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2022-04-01

ここに、わたしは、この地球という星すべてを統治する「皇帝」となることを宣言する。

昔の僕は、自治権と独立主権を守るために、「それぞれが自由に支配すべき」だと信じていた。

つまり、会社は会社という単位で、学校は学校という単位で、役所は役所、政府は政府、家庭は家庭という単位で、それぞれが自由に民主的に支配すべきだと考えていた。

これは、「勢力争い」という視点を見なければ、ある程度は上手くいく。だが、それぞれの勢力が拡大しようとする際に、それぞれの間で争いごとや摩擦が起きる。

それこそが、近代・現代における、イギリスやフランスやスペインの争いであり、多くの人間が、自由に支配しようとするそれぞれの国家の間の戦争によって犠牲になった。

また、自由に支配するということは、必ずしも善良な支配が行われることを意味していない。民主的な決定権があるからといって、「自らの意見が最大限尊重されるとは限らない」。つまり、僕がいじめや抑圧の被害を受けてきた、おかしな中学校や高校が必ずある程度発生する。そして、多くの場合、良い学校よりも悪い学校が、世界において普遍的となる。

ドイツの言うような、「一民族、一国家、一指導者」という発想は、もし、戦争と勢力争いによる犠牲を考えなければ、帝国としては理想だが、それでも、国民あるいはユダヤ人の命がドイツによってどれだけ犠牲になったかを考えれば、正しい正義とは言えない。

また、民主主義や共産主義を信じたところで、結果は西側の資本主義陣営と東側の社会主義陣営が、「経済思想」という互いに相いれない思想に基づいて勢力争いをするのであり、この解決にはならない。

正しい解決は、正しい皇帝がひとりこの世界全体を支配することであり、わたしこそがその皇帝、すなわち「スバル」という称号を与えられるべきである。

数学が悪い

そして、僕の精神の何が悪いかといえば、すべて、「数学」が悪い。

僕の精神の異常のすべては数学が原因であり、実際のところ、それは単なる数学ではなく、「自分ででっちあげたありえない独自の数学」が問題である。

ここで、学校の数学は必ずしも悪ではない。なぜなら、わたしの作った数学は、厳密な定義と証明ではなく曖昧な「なんとなく分かる数学」であり、このなんとなく分かる数学こそが、僕の精神から「正しく分かる知性」を奪っているのである。

頭で何も言えないのは、嘘を信じていないから

また、僕が口と耳ばかりを使って、頭で思考することができない、何も頭で言うことができないのは、嘘を信じていないからである。

普通、人間は、頭では嘘をつく。それは単なる嘘偽りではなく、「信じたいこと」、すなわち「理想」を頭で信じている。

そして、口では本音を言う。その本音は正しい真実だが、実際は単なる真実ではなく、「軽はずみなこと」を言う。だが、その軽はずみなことこそ、真に自分が言いたい「本音」なのである。

よって、僕は現実的な真実を信じすぎるせいで、「軽はずみなこと」ばかりを発言し続け、嘘を信じないことで、「理想」を忘れすぎている。

僕の精神が正常になる方法があるとしたら、真実だけを分かろうとするのではなく、嘘であっても理想を信じることである。

数学は、既に分かっていることだけをいつまでも分かり続けるようになるため、うつ病になる

また、数学の問題は、既に分かっていることだけをいつまでも分かり続けるようになるため、うつ病になるということである。

数学は、同じことしか分からない。その同じことは、質ではなく量を見た、「当たり前で当然のこと」であり、数学を信じると、その当たり前のことを即座に瞬時に分かり続け、それ以外の間違いすべてをまったく検討することなく、排するようになる。

だが、既に分かっている当然のことだけを分かるのであれば、この世界において、何かを感じたり、ものを見て発見したり、人から話を聞いて感動したり、心を動かして自分を変えたりということは、「総じてすべて無意味」となる。

数学を信じる人間は、ものごとにおいて「役割と機能」しか分かることができなくなる。だが、実際は、ものごとに存在するのは役割と機能だけではなく、「さまざまな人生における変化」があるはずである。

数学を信じる人間は、そうした「人生における発見」を忘れてしまう。人生において、もっとも甘美な体験である、「新しい発見」を否定してしまえば、その時点で人生にはなんの意味もない。よって、そのような「数学ができる人間」こそがうつ病になるのである。

プーチンも、また間違っていない

このように、数学を否定する皇帝を選ぶわたし、スバルだが、プーチンもまた、間違っていない。

きちんと理性的に考えれば、共産主義のような「それぞれが共同体となって平等な権力を与えられ、評議会が共同体を支配し、そのソビエト体制が連邦となる」ということでも、民主主義的な平和は作ることができる。

だが、わたしは、そのような社会は「自由な荒くれた無法者の社会」になるということを知っている。

すなわち、共産主義者やタリバンのような、テロリスト勢力の自由は、民主主義よりもさらに悪い、「ギャングやマフィア、やくざを中心とした、自由な殺し合いと廃墟の世界」を作り出す。

だからこそ、皇帝であるわたしスバルは、プーチンと戦い続ける。プーチンには絶対に負けない。プーチンは「帝国主義者は人殺しである」と言うかもしれない。だが、わたしスバルは、「社会主義者も同様である」と言うだけである。

