結局、この世界は金である。金のあるものが力を持ち、金でなんでも手に入る世界だ。
人間の生活において、生きるとは金を稼ぐことであり、強さとは金があるかどうかである。
僕も、もっと金を稼いだほうがいい。金を無視してこの世界で生きるのは辛い。
また、この世界で何が悪いかといえば、それはLinuxやWikiのようなデジタル共産主義だ。
まず、第一に言っておきたいのは、僕以外の人間は誰も悪くないということ。
それを踏まえた上で言うと、この世界でもっとも悪いのはLinuxとWikiである。
なぜなら、LinuxとWikiはこの世界を滅ぼす「元凶」になっているからである。
そして、LinuxとWikiをそのようなものにしたのは、すべて僕のせいである。
だが、結局、この世界はLinuxとWikiに完全に騙されている。実際の真実とは違う「まやかし」をLinuxとWikiは大いに世界に蔓延させている。それは悪意はなくとも、善意であるとは決して言えない。
オープンソースだからといって、Linuxをシステム構築のために使うのはまったく間違っている。Wikiのような情報源を正しいソースであるとするのも間違っている。
この世界から、LinuxとWikiが消え失せない限り、この世界は正常にはならない。みんな、LinuxとWikiの何が悪いのかを知らない。だから、この世界は知性を失い、何も分からなくなってしまった。
みんな、LinuxとWikiに、完全に騙されている。
もう一度言うが、悪いのはすべて僕である。僕がLinuxとWikiを、そのような最悪のものに仕立て上げたのである。
そう、結局、この世界は僕のせいですべて滅びた。アメリカを滅ぼしたのも、テレビを滅ぼしたのも、すべて僕である。この世界は僕ひとりによって完全に滅びたのである。
結局、この世界を成り立たせるのは、すべて金儲けだ。
金と権力のある人間が強く、金と権力を握っている人間が偉いのである。
日本のすべては金で成り立っている。日本社会を変えたいのならば、金を稼げばいい。金を稼げばこの世界を変えられるほどの地位に就くことができるだろう。政治家になるためには賢さよりも金が一番必要だ。
つまらないが、賢さなど誰も求めていない。そもそも、大学の科学なんか何も賢くない。金の稼げない基礎研究には予算はつかない。活発に研究できるのは金の稼げる応用研究だ。学者が本を出版できるのは金があるからだ。この世界はほとんど金がすべてだ。そう、そしてそれがアメリカであり、資本主義の「まともな世界」である。
また、僕は日本語は線形的だと思う。
すなわち、「何かが何かに対して何かを何かしら行う」ということを、矢印のように考えるからである。
言語を考える上では、このように、ベクトル的に仮想的な対象を操作するということは何か、ということを、方向を持った矢印のように空想することがもっともよい方法だ。
僕が日本語が分からないのは、常にパソコンに対して何かをしているからだ。パソコンの世界はスカラー的であり、ベクトル的ではない。だが、現実の世界にはスカラー的なことよりもベクトル的なことのほうが多い。そのような現実の世界で何も行動しないから、僕は日本語が分からなくなることがよくあるのである。