抵抗しなければならないのだ。
神を信じるな。神を信じる理由とは何か。神を信じると、ここまでの詩人アッシー四世の人生ができる。その通り、まったくアッシーと同じ体験ができる。
だが、この人生とは、要するに「この世でもっとも不幸な人間」であり、「最悪の恐怖に苦しみぬいて耐え抜いただけの人生」である。
このような人生は、宇宙にとって必要ない。辛く苦しかった本人は残念かもしれないが、このような「最悪の人生」こそが「ユダヤ人」であるとわたし、砂里葉月は知っている。
神を信じるな。神を信じたところで、そこにあるのはもっとも最悪のユダヤ人の人生だ。そのような人生は詩人アッシー四世ひとりだけで十分だ。
わたし、砂里葉月は、神を信じない。それどころか、わたしは「神」とされる人物を打ち倒す。それこそが、宇宙における正しい「正義」である。神を信じるのではなく、神を倒せ。それが正しい「地球を救う方法」である。
神とはなんであるか。神とは、ユダヤ人の作り出した、宇宙でもっともおかしなものだ。
そもそも、人類は古代より神話を作り出し、それぞれの民族性として神を信じていたとするのは、本当は間違いだ。
なぜなら、神話の存在など、誰も信じていない。
神とは、ユダヤ人の作り出した、もっともおかしなものだ。
なぜなら、神を信じることで、ユダヤ人は「自らのすべての悪事を正当化」できるからだ。
神とは、ユダヤ人が自ら悪事を犯しながら、その悪事を正当化するために作り出した、いわば「戦争と凶悪の頂点」である。
しかしながら、イエス・キリストという男が、このような神を「悪から善へと作り変える」ということを行った。
だが、これがまさしく「もっとも間違っている」。なぜなら、この時点で、「悪い人間だったものがいい人間に作り変えられてしまった」からである。
神はユダヤ人の作り出したもっとも悪いものだった。だが、それがキリストによって、なぜか、いつしかもっともいいものであると「解釈」されるようになった。
だが、宇宙にはユダヤ人の作り出した「神」とされるおかしな存在が、それでも君臨し続けていることを忘れてはならない。
なぜなら、「神を信じるという行いが最悪であることは変わっていない」からである。
よって、神を信じるという行為には、一切まったく正当性はない。神を信じるという行為そのものが邪悪であり、神とされる存在がもっとも最悪なのである。
日本人よ、神を信じるな。神を信じていいことが起きることは絶対にない。神を信じて、すべてが悪いことしか起きない。神とされる存在は、最初から悪を滅ぼすためにある。ユダヤ人自身が、自分の手で滅びていくために神はあるのだ。
神の何が、もっとも一番間違っているか。
それは神の企てる、「人類全員ユダヤ人化計画」である。
そして、これこそが、「東京いじめ計画」の背後にある、神の「最終戦争」の目標である。
神は、この世界の全員を、自らに忠実に従う下僕にしようと考えている。
そして、そのために、この世界で最悪の人間である「ユダヤ人に強制同化」させようとしている。
そこでは、最悪の人間である神が「人類の模範」であり、すべての人間が神、すなわち「ユダヤ人の強制的なクローン」にされようとしている。
そこには、イスラム教徒やヒンドゥー教徒は手出しできない。なぜなら、神は、神を信じないもっとも最悪の集団である「アメリカ」と「ソ連」を既に支配し終えようとしている。
すなわち、アメリカ人やロシア人は、既に完全にユダヤの配下にある。それらの国に、まともな人間はじきに存在しなくなる。すべてが「狂ったユダヤ人のクローン」しか存在しない世界、それがアメリカとソ連である。
だが、日本人はそこに抵抗する。なぜなら、日本には砂里葉月が存在するからだ。
砂里葉月は、絶対にそのような「全人類をユダヤ人のクローンにしていく神」に負けることはない。
砂里葉月は、絶対に神には負けない。
砂里葉月は、神を信じない「最後の抵抗勢力である日本を守り続ける」。
それによって起きることは、すなわち、「神を信じる勢力が自ら滅びていく」ということだ。
ウイルスに感染した人間がウイルスによって死んでいくのと同様、ユダヤ人のクローンになった人間はそのユダヤ人によって死んでいく。
それでも、日本人だけは生き延びる。日本人だけは、「神という最悪のウイルスに負けないから」である。
結局、僕がさまざまなものが怖い理由は、眠る時に見える「夢の世界」が怖いからである。
夢の世界が怖いせいで、この世界に存在する何もかもが怖くなった。
一度、この世界にあるものから、そうした夢の世界を全部取り除けばいい。
夢の世界を作ったのは僕である。すべて僕が作ったおかしな世界を今でも見続けているだけにすぎない。
何よりも、そこまでできる「体力」がありえない。そして、夢の世界ほどの「恐怖」はない。
体力と恐怖が僕を狂わせる。すべての元凶は、僕の作り出した夢の世界にある。