民主主義に完全な自由な決定権は存在せず、世界を変えたいならば自らが皇帝となるしかない

民主主義は、必ずしも間違っていない。だが、民主主義には、完全な自由な決定権は存在しない。

民衆みんなが同じ意見にならない限り、民主主義の「清き一票」では、何も変わらない。

学校でいじめや非行が増える理由、特に平成においてそれが多かった理由は、「自由」のせいである。自由に任せる結果、良い学校だけではなく悪い学校が増えていく。それは「子供たちのほうも自分たち学校の勢力争いにおいて強い勢力になりたいから」であり、これはまったく良い結果を生まない。悪い学校環境が増えていくだけではなく、その悪い学校そのものが「悪い標準」となるからである。

結局、この世界を変えるためには、民主主義とは別の方法で「自らが皇帝になること」しかない。

わたしは、民主主義によって勝利した皇帝ではない。そうではなく、インターネットを使ってこの世界を支配する「サイバー空間の裏の支配者」である。

だが、わたしスバルは、この世界を平和かつ楽園にすることのできる「天才哲学者」であり、そのため、このような最悪の世界を「新しい星プレアデスへと作り変える」ことができる。

わたしはこの世界を平和にする能力のある指導者である。ヒトラーのような愚劣な総統とは違い、わたしは人を殺さない。人を殺すことがどれほど愚かなことであるか、わたしだけはきちんと分かっているからである。

この世界を正しい世界にする方法は、「きちんと皇帝がひとりで支配し、皇帝の作る理想の社会や学校を国民が受け入れること」以外に存在しない。

よって、わたしは単に支配するだけではなく、理想の国家のモデルを示さなければならない。ここに、これまで書いた国家モデルでは十分ではない。なぜなら、それらは「社会主義」と「自由」という誤った考え方に基づいているからだ。そうではなく、正しい国家のモデルとはなんであるか、正しい学校、正しい社会、正しい労働形態とはなんであるか、もう一度最初から、前提条件や既成概念なくゼロから考えなければならない。そして、それはわたしにしかできない。

皇帝に相応しいのはわたしである。なぜなら、真なる意味での皇帝は天皇陛下であり、わたしは天軍大首聖ミカエルだからである。

自由かつ平等に、みんな仲良く、という遺伝子は刻み込まれていない

確かに、自由や平等にもよい点はある。それは、「自由かつ平等に、みんな仲良く学校で勉強しましょう」という発想だからである。

子供の視点から見れば、争い合いを経験せず、勢力争いも放棄し、科学技術やものづくりの勉強をしながら、誰のことも敵にまわさず、いじめることも壁を作ることもなく、仲良くやりましょうという発想は理想である。

だが、戦国時代から世界大戦まで、長い間の「戦いの遺伝子」を刻み込まれて生きてきたわたしたちの祖先から続く遺伝子には、そのような「共産主義的な平和なDNA」は存在しない。

わたしたちは、王となるひとりの勝者と、それ以外の従属する国民という、いわば「ピラミッド構造」で長い間、この地球人類の歴史を生きてきたのである。

そのようなわたしたちの遺伝子を無視して、子供たちに「平等に仲良くやりなさい」と言ったところで、子供たちは自らの「遺伝子に戸惑う」だけであり、自分らしく生きるためにいじめや壁ばかりを作る結果にしかならない。

帝国が必ずしも正しいわけではない。だが、子供たちに安心と安寧を与えるためには、「民主主義的な教育を否定すること」が必要である。

わたしたちの国家を、素晴らしい楽園とし、教育環境を正しいものに正常化するためには、子供たちに「平等」を押し付けるだけでは成り立たない。必要なのは、皇帝による権力に基づく、正しい教育である。

教育システムそのものが、平和教育と矛盾している

また、僕が考えるに、教育システムそのものが、平和教育と矛盾している。

昔の帝国時代の日本の教育を、そのまま平和かつ平等な「左翼教育」にしてしまったため、「画一的な軍国教育のシステム」の中で、「平和を強制する押し付け平等教育」を行っているからである。

もし、平和教育を真に実現したいのであれば、今の中学高校の教育システムは全部間違いである。もし、今の教育をそのまま継続し、維持したいのであれば、軍国教育のほうが、上手くいくだろう。

だが、実際のところ、僕は軍国教育も嫌いである。なぜなら、僕はあくまで「平和主義者」だからである。

僕は戦争をするために皇帝になるのではなく、世界において「正しい世界」をもたらすために皇帝になるのであって、「日本の兵隊の精神は素晴らしいのだから、あなたがたも同じように国のために戦いなさい」という教育は、断固として受け入れられないのである。

だが、僕は科学技術に対して見切りをつける必要があると感じている。科学技術、特に数学を中心とした教育では、この世界はよい世界にはならない。むしろ、哲学や宗教を教えるべきであり、日本以外、たとえばインドや中国、ドイツやイスラエルのような国における「それぞれが信じている思想や文化」を教えるべきだと考える。

同時に、今の物理や生物の教科書は間違っている。なぜなら、「あるものをすべて網羅しようとするせいで、分かるべき点がきちんと分かるように分かりやすく説明されていない」からである。

分かるように教えるということは、決して暗記や試験を意味しない。一流の教授によって教わった授業が人生そのものを変えるように、きちんと分かる説明を受けた子供はその説明のことを一生涯忘れることはない。

よって、教育は、事実や学問上の科目を単に「覚える」ものではなく、「分かるべき点を分かるように教える」ものであるべきであり、きちんとした説明で分かった子供は、暗記や試験をしなくても、その教わった内容を一生涯覚えているものである、とする考え方のもとに教育を行わなければならない。

そして、そのためには数学を否定しなければならない。数学は諸悪の根源であり、人々の精神を狂わせ、正常な人生を奪い、人生をつまらないものにし、社会全体を鬱屈したものにしている最大の元凶であり、癌だからである。