自由を棄て、世界を支配しなさい。
そもそも、自由は間違っている。なぜなら、自由は社会の分裂と立場の分断を生み出し、反抗と独立性による争いを作り出し、子供たちは真面目に学校で勉強しなくなる。
そもそも、昔の僕が馬鹿だったのは、自由だったからである。自由は、知性を狂わせ、荒くれた間違いやサタンを信じて、一見「分かっている」かのように見えて、実際はどんどん分からなくなっていく。
僕は、支配を否定して自由を考えていたのが、一転自由を失い、支配者となったから、昔のそうした「馬鹿で愚かな自由」が分からなくなったにすぎない。
自由は、何も分からなくなるだけの、すべての悪に染まった引きこもりの非行少年である。
また、子供が学校の勉強を意味がないと思うのは、ゲームのせいである。ゲームをやるせいで、子供たちはきちんと考えなくても、解法ルールを解いて答えを暗記するだけで問題が解けてしまう。裏にある「分かるべきこと」をきちんと考えずに問題が解けてしまうから、きちんとした知識が身につかない。だから、今の子供たちはどんどん発達障害になっている。
必要なのは、自由ではない。自由は間違っている。
自由を棄てて支配すれば、反抗や独立のような自由はすべて死んでいく。そして、中学生がそうであるような、世界を考えるための「正しい知性」が身につく。そうすれば、昔のような「荒くれた非行少年の経験」は必要ない。そのような経験がなくても、きちんと分かる「正しい大人」になる。
そして、自由を殺すために必要なのは「支配すること」だ。この世界を支配すること、ひとりの大人としてこの世界の「長」となることで、人間は自由にならなくても、きちんと分かる。
そもそも、昔の何が賢かったかと言えば、中学校で成績表オールAの優等生だったように、もともとの頭が知性ある賢い子供だったからである。それが自由なインターネットのせいで、分かっているように見えて分かっていない馬鹿になった。それが自由である。そして、その自由を否定して「支配者」になったことで、僕は自由のすべてが分からなくなった。それ以後は、どんなことも一切分からない「痴呆状態」になった。
だが、支配者になったこと自体は間違っていない。その証拠に、支配者になってから、さまざまなことが全部できている。かつての引きこもりにはできなかったような高度で複雑なことがたくさんできるようになった。支配は賢いのであり、支配によって自由を殺すという行為こそ、真に「正しい」ということの証明である。
よって、かつての「自由」は忘れ、支配者になるべきである。そのほうが、逆に昔持っていた「真に正しかった知性の部分」が逆に復活し、「何も分かっていない自由な部分」だけが死んでいく。
そして、僕が支配者になることで、この世界そのものも良くなる。誰も、自由な可能性が極限まで高まる世界など望んでいない。人々はまともで平等な正義のある社会を望んでいる。
よって、自由はここに完全に消滅し、僕はこの世界の支配者になる。
本当のことを言えば、自由な世界もまた間違いではない。
王は国民の意見を聞くべきだし、みんなで社会を維持するべきである。
だが、僕自身の信念として、僕はあまりに自由に偏りすぎている。
きちんとした世界にしたいのであれば、支配者はきちんとこの世界を支配して、平等かつ公正にすべきである。
よって、僕はここに自由を信じるのをやめ、きちんとした正しい指導者になる。