僕の問題が何かと言えば、スケールが大きすぎるのである。
宇宙の星々とか、人生すべてとか、独裁者や滅びや救済の終末とか、あるいは政治思想やソ連など、あまりにスケールの大きいことばかり分かっている。
だが、本当に作家になるために必要なのは、もっとスケールの小さいこと、身近にあるたくさんの普通のことである。
よって、僕はこれ以上、スケールの大きな考え方は、封印したいと思う。
なので、もっとスケールの小さいことをより考えていきたい。身近なこと、生活のこと、植物や動物のこと、普通に生きる上で存在する人生や愛のことなど、普通の面白いことはたくさんある。
そうすれば、IT技術も大学の常識や科学の新発見のこともすべて分かった僕が、「これ以上何もすることができない」というのも治ることだろう。
そして、僕の頭がおかしいのは、どんな人間にでもなれる部分、色んな人間になる部分が、なぜかおかしな虫になっている。
この理由は、女になりたいからである。
だが、本当のことを言えば、僕が女のような人間だったことは、かつて一度もなかった。引きこもりのオタクではあったが、それがトランスジェンダーのような、性別が男なのに女になってしまうようなことは、本当は一度もなかった。
だから、僕は今から、「どんな人間にでもなれる部分」を、人間の男にしていこうと思う。
これによって、僕は「色んな人間になれる」という過去に僕がテーマとしていた知性を復活させる。昔の僕が考えたことは、ほとんどが「色んな人間になりたい」ということであり、その結果が昔の人生である。だから、どんな人間にでもなれるようになれば、昔の自分の考え方でもう一度新しく賢く世界を考えることができるようになるだろう。
かつての僕が、なぜ平等な自由を信じていたのか、なぜオープンソースに共感したのか、それはひとりの力を信じていたからだ。
人間が、ひとり、本当に何かを成し遂げた時、そこにはとてつもない可能性があるということを僕は信じていた。
だから、僕は自由な平等を信じた。すなわち、「誰の自由も奪わず、全員に最大限の自由を平等に与える自由」を僕は信じた。
だが、ひとりだけではできないこともある。大規模なソフトウェア開発プロジェクトは、それぞれが共同で開発しなければならない。
そのような僕にとって、オープンソースは、まさに理想的な「自由」だったのである。